タナバタノソラ - 03

        ☆★☆




 手動の開き戸を押し開けると、気の抜けたメロディが狭い店内に来客を報せる。寂れた町の寂れたコンビニ。それでもオレにとっては嫌というほどに聞き飽きたメロディだった。

 自分の晩飯は済ませているのにわざわざ出向いたのは、腹を空かせた実っこに飯を恵んでやらなきゃならないからだ。突如現れた生意気なガキでも、それが自分自身だと思うとそう邪険にはできないものだ。癪には障るが。

 実っこは扉を開けたオレの脇をひょいとすり抜けて、真っ先に雑誌コーナーへと駆けていった。

 ちょうどいい、その隙にオレは頂くものをさっさと頂くとしよう。

 レジ奥に立っている人物を確認したオレは、あえて無視するように目の前を素通りして、バックヤードを目指す。だが案の定、背中から声がかかった。


「っ、ちょっと七部、会釈くらいしなよ!」


 怒ったような声だ。無理もないのは分かっているが、それでもオレの神経は身勝手に刺激された。自然、こっちの口調にも冷たいものが混じる。


「今更お前相手にいいだろ、別に」

「私だからいいとかじゃなくって、職場で最低限のことくらいやってよ」


 そう言って木浦木佳姫きうらぎよしひめは顔をむっとさせた。

 木浦木の言うように、このコンビニはオレのバイト先だ。オレも木浦木も日中は高校生活があるから、夕方から夜にかけてのこの時間帯はよくシフトを入れてもらっている。そしてオレたちはここから少し離れた町で、幼い頃から幼馴染をやってきた。小学校も、中学校も一緒で、ようやく遠くの町の高校へ通うことになったと思えば高校すら同じで、極めつけにはバイト先まで被るとは。腐れ縁もいいところだ。さっさと腐れ切って千切れてしまえばいい。

 と言うのも、顔を合わせると決まって小言をぶつけられるので、うんざりしているのだ。オレのことがよほど気に食わないのだろう、それならそれで関わってくれるなと思うのに、なにかと理由を見つけては絡んでくる。

 いちいちなんだってんだ。オレがなにしようが、勝手だろうが。


「今、オレ客なんだが」

「でしたらバックヤードに立ち入らないでください」


 揚げ足だ。カチンときた。けれどここでムキになって目的を見失うのはごめんだ。適当に流して、目当ての廃棄弁当を持って帰らなければ。


「ああもう分かったって。今日の廃棄貰いに来ただけだよ、そしたらさっさと消えりゃいいんだろ」

「……ない」

「なにが」

「今日分の廃棄、無いから」

「はあ!?」


 なにを言い出すかと思えば。

 無いはずがない。ここでバイトやってるんだから知っている。客もまばらなこのコンビニで、毎日どれだけの廃棄が出ているのかを。今日はたまたま一つも無いなんてこと、あるはずがないのだ。

 木浦木は嘘をついている。抑えていたが、そろそろ我慢も限界だ。


「そんなわけねえだろ! 毎日あれだけ出てるものが、今日に限って無いわけが……お前、オレに嫌がらせのつもりで」

「うるさい!」


 予想だにしなかった大声の反撃に、オレの言葉はあっさりと中断される。感情をあらわにする木浦木は、バイト中であることも頭から抜けてしまっているようだった。


「無いったら無い! だいたいなんで七部にそんな偉そうな態度取られなきゃなんないの。こっちは働いてるのに。いつもいつも意地悪ばっかりで。少しくらい気を遣ってよ!」


 言い終えてきつく結んだ唇の脇を、溢れた感情が一筋流れていって。

 その言葉、睨みつけて離さない潤んだ瞳、身を乗り出した姿勢、木浦木の全身から放たれた抗議を、ちっぽけなオレの体は耐え切ることができなかった。


「……なんだよ」


 狼狽したオレの言葉は震えている。わっとこみ上げたぐちゃぐちゃの感情が、口から飛び出そうとするのを止められない。

 これ以上はまずい。オレはなにを言おうとしてる。違う。こんなこと言いたいわけじゃない。口を開いちゃダメだ。そうは思うのに。


「泣けば勝ったつもりかよ。なに一人で盛り上がってんだよ。だいたいそれオレの台詞だろうが。自分ばっか悲劇ぶりやがって。そういうのイライラするんだよ」


 やめろ、やめてくれ。こんなことどころか、普段だって、本当は……だから止まれ。止まれって言ってるのに!


