第3話 ユイイツノヒトトキ
「美禄さん、釣りに行きましょう!」
「..一体なんで?」
竿を掲げレジャーボックスを肩に下げ
るというそれなりの兵装で玄関の外を親指で指す。
「この街はツクモノばかりなので、構えずに戯れる事が出来るのは小川の魚だけなのですよ。さ、行きましょう」
外れに隣町へ続く橋が架けられており、そこの下に位置する河原で魚が獲れる。流石にエラ呼吸をするツクモノはいない為、妻鹿似にとってはそれが良い息抜きになる。
「さ、行きましょう」
「いいけど、アレは着なくていいの?
なんかこう..ポケットのいっぱい付いたジャケットみたいなやつ。」
おじさんがよく着用している、釣り具などを入れておくあれだ。
別名フィッシング・アーマーという。
「心配いりません、某は専らこの一張羅です。」
ピタリとした黒い燕尾服、夏に差し掛かる季節には厳しい身なりだ。
「それじゃあ、私は着替えてきます」
いびきをかいた後の寝起き姿では竿を触れないので、涼しい格好に着替えるべく我が部屋へと戻りドレスアップを図る。
「気長にここで待たせて頂きます。」
その間名人は釣り竿を磨き、魚獲りに備える。黒くピタついた燕尾服で。
「おまたせ」
数分経つと部屋の扉が開き階段を降りて、薄緑色のワンピースに身を包んだ
、麦わら帽子の美禄が姿を現した。
「どう..かな?」
「では行きましょう、日が暮れてしまいますよ。未だ朝ですが」
磨いていた釣り竿を肩に担ぎ、扉を開き外の世界へ。
「え、無視ですか?」
女の華麗なドレスアップは、彼にとっては〝着替え〟に過ぎない。身に付ける布を変えたというだけの認識だ。
「大物釣れるといいですねー。」
称賛の評価は全て魚の元へ
その後はお手の物で、広い筈の街を闊歩し人混みを掻い潜り、気付けばのどかな河原に着いていた。
「風はそれ程吹いていませんね、それでは、よっ..と。」
「ちょ、ちょっと!」「なんです?」
「餌は付けないの?」「そうですよ」
「それじゃあ釣れないよ。」
「そうでもありませんよ、ほらここ」
妻鹿似が摘まんで見せた釣り糸の先端には、餌に酷似した塊が括り付けられていた。
「ルアー?」
「疑似餌の一種ですよ、某は餌で誘うような事はしません。形のみで狙うのですよ」
いわゆるルアーフィッシングというやつだ。通常よりもスポーティな釣りを好むようだ。
「へぇ〜、私もやってみよ。
釣り竿一つ借りていい?」
斬新な仕様に興味を示し、美禄も水辺へ糸を垂らし始める。カメラを触った事が無いのに、デジカメを操作している感覚で動きこそぎこちなく覚束ないが、揚々と励んでいる。
「釣れるかなぁ?」
「どうでしょうね、魚次第ですよ。」
「へぇルアーフィッシングか!
なかなか粋な事するじゃねぇか」
盛り上がる僅かな芝に腰を掛けた男が突然威勢良く話しかける。
「わびっくりした!」「悪り悪りぃ」
胸の前で掌を軽く合わせ軽く謝る。
「貴方も釣りを?」
「まぁな、お前さんらほど洒落たやり方じゃねぇがな。」
男の手元を見ると糸のついた細い木の枝がしなっていた。リールもおそらくルアーも付いてない、ストロングスタイルの釣りに勤しんでいるようだ。
「餌で釣るんですか?」
「餌なんか使わねぇよ。
水に糸垂らして待つ、俺ァそれだけで充分だ。」
「へぇ..そうなんですか」
変わった人だ、素直にそう感じた。
「疑問ですか、美禄さん?
