第5式 聖人と錬金術師

 決して豪奢ではない、しかし荘厳さのある装飾と彫刻が視界に映る廊下をカイネ達は歩いていた。時々すれ違うシスター達は丁寧にも見慣れない合掌と共に礼をしてくるのを目の縁に捉えながら、先導する少女、トーイと呼ばれたシスターの後を着いて行くと、奥へ奥へと行った先に赤を基調とした扉が鎮座していた。

「こちらになります」

 シスタートーイが扉を開け、中へ入る様に促してくる。言われるがままにカイネとリゼが足を踏み入れると、簡素な内装と静かにソファーに座るこの教会の長エルシアが待っていた。軽い会釈と共に手で座る様に促され、リーゼはエルシアの隣に、カイネとリゼは前に行き座る。

「それでは私はこれにて失礼いたします、何か御用の際はまたお声がけください。既に人払いと防音の術式は展開されているので、どうぞ気兼ねなくお話しくださいませ」

 失礼しますと言う言葉と共にトーイが部屋を去る。小さく鳴る扉の閉鎖音が重々しい空気の充満した部屋の中に木霊する。カイネは目を伏せ、リゼはおろおろと落ち着かない具合に視線を巡らせる。

 仔細もわからず通された部屋には天井に近い小窓のみの閉塞感だけを募らせる構造、しかし自身らの身分を大っぴらには語る事の出来ないカイネ達にとってこの部屋は、情報の観点から見れば多少気を落ちつけられる場所に感じたのも事実。先程の軽い戦闘で昂っていたカイネの心拍は通常状態にまで戻っていた。

「まずは性急な段取り、申し訳ありませんでした。しかし私達も可及的速やかな解決を求める事案がある故の行動であることをご理解ください」

「俺から聞きたいことがある。視た、とはどういう意味ですか」

 まるで陶磁器の人形のような姿のエルシアに、カイネは若干の警戒心を混ぜた言葉で問いを投げた。それも当然の反応。錬金術師とはこの外界において潰えたとされるもの。それは一切の疑念が挟まる余地も無く、万が一存在が明るみになれば、食せば不老不死になれるとも、錬金術を使えるようになれるとも迷信を流布されていた窯を狙う者に狙われる危険性を高めることになる。

 なにより未だ今の世界を把握しきれていない、たった二人の旅の初めの日に初対面の人間から襲い掛かられ、そしてその相手と同席し自分達を既に知っているような口ぶりの人間と閉鎖された空間に居る。カイネは自分の力量に一定の自信があるとはいえ、警戒心は依然として保ったままになっているのも不思議な話ではない。

 それに対してエルシアは微笑む。それは正しく聖母の様な微笑み、顔の半分が布に覆われていながら、その雰囲気はリゼに安心感を、カイネに意識の隙を作らせるものだった。

「……信を得るにはまず己が懐を晒す、当然のお話ですね。急いて説明が不足したことをお詫びします」

「……いえ、俺も少し語気が荒くなりました」

「それも仕方がありません、この子が粗相をしてしまったばかりに……」

「私は仕事をしたまでですが?」

「何時も言っているでしょう、事を起こす前に情報を知れ、と。それだから貴女は実力に反比例して何時まで経っても十三機関内位階が低いのですよ」

「別に構いませんよ、私前線に居る方が性に合っていますし。いけ好かない老害と共につまらない後方指揮をするくらいなら戦って殉じます」

「高位でも戦闘には出られますが……制約が多いからでしょうか?」

「えぇ」

「……あの、話を進めてもらっていいでしょうか」

 閉塞感と緊張に包まれていた部屋の空気が弛緩していくのに、カイネは若干の申し訳なさそうな顔で釘を刺す。会話が逸れた事に気が付いたエルシアは咳ばらいを一つ、今一度姿勢を直すと二人へ向き直る。

「……失礼いたしました。では、まず私の先程の言葉を含めた説明を」

「お願いします」

「改めまして、私の名はエルシア。偉大なりし神フィアルドに仕える信徒の一介であり、恐れ多くも聖人としてこのレストニアを守っている者です」

「まず疑問。フィアルドとはなんだ、神なのか? 聖人とはなんだ。貴女の『視る』とは、何か特異能力なのか?」

「お一つづつお答えいたします」

 そう言ったエルシアは、ソファーの前にある机上に紙と広げペンを持つと、しなやかな手つきで文字を書いて行く。

「まず偉大なりし神フィアルドを崇め奉るフィアルド教は、唯一神フィアルドを最上の存在とし、我々はその威光の下で世の安寧と泰平を保つために活動しています。我らの信念は平常と討滅。祈りをもって人を照らし、力を以て平穏を成す者です」

