第二十六話 過去

 私と荒地は河原の芝生に並んで座った。だが、お互い目を合わせず沈黙していた。


 今日一日一緒にいたが、ガイアについて触れることはほぼ無かった。朝の時点では真実を聞きたいと思っていたが、もし知ってしまったら二度と彼に会えなくなるのではないか、そんな不安にかられて触れないようにしていた。


 しかし、彼がこのタイミングで話しをしたいということは間違いなくガイアについてだろう。私は覚悟を決めて彼の言葉を待っていた。


「――お前にはどうしても伝えておきたいんだ」

 荒地が静かに口を開いた。私は黙って彼の顔を見つめていた。


「俺達姉弟は……茨城県の出身だ」

「えっ」

 私は思わず声を上げてしまった。あれだけ私の事を田舎者だと馬鹿にしていたガイアが茨城県民だったなんて……


「俺達は隣の鹿島市のキャベツ農家に生まれた。しかも親戚が鉾田に住んでいたので、この河原にもガキの頃からちょくちょく来ていたんだ」

「そうだったんだ……」

「そして姉きが中学二年生、俺が小学六年生の時に千葉県に引っ越した。俺達の親は農業法人を経営していて、千葉に進出する為の引っ越しだった。だがそこで事件が起きた」

 そこまで言うと荒地は一旦言葉を切った。見ると表情を曇らせている。あまり話したくない内容なのだろう、私は何も言わず彼の言葉を待った。


「姉きは……転校先の学校でひどいイジメにあってしまった」

 再び荒地が口を開いた。


「ガイアがイジメに?」

 私は耳を疑った。あの誰もが恐怖する絶対的女帝のガイアがイジメられていたなんて、全く想像出来なかった。


「原因は茨城なまりだった。お前は信じられないかもしれないが、茨城のなまりは他県の人間からするとかなり独特で嘲笑の的になりやすいんだ。しかもうちの両親はなまりが強く、姉きもそれを受け継いでいたせいで余計目立ってしまった」

「なまりが原因でイジメに……」

「茨城弁は語尾に『ぺ』をよく付けるが、それが一番イジられたらしい。お前は加トちゃんか、と」

「……」

 私は言葉を失っていた。令和の時代にそんな理由でイジメをする中学生がいるなんて……


「不良グループに目を付けられた姉きは毎日暴力を振るわれていたらしい。転校する前は朗らかで正義感が強く、誰もが慕う存在だった。いじめられている奴を見かけるとすぐに助けてやるような……優しくて強い姉だった。だが転校して以来笑顔を見せる事は無くなり、家でもふさぎ込むようになってしまった。俺はまだ小学生だったから何もする事が出来ず、どんどん暗くなっていく姉きをただ見ているしかなかった」

 荒地は悔しそうな表情をしていた。


 本当にガイアの……姉の事を大切にしているんだろうな。私は複雑な思いを抱いていた。


「そんなある日、姉きが全身血まみれで家に帰ってきた。何事かと両親が騒いだが、そこに付いていたのは全て返り血で、姉きは自分をイジメていた不良グループを一人残らず病院送りにしてしまった」

「え……いきなり?」

「ああ。俺も最初は信じられなかったが本当だった。今までイジメられていたこともあって正当防衛と判断されたが、集中治療室行きの奴もいたらしい」

「マジで容赦なしだね……」

「その日を境に俺の知っている姉きはいなくなってしまった。あの時の……血まみれの顔に浮かんだ笑みは今でも忘れられない」

「……」

 私は顔が引きつっていた。あまりの急展開に思考が追い付かない。


「その事件以来、他校の不良達からも狙われるようになったが誰も姉きを倒せる者はいなかった。こうして姉きは周囲から恐れられる存在になっていった」

 荒地が遠い目で川の向こうを眺めた。


 ガイアにそんな過去があったなんて……だがなぜ急にガイアは強くなったのだろう。昨日までイジメられていた子が突然不良グループをまとめて半殺しにするなんて普通ではありえない。