あれで本当に釣れるのかと。」
ひそひそと耳元で囁き、問い掛ける。
「うん、それ以外にも沢山疑問はあるんだけどね。」
「甘く見てはいけませんよ、足元をご覧下さい。」
「足元?
...うわっ、何これ嘘っ!?」
美禄が視線を下げると、樽の様な木製の箱に入った魚達がビチビチと跳ねていた。
「驚いたか、これ全部俺がとったんだ、それも今さっきな。」
自身有りが鼻に付くが仕方ない。脱帽する程の結果を今ここで目の当たりにしてしまっている。
「釣り名人といったところですか?」
「名乗った覚えはないけどな。」
本当の才能持ちは奇抜な出で立ちをしているというがその通りだ。一瞬で大漁のこの男、袖の無いランニングシャツに無精髭にボサボサの髪。一見人が近付きたがらない風貌をしている。特に女は不潔だと距離を取るだろう。美禄がそれをしなかったのは、大量の魚を見たことと、もう一つの点がそれを頑なに阻止していた事が原因だ。
「妻鹿似さん、行きましょうよ。確かに魚は凄いけど、見た目がその..少しキツイので。なんでそんなに平気な顔していられんですか?」
「実は、前からこの方の事は知っていたんですよ。釣りが上手で、皆一人で魚を獲ってしまうのです。ならばと場所を変えれば跡をついて来て、またもや獲物を独り占めしてしまう。」
「厄介だね!」「そうなのですよ」
犬の小便のように、獲物を刈り取ってマーキングを図る。田舎の重鎮の様な男だ。
「なので先により多く獲って差し上げようかと試みたのですが、争い事となるとどうも気が乗らないのです。」
やろうと思えば出来るが気が進まないので行わない。決して技術が伴わない訳では無いと言いたげだが察するが礼儀か、敢えてそれには触れなかった。
「そうか、なら一緒にするか?」
「結構です、やりません。」
「付き合い悪りぃなぁ、それでよ。
この川に大物が流れ着くらしくてな」
「だからやりませんってば。」
人の話は鼓膜に入れず、魚と己の無限ループだ。
「美禄さん、釣れました?」
「全然釣れません。」
「やる気になったか?」
「やりません」「なんでだよ。」
余暇を謳歌する為に話を完無視して受け流したが、要するに話はこうだ。
この小川、仮にカナモノ川とするがこの場には大物の魚が潜むという。今までにその魚を釣る事の出来た釣り師はおらず、遭遇するのも稀らしい。
「この川は都会の広い海へと繋がってる、奴等もそこから湧くんだろう」
「聞いてもいない事を丁寧に有難う御座います。」
「おう、大魚の名前は
岩のように大きく、結晶のような光沢と輝きを誇る別名〝川の水晶〟と呼ばれる魚だと、気になりもしていない者に言って聞かせる。こういう奴は偶にいるが、正しい振る舞いは、聞くフリをかまして愛想笑いに尽きる。
「コイツを先に獲った方の勝ちって訳だ。」
「そんなのそっちの有利に決まってるじゃない!」
横暴な持ち掛けだと美禄は声を張り上げるが、当の妻鹿似は言い回しも含め、本当の意味合いに気付いていた。
「一人では釣り上げられないのですよね?」
「....なんでそう思うよ」
「これだけの漁を一遍に獲れる方です。技術的な部分に支障は無い、とすれば他の何らかの理由で困難に陥っている。」
釣りたくても釣れない、手元にあるのに届かない。歯痒いものである。
「ならなんで来た人達の邪魔をするのよ、協力して貰えばいいじゃない!」
「..仕方ねぇだろ。」
「何が仕方ないのよ?」
声を掛ける社交性は有る、プライドもそれ程高くは感じない。個人的な理由でなければ、一体何が原因か?
