第7式 赤石調査

「急な日数変更を許していただいてありがとうございます、僅かな間でしたが、身元も知れない俺達を受け入れてくれた恩は忘れません」

「本当にありがとうございます。もしご縁があったら、またここに来てもいいですか……?」

「あぁ、こんなボロ宿でよければ……ね」

 フィアルド教会にてリーゼロッテ・エルシアらとのやりとりをした翌日。日が昇って間もない時刻の宿の受付前で、荷物を抱えるカイネとリゼはモノクルの老人と会話を交わしていた。本来であれば三日ほど滞在する予定を急遽一日限りに早めたいという申し出を快く受け入れてくれた老人に、カイネは再度頭を垂れる。

「そう頭を下げないでくれ、久しい旅の者に部屋を貸せたのは楽しかった。昨夜は君らとの語らいもできた、老いるだけの老人には贅沢だったよ」

「俺達こそ、旅を始めて最初に腰を据えて雑談をしたのが貴方でよかった。どうか息災で」

「……そうさな、私よりも、君達の方が――――」

 老人が視線を受付横の壁に移す。それに倣ってカイネ達も視線を動かせば、そこには額に飾られている古ぼけた写真が一枚。その中には、老人の今よりも若い姿と、同じ年頃の女性、そしてその二人の面影を持つ若い男性が写っていた。

「この写真は――――」

「家内と……息子だ」

 気だるげにモノクルを外す老人。その眼差しは錆び付いた寂しさを転び出させたような、虚に沈んだものだった。その視線と声色だけで、老人とその家族に何があったのかを推し量るのは十分すぎる程だった。

 だが、老人がその話題を僅かにでも出したと言う事は、恐らく自身らがその記憶を想起する起因になったと言う事をカイネもリゼも即時に理解した。

「……奥方と、息子さんは――――」

「死んだ」

 予想はそのまま結論となった。

 死。身内の死。伴侶とその間に授かった結晶の死。老いて曲がりかかった背中は軋みながら剥げた木の椅子の表面を覆いこむように凭れる。果たしてその悲しみがどれほどののしかかりを仕掛けているのか、家族の、近しい者の死を真には経験していないリゼにはただその冷たい雰囲気を感じるしかなかった。そして妹を、眼前で自分が何もかも足りないために失ったカイネは、目を伏せたまま口を開く。

「喪失の痛みを埋める手立てはない、それは重々承知しています。でも、少しでも昨日の夜半の貴方の笑顔が、嘘でない事を祈ります」

「家内は病で、息子は私の朧げな稼ぎを支えるために十三機関へと所属して、そこで未確認の魔獣に殺された、そう聞いた。馬鹿な息子だ、そんな身を削ぐような稼ぎ、命に代えてまで欲する親が何処に居ると言う話だ。ご丁寧に戦死した場合の保証金も用意して私に払われる様手配していた。今ここに居たら頭を叩いてやるくらいには大馬鹿者だった」

「…………それは」

「大馬鹿者で――――誇らしい息子だった。丁度君くらいの歳だったからだろうな、どうにも昨日は息子と会話するような気持になれた。娘の様に笑ってくれるお嬢さんも、ありがとう。そして、どうか死に急ぐことはしないでくれ――――これは老人の独り言と思ってくれていい」

「いえ――――肝に銘じます。どうか、貴方のその傷が何時か癒える事を」

「……教会へと行くのだろう? 時間は待ってくれない、急ぐといい。楽しかった」

「……失礼します」

「どうかお元気で」

 そう言って扉へと向かい、まだ影が多い路地の先にある通りを望む。扉が閉まる直前、垣間見えた老人の表情は何処か満足げで、写真を片手に目を伏せていた。

「カイネ」

「俺達の使命は変わらない。真実を知り、そして死の連鎖を止める」

「……うん」

「だが、お前は――――」

「私も錬金術師アルケミストの一人、外の世界を見るのは片手間でもできる。だから大丈夫、一人にはしないから、させないから」

「そうか」

 カイネの上着、その右腕の袖を掴むリゼ。それを意に介する事も無く、カイネは引き連れたままに通りへと歩き出した。朝の澄んだ空気、何処からか漂うパンの香ばしい匂い、それと相反する様な駆ける自動車の排気ガス。雑踏に相応しい雑然とした景色を片目に、二人の歩みは澱むことなく教会へと向き、やがて目を惹く石造りの建物が見えてきた。朝の祈りだろうか、鐘の音が鳴り礼拝堂とやらから黒色の衣服を纏った男女が、祈りを終えたのか次々と出てきた。