「いつもいつもいつも口ばかり挟んできやがって。オレになんの恨みがあるんだよ。全部オレのせいかよ。そうかよそんなに目障りならもう目の前うろちょろしねえから」


 お願いだ実、この先だけは――。


「お前と幼馴染なんて――」

「おい。みっともないことすんなよ、にーちゃん」


 自分の声で我に返った。いや、オレだけでは返れなかったんだ。オレは生意気にもオレを蹴飛ばした、小さなオレの姿を呆然と見つめた。


「……え?」


 かすれた声を上げたのはオレではない。レジの向こう、木浦木の頬を伝う雫の跡は、気が付けば二筋に増えていた。


「みのる、くん?」


 とても懐かしい響きだった。今の今まで怒鳴り散らした相手だというのに、その呼び声は妙なくすぐったさと懐かしさを乗せてオレの耳に届いた。

 そうか、木浦木は知っているのだ。だってオレの幼馴染で、ずっと一緒にいたのだから。

 ずっと一緒で、お互い傍で成長していって、だけど今、木浦木はオレを見てはいない。その呼び声はオレに向けられているわけじゃない。

 木浦木の泣き顔を一方的に見つめて、心が痛んだ。この痛みを、実っこは知っていたんだっけ?

 特に木浦木のことなど意識せずに連れてきた小さいオレは、我関せずといったのんきな声で眉をひそめた。


「ねーちゃん誰?」






 大声を聞きつけ飛んできたオーナーに平謝りをして、木浦木は落ち着くまでバックヤードで待機ということになった。

 オーナーは気の弱い人柄ながら、店内で揉め事を起こした本件に関しては何度「ほんと頼むよ~」と言われたかわからない。ヘタな上司なら余裕で首が飛んでいた事案なだけあって、処分を受けなかったことは金欠の身としては安堵するほかなかった。

 そんなことがあって今は、この狭っくるしい室内でオレまで巻き添えのスタンバイを食らっている。オレと木浦木だけの問題だったなら早々に立ち去っていたのかもしれないが……。

 興味の無いふりをしてチラチラと木浦木を盗み見る実っこ。テーブルを挟んで向かい側、似たような挙動で実っこを見返す木浦木。たまに互いの目が合ってしまい慌てて顔を逸らす様を、傍からぼけっと眺めるだけのオレ。現状がこれだ。どうしたものか。

 木浦木と同じ空間にいることの決まりの悪さといったらない。けれど、当の木浦木の意識は完全に実っこに持っていかれている。なんだか都合のいいような、オレだけ取り残されたようななんともいえない気分だった。


「で、ねーちゃんはどうしてボクが分かるの」


 痺れを切らしたのか、ようやく実っこは先の疑問を繰り返し投げた。未来の世界で自分のことを知っている相手だ、気になるのも無理はないだろう。


「あ。そ、そっか。えっと、実くんじゃ今の私のこと分からないよね。ごめんね」


 木浦木のやつ、やけに腰が低いな気持ち悪い。子供相手にどもり過ぎだ。オレ相手ならまず見せることのない態度をしている。

 この二人だけで勝手に話が進むのも癪な気がしてきて、オレも口を挟んでみる。


「それはな、お前の知ってるやつだからだ」


 そのくせなんとなく、素直に打ち明けるのは恥ずかしかった。そんなの、木浦木をオレから紹介するみたいな、そんなマネできるものか。

 ぶっきらぼうで不親切な助言だったが、実っこは理解したようだ。やっぱり?とでも言いたげななんかうざったいチビ顔がこちらに向けられる。


「それじゃボク、もう分かったんだけど」


 ガキにしては察しがいい。わけではなくて、オレの元からの交友関係の狭さや状況から考えたら、見当などすぐに付いて当然だろう。一呼吸置いて、口を尖らせながら実っこは言った。