「出現条件でしょう、おそらく魚を大量に獲るなり刺激するなどで姿を現し易くなるのです。故に人の場所へ足を踏み込み多くの魚を獲ろうとした。」
「..わかってんじゃねぇか。」
「当たってるの!?」
「理屈はな、遣り方はがむしゃらで深くは考えてなかったが。」
魚をおびき出すのに夢中で協力を請う余裕が無かった。そもそも例の魚の存在を知るものが他にいなかった為、男の行動は完全なる愚行に写っていた事だろう。
「で、何をすればいいんですか?」
「おお、奴は川に姿を現わすと跳ねると同時に光を身体で反射して、水面全体を
「水晶と云うだけありますね」
「素直に協力するの?
律儀なの?無謀なの?わからない!」
企みのある含みを持たせた振る舞いかお人好しか判断がつかず、傍らで頭を抱える。それに見向きもせず、ただ男の言う事聞いて動く。最早彼の行動には、意味などないのかもしれない。
「ここで魚を大量に釣ってやる。現れたら、捕獲してくれ」
「..いや、逆にしましょう。
某が魚を釣ります、貴方が捕らえて下さい。」
「おいおい、勝手に変えんじゃ..」
聞かずに竿を水面へシュート。変更事項を無理矢理受理し、印鑑を押す。
「ったく若いな!
なら勝手に釣れ、俺が仕留める。」
魚の入った木箱の横のレジャーボックスから、三又のモリを取り出す。
「揃えたのですか、それ。」
「常に持ってんのよ。
俺は釣りが生き甲斐だから魚を突くのは専門じゃねぇんだ、だからずっとしまいっぱなしでよ。」
「..そうですか。
竿、お借りしますよ」「それ使うの」
打ち捨てられた仕掛けを持たぬ木製の釣り竿を握り、水に糸を垂らす。
「先端にルアーを付けたな?」
「言うほど万能ではないのですよ。」
川に湧く泉のように、わんさか獲れる魚達。次々と糸に食い付き、留まることを余り知らない。
「..すごい、あんなに釣れなかったのにあそこだけ大量に獲れてる。しかもあんな古い竿で!」
「古い竿だからこそですよ」「へ?」
「ですよね?」「..あぁ、そうだよ」
初めからお見通しだ。
彼は人ではない、釣竿のツクモノだ。
「釣りの道具が魚釣れないなんて、そんな事は無ぇだろ?」
言葉通りに竿はしなる。衰えず獲物を獲得し、芝生を濡らしていく。
「おじさんも人じゃなかったんだ..」
「そう肩を落とすな、名前くらいはある。
「...ごめん、多分覚えないと思う。」
適度に魚を量産していると、水面に異変が生じる。身震いするように、ブルブルと波紋を浮かべているのだ。
「..おや、重みを感じますね。」
ルアーが何かに引っかかり、重力を伝えている。
「気をつけろ、来るぞ。」
竿を力任せに引き動かす、原型が崩れ
、今にも壊れそうな具合だ。
「暴れないで、いただけますか..!」
ぐいと引っ張り竿を上げると、糸に巻き付く結晶が水を盛り上げ顔を出す。
「出たな広晶魚」 「でかっ!」
八角形の透き通る軀に光を反射させ、川の表面を光らせる。
「うわぁ〜!」顔を覆い目を背ける。
「何故これに誰も気がつかなかったのでしょう?」
「若造、気をぬくな!
