第15話 六月最後の週末(7)
刑部駅の駅前にあるケーキ屋『Forget me not』は、喫茶店のスペースも兼ね備えている。
「……ほら、ひかり。ここに来たかったんだろ?」
それを聞いたひかりは、目を輝かせてこちらを見ていた。
「うっそ。どうして知っているの、そんなこと……。私、誰にも話していないわよ!? のぞみ、まさかあんたが……」
「わ、私も話していませんっ! ……でも、どうして、お姉ちゃんの好みを?」
「知り合いにはぽろっと話しているんじゃないのか? 僕はそいつから聞いた。……ま、誰から聞いたかはこの際聞かないでくれ。犯人捜しになっちまうだろ?」
流石に『神様から聞いた』なんて言ったら、変人扱いされてしまうだろう。だから、言わないでおいた。
というか、言う訳がなかった。
中に入ると、店員の男性が笑顔で出迎えてくれる
調べたところによると、このお店、『Forget me not』は、一人で経営しているらしい。ともなると休み時間がとれない。だから、休憩時間も加味してこのお店は『午後三時』で閉店してしまう。ともなれば、帰り道にちょっと寄っていこう、なんてことが出来ないのだ。
「いらっしゃいませ。ごゆっくりご覧ください」
「うわあ」
たくさんのケーキが、僕達の目の前に飛び込んできた。
正確には、ケーキが並べられているガラスケースを眺めている、という訳になるのだけれど。
「……ねえねえっ! どんなものでも食べて良いの!? 良いの!? 私、食べられちゃうよ。何でも!!」
「……うーん、出来れば三つぐらいで抑えてくれると大変助かるんだけれどな……」
僕の言葉に、けち、とだけ言ってひかりは再びガラスケースを眺め始めた。
けち、と呼ばれる筋合いはないだろ、けちって。
「あ、あの。私も食べて良いのでしょうか……?」
「いいよ。のぞみも! こういう機会なんだから、好きなもん注文しちゃいなよ」
僕が言うより先にひかりが言ってきた。
あんたら、出かける前に喧嘩していたよな……?
それ、すっかり忘れ去られている訳だが?
僕はそんなことを思っていたが、しかし、言葉を発することはしなかった。言うことはしなかった。言ったところで、何か発展するとは思えなかったし、寧ろ悪い方向に進む気がしたからだ。
だから、だから、だから――。
僕は言わなかった。
そのままで居た。
「ねえねえっ。何選んでも良いのよね? ホールケーキ一個とか良いの?」
「……お姉ちゃん、流石にお腹と相談した方が良いと思うのだけれど?」
「それは僕もそう思う。別腹と言っても限界があるんじゃないのかな?」
「俺も同意するよ。それについては。太っちゃうと、悪いもんねえ……」
三人が三人の意見を述べると、ひかりは頬を膨らまし、
「良いよっ! 三人がそう言うならっ! 私、決めたっ。モンブランと、ショートケーキと、チョコレートケーキっ!」
「あっ、私は林檎のコンポートケーキと、チョコレートケーキ、それと……モンブランで」
「かしこまりました。お召し上がりですか?」
「はい! はい! ここで食べていきますっ! 良いよね? 隼人?」
「ああ、良いとも。そのために『午後二時までに』あの場所にやって来るように指示したんだから」
「……そうか。ここが午後三時で閉店するから、それに合わせた訳だね?」
「そういうこと。……さあ、佳久。お前も選べよ。ただし、お前は自費だ」
「ええっ、お慈悲を」
「何でお前の分まで買わないといけないんだよ」
「そんなあ……。じゃあ、モンブラン一つ」
「僕もモンフランで」
「飲み物はどうなさいますか?」
ケーキを取り出しながら、店員の男性が僕達に告げる。
「飲み物?」
「ええ。ここで食べて行かれる方にはプラス百円で飲み物を提供しています。コーヒーか、ココアか、オレンジジュースか、アップルジュースか。数は少ないし、時間はかかりますけれど、どれも自家製で美味しいですよ」
「じゃあ、私、オレンジジュースっ!」
いの一番に言ったのはひかりだった。こういうときは早いんだからなあ、まったく。
「わ、私はアップルジュースで……」
続いて言ったのはのぞみだった。
「僕はココアにしようかな。佳久は?」
「俺はコーヒーにするよ。あ、ミルクとガムシロップも付けてください」
「かしこまりました。……それじゃ、お席にお持ちしますので、座ってお待ちください」
そう言われて、僕達は席へと移動する。
大量の荷物(その大半を占めるのが、『おっきー』だが)を置くために、六人がけの席に腰掛けた。
「ねえねえっ、まさかほんとうにここのケーキを食べられるなんて思ってもいなかったよ。……ここ、美味しいって評判なのよねえ」
「何処で評判なんだ? 僕も聞くまではこのお店のことは知らなかったんだけれど」
「そりゃ、陸上部のみんなに決まっているじゃない。特に先輩がここのケーキは最高だって、勧めてくれたんだよ。一度は食べてみると良い、って。けれど、ここまで来るのに時間がかかるし、午後三時で閉店だから放課後には行けないでしょう? だからいつ行こうか、考えあぐねていたというか……」
「そうなんだ……。じゃ、行けて良かったじゃないか。それに奢りだし」
「うん! ありがとう、隼人」
「私もご相伴に
「良いんだよ、のぞみ。あんたは少し気にしすぎなんだよ。少しはこいつにお金を支払って貰うようにお願いしなくちゃ!」
「……僕がお前達に何をしたって言うんだ? おう?」
「お待たせしました。ケーキになります」
店員の男性が持ってきた大量のケーキ。それにジュースの数々がテーブルに並べられる。僕と佳久の前には小さい皿にモンブランが置かれており、ひかりとのぞみの前には大きな皿にそれぞれ二人が注文したケーキが置かれている。
そしてオレンジジュース、アップルジュース、ココアにコーヒーの順番でテーブルに置かれていく。
「それじゃ、良いティータイムを」
そう言って、店員の男性は再びカウンターへ戻っていった。
「わあ……。こんなに並ぶとどれから食べれば良いのか、困っちゃうわね!」
ひかりがそう言ってフォークを持ったまま、悩んでいる。
それ、何と言うんだっけ、悩み箸? 移り箸? いや、フォークだから関係ないのか。どちらにせよ、マナーが悪いような気がしてならないけれど。
「まあまあ、お姉ちゃん。先ずは自分の好きなもの、食べたいものから食べていけばいいんじゃない?」
そう言って、のぞみは林檎のコンポートケーキを、フォークで一口大に切ってそれを口に運んだ。
「美味しい……。林檎の甘みが口の中に広がって。高級感があります」
「えーい! のぞみの言った通りね! 先ずはモンブランから突撃だーっ!」
そう言って、ひかりはモンフランを真っ二つに切り拓いた。
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