タナバタノソラ - 08
☆★☆
慣れない早起きから来る猛烈な眠気も、どこかへ飛んでしまう光景だった。
ソラの話の中に出てきた件の公園でまさに今、ソラが子供たちの輪に加わって遊んでいる。その傍らのジャングルジムには、色とりどりの短冊が括られた一本の立派な笹が立てかけられていた。まあ、一式を用意したのはほかでもないオレ自身だったが。
願いの欠片が集まる場所にいられる、とソラは言っていた。ソラの視界に入っている必要があるという条件も。それならば毎日眺めていたであろうこの公園に、新たな笹飾りを設置するのはどうか、とオレは考えたのだ。
正直、口で言うほど簡単ではなかった。近所で笹が手に入りそうな所へ片っ端から電話をかけては、七夕を間近にした急な頼みということもあって何軒も断られた。そうこうしながらようやく手に入れた一本があれだ。笹なんて担いでまわるのは恥ずかしいから早朝にフラワーショップを訪ねて、こっそりと設置を済ませて。念のため実っこと小浦木に協力を仰いで、オレが下校するまでの間笹を見てもらっていた。
確証なんか無かった。丘からはだいぶ距離があるし、最悪子供たちから相手にされず無駄足に終わる可能性だってある。そんな不安があったからこそ、苦労が実を結んだ結果がやけに、心に沁みた。
まあ、あんな極度の寂しがりやに、オレにばかり頼られるのは荷が重かったからな。この程度の苦労は買って出るさ。
しばらく公園の入り口で佇んでいると、ソラと一緒になって遊んでいた実っこと目が合う。
「あ。おせーよ、にーちゃん」
相変わらずの口の利き方で、小浦木とソラを連れてやってくる。
「見てみろよ。ボクが最初に短冊書いてやったのを見て、みんなも吊るしてくれたんだぜ」
「ひめも手伝った」
オレを笹飾りの場所まで引っ張ってきて、二人の表情は得意げだ。実際その効果を期待して頼んだところがあったから、この成功は子供たち二人のおかげといえる。
「ああ。マジでよくやってくれたな、二人とも」
オレが心からの感謝を表明するなり、実っこが露骨に気味の悪そうな表情でこっちを見てきた。
「げっ。にーちゃんが褒めてくるなんて、きもちわりぃー」
「お前な、素直に受け取れねえのか!」
どこまでも生意気なやつめ、今度親の顔でも見に帰ってやるか、なんてことを考えてから、オレはソラに目をやる。走り回って赤みの増した健康的な頬が、無表情なソラに年相応の無邪気さを纏わせていた。
「みのる」
「おう。少しは寂しいのも紛れたか?」
「すこしなんてものじゃないの、みのるはそらのおんじんなの」
そこまで言われると大げさで気恥ずかしいが、喜びようはよく伝わってきた。
「無表情は相変わらずみたいだけどな」
「おほしさまはわらわないの。でも、こころでにっこりしているの」
「そか」
見上げてくるソラの表情は心なし柔らかくて、それを見たオレはようやく頭の中で、ソラの笑顔を思い描くことができた。
放っておけなかったのは自己満足かもしれない。けれど孤独だったソラが笑えるようになったっていうのなら、それだけで充分だと思えた。
「つぎは、おほしさまのばんなの」
オレが脳内でソラの笑顔を作っているうちに、本体のソラは笹飾りの方向を向いていた。大人の背丈ほどある笹にソラは手を伸ばして、いくつも吊り下げられた短冊の一つに、そっと触れる。すると、ソラの指に触れた桃色の短冊がほのかに光を放つ。
「あっ、それ、ひめの書いた短冊……」
そこに書かれた願い事は、"すてきな誕生日になりますように"。
七月六日。今日は小浦木の、すなわち木浦木の誕生日だ。
「これは、ほんのささやかなおんがえしなの。さみしがりやのこころをつなげるの」
ソラの言葉を合図に短冊の光は膨れ上がって、オレたちともども辺りを包み込んだ――。
光の中で、実っこと小浦木は言葉を交わしていた。
「おい」
「なあに、実くん」
「この前のお返し。誕生日プレゼント。なにがいいとかあるか」
ああ……そうだ。オレは誕生日を迎えるたびに、毎年木浦木から不慣れな出来の悪いクッキーを貰っていたんだった。
「それ、誕生日の日に訊いちゃうんだ……」
「うるせー! 別にいいだろ!」
お返しがしたいこと、なかなか言い出せなくて当日まで引きずってしまうことも、毎年のように繰り返していたんだっけ。
それなのに小浦木は楽しそうで、口に手を当てて悩む素振りを見せながら、そうかと思えばすぐに返答を返した。
「ひめ、お兄ちゃんがほしい!」
いつもか細い小浦木の声が、この時だけは力がこもっていた。そしてオレは、この声この言葉に、妙に聞き覚えがあるような気がしたんだ。