竿をしっかり握り続けていろ!」
指示するカッパはモリを片手に跳び上がり、はしゃぐ魚へ飛び掛かる。
「大魚よ、大人しく捕まれ!」
体表にモリを突き立てる。しかし体には刺さらず先端が折れてしまう。鱗も皮も持たぬ石のような体にはまるで歯が立たなかった。
「妻鹿似さん、引かないと」
「やってはいるのですが、空で動かれていますからね。無駄な事です」
水面を大きく離れた空中でのやり取りでは、竿の力はうまく働かない。言われた通りに動かしてはいるが、無意味と言っていい機能だ。
「暴れるな、クソったれが!」
両手で顔を抑え、動きを和らげようと試みるも、魚をは更に暴れ喚いた。負けじと右手で頬を数発、硬さを無視して殴打する。
「痛てぇ、噛みやがった!」
怒り、腕をかじる。ギリギリと歯を食い込ませ、獰猛に威嚇する。
「負けるかよ!」
必死に引っ付きしがみ付き、カッパは魚と共に攻防をしつつ川へと沈む。
「おじさん!」「厄介ですね」
釣り糸は未だ付いている。しかし水辺は地の利、どう考えても魚が有利だ。
「……」 「妻鹿似さん。」
無言で竿を引く、水を多量に巻き込み再び魚が顔を出す。
「はぁ、はぁ..良くタイミングが分かったな。」
魚の口にはガッツリと、ルアーと共にカッパの腕が突っ込まれている。
「勘で動いた迄です。
沈んだ方を助けるなんて、そんな力は某にはありませんよ?」
魚が己のフィールドで暴れ、無理矢理逃げるその前に竿を上げた。
「うわっ、跳ねてる!」
「コイツまだ活きてるか!」
「離さないで下さいね」
宙ぶらりんの魚と男を完全に釣り上げ芝生の土へ放り投げる。
男は勢いで離され息を上げ、魚はビチビチとただ跳ねる。
「くあっ、大胆だぜ..。」
「おじさん腕がっ..!」
魚に食い千切られ、右腕が欠けている。雑に斬られた傷の断面からは血液ではなく、細かい木屑が出ていた。
「このザマじゃ、暫く釣りは出来ねぇな。つまらねぇなぁ..」
妻鹿似の元から、釣り竿が消滅する。身体の一部が 破損した事で、使用不可能となったのだ。
「一応、腕は外しておきましたが、如何なさいますか?」
魚の口から取り出してたズルズルの右腕を見せ、カッパに問いかける。
「..いらねぇよそんなもん。
川にでも放って魚の餌にしちまってくれ、食えたもんじゃねぇがなぁ。」
痛む良心など元々ないが、目の前で無下にするのも心許ないので、静かにそっと足元に腕を置いた。
「これからどうするんですか?」
「どうするもこうするも、俺は釣り以外脳が無いんでね。これからも続けるさ。言っても今は竿がねぇんで、暫く川を眺めてるとすっかな」
生き甲斐を奪われた、しかし得るものは得た。プラマイゼロとはいかないが、悔やんでいる素振りも見られなかった。
「あとその魚、お前さんらにやるよ」
「え?」
「俺は釣りたかっただけだ、他の魚と一緒に持っていけ。」
魚の入った木箱とレジャーボックスを美禄に渡し、澄んだ瞳で水面を眺める。躊躇は無いが、諦めの雰囲気を感じた。
「帰りましょう、美禄さん。」
「うん、そうだね..」
彼女にはどうする事も出来ないので、渋々にでも家へ帰る他無かった。
「帰るのか、また釣りしたくなったらここに来いよ。今度は邪魔したりしねぇからよ!」
「いえ、もうここには来ませんよ?」
「ちょっと、また来ようよ。
なんでそんなこと..」
突然の突き離し。
唯一の愉しみを邪魔された事への憤慨か、そう思った。
「代わりに、これを置いていきます」
カッパの座る脇に、リールの付いた釣り竿を置く。
「これ、お前の...。」
「おやおや、困りましたね。
竿が無ければ釣りが出来ない。僕はこれから、新たな趣味を探すしかありませんね..。」
「お前、俺にこれを?」
ルアーを使って魚を獲った事は一度も無かったが、何故だか使いこなせる気がしてならなかった。
「それではさようなら。
私はいまから水槽を買いにいかないとならないので」
趣味を一つ失って、得た物は大きな魚。それらを持って彼らが向かうのは、家の前にまずホームセンターだ。
「美禄さん、どうでした?
釣りは楽しかったですか」
「うん!
..でももう一生やらない。」
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