3章3節


「本当にあんなことして大丈夫なのか? 人間は布じゃないんだぞ」

「道具も薬も満足に揃えられなかったから、相当の荒療治だったけどね。その結論は、十日ほどしたら君たち自身で出せばいいさ。患者に何もなくて、傷が塞がればそれでいいんだろう? 患者が回復して、健康を取り戻せば、それでいいことだ」

 治療――手術が終わって、休息を取りながら、二人は何とはなしに向かい合う。

 そのあからさまな皮肉に、カティスは顔をしかめた。

「みんな僕のこと、胡散臭く思ってるんだろう? 君も含めて」

「……見たことも聞いたこともないことをされれば、そりゃあ」

「僕が学んできた医学は、君たちの常識よりも遥かに進んでいる。僕はそういう国から来たんだ」

 二百年の未来という、遥か遠い国から――。

 苦笑するカイルワーンに、カティスはぽつり、とこぼすように言った。

「医者だったんだな。驚いた」

「資格はないけど」

「資格?」

 言ってから、カイルワーンはしまったと思った。医師資格が国家試験による免許制になったのは、三代王の時代だった。

 それまでの医者は、医術を学んだ者なら誰でも名乗れるものであったのだっけ、と。

「卵だってこと。親父には到底かないっこない」

 王立学院に通ったわけでもない、まだ十九のカイルワーンがなぜ医学を修めているのか。それは一重に、リメンブランス博士の教育によるものだった。

 塔で行われたアイラシェールとカイルワーンの学問は、間違いなく当時の教育水準を遥かに凌駕していた。二人の情熱と頭脳、博士という優れた教師、そして有り余る時間がそれを可能にした。

 だが、二人が全く同等の教育を受けていたわけではなかった。カイルワーンしか、アイラシェールしか習わなかったこともある。その一つが、医学だった。

『アイラシェール王女は、たとえ病にかかられても、医者に診せることができない。今は私がいるからいい。だが、私に何かあれば、王女を診察できる者がいなくなる』

 リメンブランス博士はかつて、カイルワーンにそう言った。

『もしお前が、生涯を王女と共にしたいと願うのなら、身につけておいた方がよいことは山のようにある』

 かくして博士は違法行為であったが、カイルワーンに教えうる限りの医学・医療技術を教え、カイルワーンは時間をかけて確実にそれを吸収した。

 そして十九歳の段階で、カイルワーンは試験を受ければ合格できるだけの知識と技術を習得していたのだ。無論、表沙汰にできることではなかったが。

「親父さんは、学者だって言ってなかったか?」

「学者だ。ただ、並の学者じゃなかった。あの人は学問においてできないことはなかった」

 万能の人――1000年代に賢者を指していた言葉は、1200年代にはリメンブランス博士を指した。そのことを、カイルワーンは今となっては心の底から皮肉に思う。

 その二人が、実の親子で、師弟だったなんて。

「医学、薬学、生理学、数学、生物学、化学、物理学、天文学、地質学、工学――文学・詩学もちょっとかじったって言ってたな。語学・社会学を回って、最後に辿り着いたのが歴史学。できなかったのは、音楽と家政学くらいなもんだ」

「……おっそろしいな」

「学者としては、尊敬に値する人だよ」

 カイルワーンの物言いの翳を、カティスは看破する。

「学者としては?」

「……鋭いな」

 カイルワーンは、小さなため息をこぼした。

「親としては……どうかな」

 ぽつり、と苦笑とともに呟かれた言葉に、カティスはまた考え込む素振りをみせた。

「あ、ありがとうございます。おかげで主人も落ち着いたようで」

 その時、奥の寝室から出てきた女性――シーガル家の夫人は、少しためらいがちにカイルワーンにそう言って頭を下げた。

「とても信じられないことをされたって、あれでいいのかって気は、確かにします。でも現に、あのままだったら間違いなく死んでいた主人が今生きていますし……このまま助かって、ちゃんと元通りになるんでしょう?」

