第34話 ちちうえ

「すまぬな」


 立ち上がったイルゼは俺から背を向けたままボソッと呟く。

 

「そこは、ごめんじゃなくてありがとうだろ」

「そうだな、うん、そうだ。感謝する、バルトロ殿」


 言った後に恥ずかしかったのか僅かに肩を震わせたまま、イルゼはその場から動こうとしない。

 ほんと不器用なんだから。

 後ろから彼女の肩をポンと叩く。

 それでも振り返ろうとしないから、彼女の顔を覗き込んだら――。

 

 ヒシとイルゼが俺にしがみつき、俺の胸に顔を埋めた。

 こんな時、何を言ったらいいのか口を開き、閉じるを二度繰り返してしまう俺。

 いつも割って入ってくるプリシラも俺の肩でお座りしたままじっと様子を窺っているし……。

 

 しかし、困った状態は長く続かなかった。

 ハッと顔をあげたイルゼの顔が沸騰したように赤くなり俺の胸を両手で押す。

 それも、思いっきり。

 

 壁に叩きつけられそうになるのをグッとこらえてふうと息を撫でおろす。

 

「こ、これは違う、違うの」


 イルゼは混乱している。口調も子供っぽいものになっているし。


『バルトロに抱きしめてもらいたかったんでしょー』


 こら、ここは黙ったままが最善だ。

 プリシラを諫めようにも彼女は口を開いて会話をしていないから、止めようがないんだ。

 

 頭から湯気があがりそうなほど首まで真っ赤になったイルゼは、ブルブルと首を振る。

 

「ま、まあ。いいじゃないか。行こうぜ」


 ポンと彼女の肩を叩くと、またしても両手で押された。

 今度は肩だ。


「そ、そうだな。向かおう」


 イルゼはようやくいつも通りの澄ました顔になり、間の抜けた返事をする。

 やれやれだぜ、全く。

 

 ◇◇◇

 

 お屋敷は俺がこれまで訪れたことのあるどんな家より広大な敷地を保有していた。

 でも俺が想像するようなお屋敷とは様相が異なる。

 カンタブリア伯爵のお屋敷もサンタンデールの街に溶け込むような作りをしていたからだ。

 白い壁に四角い外観のおもちゃ箱のような家。広い庭には池と椰子の木と鮮やかな赤色の花が並ぶ庭園といった感じでファロとはまるで違う。

 

 入口に立つ守衛がイルゼの顔を見ると、シャキッと敬礼をして中から執事らしき壮年の男が俺たちを迎え入れてくれた。

 屋敷の大きな扉が開かれ、ここからはツインテールのメイドがスカートをひらひらさせながら奥へと案内してくれる。

 

 中の調度品は高価な物だと分かるが、見事なべっ甲や宝石サンゴなど海の宝石が多い印象だった。

 

「こちらでございます。中で伯爵様がお待ちです」


 ぴこんとツインテールを揺らしお辞儀をしたメイドの横を通り、いよいよ伯爵が待つ部屋に入る。

 何も言われなかったけど猫を肩に乗せたままでいいんだろうか……って悩んでいたらイルゼがスタスタと先に進んで行ってしまった。

 

 ま、いいか。

 中身はプリシラだし、突然走り回ったりすることはないだろ。

 

 中には蔓を編んだような素材を使ったソファーに中年の男が腰かけていた。

 男はこげ茶色のもじゃもじゃした短髪に同じくもじゃもじゃの髭を蓄えている。

 彼はイルゼの顔を見るや嬉しそうに立ち上がった。樽のようなお腹をしていて、立ち上がったから分かったけど背丈がイルゼより低い。

 

 このおっさんがイルゼパパなのか?

 彼女とは欠片ほども似ていないけど……。

 

「イルゼえー。待っていたよおお」


 抱き着こうとした中年の男をヒラリと躱すイルゼ。


「父上。久しいな。母上は息災だろうか?」

「もちろんだともお。イルゼ。ローザもお前の兄弟も全員元気だぞ」

「そうか。それはよかった。要件は遠話の通りだ」


 やはりこの男はイルゼパパだったのね。

 それにしても、とっても嬉しそうにはしゃぐイルゼパパとイルゼの温度差が酷い。

 もうちょっと愛想よくしてあげればいいのに。

 そうすりゃ、イルゼパパは自分の意見なんてコロッと翻して彼女のお願いを聞いてくれそうな気がする。

 

 二人の様子を観察していたら、こっちに視線が向いた。

 

「そうか。彼が。大賢者バルトロメウ・シモンか」


 イルゼパパが朗らかな赤ら顔に似つかわしくない鋭い目で俺を見やる。

 

「はじめまして。バルトロメウ・シモンです」

「おう、そんな硬くならずともよい。アミーゴ。イルゼが連れて来た初めての人なのだから。例えにっくき恋人候補でも歓迎するとも」


 俺の両手を無理やり握り、イルゼパパが人好きのする笑みを浮かべた。


「こ、こい、び」


 イルゼがワナワナと指先を震わし、何やら呟いている。

 こんなんで恋人のフリとかできるのか? 激しく不安になってきた。

 

「分かっているともアミーゴ。アミーゴはイルゼの友人なんだろう? アレは無理して恋人と言い張ったがね」

「え、あ……」


 イルゼパパに背中をバンバンと叩かれもイルゼに目配せする。

 おおおい。そこで目を逸らすんじゃねえよ。

 取り繕う気もないってことか。

 

「しかし、イルゼが何としてもお見合いを断りたい気持ちは分かったとも。だからいいんだアミーゴ。イルゼにアミーゴができただけでも私はこの上なく嬉しい」

「そ、そうですか」

「せっかく来てくれたんだ。ぜひ泊まっていってくれたまえ。部屋はイルゼと一緒がいいかね?」

「父上!」


 そこでイルゼが口を挟む。

 分かった。いつも通りでいいってことだな。イルゼ。


「お、イルゼもまんざらじゃあない様子だな、アミーゴ! 見た所、アミーゴは本当に同じ人間なのかと思うほど強いじゃあないか。大賢者と言われるだけのことはある」

「あ、いえ」

「イルゼと並び立つ者がいたなんて驚きだよ! アミーゴならきっとイルゼと似た悩みを持つに違いないとも。仲良くしてやってくれ。だが」

「は、はい」

「押し倒すのはまだダメだゾ」


 それ、自分の娘の前で言うセリフじゃねえって!

 あ、イルゼの肩がプルプルと震えている。

 俺は無言で自分の耳を塞いだ。

 

「父上ーー!」


 イルゼの絶叫が響く。

 残念ながら、アミーゴは耳を塞ぐのが間に合わなかったらしく目が落ちそうなほど見開きくらくらしていた。

 それはともかく、イルゼが深刻に悩んでいたけど、このまま何事もなくお見合い話は凌ぐことができそうだな。

 泡を吹いて倒れ込むイルゼパパに心の中で合掌しつつ、ホッと胸を撫でおろす。

 

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