第一章 記憶がない少年
2
僕は再び夜の坂道を上っていた。
先程の喫茶店を出た後、時森さんは無言のまま歩いていた。
今は白衣のポケットに手を突っ込んで歩いている。
僕が何か言った方が良いのではないかと思った。
「時森さん、僕が……悪いのでしょうか?」
そして、暗いオーラを発した。
「とっ、時森さん?」
「しっ、静……」
すると、僕の耳に聞き間違いのような言葉が響いた。
「あの……今、なんって言ったのかな。良く、聞こえなかったから……もう一度言ってくれないかな?」
「うっ、だから……静って、呼んで……って」
静は顔を赤くしながら言った。
「…………」
突如、大胆な発言をした彼女に戸惑ってしまう。
「どうしたの?」
「……ふえ、私……」
さて、どうしよう。時森さんは顔を赤くして、困惑している。
金色の長い髪が風で靡いた。
「
「はは、無理だよ」
「えっ! 良いじゃない。皆には、名前で呼んで貰っているから。ねぇ……呼んでみて」
静は両腕を広げて、旅介に微笑みながらお願いする。
旅介も顔を赤くしている。
「……分かったよ。はぁ~」
恥ずかしげに頷く。
「じゃ、言ってみて!」
「ははぁ~……では、し、し、静……」
それを聞いた静は喜びの声を上げた。そして、旅介の手を取って上下に振った。
「ありがとう! 家族以外の男の方に名前で呼ばれたのは初めてだから。これから宜しくね!」
「此方こそ……」
本当に人懐っこい娘だな。危機感はないのかと言いたい。
まぁ僕も記憶がないからな。端から見たら不審者でしかない。これを考えたら、僕の方が悪者ではなかろうか。
静に信頼されているが、他の人はどうだろう。……これも、静に訊けば分かるのかな。
「……旅介、これから家に来ない?」
ふと、静の口から出た言葉に驚いた。
「……えっ!」
次の静の言葉は何かと思った。
「……りょっ、旅介は、泊まる所がないでしょう。私が叔父様にお願いするから、大丈夫だよ。でっ……どうかな、旅介」
と静は言ってくれた。確かに、記憶がない僕にとっては行く所も、帰る所もない。だが、良いのだろうか。
「どうかな、旅介」
もう一度訊き返す静。この娘は何故、僕に優しくしてくれるのだろう。会ったばかりの僕に。
ふと静の目を見ると、是非来てと、言っているようである。
仕方がないか。実際行く当てもないし。この娘の言葉に甘えよう。
「じゃ、お厄介になります」
「やったー!」
大喜びでばんざいをした。そして、旅介の手を取り歩き出した。夜の坂道を。
「じゃ、行こう!」
「あぁ」
静は嬉しそうで、楽しそうに坂を上る。見た目で分かる。僕が頷かなかったら静は暗い顔をするのではないかと。だから、素直に頷くしかなかった。
冷たい風に当たりながらも、乱れた髪を手で押さえながら歩いていた。いつの間にか僕の手を離していた。
ふと、振り向いた静は。
「凄い風だね、旅介。どうしたの?」
僕の前を歩いていた静は笑い掛けて来た。
「ううん、何でもない。ちょっと、可愛いと思って」
「えっ! ……止めてよ。そんな事言われたら恥ずかしいよ。でも、ありがとう。この街の人、皆言ってくれるから。旅介みたいに真顔で言ったのは、ビックリだよ」
静は顔を赤くしながら夜空を見上げた。
「綺麗……」
ふと思う。静は淋しいのではないかと。誰かに構って貰いたいと。しかし、口には出せなくて、一人ぼっちで泣いているんだと。
まぁ、僕の勘だから。本当かどうかは分からないが……
静を泣かせないようにして上げられるのなら。
「静!」
「……ひっく、何?」