「は!? バカじゃんお前、そんなのあげれるわけねえだろ!」
「ほんとはお姉ちゃんとか、それからかわいい妹とか、欲しいんだけど」
「だからムリだって」
「そうなの。だからお兄ちゃんにする」
「はあ」
「あのね、ひめと実くんって誕生日が近いでしょ」
「うん」
「でね、実くんの方が早くて」
「まあ、ボクのがちょっとだけ年上だな」
「だからひめ、実くんがお兄ちゃんならなーって」
「はあぁーー!?」
――このやりとりをオレは知っている。気のせいじゃない。オレは昔、全く同じ会話を木浦木と交わしていた。
でも確か、あの時は頭上に星空があって。そうだ、この時期に一軒家への引っ越しが決まったんだ。お隣さんでいられる日数も少なくなってきたこの日、木浦木に連れられて一緒に星を眺めたんだった。
この先は、どうなるんだっけ。
「ボクはな、兄妹なんて欲しくねーの。お前が妹なんて死んでもやだし! しかも姉妹がムリだからって、しょうがないからボクかよ!」
「……だって欲しいんだもん」
拗ねるように口を尖らせようと、嫌なものは嫌だった。だってオレは木浦木のことを、妹にしたかったわけじゃなくて。
「いじわる。じゃあプレゼントなんかいらない。実くんのケチ」
「ああああもうっ、分かったよ! 分かったけどムリなもんはムリだからな!」
すっかりいじけられてしまって、オレはあっさり折れるのだった。
そして過去のオレは、いつかの言葉を繰り返す。
「兄妹なんか絶対にムリだけど……それぐらいずっと、い、一緒にいてやりゃあ文句無いだろ」
一緒にいる。オレはそう言ったんだ。
その言葉を聞いて木浦木が流したのは、尊い、喜びの涙だった。
「おとなりさんじゃなくなっても、それならひめ寂しくない」
「ああもうっ、泣くなって言ってんだろ!?」
オレが一緒にいると言っただけで泣いてくれたんだ、木浦木は。そんな木浦木にオレは何度、悲しみの涙を流させたんだ。何度、木浦木を裏切った。
光の中の二人の姿が霞んでいく。今オレが見ているのはそんな目の前の二人ではない。呼び起こされた記憶の中、あの日見上げた大きな、大きな星空。小さな二人は天の川の見守る下で、小指と小指を絡ませ合った。
「お星さま、きれいだね」
「きれいだな」
「来年も、その次も、ずっと一緒に見ようね。天の川」
「お、おう」
「約束」
光が晴れて、すでに公園には実っこと小浦木の姿は無い。子供たちの喧騒の中で、オレは青ざめて立ち尽くしていた。
こんなに大事なことを、どうして今まで忘れていられたんだろう。
オレは大きな過ちを犯していた。見放されて当然だ。木浦木はひとりぼっちで心細かったんだ。支えとなってくれる存在をずっと欲してた。オレなんかを選んで、求めてくれていたのに、それなのにオレは……救いようのない、大バカ野郎だ。
「行かなくちゃ」
オレは衝動的に、手元の短冊とマーカーペンを手に取った。そして書き殴る。今度こそ、オレがこの手で叶えてみせる。そんな決意をペン先に乗せて。
「ソラ。今から人生、やり直してくる」
気付かせてくれたソラに向かって決意表明をする。もう大丈夫。オレは縋らない。自分の足で願いを掴まえに行く。その想いを、きっとソラは感じ取ってくれたに違いない。
「そらは、いつでもみまもっているの」
オレは走り出した。木浦木の元へ一秒でも早く辿り着きたかった。
もうじき日も落ち始める。これだけ必死になったって、許されるとは限らない。木浦木の中にオレの居場所はもうないのかもしれないが、どんな返事が来ようとオレは受け入れなければならない。それだけのことを木浦木にしてきたのだから。
なにかのせいにして都合よく忘れて、自分自身と向き合うことからも逃げて、人を傷つけて。誰からも求められない虚しさは、人一倍知っているつもりだったのに。
オレたちはみんな寂しがりやで、無価値なんかじゃないよ、って誰かに言ってほしくて生きているんだ。どうして、素直に肩を寄せ合えないんだろうな。
そんな当たり前のことにようやく気付けたんだ。いまさらだって走りたかった。
どうかもう一度だけ、やり直すチャンスを。
"木浦木の笑顔の傍にいたい"、それだけがオレの願いだから。
「木浦木!」
目を白黒させて振り返るコンビニバイトの制服姿の幼馴染へと、オレは一歩踏み出した。
「今夜、一緒に天の川を見に行かないか」
「……七部のばか。遅いよ、もう」
その涙を、オレは絶対に忘れないと思う。
タナバタノソラ 長渕水蓮 @lotus0_3garden
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