お盆に会いましょう
増田朋美
お盆に会いましょう
お盆に会いましょう
その日、弁蔵さんは再び奥大井を離れて、金谷の町にやってきた。何だか時折こうして田舎を離れ、町へやってくるのが最近は楽しみ担っている。田舎では、みんな自分の事を知っているし、悪い奴だと言われてしまうので。
「ほら、亀山久子のお兄さんが又どこかにいくみたい。」
「いい気味よね、旅館の立て直しのために、知的障害のある可哀そうな青年をマインドコントロールして、殺人までさせたんだからさ。」
二人でそうしゃべっているおばさんたち。二人はべちゃべちゃとそう話しながら、弁蔵さんの前を通っていった。つい最近まであら弁蔵さん、今日はご精がでますね、なんて言っていた人たちが、あの日を境に、自分の事を馬鹿にするような目つきで見ている。まあ、其れは其れだけの事をしたんだから、しかたないとはいうけれど、近所の人たちがいっぺんに離れてしまったことが、弁蔵さんは悲しくてたまらなかった。
どっちにしろ、もう近所の人たちで味方になってくれる人は誰もいないという事はたしかだから、また新たな味方を作っていくしかない。それに一日中家の中にいるのも気がめいってしまうので、なにか講座でも受けることにしていた。多少外へ出て何かしているほうがずっといいし、自分の存在を知らない人が、いてくれることほど、嬉しいことはなかったのだから。
とりあえず、接阻峡温泉駅から、電車に乗って、千頭駅へ。そこから、別の電車に乗って金谷駅へ向かう。金谷駅へ近づけば近づくほど、数人だけど、自分の事を知らない観光客が増えてくる。そうすればやっと、自分の世界へやってくることが出来る事になって、弁蔵さんは、何だかほっとする。
あの時の、水穂さんの前でした約束をすっぽかす訳にはいかない。水穂さんのほうが自分よりもたいへんな思いをして生きてきたんだもの。過去も現在もこれからも、ずっと辛い思いを繰り返して生きていかなければならないんだもの。僕は、少しだけ我慢をしなければ。少なくとも、僕はしあわせに暮らしていた過去というものは持っているのだけれど、水穂さんは其れすら持っていないのだから。
だから何も不平不満を言ってはいけないのだ。この境遇のまま生き続けよう。弁蔵さんはそう考えていた。
でも、やっぱり辛い思いという物はないわけではなかった。駅の中、電車の中で居合わせる人の冷たい視線という物が弁蔵さんを刺した。もうどうせなら、顔に黒い布でも被って歩くのを義務付けている、イスラムの国家にでも行ってしまいたくなるほど、其れは辛かった。僕はこれからも未来もこういう人生を生きることを強いられるのかと思うと、やっぱりあの約束はたいへんな負担になって、弁蔵さんをくるしめるのであった。
暫くして電車は金谷駅へ到着した。ここまで来てしまえば客のほどんとは観光客になり、中には言葉のわからない外国人もいてくれたりするからやっと安心できるのであった。弁蔵さんは講座を受けるため、駅前の公民館へ入った。
受けた講座なんて何も大した内容ではない。どうせ受けたとおりに行動なんて、出来るはずもないのだ。其れは犯罪者の家族という称号がついていない人たちだけに与えられた特権としか言い切れない。その通りにしようと思っても、犯罪者という前置詞がつけば、何も生意気なという言葉がかえってきてしまうのであるから。
今日も大した話を聞かないで、講座は終わってしまった。実践できないことを勉強してもしかたないか、何て弁蔵さんは思いながら公民館の会議室を出た。
すると、そこへ一人の女性が現れて、エレベーターの近くにある、講座の案内チラシが置かれている机の前で立ちどまった。何を見ているんだろう、と、弁蔵さんは思うが、声はかけるべきではないと思った。まあきっと暇人で、時間つぶしのために講座をうけに来たのだろとだけ考えてエレベーターのボタンを押して、家に帰ろうかと思った。
「あの、すみません。」
不意にその女性が声をかけた。
「何でしょう。」
「之、落し物じゃありませんか?」
そういわれて、弁蔵さんは鞄の中を見た。たしかに入れたと思っていたスマートフォンがなくなっていた。それは例の女性の手の中にあった。弁蔵さんは、すみませんと言って、それをしずかに受け取った。
「大事なモノですものね、失くしたらお困りでしょう。見つかって、良かったですね。」
彼女はそんな事を言ったが、もはやスマートフォンに登録してあるのは、自分の母の番号しかなく、親しい友人がいるわけでもないので、かける人なんか誰もいないのだ。だから、失くしても別によいモノであったが、彼女に言われて、受け取らざるを得なかった。