静は驚いたのか、目に水の滴が零れた。「まさか泣いていたのか」と言ったら、より静を暗い顔をさせてしまう気がした。
「旅介、どうしたの。何か思い出したの? ……記憶の事!」
「いやっ、違う。えっと……だな。ぼっ、僕が、君の傍に居るから安心して」
「……本当?」
「うん、僕で良ければ、傍に居させてくれ」
静は頬を赤く染め、涙を流した。そして、僕に向かって走り出した。
「うおっ!」
小さな体が、僕の胸に飛び込んだ。
「どうしたの? 静」
静は僕の胸の中で泣いていた。やはり、泣いていたのか心の中で。
泣いている静に優しい言葉を掛けた。
「守るから、だから……安心して」
僕は静の小さな体を包み込んだ。
「うん、約束だよ。記憶が戻っても、ずっと一緒だよ」
「約束だ! 静は僕が守るから。絶対に」
静は力が抜けたかのように泣いた。そして、二人はかけがえのない約束を交わし、僕は幸せでありますようにと願った。
「……ごめんね。みっともない所を見せちゃって」
静は泣き止み、僕から離れた。
静の目には涙の跡があり、それを手で拭った。
「……あっ、ありがとう」
僕は静の頭を撫でた。猫耳みたいで可愛いらしい。
「ふぇ~さぁ、行きましょう」
「……そうだね」
僕は頭を掻いて、歩き出した。
静の家は領主の家計だよな。
領主に会うとなったら、緊張するなぁ……
僕は家に着くまでの間、喋らずに歩いた。
坂道を上り終える頃。
「旅介、着いたよ!」
ふと大きな声で言った。
僕が起きた場所からずっと上り坂だった。
目の前には大きな門があり、三、四メートルある鉄の棒が幾つもはめてある。
正直凄い、流石の時森家の領主様の家である。
大きな屋敷に住んでいるのか、静は。
「旅介、こっちだよ」
静は門ではなく、茂みの方にいた。
「……なんで?」
僕は静の方へと向かう。
周りは茂みや木やらがある。
「あっ……」
すると、人が通れるぐらいの通用口が開いた。
「さぁ、行こうか」
「えっ、門から入るのでは……」
静は笑っていた。僕はまた変な事を言ったのかな。
そして、振り向きながら言った。
「あれ……ビックリした。彼処からでも、行けるけど……基本的には此処から通るの私は。あの門には、結界を張る事も、感知する機能も付いている。詳しく知りたいなら、後で教えて上げるよ。ちなみに、あの通用口も……私が発明したんだよ」
「……そうなんだ。はは」
さっぱり分からん。いきなり結界と言われても、記憶がない僕にとっては理解出来そうにない。
しかも、静が言った。あの通用口を発明したと。
取り敢えず、静の後を追う。周りには広い庭があり、その奥には古びた小屋があった。街もそうだけど、相当長い歴史があるのではないか。
「その故、大きい……言葉が思い付かない程……」
玄関に着くと、一人の青年が立っていた。背は僕より大きい。髪はきつね色で、怖い目で僕達を睨んでいた。
玄関の明かりで、鮮明に見え、確実に怒っている。
服装は黒いスーツを着ている。
「……誰?」
「……お前、何故此処に? 感知、しなかったな?」
青年は右腕を横に真っ直ぐに伸ばした。
「……御兄様、彼は」
「静、下がっていろ!」
すると、呪文を唱えて、何もない所から刀らしき物を取り出した。
「波動は……我にあり・波動は風」
「……えっ!」
青年は刀を振り下ろした。すると、風が吹き荒れた。
「くっ……わーっ! 静、逃げて」
旅介は吹き飛ばされ、門に激突した。
「かはっ!」
門に激突し、痛みで蹲っていた。
「旅介!」
「なんで居るのかは知らない。神森神介、恨みは倍にして返してやる。まぁ……今ので、立つ事すら出来ないだろうがな」
青年は刀をまた振り下ろそうとする。