「聖人とは神の威光をその身の代償と引き換えに降ろし、魔を払う者。私やシスターエルシアはその聖人です。一般の信徒とは別に、戦いを以て人々を守る信徒にはそれぞれに位階が付与されます。上から天璽てんじ天鐘てんしょう天眼てんげん天譴てんけん・天吏・天使。私は天譴、エルシアは天鐘。それに付随する形で聖人と言う称号は与えられます」

「神……か……」

「次いで私の力、私の力は天端あまつま通し。過去、現在、未来の世界の遍くを見通す天眼となっております。制約こそありますが、これが私が貴方達の来訪を事前に知っていた理由です」

「遠視……時空間を越えた能力、という事か?」

「概ねその認識で障りありません。我々聖人は神力と呼ばれる、代償と引き換えに神の力の一端を降ろし、人ならざる力を行使することができます。私がそうであるように、他の聖人も……リーゼロッテも」

「神力、初めて聞きました。私達が無知なだけかもしれないですけれど……カイネはどう?」

「俺も初耳だ、生憎神と言ったものを信じる質ではないからな」

 リーゼロッテがカイネを睨む。神の信徒として生きる彼女にとって、自身が信ずる神の一切を信じないと言う言葉は己の侮辱と同義。そしてカイネとリゼにとっては、錬金術と言う現実と物理法則に忠実な世界に生きている故に神霊と言うものを信じない。信じない、と言うよりは思考に含まれない。

 眼前の事象こそ信ずるものである彼らと、視えない信仰に殉ずる彼女らでは見ている世界が違うのだ。

「だが、そちらの事情は理解した。神と言う存在に殉じ、異能を扱い魔を討つ。それが理解できていればよいだろうか?」

「異能などと……ッ! この力は神聖なる力でそんな俗な呼び方は――――」

「おやめなさい、リーゼロッテ。はい、その認識の通りです」

「ッ……」

「ではその言葉を真だと受け取る。そして、今一度問うが、この部屋は俺達以外に情報が洩れる危険性は無いと言う認識でいいだろうか?」

「はい、このエルシアの名と命に賭けて」

「…………カイネ」

「仕方が無い。俺達はこの外では完全な孤立状態。多少のリスクはあっても、開示すべき時はあるのは理解していた。お前もだろう」

「……うん」

「何をこそこそと話しているのです? まどろっこしいのは面倒なので何かあるのなら早くお話しください」

「リーゼロッテ」

「いえ、その言葉も尤もだ」

 リーゼの言葉を制しようとするエルシアの言葉を止め、カイネは一つ呼吸を吐く。

 リゼの不安気な様子は当然のものだ。彼女ら二人の正体でもある錬金術師と言う言葉を伝えるのは、先にカイネが懸念していた通り余計な混乱と身の危険性を同時に発生させてしまうことになる。

 しかし、あの村から出る時に村の長である大婆からの言葉をカイネは反芻していた。『秘匿の先にあるのは守護ではなく消失』。自分自身らを陰に隠したまま世界は見えず、この先に待ち受ける未知の脅威からの魔手に蹂躙されるほかなくなる。現時点で後ろ盾がハッキリし、ある程度信用に足れる存在が居るのなら、情報の開示を行い少しでも自分達の目標達成の助けを乞うのが賢明だと、カイネは感じていた。

「遠視をできると言うのなら、貴女はある程度知っているのでは?」

「貴方からの言葉で改めて知りたいのですよ、カイネさん。あと、私に対してそこまで畏まる口調は必要ありません。砕けた口調の方が貴方も話しやすいのでしょう?」

「……じゃあ失礼して。俺達は、俄かには信じてもらえないしその存在を知っているかも怪しいですが――――錬金術師です」

「…………錬金術?」

「やはり……まだ潰えていなかったのですね」

「シスターエルシア、錬金術とは?」

「……まだ私達の生まれていない時代、我々が住んでいるレストニア含む大都市複合国家トルネコリスが、まだ国として成り立つより前の話です。この世界には現在存在する特殊な能力に神力と魔法、そして種族毎の異能特性がありますが、かつてはそこにもう一つ、ある力が存在していました。それが――――」

「錬金術。化学を軸とした金の精製と不老不死の成就を目標とした技術を基盤に、現実空間に特殊なエネルギーを用いて干渉し力を行使することができる業。先の国家建立の際に潰えさせられ、歴史からも存在を抹消された技術体系だ」