 もしかして……


 私がひとつの可能性を頭に浮かべた時、

「ここからはお前にしか理解出来ない話なんだが……」

 と荒地が切り出した。

「うん」

 私は返事をして荒地の顔を見つめた。


「姉きの体には……鉄人空手家ランディ・プグの魂が宿っている」

「……」

 予想的中だった。ガイアにも私と同様に伝説の格闘家の魂が宿っていて、しかもその二人がこれから激突しようとしているなんて……


「だから私がドルナルドの話をした時『神のいたずら』って言ったんだね」

 私はぽつりとつぶやいた。

「ああ。何となく感じてはいたけどな」

 そう言うと荒地は再び遠い目をした。恐らくガイアも初めて私と戦った時に気付いていたのだろう。昨日の奴の言葉もこれで合点がいく。


「でも……何故ガイアは私と戦う事にこだわってんだっぺ。昨年もそうだったけど何でガイアが絡んできたのか謎なんだよね」

 私はずっと気になっていた事を尋ねた。


「これは俺の推測だが、姉きは紅葉に勝ってほしいのかもしれない」

「どういうこと?」

「姉きは自分から喧嘩を売る事は一度も無かった。前のホコミナの番長も転校生に学校の礼儀を教えてやる、と言って喧嘩を売ってきたらしいからな。姉きが喧嘩をするのは自分の身を守る時だけだ」

「てことは……ホコミナのテッペンもなりたくてなった訳じゃ無いってこと?」

「ああ、降りかかる火の粉を払っていたらなってしまったという感じだ。過去のトラウマが姉きを駆り立てているのであって、本当は抗争など望んでいないはずだ」

「……」

「そして、それは紅葉も同じだろ? 覇権争いなどではなく、仲間を守る為にその力を使っている」

「……うん」

「紅葉のような正しい力の使い方をしている奴に負ければ解放される……姉きはそう思っているのかもな」

 荒地が真っ直ぐに私の目を見つめた。私は小さく頷いた。


 茨城をディスったり私を田舎者扱いして煽ってきたのは私と戦う為だったのか。

 リゲル戦の時にボールを投げ込んだり箕輪をヤンキーから守ってくれたのもたぶんガイアだろう。その行動から見ても彼女は決して悪では無い。イジメに対して強いトラウマがあるから無理をしているだけで、本当は優しい性格なのかもしれない。


 もし私が勝ってそのトラウマから解放されるならば……


「――荒地」

「ん?」

「私は必ず勝つよ。そしてガイアを救う」

「ああ、頼む。ただ無理はしないでくれ」

 荒地は真剣な表情で私を見つめた。これは私とガイアだけの戦いじゃない。荒地や、他の皆のためにも絶対に勝たなければならない。


 もう私の中の迷いは完全に消えていた。ただひとつの事を除いては。


**


「さて、家まで送ってくよ」

 荒地が立ち上がった。気付くと西の空が紅く染まりつつある。


「……ねえ荒地」

「どうした?」

 私は立ち上がる荒地を見上げた。


「一つ聞きたいんだけど……今まで私を助けてくれたのはガイアの為だったのけ?」

「え?」

「あ、いや、ごめん。変な事聞いちまって。やっぱ何でもない」

 私はかぶりを振った。


 今さらこんなこと聞いてもしょうがないのだが、どうしても気になってしまう。荒地は……私の事を好きだから助けてくれたのかなと思っていた。だが、さっきの話を聞いているうちに私の思い違いだと感じてしまった。


 恥ずかしさともどかしさが交差し、思わずこんな質問をしてしまった。自分の心の弱さが嫌になる。


「さ、帰っぺ。今日はありがとね」

 何事もなかったように笑顔で荒地に言った。


「紅葉、俺は……」

「あっ!」

 その時、私は足がもつれてバランスを崩し、転びそうになってしまった。

「――紅葉っ!」

 荒地がとっさに両手で支えてくれた。

「うきゃっ!」

 私は荒地に抱きしめられていた。


「あっ、荒地、ありがとう。もう大丈夫だよ」

 慌てて荒地に言った。だが、なぜか私を抱きしめたまま離さない。


「……荒地?」

「さっきの質問だが、それは違う」

「へっ?」

 私は声が裏返っていた。


「俺は……俺は、お前の事が好きだ。だからずっとお前を助けていた。それはこれからも変わらない」

「荒地……」

 無意識に彼の名を口にしていた。


「お前は苺のように可憐だ。しかし、内には苺の赤とは違う紅色の闘志を秘めている。言うなら紅の苺だ」

「紅の苺……」

 ちょっと何言ってるかよく分からなかったが、彼の真っ直ぐな気持ちに私は完全に心を奪われていた。


「死ぬなよ紅葉。必ず勝って俺のもとに戻って来てくれ」

「うん……」

 私は返事をすると、彼を見上げてそっと目を閉じた。


 初めてのキスは、苺では無くナポリタンの味がした。

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