「……くっ!」
その時、玄関のドアが開いた。
「なんの騒ぎじゃ、近所迷惑じゃ!」
着物姿の人が出て来て、怒声を上げた。
「叔父様!」
髭が似合う紳士が驚いていた。灰色の着物を着ていた。
「おう、静。帰っておったか。でっ、これはどう言う状況だ。成治、何をしているのだ。刀を出して?」
「……くっ!」
「叔父様。……とっ、止めて下さい! 御兄様が旅介を斬ろうとしているの」
「ふむっ、そうか。成治、刀を仕舞いなさい。波動は禁じてじゃ!」
「ちっ、親父! なんで、神森神介が居るんだよ! こいつは死ぬべき存在だ!」
くっ……この人は何を言っているのだろう。かみもり、しんすけって、誰だ。
「落ち着け、成治! 静、事情は中に入ってからだ。はぁ~何かが、動き出したようじゃな。静、早く少年を」
「はい! ……叔父様」
静は僕の所に駆け着けた。そして、静に肩を抱えられ屋敷の中に入った。
こうして命拾いした。
少しばかり痛む身体だけど、話を訊いてくれる人が居て良かった。
屋敷の中は広く、壁には肖像画が飾られていた。玄関の前には二階に上がる階段がある。しかも螺旋階段だ。二階にはドアが複数あった。
静は玄関の左側のドアを開けて入った。入った部屋は七畳ぐらいの広さだ。中には玄関側の外が見える窓と大きなソファーがあり、明るく照らすシャンデリアが吊るしてあった。
真ん中には長いテーブルが置かれてあり、両側に椅子が幾つか並ぶように置いてある。
「旅介、其処に椅子があるから、座って」
「あっ、ありがとう……静」
「お前。何、下の名前を呼んでいる。殺されたいか、あーっ!」
青年は旅介の胸倉を掴む勢いで、睨んで来た。
刀を持っていた人は時森成治。時森家の長男らしい。
「御兄様! 威嚇しないで! 怪我しているんだから。旅介……大丈夫?」
静は再び心配をしてくれた。
「……ふう、命が縮まるかと思ったよ」
「ふんっ、余り調子に乗るなよ」
怖っ! ……この人、一体なんだ。
「ふっはっははは! 大丈夫じゃよ、少年。成治は、そんな事をするような小僧じゃない。ただ、短気なだけじゃから」
紳士の人が入って来て言った。しかも笑いながら。
「
「まぁ、まぁ。落ち着け。話をしようではないか」
「あの、先程は……ありがとうございます」
「礼には及ばんよ。……でっ、君は誰かね?」
「……あっ、その……ですね……」
僕はおどおどしてしまった。
「叔父様、その事は私が説明します。彼は旅介。実は記憶がないので私が付けました。……記憶がないので、連れて来ました」
静は説明した。
それを聞いた、紳士の人は。
「そうか。君が……」
「嘘を付け! おっ、お前は、神森家の者だろう! 親父、良いのかよ。式森家に知らせなくてもよ!」
「まぁ、待て。成治、落ち着け。静から話を聞こうではないか。ふんっと」
ふと紳士の人は息を吐いた。そして、焦りながら旅介に謝罪をした。
「……すまない。名前も名乗らず話をしてしまって。ワシは、時森礼司。時森家の領主をやっておる」
「初めまして」
この紳士の人が領主だとは薄々分かっていた。しかも優しい人にも見える。そして、さっきから感じる、殺気はなんだろう。
「どうしたね、そんなに怯えて」
「いえ、なんでもありません。ただ、ちょっと……空気が苦しいと言うか……」
僕は時森家の長男を指差した。礼司様もその方を見る。
「話をする時は、席を外させようか。その方が落ち着くだろう」
「ふっ……ふざけるなよ。俺は、此処に残るぞ。御前が神森家の者か見定める」
見定めるって、っと言うよりも、さっきから神森家って、なんだ?