「私達のご先祖様はなんとかその存在を秘匿して生き永らえ、一つの村で微かに生きてきました。それが私達錬金術師です」

「しかし、何故錬金術を扱う方々は狙われたのです? 今の話の限りでは、狙われる理由は無いように思いますが。神を信じない姿勢は受け入れ難いですが」

 リーゼの疑問。実情を知らぬ人間からすれば、錬金術師が人々から狙われ消されたのかが今の限られた情報からは一切読み取ることができなかった。存在を許されないのは相応の理由があり、潰えさせられるのは致し方のない行為であると、リーゼは常にそう信じてきていた。それが魔を掃い平穏を維持することを目的とする彼女の当然であり、錬金術を扱う人々がそれに見合う何かをしたのではないかと考えた。

 だが、カイネはその言葉に対し、眉間に皺を寄せ目を伏せてそれに至った仔細を告げる。

「…………俺達の体には、窯と呼ばれる臓器が存在する。錬金術を扱うためのエネルギーを貯蔵するのに必要なその臓器は、迷信ではあるのだが摂取すれば不老不死になる、錬金術が使えるようになると言う話が流されている。実際はそう言った事実は無いのだが、錬金術と言う存在を知識と知っている者ならばそれが法外の高値で取引されるのを知っている。過去にそれを巡って何人も俺達錬金術師が殺されたのも事実としてあると聞いているからこそ、かつての錬金術師は自分達の姿を隠し、俺達は必要最低限の人間にだけ素性を明かさなければならないんだ」

「……ずっと、村から出られなかったので、外の事が何もわからなかったから余計に警戒していたんです。私も、カイネも」

「……失礼しました」

「改めて、錬金術師の方々が未だ生きていたことを私は嬉しく思います。限られた知識、文献、伝承レベルの話でしか残されておらず、大半の人々が知らないまま生涯を終える存在に相見えられた。それはとても幸運な事だと私は思っています」

「大した存在じゃあないがな。貴女は随分知識を重んじるようだな」

「外界を視覚で認識する事ができないからこそ、知識で補うのが私なりのやり方なのです。錬金術を修めるお二人からすれば未熟なのでしょうけれど」

「私は十分だと思います! まさか最初にこうしてきちんとお話しできた方が錬金術を知ってくれていたなんて、とってもびっくりですし!」

「歓談はいいが趣旨を忘れるなよリゼ。今俺達は情報を得に来ているんだ」

「あ、ごめんね……」

 しゅんとした様子でソファーに座り直すリゼを端目に、カイネはエルシアを視界の中心に捉える。

「俺達は情報を、貴女達は解決したい事案の助力を。取り引きと言う形になるが良いだろうか?」

「えぇ、元より私はそのつもりでここにお招きいたしました。貴方方が追う、不死の異形の情報が、そのまま私達の依頼でもあります」

 不死の異形。その言葉にカイネは目を見開き、リゼは口元に手を翳し同様に驚愕の顔を浮かべていた。

 不死。それはつまり、カイネとリゼの村を襲ったあの合成種と同じ存在であると、推測させるにはタイミングがあまりにも合致していた。二人が知る限り、この世界の技術や技能に不死性を後天的に付与させる術は存在しない。錬金術によって精製される、賢者の石を除いて。

「……なるほど。初めから俺達の来訪も、事案の原因との因果関係も、それの対処法もわかっていた訳か」

「待ってくださいエルシア、では教会内で問題視されている例の不可解な異形の正体にこの二人が関わっていると言う事ですか?」

「えぇ、その通りです。我々の精鋭が幾度となく討伐に向かい、その度どれほどダメージを与え致命傷を負わせようと死に至らしめられなかったあの異形。それは彼らの扱う錬金術が作り出す物が関わっていると、私は推測していました」

「では何故協会本部にその報告をしないのですか、それがわかれば対処も――――」

「既に消えたとされているものが原因だと叫んで一体誰が信じると言うのです? いくら私の天端通しの精度が高くとも、全てが正しい遠視とは限りません。だからこそ私はその不確定な情報を拡散し余計な混乱を生み出さない様に、そして彼ら錬金術師の方々に迷惑にならない様に、沈黙を通していました。何時来るかもわからぬカイネ様とリゼ様を待つのは、被害に遭われた方々には忍びないとは思っていました。が、これも起死回生の打開を確実のものとするための行動であることをどうか理解してください」