「ありがとうございます。」
とりあえずお礼を言うと、
「いいえ、どういたしまして。こちらこそお役に立てて嬉しいです。さっきも言いましたがすぐに見つかって良かったですね。お宅へ帰ってから気が付くと、探すのがたいへんになりますものね。」
と、その女性はにこやかに笑って、エレベーターの前へ並んだ。弁蔵さんは彼女もなにか訳のある人物なのかと思った。帰るのが名残惜しいという顔をしている。
「あなたも、ピアカウンセラー養成講座に参加しているのですか?」
彼女は又聞いた。
「あ、はい、そうです。」
受けても何も意味もないが、資格はあった方がいいと思ったなんて言えるはずもなく、弁蔵さんは其れだけこたえた。
「そうですかなにか理由でもあるのですか?ほら、こういう講座をうける人ってなにか、重大なわけがある人が多いじゃないですか。学校でいじめにあったとか、なにかきっかけってあったんですか?」
彼女はにこやかにそう聞いてくるので、弁蔵さんは答えをいうべきがいわないべきか、しきりにまよう。
「ごめんなさい。言いたくなかったかしら。あたし、こんな風に人の話を散々聞きたがる癖がありまして。何だろう、いつもそうなんですけど、こういう訳アリの人と仲良くしたいっていうか、そうしたくなってしまうんですよ。ごめんなさいね、変わり者で、それを治せない癖に、友達がほしくて、寂しく成ってしまう、気持は人一倍あって。」
と、いう事はつまり、彼女も訳ありなのだろうなと弁蔵さんは思った。彼女の顔つきや目つきは真剣そのもので、弁蔵さんを馬鹿にしているという雰囲気はぜんぜん見て取れなかった。そうなると、やっぱりなにか理由があって、講座をうけに来たのだろう。其れは若しかしたら、人には言えない重大な秘密なのかもしれなかった。それをわけあう人もほとんどいない。そういう人がいたら、世のなかは辛くない。
「それでは、ちょっとここではあれ何で、そとへでましょうか。」
丁度、エレベーターがやってきたので、弁蔵さんは言った。
「まあ、ありがとうございます。そんな事に誘われたのは初めてです。あたしはなかなか誰かと話すなんて事は、したことなかったモノですから。」
彼女はそんな事を言い出した。一体何を考えているのだろうか。そういうことをしたことがないという言葉の意味が弁蔵さんにはわからなかった。若い女性であれば、友人はいるでしょうし、恋人もいる人も少なくない。まあそれでもスマートフォンを拾ってくれたお礼はしなければならないので、弁蔵さんは、彼女を近くにあるカフェに連れていくことにした。
「所で。」
エレベーターの中で弁蔵さんは聞いた。
「僕は亀山弁蔵です。お名前は何というのですか?」
「え、あ、ああ。あたしは諸星正美と言います。」
彼女、つまり諸星正美はそう答えた。その端正な顔に会わず、男っぽい名前だと思った。
「どちらからみえたんですか。島田とか、焼津の方でしょうか?」
「いえ、富士です。」
と、彼女はこたえた。ずいぶん遠くから来たものだと思ってしまうが、弁蔵さんはやっぱり彼女も訳アリだ、と、すぐに感づいた。
「はあ、富士ですか。そうなると、静岡あたりでも、似たような講座はやっているはずですが。どうしてそこには行かなかったんですか?受けたいものがなかったとか?」
「い、いえ、そういう事じゃなくて。」
丁度その時、エレベーターが一階に止まった。
よいしょと弁蔵さんがボタンを押して、正美は先に出た。あしの悪い弁蔵さんは、そうしなければならないような、気がしてしまうのであった。
ところが、親切な事に、正美はエレベーターのそとで待っていてくれた。どんどんそとへでてしまうのではなく、待っていてくれるのも珍しい。有難うと例を言って、エレベーターから出させてもらう。
「足がお悪いんですね。丁度いいわ。この近くに車いすでもはいれるカフェがありますから、そこへ入らせてもらいましょうか。」
弁蔵さんはそんなところがあるなんて知らなかった。金谷には、何回も来ているのに、遠方から来た人に案内されるなんて、ちょっと皮肉だなという気がした。
「すみません。場所を知らないので、ご案内をお願いできますでしょうか。」
とりあえず正直にそういってみる。
「大丈夫ですよ。任せてください。個室のあるお店ですから、足がお悪くても、恥ずかしい思いをすることはなくて済みます。」