まるで、その一族が悪者みたいに聞こえるが……
「御兄様! 旅介は記憶がないのよ! とにかく怯えさせないで!」
「うっ……静……」
静に言われて、成治は部屋の隅で膝を抱えた。
心が折れたのか、いじけた。
「はっははは! 静に言われては、成治もまだまだじゃのう」
「叔父様、さっきも言った通りに、旅介には記憶がありません。ですから……このままにはして置けなくて、連れて来ました」
静は申し訳なさそうに頭を下げた。
「記憶がないか……まさか、本当に? それが事実なら道標じゃな」
「あの、今のどう言う意味ですか?」
僕は不安そうに訊く。何かしら悪い手の者だと言われているみたいな感覚になった。
「気にする事はない。此方の事だから。さて、立ち話は疲れるだろう。さぁ、座り給え」
「……すいません、本当に。自分の素性が分からないと不安で。本当に、大丈夫でしょうか?」
不安ながらも、椅子に座る。
「心配は要らない。記憶がないのは誰だって不安がある。静、事情は分かった。もう部屋に戻っていなさい。この少年に、街について話をする」
「分かりました。旅介の事をお願いします。……旅介、また後でね」
静は名残惜しい表情で出て行く。
天使な静が居なくなって、成治が立ち上がった。旅介を睨みながら話し合いに入った。
「さて、話をしようではないか。君の事は理解したからな。次はワシが街について話をする」
「はい……僕は、どうすれば……」
「はっはは、話を聞いていれば良い。ふむ、確かに……似ている」
礼司が観察しながら呟いた。
「…………」
「惚けるなよ。お前は、神森家の」
「成治は、黙っておれ!」
礼司は成治に注意をし、沈黙させた。そして、再び旅介を見る。
顎髭を触りながら言った。
「だが、確証がない。神森家の者だと、断言は出来ない。式森家での報告は伏せる。分かったな」
「何でだよ! 波動の感覚は同じだろう。報告はしないって、正気か親父! 掟を破る気なのか!」
波動……? なんだ、この話。聞いた事のない言葉ばかりで、聞いているだけで頭が痛くなる。
「記憶がない以上、この少年が神森家だとは決め付けられない、神森神介に似ているからって、裁くのか!」
「くっ、それは……」
成治は、旅介を睨んだ。
「ちっ、分かったよ! 時森家の領主様の言う通りにする。この事は他言しない。だがな……納得はしていないからな」
成治は舌打ちをして、椅子に座る。
どうやら一段落したみたいだ。ふと思う。こればかりは訊いてみよう。
「あの……神森家って、なんですか?」
礼司と成治は驚いたような表情で旅介を見た。
「お前……大丈夫か? 記憶がないのは本当らしいな……重症だな。神森家の者じゃないかもしれないな……」
「はっははは、すまない。君の事を忘れていた。本当にすまない」
成治は呆れて頭を掻き、礼司は汗を拭きながら謝罪をした。
なんだろう、この人達は。
二人は落ち着きながら、旅介を見た。
「さて、話をしますかな。えっと……旅介君だったね」
「はい」
「君の質問の答えは、これから話す歴史について話さなければならない。結構……長い話になるけど。大丈夫かな? 勿論、解り易く説明するから」
「まぁ、予想はしていました。でも、一体どんな事なのか知りたいですから。構いません。どうか、お願いします」
「そんなに、畏まらなくても良い。そうだな、気楽にしてくれ」
「親父、何が気楽に、だ! 記憶がないからって、俺はまだ、疑っているからな」
「成治は黙っておれ! ……旅介君は気にしないでくれ給え。さて……話か」
礼司は語り始める。
この国は三国と呼ばれている。三国と言っても、三つの国に別れているのではなく、一つの国に三国がある。街の人達は領土と呼んでいる。
その三つとは、まず、時森家。掟や歴史を管理する一族。次に、式森家。掟を破りし者を取り締まる一族。最後に民や街を守り、法を犯さないよう人々を監視する一族が神森家である。
しかし、神森家は現時点では存在しない事になっている。
