第十二話 鼻血

 音がしたほうを見ると、箕輪の横にいた見張り役のヤンキーが床に倒れていた。傍らに野球のボールが転がっている。


「な……」

 リゲルが声を上げた瞬間、視聴覚室の入口の扉を蹴破って一人の男が入って来た。

「あ……」

 私は思わず声を出してしまった。乱入してきた男は昨日私を梶山から救ってくれたオールバックの彼だった。


 彼は箕輪が縛られている縄を素早くナイフで切り、箕輪を部屋の外に連れ出した。

「おい! 何やってんだてめーは!」

 リゲルが叫ぶと同時に、数人のヤンキーが追いかけて教室を出て行った。

「――ぐわっ」

 次の瞬間、追いかけて行ったヤンキー達の叫び声が聞こえ、視聴覚室の中に吹っ飛んで来た。全員白目をむいて気絶している。


「なんだ、どうなってんだ! おい! てめーらも行け!」

 リゲルが狂ったように叫びながら周りのヤンキー達を蹴飛ばした。ヤンキー達があわあわと動き出した瞬間、彼が教室に戻って来た。室内に緊張が走る。


「この野郎……見ねーツラだな。一年坊か」

 リゲルが彼を睨みつけながら言った。

「人質を取って相手を倒そうとするクズに答える必要は無い」

 彼は表情を変えずに言った。なぜか私の鼓動が早まる。

「なんだとコラ、調子こいてんじゃねーよ! てめーもブチまわしちまうぞ!」

 リゲルが凄んだが、彼は顔色一つ変えない。しかもこれだけのヤンキーを前にして全くひるんでいないところを見ると、相当な場数を踏んできたのが想像出来る。


「おい! シカトしてんじゃねーよコラ!」

 リゲルが再び凄んだが、彼はリゲルから視線をそらして私の方を見た。

「立てるか? 人質の子は逃がしたから安心しろ」

 思いもよらぬ言葉に涙がぐっとこみ上げてきた。だが今は泣いている場合ではない。

「うん、大丈夫。箕輪を助けてくれてありがとう」

 私は立ち上がりお礼を言った。そして口元の血を拭い、リゲルを真っ直ぐ見つめた。


「ガキが……誰を相手にしてんのか分かってねーようだな」

「分かってるよ。卑怯で弱虫のリゲルさん」

 私は笑顔でリゲルに答えた。

「やれ!」

 リゲルの叫び声とともにヤンキー達が一斉に襲いかかって来た。

「ふごっ」

 私はすかさず回し蹴りを放った。数人のヤンキーが吹き飛び床に転がる。人質の箕輪が救出された今、こいつらに遠慮する必要は無い。


「ぐへっ」

 一方の彼もどんどんヤンキー達をなぎ倒していく。やはり喧嘩慣れしているのか、ザコヤンキー達は全く相手になっていない。


 私達が半分ほどヤンキーを片づけた頃、奴らはすでに戦意喪失していた。

「な、なんだっぺこいつら……強すぎだぁ」

 リゲルの配下達が情けない声を上げながら逃げ出した。


「おっ、おい! 逃げんなてめーら!」

 リゲルが叫んだが、ヤンキー達は怯えた表情で我先にと視聴覚室から逃げて行った。


「くっ、あのザコどもが!」

 リゲルが憤慨した。

「やっぱ人望ねーんだなおめー。その性格じゃ当たり前か」

 私は鼻で笑った。しかしリゲルはさほど焦った様子を見せない。


「ふん、あんなザコ共なんぞいなくてもたいして変わんねーよ。俺は自分でやるのが面倒だからあいつらを使っていただけだ」

 自分の実力に絶対の自信を持っているのか、この期に及んでまだ余裕をかましている。

「それに俺はおめーらなんぞ眼中にねーんだよ。ガイアを倒してホコミナのテッペンに立つのはこの俺なんだからな」

 リゲルが自信たっぷりに言い放った。


 おそらくこいつはガイアと戦ったことがない。昨年私が戦ったあの女がガイアである可能性は高い。だとするなら、あいつの圧倒的な戦闘力に少なからず恐怖するはずだ。


「――お前ではガイアは倒せない」

 と、私が思っていた事を彼が静かに言った。

「ああ? 一年坊のくせに何知ったかぶってんだコラ」

 リゲルが憤った。私も同感だが、彼はガイアのことを知っているのだろうか。


「ちっ、おめーらとこれ以上話すことはねー。オラ、かかってこいよ」

 リゲルが手招きした。

「行くぞ」

 と彼が前に出ようとした時、私は彼の肩を掴んで止めた。

「こいつは……私がやる。箕輪を危険な目に合わした報いを叩き込んでやる」

 彼は一瞬ためらったようだが、私の顔を見て後ろに下がった。

「油断するなよ」

 彼の言葉に私は頷き、リゲルと対峙した。


「おめーは絶対に許さねー。一般人の箕輪をさらった上にこんなとこに閉じ込めてよ」

「はっ、勝てば何でもいいんだよ。行くぞ!」

 リゲルが間合いを詰めて右ストレートを放ってきた。

 私は最小限の動きで横にかわしカウンターを打とうとしたが、リゲルが間髪入れず後ろ回し蹴りを放ってきた。私はその蹴りもかわして一度距離を取った。


「ちっ」

 リゲルが舌打ちをした。

「もうちょいでその可愛い顔が血まみれになるとこだったのになぁ、ちょこまか動いてんじゃねえよ」

「……」

 私が黙っていると、リゲルがにやついた。

「おめーをブチまわしたらまたあの女をさらってやるよ。今度こそめちゃくちゃにしてやるぜ」

 リゲルがぎゃははと高い声で笑った。私の中で何かが切れる音がした――


「あ? なんだおめー」

 私は無表情でリゲルにゆっくり歩み寄った。

「な、なんだおい、馬鹿にしてんのか!」

 リゲルが叫んだが、私は無視してさらに近づいた。

「ふざけんな! 死ねコラァ!」

 リゲルが私の顔面を狙ってストレートを放ってきた。


ゴスッ


 その瞬間、私は前に踏み込んでリゲルの顔面に思い切り頭突きをぶちかました。

「ぐはっ!」

 リゲルの顔が醜く歪み鼻血を噴き出しながら崩れ落ちた。かすかに動いているが、完全に気を失っている。


「二度と私らの前に現れんなクズ男。おめーじゃガイアの足元にも及ばない」

 私はリゲルにそう告げると、このタイマンを見守っていた彼のほうに視線をやった。彼は私の顔を真っ直ぐに見つめながら頷いた。

「一撃で倒すとは凄いな」

「こいつが弱すぎるだけだよ。あいててて……」

 頭突きをした場所が痛んだ。


 と、彼が私の前髪を手でかきあげながら顔を近付けてきた。

「大丈夫か?」

 彼が私のおでこをまじまじと見つめている。


「だっ……近い……」

 私は頭に血が上る感覚とともにゆっくりと崩れ落ちた。

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