タナバタノソラ - 06
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笑うの上手くなったよな、と思う。
退屈な平日の学校。昼休みの時間を費やしての不慣れな調べ物にも疲れて、オレは卓上に身を投げ出した。
教室の向こう側では、友人たちに囲まれた木浦木が談笑している。その朗らかな顔を遠目に見て、オレは昨日の出来事を思う。
寂しがりのお星さまが降ってきたと思ったら、立て続けに実っこと小浦木も現れて。夜の丘にはあの木浦木の姿があって。オレの人生史上、文句無しに最も濃い一日になった。
無意識に蓋をしていた過去の記憶。"あの頃"を目の当たりにして掘り起こされたものに、オレは戸惑っていた。
木浦木との間に生じている軋轢のせいで、昔のことなどほとんど忘れかけていた。昔のオレはどうしようもないクソガキだったが、ガキはガキなりに木浦木のことを想い、木浦木もそんなオレを求めてくれていたようだった。いつからか疎遠になって、今では見ての通り冷え切ってしまったが、そのきっかけはなんだったろう。思い出せない。もしかするとはっきりとした要因は無かったのかもしれない。
ただ思うのは、どこかでオレは木浦木に愛想を尽かされたんだろうな、ということだ。
周囲に溶け込めないでいたあの頃の木浦木は、学校でも放課後でもほとんど笑うことは無かった。おどおどして小さくなっている姿にオレはいつもイライラしていたけれど、時折向けられる不器用な笑顔が見られるのは幼馴染だけの特権だな、なんて得意げになっていた。
あるときを境にしてみるみる社交的になっていった木浦木は、次第に周囲に笑顔を振り撒くようになっていった。でもそうなるほどに、オレとの関係には溝ができていった。いつしかオレに向けられる笑顔は無くなった。
良かったじゃないか。だってあんなに臆病だった木浦木が、大勢の友達に囲まれて笑っている。文句無しだ。それを見てもやもやしている捻くれ者など消えてなくなってしまえばいい。まあ、ほぼ消えかかっているようなものだが。
なまじ昔のオレたちを見てしまったから、その光景が頭から離れてくれない。あの頃は良かった、昔に戻れたら、って。また実りの無いことばかり考えている。もはや木浦木の中にオレの居場所などありはしないだろうに、屈託無く笑う木浦木の目の前に、立ってみたいと少し思ってしまう。
なんて都合がいいんだろう。さんざん憎まれ口をきいてきたオレが、再びこっちを向いてほしいだなどと。
好きの気持ちは過去のもので、嫌いの起こりも過ぎたもの。取りこぼしたチャンスのどれ一つ取っても、今になって慌てて欲しがるには手遅れだ。
今現在、オレは木浦木に嫌われていて、オレは木浦木を疎ましく思っている。これだけが真実で、ここから始めなくてはならない。もしもまた笑顔を向けられたいと願うのなら。
無理、だろうな。そんな諦めがある。やり直すにはあまりに歪みを生みすぎた。木浦木を果てしなく遠くに感じる。
ソラは誰の願いもまだ叶っていないと言っていたけれど、いっそ本当にやり直せたならどれだけ楽か。
ああ、オレは……相も変わらず、クズ野郎のままだ。
☆★☆
笑わなくなったな、と思う。
一人がすっかり板についてしまった七部のことを、私は遠目に盗み見る。
七部のことは嫌いだ。年を追うごとに嫌なやつになっていく。かわいそうだなって思うけれど、誰も近寄らないのはしょうがないことだと思う。
思い出の中の七部はもっときらきらしていて、私の毎日を彩ってくれたのに……。だから、そのままの姿で実くんが現れたときは年甲斐もなく嬉しかった。
当時、七部は同じアパートのお向かいさんだった。
うちのお父さんは物心ついた頃にはもういなくって、私は父親の愛というものを知らない。うちはお父さんのいた頃から裕福な方じゃなかったみたいで、お母さんは私のためにと身を粉にして働いてくれている。けれどそのせいで、朝起きておはようを言う相手はいないし、学校から帰っても誰も迎えてくれなくて。私はいつも一人でいた。通ってた小学校でもクラスの子と馴染めなくて、すっかり心がふさいでしまっていた。
ある時、登校するのが嫌になって学校を休んだ私を、お母さんは優しく諭してくれた。そのあとで、私を抱きしめたお母さんはごめんね、とだけ言って泣いたんだ。その疲れきった顔を見たときに、お母さんの前で弱音を吐くのはもうやめようと固く誓った。そうして私は誰の前でも弱い自分を出せなくなった。そこに現れたのが、お向かいに引っ越して来た七部だった。