長いようで短く説明してくれた。だが、疑問が一つあった。
「なんで、神森家が存在しないのですか?」
その質問を聞いた礼司は困ったような表情をした。そして、苦笑いをし口を開いた。
「旅介君、この事は他言無用でお願いする。正直、これを話すのは……良い気分ではない。静にも、話した事のない事だから」
礼司は覚悟を決めたかのように、旅介に話す。
「この事は、静にも言わないでくれよ。良いね、旅介君」
「はい、分かりました。絶対に言いません」
「うむ、良い返事だ。さて……何処から話したものか。……この街は、平和を築き上げるのが目的だった。それに、狂いが生じた」
礼司は想いの全てを語り始めた。
十年前、この街で戦争が起きた。
一番信頼を得ていた一族、神森家の者が時森家の街に夜襲を仕掛けた。
神森家は三国を治める長にも選ばれ、時森家や式森家の街にもこの事が伝わっている。
だが数日もしないで、夜に夜襲を仕掛け、それが戦争に発展した。
神森家の者が、時森家の領地に戦争を仕掛けたと言う事だ。
この世界には「波動」と言う力がある。それで街を壊し、人を斬り、全てを燃やし尽くしたのだ。
波動が使えるのは朝霧家で修行をした者と、極一部の者だけだ。
だからと言って、時森家の街内に「スパイ」がいるとも限らなかった。だから、神森家だと確定した。
この戦争で沢山の人が死んでしまった。その人の中には歴史に深く関わりがある人ばかりだった。
これ以上死人を出さない為にも、時森家は式森家と手を組み戦った。だが敵は未知な力を使い、周りの悪意を増加させ、それを街にぶつけようとした。
それを防いだのが式森家の力だった。そして、神森家の者達は逃げるように消えた。
つまりは、街から姿を消したと言う事だ。
そして、式森家の領主である紅が神森家の一族を三国から追放し、長の件は破棄になった。
中にはクーデターを企んだ、戦争だと言う者も居た。
こうして戦争の幕が下りた。だが一人の男までが行方不明になった。
その人物は時森龍之介。時森家の領主だった者。戦争中に何かの思惑があったのかさえ思わされた。
時森龍之介は時森礼司の息子であり、成治や静の父親である。
街の人皆で捜したが見付ける事が出来なかった。
まるで神隠しにあったかのように……
だから、静には父親は死んだと伝えた。
これが、十年前に起きた戦争の真実だ。
戦争の事は式森家の領主である紅から聞いた事を旅介に話した。
成治は怒りを抑え、言った。
「だから神森家には、恨みがあるって事だ。静に心配をさせない為にもな。神森神介を」
「あーも、成治は……喋るな!」
礼司はぺらぺら喋る成治にガムテープを張り付けた。これ以上話をややこしくするなって事の警告だろう。
「むがっ!」
何処から出したのやら。そのガムテープ、おまけに黒色だ。何気に悪意を感じる。
「全く。すまないね、旅介君。話をしようか。えっと……何処からだっけ?」
「あの……神森神介って。僕が、その人に似ていると言っていましたけど。一体、誰なのですか?」
「……ふむ。……神森神介か……。神森家の領主だった男さ。正義感が強く、街の民にも人望もあった。だから、今でも信じられない。何故、こんな事になったのかと」
「そう……なんですか。僕には、ピンっと来ないけど。何か、理由があったのでは?」
「ワシも、そう思う。いや、そう願いたい。旅介君、余り……戦争の事は街では他言無用でお願いする。街の皆にも、これ以上不安を与えたくないのでな」
「はい、分かりました」
「うむ。話はこれぐらいにして置こう。記憶がないのに、一辺には分からないだろう。ゆっくりで良いから、休みなさい。部屋は静に案内して貰いなさい」
「親父! まさか、此処に住まわせる気か!」
成治はガムテープを剥がし、叫んだ。旅介を指差しながら。
「他に何がある。記憶のない少年を外に放り出すのか。随分と薄情な奴じゃな」
「くっ、しかしだな……」