「丁度良いタイミングだったかもな」

「みたいだね、リーゼちゃんとエルシアさんは何処かな?」

「……随分仲が良くなったな」

「ほぼ同い年みたいだからね。カイネはもっと愛想良くしてっ! リーゼちゃんちょっと会話しづらそうだったよ」

「俺は気にしていないんだが、どうにもファーストコンタクトの負い目があるみたいで会話が思う様に続かない」

「年上なんだから引っ張っていかないと」

「……ほぼ同い年と言ったのはどの口だ」

 きょろきょろと顔を右へ左へと向けながらそう言う幼馴染の言葉に、カイネは如何ともし難い表情で肩を竦めて答えた。

 カイネ自身、これから行動を共にする時間も戦闘時の共闘も増えるであろうリーゼとは僅かでも親しくなりたいのが本心ではあるのだが、肝心の少女がどうにも後ろめたさからかあまり会話を続けようとしない。初対面のあの雰囲気ではそう言った事はあまり後腐れなく済ますタイプかと思っていたカイネは、しかし年頃の少女らしいその対応にどうにも困り果てていた。いっそ昨夜アクセサリーを渡した小さな少女達の様に無邪気に接してくれればまだいいものをと、内心頭を抱える。

 が、嘆いていても仕方が無いとカイネは一人心の内でごちる。リゼの言う様に、一歳とは言え年上であるならば、そして男であるならば、微妙な距離感を縮める努力の姿勢を率先して見せるのが筋なのかもしれないのだろうと、そうカイネは考え至り、肩を大きく揺らし息を吐いた。それと同時に、リゼが声を上げる。

「あっ、リーゼちゃん! エルシアさん!」

 駆け出すリゼの先に居るのは、先日と同じ出で立ちで人ごみの中流れに沿って歩くリーゼとエルシアの姿。こちらを確認したエルシアは微笑みながら手を振り、リーゼは傍らに居たシスターの少女に何かを話すと、こちらへと近づいてきた。

「おはようございます、リゼさん、カイネさん」

「おはよう、教会はやっぱり朝早いねぇ」

「礼拝は決まった時間に行いますし、街の信徒の方々も時間は無限ではないですからね。ですが丁度終わった頃に来ていただいて助かりました」

「俺達の目的も悠長にはしていられないからな。早急に資料を見た上で街周辺を哨戒しよう」

「はい、心得ております。エルシアもそのような段取りでよいですね?」

「えぇ、一応昼時など一定の時間ごとに教会へ帰還する様にだけお願いいたします。私は教会を長時間離れる事はできませんし、シスターの子達も心配致しますので」

「カイネ、あの三人の女の子に随分好かれたね? 何かしたの?」

「何も」

「どうか不純な事はしないでくださいね? 場合によってはこの十字架で再び殴り倒す事になりますので」

 普段の優しさの残る眼差しではない、吊り目がちのそれをカイネに向けるリーゼ。しかし、それを向けられる青年は全く関心の無いように、視線を目を布で覆う女性の方へ向けながら、呆れた様な表情で答えた。

「何もしていない、いいから資料のある場所へ行くぞ。エルシアさん、お願いします」

「承知しました、ではこちらに」

 視覚の無さを一切感じさせないスムーズな足取りのエルシアが、周囲で待っていたシスターや神父達に指示を出しつつ進むのをカイネは追うように歩き出す。その後ろでは、若干離れて歩くリゼとリーゼの姿。リーゼの表情は先程とは違い失敗を犯してしまったと嘆くように眉が下がり、リゼはその背に優しく触れながら隣を歩く。