七部はことあるごとに私に絡んできた。そのくせ、いつも嫌々そうにしていた。今思えば、うちのお母さんが七部のお母さんにお願いをしていたのかもしれない。
いつからか、そんな七部が私の支えになっていた。
単純だよね。だけど支えを無くして一人で泣いてた私には、まるでお兄ちゃんが出来たみたいだったんだ。優しいお姉ちゃんか可愛い妹が欲しいなってずっと思っていたから、理想とは少しだけ違ったけれど。七部はぶっきらぼうだけど、肝心なときには私を助けてくれた。よく泣かされもしたけれど、ちゃんと私のお兄ちゃんだった。
『――あいつが勝手についてくんだって! 幼馴染だからってなんか勘違いでもしてんだろ』
中学校に上がって私は七部に避けられるようになった。小学六年生の終わりには七部家が一軒家に引っ越すことが決まっていて、七部との距離がいっそう離れていくような感覚があった。私は無我夢中で追いかけようとしたけれど、追いかけた先で、聞いてしまった。
『今度直接言ってやるつもりだよ。いい加減迷惑だって』
ほんとのところ、七部がどう思ってたかなんて知らない。友達にからかわれて、言い訳に必死だったんだろうってことは薄々気付いてる。
けれどあのとき私の心は、見捨てられたんだ。
こんなことはきっと、よくある話だ。ありふれ過ぎていて、いちいち傷つくなんて子供みたいだって笑われるかもしれない。けれどどんなにありふれていたって、私の中では大きなことなんだ。それだけ私の支えだったんだ。
(言わせてやるもんか……!)
それから私はぱったりと七部を追わなくなった。一言だって話しかけられてやらないと、徹底して避け続けた。そしてこれまで他人と関わらなかった分たくさんたくさん努力して、一から友達を作っていった。七部になんて頼らなくてもいいように。今では私は友達に囲まれて不自由ない毎日を過ごしている。そのはずなのに、物足りない何かをずっと胸に抱えたままだ。見る影も無く孤立した七部を見ていると心がささくれる。それなら見なければいいのに、どうしても断ち切ることができずにいる。
私は今も支えを求めているんだ。学校の友達だけでは埋められない心の隙間を埋めてくれる誰かを。
短冊に願いを吊るしたのは、ほんの、おちゃめのつもりだったけれど。心のどこかで"お姉ちゃんか妹がほしい"と、飢えるように求めていたから書いたんだ。そして会いに来てくれた昔の私、姫ちゃんに、私はまんまと依存した。
「お姉ちゃんは、どうして実お兄ちゃんと喧嘩するの?」
けれど姫ちゃんの一番は、やっぱり実くんだった。実くんと再会した姫ちゃんが大喜びで駆けていく姿を見て、私はこの数日間夢を見せられていたんだなって気が付いた。当たり前だ。こうなるのなんて知ってた。だってあの子は私自身で、実くんのことしか見えてないんだから。実くんと姫ちゃんだけの関係に、私の依存心が割り込んでいいはずがない。私はちゃんと、今の七部と向き合わなきゃいけないんだ。
私の一番、本当の気持ち。不思議なそらちゃんは、私の断ち切れない気持ちを見事に見透かしてきた。
七部なんて、嫌いだけれど。
もしかしたら、もう少し大人になれば、七部も変わってくれるのかも。あの頃の実くんに戻ってくれるのかも。そんな風に、一方的な期待をかけているのかもしれない。そうやって気持ちを引きずったまま、性格の曲がってしまった七部張本人に思い出を汚されるようで腹が立って、刺々しく当たってしまう。七部からしたら迷惑なんだろうな、いつも喧嘩になるし。
でも、だって、しょうがない。それもこれも七部のせいなんだ。あの星の夜、あんな無責任なことを言って今日まで私を縛りつけて。どうせ、簡単に見捨てるくせに。
そらちゃんは最後、七部は約束を守ってくれたって言ってたけれど、それなら私はいつまで七部を信じて待てばいい。そらちゃんにしたみたいに、私にだって手を差し伸べてくれないの? 昔みたいに笑いかけてくれないの?
変わってしまった七部と私。あの頃の面影を押し付け続ける、私みたいな女のことを、重いって言うのかな。
ああ、私って……どうしようもなく、歪んでる。
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