「口答えするな! 旅介君、記憶が戻るまで家の苗字を使うと良い」
「はい?」
僕は言っている意味が分からなかった。そして、成治は叫ぶ。
「何を言っているのだ、親父! 記憶がないとはいえ……敵のスパイかもしれないのだぞ! 俺は反対だ!」
成治は怒りながら立ち上がった。旅介は喜びも束の間、一気に消沈した。
「落ち着け。さっきも言った筈だぞ! 神森家の者だとは、今の段階では確かめようがないと。だから記憶が戻るまで家で様子を見る。そんなに狼狽えるな。みっともないぞ、成治!」
「くっ! なんて……言う屈辱だ……」
成治は「ちっ」と舌打ちをしながら旅介を睨んだ。
「分かったよ。但し認めないからな。時森家の名を汚したら、容赦なく斬るからな。精々、気を付ける事だな」
殺気が旅介を襲う。
「肝に銘じて置きます」
「ちっ! ムカつくぜ!」
成治は機嫌悪く、部屋を出て行く。
本当に怖い人だ。神森家に恨みを持つと何をしでかすのか分からない。記憶がないだけに不安が増える。
「すまない、旅介君。
「……ははぁ……」
「叔父様ー……終わりました?」
すると、入れ違いに静が入って来た。まるで、終わるまで外で待っていたかのように。
「あぁ、静。終わった、流石に……街の事を話すのは疲れる。静、後は任せたぞ。ワシは部屋に戻って休む。もう……遅いしな」
礼司は手で腰を叩いて立ち上がった。静は優しい言葉を言った。
「叔父様、ご苦労様です。お休みなさい」
「ありがとう……おっと、忘れる所じゃった。旅介君、執事の仕事をお願いしたい。良いか」
「えっ? 執事……ですか。うん……どうしよう。僕に出来るかな?」
執事とは確か、屋敷の人の身の回りの世話をする奴だったか。
「心配は要らない。ちゃんと指導をしてくれる人も居る。どうかね?」
礼司は優しい表情で旅介を見ていた。
記憶がないのに此処までしてくれると言う状況を受け入れて良いのだろうか……僕が居て良いのだろうか。
「旅介、良いじゃない。私は、嬉しいよ」
静は目を輝かせていた。僕の事を信じているのだろう。ならば、その信頼に応えよう。
「はい! 是非、やらせて下さい! 必ずや、皆様に信頼されるよう、頑張ります!」
「そうか、そうか。では頼むぞ、静を」
「はい!」
静に笑顔が戻り、僕はこの先が思いやられるぐらい、不安に駆られるのだ。
礼司様は部屋に戻り、僕と静だけになった。
「静、君の兄さんって……怖いな。ある意味、ビクっとした。睨まれただけで、汗が……。さっきの喫茶店にも居たような気がするな」
「ふふ。あー見えて、照れているだけだよ。新しい人が来て、つい強気になっているだけだよ。旅介、ちょっと、耳貸して」
静は耳許で囁く。とんでもない事実が発覚した。説明すると、兄である時森成治は妹が大好きなのであった。
「はは……」
静の事が心配でたまらないらしい。
「大丈夫だよ。私が付いているから。御兄様に何か言われたら、無視して良いから。それは、嫉妬だから」
「あっ、うん。静、ありがとう」
静の優しい一言で、僕は安心出来る気がした。
「ううん、私は信じてたよ。旅介は良い人だって。部屋は階段を上がって直ぐだよ~」
話をしていた部屋は大広間の部屋。普段は客間として使われている。これだけ広いとお客様は落ち着かないだろうと思った。
静はワクワクしながら部屋を出て行く。何がそんなに嬉しいのか気になった。
旅介も部屋を出た。
「どうしたの、静?」
「なんか、嬉しくて。御父様が帰って来たみたい。ふふ……だから嬉しい!」
「御父様?」
旅介はなんの事か分からないでいた。静は両腕を広げながら、階段の方へと駆けた。
僕もその後を追う。
やはり凄い屋敷だ。螺旋階段があり、高さは三メートルぐらいある。そして、二階は部屋が幾つもあった。
静が言っていた「御父様」と言う言葉が気になった。
「旅介、私の……部屋に来ない?」
「……へっ、部屋に……なんで?」
「……みっ、見せたい物があるの、だから、来て」