「……やってしまいました、昨日の皮肉の様な言葉まで」

「だ、大丈夫だよ。何かしらの情報が欲しくて焦ってる時のカイネはあんな調子なだけで、言ってることには大して何も思ってないよ」

「だと良いのですが……」

 はあ、と溜息を溢すリーゼ。昨日の不手際による負傷沙汰や攻撃的なもの言いのせめてもの埋め合わせをしようと考えていた矢先のこの失言に、さしものリーゼも若干気落ちしていた。

 少女は別に、何時もこうして軋轢を生んでいる訳ではない。そもそもが不器用なせいもあるが、それでもなんだかんだと人とのコミュニケーションは可もなく不可も無く行えている。巡行征伐と言う、常に様々な人間と関わる任に就いているのだからそれはごく自然な事だ。

 しかし、今回ばかりは相手が悪かった。不器用故に運悪く空回る言葉が出てしまったリーゼと、それを深く取り沙汰す事なく気にもしていないカイネ。双方の考えが見事にすれ違い、それが嫌な噛み合い方をしているためにこうなっている。リゼはカイネの性格を知っているからこそ、リーゼに若干の同情をしつつフォローに回る様にしていた。

「さ、考えててもしょうがないよ。私達も資料の置かれた部屋に行こう? 何か手伝えるかもだし」

「私はあまり頭が回らない方なのですが……」

「資料の仕分けとかキーワードの記載がある資料の探しとか、結構やれることは多いよ! ここで上手く会話の糸口が出来れば、今のぎくしゃくした感じも解消できるかも」

「……そう、ですね。これから背を預ける相手、信頼し合えるようにならなければ万全とは言えませんしね」

「うんうん、じゃあ行こっか」

「はい、こっちです」

 離れた二人の背を追うため、駆け足になる二人。長い廊下を駆け、悠々と歩く背に追いつくのに、それほど時間はかかる事は無かった。





 ペラリ、と。紙を捲る音だけが部屋に響いている。柔らかな光のカーテンが射し込み、簡素な木製椅子に座るカイネを包み込んでいる。分厚い革の表紙を持つ、同じく厚みのある本を片手に、肘をつき頬に手を埋めながら文字を追っていく。およそ四時間、カイネは一度も休憩する事も無くひたすらに傍に置かれた本の山を崩していっていた。

「…………」

 そこから少し離れた場所に置かれたソファーの上に座るリーゼは、何度かとっている休憩の合間にカイネの顔を窺うように視線を彷徨わせていた。彼と共に不可解な書籍を読んでいたリゼは、エルシアに話があると言って席を外しており、部屋には今二人のみ。外から恐らく仕事を終えたのであろうシスターの少女達の声が聞こえてきている。

 リーゼは手持無沙汰な様子で長い髪を手で梳く。長い黒髪はゆるゆると指の隙間を通り抜け、それが下に落ちていくのをぼんやりと眺めながら、カイネに対しての会話の糸口を探す。

(……今まで異性との会話の経験がない訳ではないのですが、カイネさんの様な殿方の相手は初めてですね。作業している邪魔をする訳にもいきませんが、今逃すとズルズルと行ってしまいそうなんですよね……はてさて、こうして悩むのは不本意ではありますが)

 ふむ、と目を伏せ首を傾ける。いざ考えて見ても人との関係を良好に転じさせる事の経験がない少女の頭では妙案が出る事は無かった。リーゼにとってそれが出てこない事自体に特に思うものは無いが、しかし現状打破を目指す身ではいい顔はできない。さぁどうしようか、と考えながら閉じていた瞼を開くと――――。

「どうした?」

「…………いえ」

 椅子に座っていたカイネが眼前に迫ってきていた。思考に勤しんだばかりに気配に気づかなかった事に自嘲しつつ、動揺を悟られない様に返事をする。そしてすぐに、これが会話のきっかけだと考え至り、少しの間を開けて口を開いた。

「その、調査の具合はいかがですか?」

「芳しくない、と言うのが現状だ。ここの教会にあるそれらしい文献や報告書はできる限り用意してもらって申し訳ないが、あまりにも情報が少ない。不死生体であろうものも推測の域を出ない。もしかしたら……が関の山だ」

「そうですか……私の方でもお聞きした言葉を探したりもしましたが、手掛かりは無く……」

「付き合ってもらってすまない、感謝している。俺達の勝手に付き合わせてしまっているのに丁寧な調べをしてくれてありがたいと思っている」

「これから共に不死生体を討つべく行動を共にするのですから、これくらいは。私はなにぶん戦いにばかり生きてきた者ですので、せめてものと言う具合です」

「そうか、なら戦闘では存分に背を預けさせてもらおう。恐らく――――とは言えないか。十中八九戦闘経験数で言えばお前の方が上。更に土地勘やこの国のあれこれに無知な俺達に、リーゼの様な慣れた人間が傍に居てくれるのは心強い。なるべく早くこの国に慣れるつもりではあるが、不慣れな点は許して欲しい」

「構いませんよ、私も錬金術とやらには疎いので、それらの対処や頭脳を使う事柄なら頼らせていただきます。お互い様と言うやつです」

 そう言いながらリーゼは、自身が想像していたよりもすんなりと会話できたことに驚く。存外会話については問題が無く、そして相手が気にしていないのを一人気にし続けるのは不毛であることを同時に理解した彼女は、小さく微笑みながら手に持つ閉じられた本をローテーブルの上に置く。

「さて、陽も真上に上がる時刻です。エルシアやリゼさん達にも声をかけて昼食にしませんか?」

「――――そんな時間なのか、本を読むと時間を忘れるのが悪い癖だな……」

「かれこれ四時間、休憩も無く本を読み続ける集中力は流石と言う他ありませんね。私やリゼさんの呼びかけにも反応しない程没頭していたみたいですし」

「……すまん」

「お気になさらず、急を要する今ならば致し方のないことです……が、今後はお気をつけて」

「善処する」

「それ、あまり期待できませんね――――」

 そう言いながら部屋の出口へと歩き出そうと立ち上がった瞬間、扉が勢いよく開かれる。普段教会で耳にしない騒々しい物音に二人が目を見開くと、扉の傍らには肩で息をしながら焦りの色を隠せていない少女エフィーが立っていた。

「どうしました、シスターエフィー。教会内でその行動は褒められたものでは――――」

「でっ――――出ました、ですっ!! レストニアの南西に、不死生体と思われる魔獣が!!」

「ッ!?」

 リーゼの表情が強張る。巡行征伐者であるリーゼロッテの魔獣討伐者としての経歴は決して少なくない。しかし、こうして直に不死生体との交戦をするのは片手で数える程度にしかなく、思考の外にあった想定外の報せに焦りの色が顔に滲み出したのと同時に、カイネがリーゼの眼前に手を翳し意識をそれに逸らす。そうして、落ち着いた、しかし緊張感を孕む声色で青年は小さな少女に問うた。

「落ち着け、正確な場所は? 今は交戦しているのか、その場合の人数は? 深呼吸をしてから答えてくれ、出来るだけ正確に」

「っ……はぁ……! ごめんなさいです……場所は南西およそ500メートルの荒れ地、現在五人の使徒が交戦中、です!」

「ありがとう……リーゼ」

「準備はできています、急ぎましょう」

「あぁ、エフィー、部屋の施錠は任せた。エルシアとリゼにも報告を頼む」

「わかりましたです!」

 エフィーの答えを聞くと、カイネとリーゼは互いに部屋を飛び出す。廊下を駆け抜け、中庭にまで出ると示し合わせるでもなく跳躍し、教会の屋根へと飛び移る。そうして駆け出した背を、シスターの少女達や神父達は教会式合掌と共に見送った。

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