タナバタノソラ - 05
「姫ちゃんじゃない、よね……だれ?」
場違いな声はいざこざを静まり返らせた。不意の第三者の気配に、木浦木は周囲を警戒して首を動かす。
するとこの場でオレだけが、その声の主を知っている。だが、肝心の姿が見当たらない。
「みのるなの」
「え、きゃっ」
「どわっ!? ソラお前、いつの間に」
にょきり、と地面から頭が生えた。オレと木浦木との間に割って入るように、突如ソラが現れたのだ。
この真っ暗闇でそういうの、本当に心臓が止まる。この前といい今といい、その神出鬼没スタイルはなんとかならないのか。
「うれしいの」
「お前その顔で嬉しいってほんとかよ」
見上げてくるソラの顔は、笑うという行為を知らないような相変わらずの無表情であった。しかし仕事をしない表情筋に代わって、胴体の横では両腕の動きに合わせて着物の袖がぱたぱたと、忙しなく揺れている。ソラにもし尻尾が生えていたならば、腕と同じようにぶんぶん上下していたに違いない。それを踏まえて見たソラは、喜びによって僅かながら頬が紅潮しているように思えた。
なんだよ、ちゃんと顔に出てるじゃないか。まったくお前は、分かりづらいんだよ。
「ほんとなの。うそつかないの」
「じゃあ、ウソでも笑っとけ」
「おほしさまはわらわないの。うそもつかないの」
「あーはいはい」
まともに取り合うだけ無駄なので適当に受け答えをしてやると、これが存外気楽で良い。
人付き合い全般が、これと同じように運ぶのなら苦労も無かったろうに、と思考を脱線させていると。
「どういうこと。七部の知り合い?」
あの登場の仕方では無理もないことだが、木浦木は警戒を解かない。
短冊を吊るした木浦木は最低一度はここを訪れていることになるが、ソラもその時に姿を現せば良かったものを。まあ、オレも同じことをした日には遭遇しなかったし、いつ頃からこんなところでお星さまごっこをしているのかも分からないしな。
おかげで木浦木の問いかけの返答に困る。
「知り合いってわけじゃ……あー、オレもよく分かんねえよ。なんでも、天の川から落っこちてきたお星さまなんだと」
これ以上の上手な説明の仕方をオレは知らない。だからこの先の木浦木の反応が手に取るように分かっていても、オレにはどうしようもない。ああもう、だからそんなに目の端を吊り上げないでくれ!
ちくしょうっ、こんな問い、訊かれた時点で負け確定じゃねえか!
「七部、またふざけて――」
「うそじゃないの。そらは、おほしさまなの」
そこへ手を差し伸べたのは、他でもないソラであった。一瞬感謝したくなったが、元はといえばこいつのせいなのだからあって当然のアシストといえる。
ソラはあくまで自分のペースで、お決まりの文句を並べた。
「たなばたのそらなの。そらの、なまえなの。おともだちになってほしいの」
「え、えー……」
「気持ちは分かる。こういうやつなんだ」
これで少しはソラの異常性を理解してもらえたことだろう。
かといって話を信じられるかどうかはまた別の話なのだが。オレですら半信半疑なソラの身の上話を、しかし木浦木はあっさりと受け入れた。
「ええっと、たなばたの……そらちゃん、ってことは、向こうにあった笹の木のこと、なにか知ってるのかな」
七夕天という名前、そして言動から、不思議な現象との関連性を見出したようだ。この際疑うという視点は二の次らしい。木浦木のこの現象への執着はかなりのものだった。
「しってるの」
「ほんと!? それじゃ」
食い気味に反応していく木浦木を、ソラはまっすぐに見つめ返して。
「そら、さびしいの」
「そ、そうなんだー」
「さびしいの」
「……」
ソラお得意の無言の圧力攻撃が、事実を焦る木浦木に刺さる。強い。
「えっと、そらちゃんって、お父さんやお母さんはどうした、のかな?」
ようやく現実的なところに思考が回ったらしい木浦木は、たじたじになりながらも笑顔で問いかける。
だが、ソラはブレない。
「そらのなかまは、みんなくものうえなの」
「ううーん……ね、ねえ七部。どう思う……?」
木浦木が決まり悪そうにこちらを見た。滅多にないことに、オレの心臓は飛び跳ねた。
困り果てた末の苦肉の策だとしても、少し救われた気持ちがした、単純なオレ。
「ソラもこう言ってるし、友達ついでに連れて帰って面倒見たらどうだ?」