静は僕の手を引いて、螺旋階段を上がって行く。息を切らし、嬉しそうに上って行く。
静と約束を交わした時、淋しげにして泣いていた事を思い出す。今の笑顔は幸せそうだった。あの時の夢のように。
「あの……驚かないでね。私の部屋を見ても」
そして、部屋に辿り着いた。静は部屋のドアに手を掛ける。緊張しているのか、心臓がドックンドックンといっている。
「入って」
部屋に入って唖然とした。
部屋は散らかり、機械の塊が其処ら中に落ちていた。まるで研究者が何かを発明しているかのような部屋だ。
部屋はさほど広くはない。四畳か五畳あるかないかだ。静は恥ずかしげにしていたが、僕に散らかりの部屋を見せたかったのかと言いたい。
「旅介、これなの」
静は銀色の箱を見せた。銀色に光っている物だ。
「これ……何?」
「……、ピッコロ」
静は恥ずかしげに言った。
「……へぇ~」
「私ね、御父様を捜す発明を作っているの……」
「御父様? そう言えば、さっきも言っていたね。誰なの?」
「御父様だよ。叔父様から聞いてないの?」
「……そう言えば」
「時森龍之介様は、私の御父様なの」
そうか、礼司様が言っていた、死んだと伝えたと言うのは。
「私、初めて見た時、思ったの。御父様のようだって。不思議だよね……会った事はないのに。なんで……だろうね」
静は笑顔で言った。僕には記憶がないから分からない。自分の親の事さえも。
「静は、御父様に会いたいの?」
僕は気になり始めていた。彼女の事を。
「……うん。十年なの。捜して……」
そう、静が答えた。
僕は静の発明を手に取り考えていた。「ピッコロ」かと心で思いながら、静の発明品の事を聞いた。
この発明は、自分の夢を記録する事が出来る発明らしい。もっと解り易く言えば、昨日見た夢を再現する。夢だけじゃなく、その日に遭った印象深い事を映し出す機能もあるらしい。
「静は頑張っているんだね。僕も手伝うよ。静の目的」
「えっ、良いの? でっ……でっ、でも、私、変じゃない?」
「変? ……ちょっとね。女の子が白衣を着て、発明するのは中々居ないと思うよ。それに、暗く見られたりするかも」
「そうだよね……はは、皆から……博士気取りと言われていて、気味悪がられるのかな……私は。発明で人を幸せにしたいと思ったから、やっているのに」
静は泣きそうな表情になり、僕は静のベッドに座り静に声を掛けた。
「旅介、どうしたの。ベッドに座って?」
「立ち話は疲れるから、座って話さない」
「うん」
静は笑顔になりベッドに向かった。
そして、静の話を聞いた。もう夜は遅く、静は隣が僕の部屋だと言った。
僕は自室に向かおうと思い、静を見たら、話疲れたのか寝てしまっていた。そのままベッドに寝かして、静の部屋を出た。
僕は部屋と言う概念には覚えがない。何故なら、僕には記憶がないから。
部屋は隣だと言っていたが、右か左なのかが分からない。
取り敢えず、右の部屋を開けた。
「ほう~一人部屋としては、丁度良いぐらいだね」
中は普通の一部屋。広さは四、五畳の広さ。
そして、僕は疲れているのか、ベッドに向かい倒れ込んだ。
部屋に戻った礼司は、ソファーに座って、お茶を飲んでいた。
そして、一思いに耽っていた。
「まさかな。まぁ、何も起きなきゃ良いが……」
神介様が言っていたな。この先の事を。
「ふう~」
旅介君は本当に似ている。神介様に。これが道標だったら、今後起きる出来事は、少年にとっては試練じゃな。
礼司は立ち上がり、窓の方へと歩き出した。部屋の広さは殆ど変わらない。
周りには本棚が沢山並んでいて、文学者だと感じさせる部屋だ。
真ん中にはテーブルがあり、両側には高価なソファーがある。
これが時森家の領主様の姿である。
窓の外は暗く、星が見えていた。見上げて呟いた。
「平和でありますように」
そして、夜は更けて行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます