第8式 人喰らう超弦の獣

 飛び散る鮮血に青ざめる。自分の仲間が今どうなった? 何があった? そう己に自問すれど、受け入れ難い現実の前では何も返ってこない事を理解するのに、どれほど時間が経過したのかを少年は理解できなかった。そして、同時に湧き上がるのは怨嗟の声。家族を、兄弟を、そして今仲間を何の呵責も無く無残にも殺した目の前の狼に似た歪な獣、野生とは到底思えない知性ある眼孔内の瞳に、沸き上がる怒りは手に持った十字剣の柄を軋ませる。

「――――ぁ……に、げて」

 咀嚼されている正にその時にも、先程まで隣で笑い合っていた友人は使徒である少年の逃走を促していた。ぐちゅりと肉は潰れ、時折肋骨や腰骨が砕かれる音が響く。その度に、死を待つのみの咀嚼されている少年は苦悶の声を発し表情を歪める。

「――――す」

 周囲の様子を見る余裕は少年には無かった。街の警備のために居た五人の内、既に三人は物言わぬ躯となって転がっていた。頭部を半分喰われた者、右腕と脇腹を食い千切られた者、上半身を無くした下半身のみの者。凄惨な光景にしかし慟哭するのは一人。

「――――殺すッッ!!」

 叫び、十字剣を握り締め走り出す。雄叫びとも唸り声ともつかない喉からの音、まるで飢えた獣の様な姿の少年が、法儀礼済み銀で作られた剣を振りかざす。

「死ねェエエエエエエエエエッッッッ!!!」

 絶叫、そして振り下ろした刃。怒りに任せた大振りな攻撃は、しかし獣の首の表皮と毛を裂く事なく、ただ無情な現実、つまりは仇すらも討つ事が出来ない事実を目の前に突きつけていた。

「ッ……!!」

 歯ぎしりしかできない事に少年が悔しさの涙を浮かべる。が、そんなことなぞ知った事かと言わんばかりに獣は発達した後肢を弛ませ、少年の腹を鋭く蹴り上げる。

「カ……ッ!」

 圧迫される肺から酸素は圧し出され、少年の体は数十メートル離れた岩に叩きつけられる。背に衝撃、背骨が軋む音と共に明滅する視界を、気力だけで開く。

(目を……閉じるなッ!! まだ――――)

「無事ですか?」

 激痛に支配される体に、随分似つかわしくない可憐な声が少年に降ってきた。その声のする方へと顔だけを辛うじて向ける。

「あ……なた、は?」

「十三機関所属、天譴の位を持つリーゼロッテと申します。到着が遅れてしまい申し訳ありません。後はお任せください」

「天譴……聖人、です……か?」

「はい。その怪我の程度ならば祝福の力で痛みの緩和と治癒の促進を。すぐに治療に秀でた方がここに来ます」

「リーゼ」

「はい」

 巡行征伐者の聖人がこのレストニア支部に来ているのは聞いていた少年は、彼女がそうなのであろうと鈍った頭で考え至る。それならば、きっとあの魔獣を倒してくれると安心した途端意識が落ちかけ、慌てて祝福を発動させる。

 ――――祝福。聖人達が持つ神力ではない、希う事で無力な人間に慈悲を与えた神の加護。ごく限られた力、身体能力や機能の向上を可能にする程度のその力は、しかし魔獣や盗賊等を相手にする天使や天吏の階級の使徒には生命線となるもの。折れた背骨と切れた血管からの出血による痛みを緩和させ、流れ出る血液を押さえる。

(……誰だ、あの男)

 少年の視線の先に居るのは、聖人の少女――――ではなく、白っぽい銀髪を持つ長身の青年。固定具の見当たらない青年の身の丈を越えようかと言うほどの鉄塊が、背に負われ異質な雰囲気を醸し出している。

 が――――。

(ダメ…………だ、意識が――――)

 うつら、と緊張の緩和から瞼が再び落ちそうになる。意識こそ落とす事はないが、瞼は重しでも付けられたかのように逆らえない。そうして段々と、少年は意識も曖昧にしていった。





「よかった、眠りましたね」

「正確には目を閉じただけだろう、骨のダメージもリゼが来れば問題ない」

「錬金術と言うのは便利なのですね、無くなった腕とか生やせたりします?」

「ゼロから作れる訳ないだろう、そもそも完全な人体複製は錬金術には不可能な領域だ」

「残念、では目の前の獣を相手にしましょうか」

「あぁ」

 キン、と甲高い音が響き、リーゼの胸元の十字架が身の丈大のサイズに変化する。質量も重量も申し分ないそれを、リーゼはまるで中が空洞なのではと錯覚するような軽やかな手つきで弄ぶ。くるり、くるりと、白の十字架が舞う。

「一、二、三、四……四人も食い散らかしてくれましたか、度し難いですね。獣はやはり獣ですか、死なない分厄介ですが」

「…………」

「どうかしましたか?」

 静かな怒気を孕んだ声色で獣を見るリーゼは、隣に立つカイネが訝しげな表情で獣の動きを牽制しているのを不思議に思い声をかけた。

「……コイツ」

「どうしました?」

「賢者の石の反応が薄い、コイツは賢者の石の気配が希薄だ。恐らく大本は違う場所に居る」

「……では、どうします? むざむざ我々の同胞を食い散らかし弔いの意すらない野蛮な獣を見逃しますか?」

「見逃す? 冗談はやめろ」

 カイネは鼻で小さく笑い、そして背にまるで磁石で接着している様に張り付いていた巨大な鉄塊を手に持つ。覆う布で見え隠れしていた内容が陽の下に出れば、光沢は鈍く刃も無い、ただ柄のような細い持ち手があるだけの鉄が構えられた。

「油断も遠慮も無い、徹底的に殺す。躾のなっていない犬は肉片になるまで叩いて教えるだけだ。丁度お前は打撃、俺も斬打両方可能。おあつらえ向きだ」

「とても気が合いますね、私もそう考えていました」

 閃光が奔り、鉄塊が鋭利な刃を持つ巨大な両刃大剣へと変化する。それと同時に、警戒心から動きを止めこちらを窺っていた不死生体の獣は、低い唸り声を上げながらリーゼへと飛び掛かった。

「あら、弱そうな婦女子を狙う様な下賤な知恵はあるのでしょうか。何処までも救い難い獣ですね」

 十字架が振るわれる。白色のそれは余人には視認すらできない速度で横に薙がれ、飛び掛かる獣の開けた、歪な揃いの牙が見える口の下顎を吹き飛ばす。

「ギャウッ!!」

 ごぱ、と歯が飛び散り血液が辺りを汚す。リーゼの着る赤い外套に染み込む様に消えていくそれを気にする様子も無く、獣の上へと跳んだリーゼは、くるりと握り直した十字架の上部を真上から獣の首に突き刺し、大地に縫い留めた。

「噛み癖はいけませんよ? 覚えるまでそこで大人しくしていてくださいな」

 軽やかに逆さまの体勢から着地する少女の姿に、カイネは地面に刺した剣の鍔に体を預けジッと見つめていた。どうしたのだろうか、とリーゼは首を傾げる。

「カイネさん?」

「……いや、今の攻撃姿勢、普通ならば肉体への負荷が大きく痛みで動きが鈍ると思ったんだが。ようやく推論の結果と合点がいった」

「つまり?」

「お前の神力の代償、それは触覚――――じゃあないな。それならばそもそも戦闘行為が不可能に近い」

「はい、違います」

「ならば痛覚だ。お前は痛覚の恒久的な消失の代償にその常人を遥かに逸する身体強化を用いて戦っている。どうだ?」

「ご名答、です。まさか当てられるとはあまり考えていませんでした」

 そう言いながら獣の胴体をその足で踏み抑え、身動きの取れない状態にするリーゼ。その表情が若干の驚きと、不覚にも門外漢な人間にバレてしまった至らなさへの自嘲に染まるのをカイネは見た。

 だが、それでも続ける。

「お前との教会前での交戦時、脇腹から深く刺さった戟の刃による痛みを感じる表情をお前はしなかった。咄嗟に痛みを感じるよりも早く治癒と鎮痛ができるのかと思ったが、リゼを通して聞いた神力の能力的に違うと判断し、さっきの攻撃で結論へ至った。戦って初めて気が付くものだ、バレた事を恥じる事は無い」

「そう言われるのが一番恥ずかしいんですが」

「諦めろ、俺は別にその無茶を止めるつもりも諫めるつもりもない。それがお前の力なら、な」

「はぁ……まぁ良いですが。それで、この獣はどう――――」

 リーゼの言葉が止まる。カイネの表情が強張る。

 獣は確かにリーゼの十字架によって大地に縫い留められ、行動不能になっている。カイネはそれを確認し、いざ獣の体から賢者の石本体かそれに関するものを探そうと手を伸ばしたところだった。だが、その手も止まっている。

 獣の下顎、弾き飛ばされた肉片や歯、それらが不可解に蠢いている。白い歯からはまるで体毛の様な物が、顎の肉片からは足の様な物が生えてきている様に――――。

「リーゼッッ!!」

「ッ!!」

 カイネの声に応えるように、リーゼは刺し込んでいた十字架を引き抜き、瞬時に獣の胴を裂かんと振り下ろした。

 が、それは地面をえぐり取るだけに終わった。

「ッ……自己再生能力、それにあれは」

「増殖、だろう。厄介な事に、奴の一部が分離すればするだけ増えると見た」

「不味いですね、これでは継戦すればするだけこちらが不利です」

「大本がわからない以上、どうしようもない。今は増殖を抑止しつつ倒す算段を考える事に集中する」

 カイネは飛びずさり、立てていた剣を手に取る。そのまま状態を低く、そして剣の切っ先を斜め後方へ向け、足に力を籠める。

 バチリ、バチン。

 稲妻が奔る様な、そんな音が足付近から発生し、カイネの肉体、その至る所の皮膚表面に血管が浮かび上がる。

「――――――――ッ」

 一閃。激しい音が鳴り響き、リーゼの視線の先に収めていたカイネの姿は無かった。

 果たしてどこへ。その思考と共に視線をついと横に動かせば、大剣に付着した血液を片腕で薙ぎ払い落すカイネの姿と、下顎が再生しかけていた獣が胴と四肢を分断され地に落ちていた光景があった。

「……お見事」

「油断するな、次が来る」

 その声と共に飛び掛かる、幾分かサイズが小さい状態の獣の増殖体。それをリーゼは片手で叩き落とすと、先程カイネに肉体を絶たれた獣は辛うじて四肢を繋げ治し、二人の居る方とは逆の方向である森へと駆けだした。

「チッ……!」

「追うのは愚策です、恐らくこの増殖体も逃げるための陽動でしょう」

「……そうだな、まずは動きを止める」

 カイネが地に手を添える。閃光が奔り、そして周囲に居た四匹の獣の増殖体の胴体を漆黒の槍が貫いていた。

「これは」

「砂鉄の槍だ。分断が効果無しなのなら文字通り貫き浮かせればいい」

 宙に固定された獣たちが藻掻く。それを一切気にすることなく近付いたカイネは、その胴体に手を突き刺した。

 ぐちゅ、ごり、と音を立てながら探る様に手を動かすカイネ。痛みに小さく唸り上げる獣。そうして何かを掴んだと思しき手は勢いよく抜き出された。

 その手にはリーゼが初めて見る、どんな鉱石や宝石よりも赤く透き通った、小さな小さな石の様な結晶。

「それが、賢者の石ですか?」

「あぁ、とても小さい上に不完全以前に半端な複製品だがな。こうして潰せば死ぬ」

 ぱきん、とガラスが割れるような音と共に、獣の増殖体の一つが塵となって消えていく。さらさらと消える様を見たリーゼは、カイネに倣う様に胴体に手を刺し込み、紅い結晶を取り出した。

「私でも出来ますか?」

「これなら錬金術による破壊術式が無くても可能だ。恐らく本体や大本が持つ賢者の石は現状俺にしか破壊できないが」

「歯痒いですね、何もできないと言うのは。それも努力云々の話ではないのでしょう?」

「窯と錬成回路、そして破壊術式を完全に理解できて初めてできる事だから俺にもどうしようもない。だが、そうだな……旅の間に完全な機能停止とまではいかなくとも、致命傷に近いダメージを与えられる手段を研究するのは大いにアリだな」

「本当ですか?」

「これから共闘する以上、何かしらの手段が無ければ連携も上手くはいかない。どうにかしてみる」

「よかった。このままでは足手まといになりかねませんし」

「足手まといではないが……よし、これが最後だ」

 残った最後の増殖体の体内にあった賢者の石を握り潰す。そうして塵になったのを確認したカイネは、大剣を元の鉄塊状態に戻し背負い直した。

「リゼがあの少年――――十三機関の人間は信徒じゃなく使徒と呼ぶんだったか。あの使徒の少年を治療し始めているだろう。俺達も戻って、エルシアさんに報告をしに行くぞ」

「はい、ですがその前に亡くなった使徒の方々の所へ行きましょう」

「わかった」

 踵を返すリーゼの背をカイネも追う様に歩き出す。辺りに残っていた血液は何時の間にか蒸発したかのように消え、戦いの残滓は一切残ることなく、まるでそこはずっと平穏だったかの様な状態になる。それをカイネは一瞥し、リゼと使徒の少年が居る場所へと向かった。

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