提案してから、我ながらナイスアイデアではないかと思った。天才だ。
そうそう、オレとお星さまごっこなど始めていないで、気の合う同性同士で仲良くやるのがいいだろう。
「そういうこと聞いてるんじゃなくて……確かにほっとけないけどぉ……」
オレの言葉に木浦木が揺らいだ。ソラの正体がどうであれ、子供を一人にしておくなんて抵抗があるだろう。
「お姉ちゃん、ひめも賛成……そらちゃんの気持ち、分かるもん」
事態が飲み込めていなさそうだった小浦木も、いつの間にか受け入れ態勢に入っている。ソラの寂しいアピールの成果だろうか。小浦木のそれが決定打となり、木浦木はそうだよね、と小さく頷いて。
「そらちゃん、一人じゃ危ないし、今日は私と一緒に帰ろっか……?」
いまいち状況に流されている感じが抜けないのか、語尾に疑問符をつけながらのお誘い。それに対するソラの返事は意外なものだった。
「それはできないの」
まさか否定が来るものとは夢にも思わず、面食らったオレはソラに疑問を投げかけた。
「寂しがってるお前にとってみれば、願ってもない話じゃないのかよ」
「ねがいのかけらがあつまるところにしか、そらはいられないの。だからおやまが、そらのおうちなの」
願いの欠片。いかにもファンシーな単語が飛び出したな。
これは、例の笹飾りのことを指しているのだろうか。そういえばあの笹には、ちらほらと先客の短冊も吊るされてあった。物好きもいたものだな、と自分を棚に上げて思ったことを覚えているが、オレたちは図らずもソラに居場所を提供していたらしい。その見返りとしてはとんでもない厄介者を押し付けられたものだが……。
「……おひさまのじかんは、ずっとむこうにこどもたちがみえるの。みんな、たのしそうなの」
聞いてもいないのに、一人きりでいる時のことをソラは語る。丘から見下ろせる町の公園。日中は近所の子供たちで賑わうその場所を指差して、ソラはいつもと変わらず無表情だ。
「おほしさまも、こどもたちも……おやまからじゃ、みんなのこえがきこえないの」
天の川からはぐれ、この丘に縛り付けられたソラの孤独。手の届かない場所から仲良しこよしを見せ付けられて、疎外感とは際立つ。そんな時はつい思ってしまうんだ。あの輪の中にいられないのは、自分が必要な存在ではないからだ、と。独りでは、自分の価値を見失ってしまう。
誰にも見つけられず、知らない世界で、ソラが抱えた心細さとはどれほどのものだったろう。それは分からない。でも。
「そらは、ひとりぼっちなの」
独りを拗らせるなんてこと、こんなガキにはどうしようもなく似合わないことだと思った。
要するに、だ。
「お前のそれは聞き飽きた」
「あたっ、なの」
小さなひとりぼっち脳に、とすん、と手刀を落としてやった。
「お前はそればっかかよ。前を見ろ、前を」
分かっていないソラにもよく見えるように、屈んで目線を合わせてやる。まん丸の瞳が見つめ返してくる。
「ほら、お前があんまりうるせえから、こうしてオレが来てやってんだ。それともオレじゃ不満ってわけか? オレは0人扱いか?」
認めてなんかやりたくないけれど、さっきの実っこを見ていたからこそ口に出来ることなのかもしれないなと、少しだけ、ほんの少しだけ思ってやらないこともない。あとはまあ、相手が木浦木じゃないからというのもある。
とはいえ小っ恥ずかしいことには変わりなくて、続いての発言は一気に勢いが落ちた。
「いや別にいいけどな……でもオレはともかく木浦木やガキどもだって、お前の友達になってくれるだろ、多分」
「う、うんっ。そうだよそらちゃん。私も友達。だから心配いらないよ」
「ひめも、友達がいいっ」
「しょうがねーなー」
勝手なことを言ってみたが問題はなかったようだ。木浦木もオレと同じように、ソラの目線にまで屈んでくれた。話を聞いていた実っこと小浦木も口々にソラを受け入れる。ソラはオレと木浦木、交互に目を合わせながら、
「ともだち、なの」
とようやく口にしてくれた。
ソラの孤独を埋めるのに、オレたちだけじゃ全然足りないのかもしれないが。少なくともお前は一人なんかじゃないと、それだけは教えてやりたかった。このやりとりによって、ソラに少しは自信が付けばそれ以上のことはないと思う。