そんなところ、ますます知らない場所だ。これでは、彼女のほうがもっと金谷の町について知っていそうで、あらためて教えてもらいたいくらいだ。正美はこっちですと言って、彼を公民館から出して、道路を歩き始めた。弁蔵さんの歩き方は特徴的である。もし、知識のない悪童が居たら、あのおじさん変な歩き方をしてるなんて言って、大笑いするかもしれない。まあ自分は慣れているんだけれど、付き添いの人がいると、彼女まで笑われるのではないかと思って、申し訳なくなってしまう。
「ここですよ。最近オープンしたばかりの所なんだけど、すぐにはいれる個室もありますから、良いところ何じゃないかしら。」
正美は小さなビルの中に入った。再びそのビルのエレベーターに乗って、七階で降りると、すぐに木で作られた小さなドアが見えた。正美は何の迷いもなくドアを開ける。ぎぎいときしんでドアが開くとたしかにそこはカフェで、何席かテーブルと椅子が設置されている。
「こんにちは、マスター、個室使いたいんだけど、空いていますか?」
と、正美が聞くと、マスターがにこやかな顔をして、
「はいはい、一番奥の部屋が空いていますよ。どうぞすきなように使ってください。」
と言ったので、正美はなんの迷いもなく個室の一室へ入った。弁蔵さんもついていった。中には数人の先客がいたが、みなコーヒーを飲みながら、レポートのようなものを描いたり、パソコンでなにかしている人が多かった。静かな店なので、勉強をしたりする人には能率が上がるのだろう。
「こちらへどうぞ。」
正美は、弁蔵さんを椅子に座らせた。ウエイトレスが、水とメニューを持ってきたので、二人はとりあえずコーヒーを注文する。コーヒーはすぐにやってきた。
「じゃあ、お話を伺いたいんですが、あなた、あのピアカウンセラー養成講座で、何回か見かけているんですが、なにか目標でもあるですか?カウンセリングのサロンでも開店するつもりなんですか?」
正美は興味深そうに弁蔵さんに聞いた。
「いやあ、僕はそんなことありません。ただ、やってみたいから、受けているだけです。」
まさかと思うけど、犯罪者何て言えるはずがない。
「そうなのね、あたしは単に自分の姿を隠したいだけだから、似たような感じかしら。もう近所の人たちに、働いていない事を知られてしまって、見てくれが悪いから、出ていけと祖父にしかられてしまって。だから週に一度でも、そとへ行く機会を作って、ご機嫌を取っているんですよ。」
そう話す正美は明るいが、、このような事情では、かなり深刻な例であると、言わざるを得なかった。
「どうして、出て行けと言われたんですか。」
弁蔵さんはそこだけ聞いてみる。
「家の家訓なのよ。働かざる者食うべからずって、家は祖父がそういうことを勝手に決めちゃって、ほかの人はその通りにしないと生きていかれないから、本来あたしがでていかなければならない筈なんですよ。それを母が取りなして、あたしは家に居させて貰っているんだけど、祖父が、毎日毎日うるさくて。だから私もこうやって講座を受けて、そとにでさせて貰っているんです。そうしなきゃ祖父が働け働け、働けない奴は死んでしまえって、うるさく言うから。声がおおきいから、近所の人にも知られてしまって。もうあたしが、家にいるって事は、もう近所中に知られてるわ。それを利用して、祖父は世間体が悪いって、すぐにいうのよ。」
そうか、それで自分の姿を隠したいと言ったのか。でも、彼女は犯罪者ではないはずだ。そうでなければ、自分の姿を隠すなんて事は、しなくても良いはずなのに。弁蔵さんが、それを口にだして言おうとすると、
「まあね、たまにあなたは悪くないって言ってくれる人だって居るんですよ。でもうちの中で、それを主張したら、又さらに家族内でもめ事が起きてしまうでしょう。だからみんな祖父の前では、良い子を演じるんですよ。祖父を怒らせないことが、うちの決まり中の決まりというべきかしら。」
と、正美はこたえた。
「でも、おじいさまが、それほど重要なんですか?ほかに味方になってくれるご家族はいらっしゃらないのですか?」
弁蔵さんがもう一回聞くと、
「いいえ、、うちは家計のすべてを祖父が握っているんです。父は会社をリストラされて、今は別の仕事をしているけれど、その収入だって、少ないし。母は私の事があって、長時間働けないですしね。だから、祖父の年金の一部から借金をして生活しているんですよ。だから、俺がこの家を支えていると、祖父は思い込んでいるんですよね。いくら父に世代交代しようと呼びかけても、一番お金を出してくれているのは、祖父だってみな知っているから、祖父の言う通りにしなきゃいけないんですよ。まあ、しかたないってわかっているんですが、その原因を作ったのは、私なんですから、本当は私なんて、生きていてはいけないんですよね。」
なんとも不条理な話だが、それも本当にあるのだろう。そうやって、問題をごまかして何とか生きている家庭。きっと彼女も健康的にのびのびということは許されないのだろう。そんなことをしたらおじいさまに大目玉を食らうのだ。だから何も言わないで黙って耐えている。そういう悲しい家庭が、自分以外にもあったのかと、弁蔵さんはあーあとため息をついた。
「そうですか。そうなると、死んでしまいたいと思う事だって、よくあるのではないでしょうか?」
彼女の発言に弁蔵さんは言った。
「もう、しょっちゅうよ。世のなかが変わっていくたびに祖父がうちの家はどうして其れについていけないんだって、ぐちぐち漏らすのよ。そういう時は、もうお前のせいだっていう感情が見え見えだから、そういう時はもう本当、ここから消えたいって思うわよ。」
彼女は、顔こそ明るいが、本当に深刻に悩んでいることがわかって、弁蔵さんはもう自分も話した方がいいと思った。
「実は僕もですよ。僕が抱えている事情はちょっとお話してしまうのは、とても恥ずかしい事なので、とても言えませんが、もう僕も消えてしまいたいってしょっちゅう思います。僕は何のために生まれてきたのか、とか、本当によく考えてしまうんですもの。出来る事なら二人でここで心中してしまっても良いと思いますよ。それくらい僕もこの世の中は敵ばかりで、味方など誰もおりませんから。」
弁蔵さんはとうとう自分の本音を切り出した。正美はそれを馬鹿笑いすることもなければ、嫌な人となじる事もせず、真剣に聞いてくれた。
「具体的に何をしたのかはとても言えないのですが、僕は人間としてやってはいけない事をしてしまいました。こんな事をしてしまった以上、生きる資格なんて当然ありません。でも倫理的、宗教的に言ったら、生きなければならない。自殺は絶対にしてはいけないじゃなくて、寧ろ生きていることが辛い人は、消えてもいいと、合法化してくれたらいいのになと何度も思ったことがあります。なんで僕は生きているんだろう。こんな人間、まさしく地球のごみなのに。」
「いいえ。あたしの方がそれをいうならずっと価値がありませんわよ。だって私は働いていないんですよ。食べるだけで何もしていないんですよ。食べ物を得るためにはお金がいるでしょ。そのお金を工面できないんですよ。家族にお金を入れることだってしてないし。これなら、親だって、何処で何をまちがえたのか何て、悩むでしょう。こんな最低な人間、まさしく死んだ方が良いと思いませんか?なんで私が生きているんだろうって考えたら、何も価値がないって、答えしかでてこないじゃないですか?」
「其れじゃあ、こうしましょう。」
正美の自虐的な発言に弁蔵さんは言った。
「僕たちは同じく生きているのが嫌だという共通点があり、それをいいあえるなかまを生まれて初めて得る事が出来ました、其れはとても記念碑的な出会いじゃないですか。互いにそうか、おまえもそうだったのか、と思いあえるほど、嬉しい事はありません。僕たちはこの世では死んだようにひっそりと生きていくしか出来ないかもしれないけれど、二人で話している時は、初めていきていて良かったと思えるじゃないですか。ここで初めて僕たちは生き返るんですよ。どうでしょう。今日ここで別れてしまうのは勿体ない。お盆に二人でもう一度会って、中間報告でもしませんか。お盆は、死者がこの世に帰ってくる日だと言うじゃないですか。だから僕たちもお盆にこの世へ帰ってくるようにしましょうよ。」
「そうね。その通りかもしれない。」
正美の目にポロンと涙が浮かんだ。
「どっちにしろ、あたしたちは、この世で善人として見てもらうことは全くないに等しい訳ですからね。」
「ええ、そうです。同じ苦悩を語り合えるなかまがいることほど、嬉しいことはありません。」
二人はにこやかに笑いあった。そして、互いの右手をしっかりと握った。
「じゃあ、お盆に会いましょう。」
「ええ。」
夕日が二人を明るく照らしていたのに、二人は気が付かなかった。
お盆に会いましょう 増田朋美 @masubuchi4996
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