タナバタノソラ - 07
☆★☆
七夕を間近に控えた夜空の下で、オレは深い深呼吸をする。ここのところ日中はすっかり暑くなったものだが、夜の丘にはひんやりと澄んだ空気が漂い、吸い込んだオレの体を引き締めてくれた。閉じていた目をゆっくりと開くと、七夕の予行練習といわんばかりに星々が輝きを競い合っている。
「少しは、安らぐな……」
実っこから逃げるように家を出てきたオレは、吸い込んだ空気に憂鬱を乗せて一気に吐き出した。
昨晩この丘で取り付けた約束通り、実っこは日中に小浦木のところへ遊びに出かけていた。あれだけ立派な口を叩いておいて、オレの助け無しには目的地へ辿り着けもしなかっただろう。道のりや利用する交通機関の情報、そしてなけなしの運賃さえ、全てオレが提供してやったのだ。それだというのに、あのクソガキときたらオレに向かって説教などしてきやがる。
「つくづくにーちゃんはちんちくりんだな!? 身長だけじゃなく中身もな! どうせにーちゃんが悪いんだろ? 早く佳姫ねーちゃんと仲直りしてこいって」
「うっせえ決め付けんな! 大人には色々とあるんだよ。ガキはガキ同士よろしくやってろ」
「将来のにーちゃんがこれじゃ意味ねーだろ!?」
分かってる。オレが一番分かってんだよ。
でも人間どうしようもないことってのがあるんだ。どうにかなるなら既にやっている。色んなものに縛られて、見えない何かに阻まれる、息の詰まるような世の中の方がふざけているんだ。
「なんなんだよ、クソ。お前はオレじゃねえか。素直に認めやがれ」
認めろなんて酷な話だと重々承知してはいるが、仕方ねえだろ、どうしたって未来はこうなってしまうんだ。
……。
好意を寄せた相手に嫌われることが確定しているってのは、どういう気持ちなんだろうな。
抱いていた気持ち、一緒に過ごした思い出、全て無駄なものだったと思い知るのはとても虚しい。だからこそオレは、実っこが現れるまで記憶を押し込めて無いものにしようとしていた。でもそんなものは逃げでしかない。本当はきっと、無駄かどうかなんて最後まで誰にも分からない。だから実っこはオレを説得した。しかし当の本人はどうだ。無理だと思い込む方が楽だから、全部分かったような顔をしてあれこれと理由をつけて、足掻くことを諦めてしまっている。過去も未来も放り投げて。
お前は独りだ。
お前は逃げている。
お前にはなにもない。
そんなお前は、無価値だ。
実っこを見ていると、オレの存在のなにもかもを責められているような感覚に陥る。今より輝いていたはずの過去が、この目にはどうしてこうも辛く映るのか。この過去に罪は無い。眩しさに目を覆うのは、この瞬間のオレが汚れ切ってしまったせいだ。
"今"とは、オレを縛る重い鎖でしかない。
「なんだか、きゅうくつそうなの」
「ああ、ソラか」
……ソラは時々、得体が知れない。広い空の上からなにもかもを見透かしてしまうように、人の心に切り込んでくる。
「実っこのせいで、居場所が無くてな」
ここにあるのは自然と星だけで、他になにも必要としない。オレが何者でも関係ない。社会に居場所を無くしたオレが行き着いた場所だ。
もしかすると、この丘で短冊を吊るした他の人たちも、同じような居心地の良さを求めてやって来たのかもしれないな。そんなことをふと考える。
そしてその誰もが、それぞれに抱えた悩みを星に託して、今日も町のどこかで空を見上げているのだろう。
願い事は、叶うだろうか。
「なあ。なんでガキの頃の自分がいるんだ。なんか意味があるのか」
昨日聞きそびれたことだ。笹飾りの魔法、とソラは言っていたが。
「あのこも、ちゃんとみのるじしんなの。ねがいをかなえるきっかけは、じぶんのなかにあるの」
ソラの答えを要約すると、自分自身を見つめ直せ、といった感じだろうか。なんだか自己啓発じみた話だ。