「もしかしたら傷が疼いたり、後遺症が出て以前通りには動けないかもしれない。……ひどい傷だったからね。でも、もう命の危険はないよ。安心してくれていい」

「ああ、本当にありがとうございます」

 はらはらと女性は涙を流した。その突然のことに狼狽するカイルワーンに、女性は膝にとりついて何度も何度も礼を言う。

「あなたが来てくださらなかったら、今頃どうなっていたんでしょう。そこら辺の医者じゃ治せないほどひどい傷だったのに……ありがとうございます、本当にありがとうございます」

 カイルワーンは、この女性の反応に心底動揺した。目を白黒させるカイルワーンを見て、カティスは笑う。その笑いはどこか、安堵を含んでいた。

「おかみは運がいい。カイルワーンは昨日、レーゲンスベルグに着いたばっかりなんだ。一日ずれてたら、旦那の命はなかったな」

 カティスの言葉に女性は納得したように頷くと、カイルワーンを放して言った。

「そうだと思いました。さぞ、名の知れたお医者様なんでしょう? こんな方が私たちの街にいてくださるなんて、とても心強いことです」

「はあ……」

 完全に面食らって、何も言えないカイルワーンの代わりに、カティスが口を開いた。

「カイルワーンは、人探しのためにここに来たんだ。よければおかみさんも手伝ってやってくれないか? この店は、結構人の出入り激しいだろう?」

「旦那の命の恩人のためですもの。勿論ですよ!」

 事の成り行きに唖然としているカイルワーンに、カティスは目配せをしてみせた。

 こうして二人がシーガル家の野菜屋を辞した頃には、日が暮れようとしていた。

「……いきなりあんなに感謝されるとは思わなかった」

 まだ呆然として呟くカイルワーンに、カティスは笑いながら答えた。

「方法がどれだけ信じられなくても、現実は現実。助かるはずのない旦那が助かったんだと実感できれば、当然の反応だな」

「そうか……」

 ようやく、ようやくカイルワーンはあることが腑に落ちた。カイルワーンが賢者に感じていた、ある疑問が。

 賢者は歴史の表舞台に現れた時、すでにその尊称で呼ばれ、多くの人の尊敬と信頼を集める存在だった。当時その名声と求心力は、むしろカティスを上回っていたという。

 だが、どうして賢者は、そこまで人の崇拝を集める存在たりえたのか。

 歴史に現れる以前の賢者には、軍師・宰相・歴史家という肩書はつかない。医者で発明家である、それだけで『賢者』と讃えられ崇拝されるだけの存在になれるだろうか。そうずっと思っていた。

 だが、その理由が、今はっきり判った。

 賢者は――自分は、医者として、発明家として、突出しすぎていたのだ。

 ちょっと腕のいい医者、という段階ではない。手の施しようのない患者をやすやすと癒す、誰も思いつかないようなものをたやすく発明する、そういう行動は、他人の目にどう映るのか。

 奇行か、さもなくば。

「奇跡、なんだ……」

 隣にいるカティスにも聞こえないくらい小さな声で、カイルワーンは呟く。

 二百年もの時を飛び越えて、自分が持ってきてしまった知識は、技術は、この時代においては奇跡以外の何物でもない。

 だからかくも、賢者は崇拝されることになったのだ――。

 愕然とした。そして、自分が、空恐ろしかった。

 これから僕は、どうなっていくんだろう――。

「カティス、シーガルのおやじは助かったのか?」

「ひでえ傷だったんだろう? そこの若いのが医者だったって聞いたけど、本当なのか?」

 一歩、二歩歩くだけで、四方八方から声がかけられる。こんなにも早く、噂は広がっていく。そしてこのカティスの返答が、シーガル家の夫人が吹聴するであろう噂が、瞬く間にレーゲンスベルグじゅうに広まるだろう。

 悪いことじゃない。尊敬されるのは、奇異の目で見られることより、阻害されるより、ずっといい。

 だけど、それでも恐ろしくて仕方なかった。

 一週間もたてば、一体僕はどうなっていることだろう――。

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