「よ、佳姫……」


 正解だがいちいち照れるな、こっちまで恥ずかしいだろうが。

 木浦木の下の名前なんて、最後に呼んだのはいつだろうってくらい、口にしていない。ガキの頃は、女の子の名前を呼ぶことに一丁前に照れていたものだった。特に木浦木のことを佳姫だなんて、本人の前では口が裂けても呼べなかった。姫って響きが特にダメだったんだ、あの頃のオレは。

 それを実っこが佳姫呼びしたことに驚いたが、きっと実っこからしてみれば、ここにいる木浦木は本人のようで本人では無いのだろう。ならば言えるときに言っておけ、というわけだ。

 オレが名前を呼んでいないということは、つまり木浦木もそれだけ呼ばれていないということで。当の木浦木を見ると、あろうことか頬を赤く染めながら、それを悟られまいとするように深く頷いて、そのまま顔を上げない。そしてか細い声で返事をした。


「はい……そうです」

「えー! うわー!」


 ほとんど木浦木の返事に被さるようにして実っこが声を張り上げた。うるさい。


「お前は毎度うるせえな! 店内に漏れるだろうが、静かにしろ」

「いやにーちゃんには言われたくねえ」


 ただでさえ騒音に敏感になっているオレに対して、実っこは小生意気にも口答えして返す。こいつはこういう時ばかり頭が回るというか、完全に痛いところを突かれてしまった。ぐうの音も出せないでいると、木浦木が堪え切れないといった風に小さく吹き出した。


「おま、木浦木お前、笑ってんじゃねえ」

「勝手でしょ。絡んでこないでよ、バカ七部」

「くそ、お前も同罪のくせに」


 勝手なもんか。ああちくしょう、やりづらいな。二人がかりでバカにしやがって。

 説得力を欠いた注意で実っこを黙らせられるはずもなく、その後も木浦木を物珍しそうに見ては未来すげーだのオトナだオトナだのと騒いでいた。


「佳姫ねーちゃん、髪短いのな」


 昔と今の容姿を比べて一番分かりやすい変化と言えるだろう、もはやすっかり見慣れてしまった、木浦木のショートヘアを指して実っこは言った。


「長いままの方がよかった?」


 なに聞いてんだ、なにを。


「はあ!? し、知らねーし!」


 実っこは案の定問いかけに答えず、そっぽを向いてしまった。そっか、と呟いた木浦木も悪い気はしていないようだ。

 木浦木の機嫌がいい。気がする。少なくとも普段オレに向けるような険しい表情はほとんど見られない。悔しいが、実っこのおかげだ。

 実っこに見せた木浦木の表情は、どれも久しく見ることのなかったものばかりだ。なんなんだよ、名前を呼ばれたくらいで顔を赤らめて、変にしおらしくなって……その反応はまるで、本当にバカなこと言うみたいだけれど、恋でもしてる風じゃないか。

 なんて、自分で考えて自分で恥ずかしくなる。ありえない。紛らわしい。現状を見ろよ、オレが日々こいつからどういう扱いを受けている。

 ああ、やりづらい。木浦木のやつ、どういうつもりだ、さっきから。

 子供慣れしていないのか、はたまたずっと昔のオレだなんて珍しいものが奇妙な化学反応を引き起こしているのか――というところまで考えて、そもそもの前提がおかしいことに気が付いてオレははっとした。木浦木はなぜ過去のオレなどという不可解な存在を、当たり前のように受け入れている? どう考えても、まずは疑うところから始めるべきだろう。