世話の焼けるお星さまだな……と一息付きかけたオレだったが、ここまでの会話の中に一つだけ引っかかる点を見つけた。
「そういやソラ、願いの欠片がどうとか言ってたけど……まさかとは思うが、お前笹飾りがある場所にならどこへでも行けるんじゃないか?」
七夕を控えたこの時期なら、町の至る所に笹飾りが設置してあるものだ。仮に自由に行き来できるとでも言うようなら今までの茶番はなんだったんだという話になるが、そこはしっかり否定された。
「あっているけど、ちがうの。そらにみえてないところへは、いけないの」
「まあ、だよなあ」
できるなら真っ先にやっているだろうからな。
「おともだちに、おはなしするの。ささかざりのまほうは、もうかたちをなしているの」
「おおう、急にそれっぽいことを言い出すなよ……」
出し抜けの事情通な物言いが、ふわふわしていたソラの正体をいよいよ別次元のものに感じさせる。孤独という共通点に身近さを覚えていたオレは情けなくも少しうろたえた。
先ほどはぐらかされた話の続きと気付いた木浦木は、すかさずそれに食いついていく。
「それが、姫ちゃんや、実くんってこと?」
「そうなの」
過去の自分たちが現れた原因をソラはあっさり確定させてきた。
なんてこった。本当に適当な笹飾りめ。魔法とやらが成功したならオレを過去に戻せってんだ。苦虫を噛み潰すような顔のオレとは対照的に、木浦木の顔は明るい。
「それならっ……願いが叶ったんだ! 本当の姉妹って訳にはいかなかったけれど、姫ちゃんも、実くんも、ずっと一緒に――」
「よしひめ」
木浦木にとって、妹のような存在とは、昔のオレとは、それほど大きな意味を持っているというのか。その喜びを、ソラはばっさりと遮った。
「だれのねがいも、まだかなっていないの」
「えっ」
ソラが言っていることが一瞬矛盾しているように聞こえた。
笹飾りの魔法の力が、短冊の願い事を実っこや小浦木という形として顕現させた、というのがオレの中の認識だった。ソラ本人も言ったばかりだ、笹飾りの魔法が形を成したと。
「確かにちょっとだけ思ってたのとは違ったけど、私が短冊に書いたお願いごとはもう……」
オレの思っていたことを木浦木が代弁する。
願いが叶っていないだって? その言葉をそのまま受け取るなら、タイムスリップ現象と短冊の願いが叶うこととは、それぞれ別に考えるべきなのか。でもそうだとすると、魔法とやらの成果らしい過去の自分とは一体、なんだというんだろう。どうしてこんな現象が、願いを叶えるのとは別に発生している?
ソラは、その先を語らなかった。代わりに、木浦木の目をじっと見据えてこう言った。
「いちばんのきもち、ねがうことをやめたら、おそらにはとどかないの」
「一番……私の、気持ち」
木浦木に向けられた意味ありげな言葉。木浦木はそれを反芻する。それを見ているオレは一人おいてけぼりだったし、初対面では考えられない踏み込みを見せるソラの超常感に気圧されっぱなしだった。
おもむろに、ソラは駆けていく。転落防止の柵の手前、空と町を存分に見渡せるポイントで足を止めて、数秒。後ろ姿を眺めるオレの目に、ソラの光沢ある水色の髪がおぼろげな光を放つような、夜空に溶け込んでいくような、幻想的なふうに映った。長い髪を振り回し振り返ったその顔は、やはり無愛想だったけれど。
「――そらとのやくそく、みのるはまもってくれたの」
「――っ!」
目に見えて動揺する木浦木をよそに、ソラはふわりと飛び上がって。
「また、きてほしいの」
言葉を残して、その場から忽然と消えた。
「また消えやがった……」
柵から身を投げ出したのでなければ、文字通りソラは消失したことになる。今日まで当たり前の現実を歩んできたオレには、やはりこういう非現実の実演が一番効くのだった。
ショックを受けるオレだが、それ以上に呆然としたままの木浦木のことが今は気になった。
「木浦木?」
「わ、私」
それだけ言って言葉に詰まっている。ソラと交わした色んなやりとりが頭の中を駆け巡るのだろう。オレは急かすことはしないで、青ざめた木浦木の二の句を待った。
「そらちゃんに名前、教えてないのに……」
待った挙句、引き出された台詞がそれだった。
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