生意気なガキの戯言と捉えていたものが実は自問自答だったとして、素直に受け入れられないオレは失敗しているのではないだろうか。
「みのるならきっと、わかるの」
「そう、簡単でもねえよ」
オレはぼやく。
「環境一つ変わっただけで、人なんて簡単に自分を捨てちまう」
「そしたらまた、ひろえばいいの」
「もう持ってられないから、捨てたんだろうが」
「そしたらまた、かえればいいの」
「それができたら、オレは悩んでねーよ!」
つい声を荒立ててしまって、オレは決まり悪く視線を背けた。ソラ相手にみっともない。事あるごとにこれだからオレは、木浦木ともうまくいかない。
自己嫌悪が止まらない。こんなオレのままでは、なにも上手くいくはずがない。事態は決して好転しないだろう。実っこが失望するのも分かる。オレは自分が大嫌いだ。
「……みのるのねがいは、やりなおすことなの」
様子を窺うように間を置いてから、ソラは淡々と言う。分かりきったことを、オレに再認識させるかのように。
「"ねがう"ことは、なげやることじゃないの」
分かってるんだよ、世の中は甘くはなくて、成り行き任せじゃ何一つ変わらないってことくらい。
だからといって、現実から逃げるなと、行動に移せと言われたところで……。
「出来もしないことを書いちまっただけだ。身の程も弁えないでな」
そもそも、書いたことが間違いだったんだ。最初から分かってた。現実逃避の手段に笹飾りを利用しただけ。そんなクズ野郎に、なにかを変える力などあるわけがない。
気力を無くしたオレの言葉に、しかしソラは首を振り。
「みのるはちゃんとうごいてるの。みのるも、よしひめもなの」
オレのことを、肯定したのだった。
身に覚えがまるで無くて、少しの間無言で考えを巡らせてしまった。いくら考えたところで思い当たるはずもなく、オレは尋ね返す。
「オレがなにをしたっていうんだよ」
するとソラは両腕を広げて、それがさも大それたことのように言ったのだった。
「たんざく、つるしにきたの」
「おう……おう?」
拍子抜けが声に出た。一応無言で先を促すが続きは無い。以上かソラ、それだけか。
そんなものを成果とは呼ばない。何度も言うように、それはただの現実逃避に過ぎない。
それなのにソラは自分の発言におかしなことは無いというように自信に満ちた目をしてこちらを見ている。よくぞ吊るしに来てくれた、と言わんばかりだ。
「そんぐらいじゃねえか」
「そんぐらいで、いいの。そこからなの」
こんな些細で情けない行動を、最初の一歩と言ってくれるのか。踏み出した足だって二歩目にして躓いているのに、ソラのやつ、前向きにも程があるだろ。
「励ますにしたって、もう少しなんかあるだろ……」
ソラなりにオレを励ましてくれているのが分かって、少しだけ笑うことができた。
せっかくなので、前を向くのに付き合ってやる。
「これ以上いまさら、どうにかできんのかな」
「おねがいして、おねがいして、おねがいしたらね、きっとかなうの」
「自分が分かんなくなっちまう時だって、あるだろ」
「そんなときは、そらをみあげてほしいの」
「……そんなこと、やり飽きるほどやってるよ」
口ではそう言いながら、オレは空を見上げなおす。飽きもせず絵空事を語るソラの瞳と同じくらい澄んだ、夏の夜空がそこにはある。出会ったばかりの時とは違って、ソラの言葉をくだらない戯言とは思わなかった。
願うとは、ただ縋ることじゃない。オレが歩んだ先で見上げる空には、いつもとは違う何かが見えるのだろうか。
踵を返す。結局なにが解決したわけでもないけれど、ここへ来てよかったと思う。空に背を向けて歩きながら、オレは一つだけ用件を告げた。
「ソラ。明日も丘の向こうの公園見とけよ」
ああそれから、もう一つ。
「ありがとな」
明日は七月六日。終日晴れるとの予報だ。
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