 極力口など利きたくなかったが、さすがに尋ねずにはいられないだろう。しかしオレよりも早く質問を投げかけたのは実っこの方だった。


「佳姫ねーちゃん、にーちゃんと友達?」

「えっ、うぅーん……ただの同僚、かな」


 またくだらないことを……と呆れていると、


「に、にーちゃんのこと、好き?」


 矢継ぎ早に、よりくだらないことを口走りやがった。


「え……えー!?」

「は、ば!? おまっクソガキ、なにをあり得ないことを言ってんだ」


 実っこの突拍子のない発言をかき消すような勢いでオレが叫ぶ。すると同じように不意を突かれていたはずの木浦木がこちらをじろりと睨んでくるものだから、不覚にも、その迫力にオレはたじろいだ。

 それから木浦木は気難しい顔をして実っこに向き直り、


「ごめんねー……」


 とだけ言って否定の意思を表した。

 ほらみろ。これが木浦木の答えだ。まるで恋でもしてるようだ? いくら女心を知らないとはいえ、つくづくバカな思い違いをしたよなオレも。オレは嫌われてるんだ。当然だ。知ってるよ。だってオレ自身ですらオレを愛せないんだから。

 そこに蹴りが飛んできた。木浦木の返事を受けて、これは実っこが放った一撃だった。それもこれ、本気のやつだ。オレの向こう脛にぶち当たる。


「はっ!? てめ、なにしやがる!」


 いくらガキのぶきっちょな攻撃でも、場所が場所なら普通に痛い。オレは勢いよく椅子から立ち上がって、でもやっぱり座り直して、ちょっとだけ涙目になりながら、理不尽の連続に声を荒げた。それでも声のボリュームは気持ち抑えめにして。

 そのオレの気遣いを知らぬとばかりに、実っこが声を張り上げる。


「ああもうっ、にーちゃんどんだけバカなんだよ! もうさ、いっそウソだろ! こんな超スーパーちんちくりんがボクと同じとか絶対ありえねえ!」

「あああっもう、分かったよ! 声量抑えろってマジでこのバカヤロ」


 こいつは人の傷口を広げるだけじゃ飽き足らず、どれだけオレの心労を増やす気なんだ。

 これだけ散々言われ放題で、一人で気を遣って焦って、一体オレはなにをしているんだろう。


「クソ、ほんと、わけわかんねえよ」


 もう、こんなガキなど置き去りにして帰りたい。

 蹴られた脚をさすって労わりながら、オレはこれまでの流れを強引に断ち切った。


「もう聞きたいことだけ聞かせて帰らせろ。木浦木」


 オレへの威嚇を止めない実っこの頭を怒り半分に引っつかみながら、木浦木に問う。


「お前どうしてこいつが七部実だってすんなり思えるんだよ。おかしいだろ。普通もっとリアクションあるよな? 驚くとか、疑うとか」


 気でも違ったのでなければ、木浦木は常識的な判断を下せるやつだ。こいつにしては不可解な反応も、きっと理由があってのことなのだ。その理由が検討もつかないが。

 木浦木はひとしきり悩む素振りを見せてから、


「それなんだけど……七部さ、このあと時間ある?」


 そうオレに尋ねるだけだった。

 時間ってこいつ、このあとファミレスにでも行ってどっぷり腰を据えて話すつもりか? もったいぶらないで、今話せばいいことだろう。思わずそんなことを考える。

 オレがそうして拵えた返事を聞きもしないうちに、木浦木は言葉を続ける。


「校舎裏にある町を見渡せる丘、知ってるでしょ。私もうすぐでバイト上がりだから、このあと丘のてっぺんで待ち合わせ」


 一方的に告げられ、この話はおしまい、とでもいうように木浦木は立ち上がった。オレはそれを引き止めるでもなくただ沈黙した。

 彼女に指定された場所には大いに覚えがあった。あの日、願いの短冊を吊るした丘だ。



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