第八話 オヤジ
ドクン……ドクン……
心臓が信じられないスピードで脈打っている。そして、全身が小刻みに震えるのを止めることが出来ない。血が猛スピードで血管を駆け巡っている。
女は私を真っ直ぐ見つめていた。口元にはうっすら笑みを浮かべている。あの時と同じだ……
「お前は……いや、お前がガイアなんだっぺ!」
私は怒りと恐怖を同時に覚え、それをかき消すように大声で叫んでいた。すると女は一瞬真顔になったが、すぐに表情を戻した。
「何とか言ったらどうなんだっぺ!」
私は女を問い詰めた。だが、やはり微笑を湛えたまま動かない。
さっきの泉の話だと、茨城でしか通用しない方言を使っていたという情報から、ガイアは茨城の人間である可能性が高いと言っていた。ところが、私がガイアだと思っていたこの女は千葉から来たと言っており、尚且つ標準語をしゃべっていた。
だが、私はひとつの可能性を捨て切れていなかった。
もしこの女が都会人ぶって標準語をしゃべっているだけだとしたら? そうすると全て辻褄が合う。見た目も切れ長目の美人で、喧嘩も異次元の強さだ。完全にガイアの特徴と一致している。
私が頭の中で考えをめぐらせていると、
「だとしたらどうする?」
女が唐突に口を開いた。肯定なのか否定なのかよく分からない返事だが、やはりこいつがガイアなのか……?
「お前の目的は何なんだっぺ! いきなり私に絡んできて田舎者だと馬鹿にして! お前も同じ茨城の人間なのに、何で標準語を喋ってんだよ!」
私は疑問の全てをぶつけた。とにかくこいつが何を考えているのか知りたかった。
女はしばらく私の顔を見つめていたが、
「お前には……分からないだろうな」
と、一瞬目を伏せてそう答えた。その表情から笑みが消えていた。
「私には分からないって、一体どういうことだべ?」
予想外のセリフと態度に私は驚いた。こいつがこんな顔をするなんて……
私が困惑していると、
「また、会うことになるだろう」
そう言って女は私に背を向けて去って行った。
私は追いかけることなく、女の後姿をずっと見つめていた。
結局なぜ私に絡んだのか、そして、あの女がガイアだったのか分からずじまいである。
ただ、あの女が一瞬見せた悲しい表情が頭から離れなかった。
**
家に着くと愛犬が元気よく出迎えてくれた。
「ワン、ワン!」
「ただいまクロコップ」
私は愛犬のクロコップを抱きしめた。クロコップは生粋の柴犬で少し肥満気味だがそこがまた可愛い。田舎は農作業中に家を空けがちなので、防犯対策として犬を飼っている家が多いのだ。
「クロコップぅ、今日は疲れたよぉ」
私はクロコップをモフモフしながら頭の匂いを嗅いだ。犬の頭の香りにはリラクゼーション効果があると言われている……訳ではないが、癒されるのは間違いない。
私がクロコップの頭に顔を埋めていると、ブロロロンとけたたましい軽トラのうなり声が聞こえた。
「おーう紅葉、帰って来たのかぁ」
とドスのきいたダミ声が聞こえた。オヤジの
「ただいま」
「どうだっぺホコミナは? 俺が通ってた頃よりだいぶ大人しくなってんじゃねーか?」
オヤジはガハハと大声で笑った。
私のオヤジもホコミナの出身で、学生時代はホコミナに勝下在りと恐れられていたらしい。確かに色黒でプロレスラーみたいな体格と本職顔負けのいかつい顔立ちから、当時は相当やんちゃだったことが容易に想像出来る。
そんなオヤジも今では実家の農業を継ぎ、苺とメロン作りに精を出している。
「お父さんが通ってた頃のホコミナは知らないけど、ヤンキーばっかで気が滅入っちゃう」
私はため息交じりに答えた。
「やっぱ今もヤンキーばっかなのかよ! グハハハハ、変わってねーなーホコミナはよぉ! まるでタイムトンネルをくぐってる気分だっぺなあ紅葉!」
オヤジはめちゃくちゃ笑っている。こっちは大変な目に合っているのに……
「ちょっと、笑い事じゃないっつーの。今日一日大変だったんだかんね」
「ん? どうした、何があったんだっぺ?」
オヤジが食いついて来た。元ヤンだけに揉め事系の話は大好物だ。
私は今日一日の出来事をかいつまんでオヤジに話した。もちろん私の力の事はオヤジも知らないが、中学生の頃から強制的に空手の特訓をさせられていたため、私がけっこう強いとは認識しているようだ。
「ほーう、そんな事があったんだべか。入学初日にそんだけのヤンキーをブチまわすとは、さすが俺の娘だっぺな!」
「いや、感心してる場合じゃねーって。お父さんは娘の事が心配じゃねーの?」
「なーに、おめーは俺の娘なんだ。その辺のヤンキーなんぞ相手になんねーべよ! それにイザとなったら俺の仲間やホコミナOB引き連れて学校に乗り込んでやっから安心しろ!」
オヤジの仲間やOBって……まずい、絶対にこの人を巻き込んじゃダメだ。死人が出る。
「まあいいや。とにかく私は喧嘩なんて好きじゃないし。なるべく目立たないようにするよ」
「うん、そうだな。だが紅葉よ……」
オヤジが急に真顔になった。
「その箕輪って子は大事にしてやれ」
そう言って、オヤジは軽トラに乗り込み畑に戻って行った。
「お父さん……」
オヤジの意外な言葉に少し驚いたが、私は深く頷いた。軽トラに乗り込む時にもの凄いドヤ顔をしていたのはムカついたが、友達を大事にしろというのは本音だと思う。
**
私がクロコップの散歩を終えてお風呂から上がると夕食の準備が出来ていた。農家は晩飯の時間が早い。
夕食時、オヤジが私のホコミナでの出来事に尾ひれ背びれを付けて壮大なストーリーに仕上げて母に語っていた。母はオヤジと違い普通の人なので、不安そうな顔で私の事を心配していた。
私は母に大丈夫と言い聞かせ、早めに食事を終えて二階にある自分の部屋に戻った。今夜はオヤジの話が長くなりそうなので避難しなければ。
それにしても一日が異様に長く感じた。入学初日からヤンキー達と戦う羽目になり、ボス級の奴からも目を付けられている可能性があるという状況だ。しかも昨年戦った得体の知れない女まで出てくるし、これから一体どうなるのか不安は募る一方である。
唯一の救いは箕輪という天使に出会えたことだ。
彼女の笑顔を守ることが私の使命だと決意し、私はベッドに横たわった。と、同時に睡魔が押し寄せてきた。
下ではオヤジの笑い声が響いている。だが、いつもはうるさいその声ですら、私の睡魔に抗うことは出来なかった。
私は深い眠りの世界へと身をゆだねた。
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