「…………」

 溜息を吐くリーゼロッテ。手を額に当てながらも何も言わないのは、エルシアの思惑を理解できる故にそれ以上の言及ができないとわかったから。

 不確定情報からの対策案というのは、責任を負う立場になればなるほど肯定する事が難しくなる。リスクと言うものを背負うには相応の地盤が無ければ無意味な行動に労を費やすだけでなく、余計なダメージを追う可能性も同時に上げてしまう恐れがある。それが生命に関わる事柄であれば尚更安易に肯定する訳にはいかない。エルシアはその観点から、確実性のある打開策を持ったカイネとリゼがレストニアに訪れるのを待っていた。

 リーゼロッテは各地を巡行する身であるためにそう言った責を負う事はあまりないが、しかしエルシアの考えが理に適ったものであると判断したのだ。

「……わかりました。それで、貴方方は件の異形を仕留める方法を持っていると考えてよろしいですか?」

「あぁ、ある」

「ならば早急に教えてくだ――――」

「それは無理だ」

「……理由を」

 眉間に青筋を走らせるリーゼロッテ。その威圧感を一切ものともせず、カイネは言葉を続ける。

「貴女達が言う不死の異形が俺達の追う対象の一つ、便宜上ここでは不死生体としましょう。それと同一のものである場合、エルシアさんが言っていた通り錬金術によって生み出されたものに相違無い。その存在と核となっているのが賢者の石、完全な機能停止に至らせるには、錬金術を用いた破壊行動でしか成し得ることができない。どれほど傷を負わせようと、どれほど死に至るダメージを与えようと、止まる事は無い」

 カイネの表情は僅かに射し込む陽の光によって出来た影に浸され、険しい感情の表出はそのまま彼の言葉に乗って聞き入る三人の鼓膜を撫ぜる。

「死は終わりある者の権利であり義務だ。それを失わさせられた哀れな存在は、俺達創造主が終わりを創り出す義務があり、無辜の存在を忌み排斥される存在に変えた者を討つ必要が俺達には課せられている。貴女達があの存在を討ち切る事が不可能なのは、技術的な問題だけではない。存在証明として俺達の持つ業がそれを完全に分断し、隔絶させている。俺達は貴女達の申し出を受けよう。だが、主導としてその異形を討ち果たすのは俺達であり、助力だけを申し入れる。情報、戦闘補助、その他バックアップと言った具合に」

「……なるほど、その異形はあの紅き叡智――――賢者の石による産物。そしてそれを討ち切れるのは貴方達のみである。我々にはどう足掻いても機能停止ができない、だからこその協力関係、と」

「そう。俺達錬金術師は今までその姿を秘してきた。それを抜け出してまでここに現れたのは、俺達しか存在しないはずの錬金術師の外界での存在の可能性を調べるため。俺達の村も同様の存在に襲われ、俺はそれを倒した。後ろ盾のない今、その実績と錬金術師と言う隠すべき情報を晒した俺達は、貴女達の助けを貰わなければならない」

「私達は人々に害をなす存在を討ち倒したい。その術を持つ存在が現状貴方方だけだと言うのならば、私はその全てを以てお応えします。ですが……私一人での力でこの教会の全ては御しきれません。実績を作り、上層の人間に貴方方を受け入れさせなければ、真に私は貴方達を、貴方を…………カイネさんを助ける事は能いなりません。ですから――――」

「私達は、まずレストニアに出る異形を倒す必要がある……ですよね?」

「はい、この街の中でしたらお役立てはいくらでもできます。補佐として、此処に居るリーゼロッテも同行させましょう」

「は……?」

「そのために貴女をここに同席させたのです。聖人と言う特殊な身分とは言え、機密の会合を何の理由も無く同席させる訳もないでしょう。貴女はもとより各地を回り秩序と安寧を監査し守る者。慣れない場所に彼らを行かすに不安がある以上、貴女の目的遂行の邪魔になるどころか進展にもなります」

「ですが……」

「それに一人の戦いは何かと不利益も多いでしょう。私との連絡にも貴方を介せば容易になります。どうですか?」

 エルシアの言葉にリーゼロッテは沈黙する。カイネは内心、受ける事は無いのではないかと考えていた。誤解を介していたとはいえ、神を信じず素性も不明瞭な存在と共に旅をすると言うのは、言葉にするよりも余程覚悟がいる行為だ。ましてや男が共に行くとなれば、年頃の少女ならば抵抗を覚えるだろう。もし共に行くと言った場合は、極力リゼと共に行動する様に頼む必要もあると思案する。幸いリーゼロッテの戦闘能力が、見目に対してけた外れに高いのは先程戦闘を通して肌で感じたカイネは十分理解していた。

「……わかりました。その任、このリーゼロッテがお受け致します」

「ありがとうリーゼロッテ。では、カイネさん、リゼさん、改めてご依頼いたします」

「はい」

「聖人エルシアの名を以て、レストニア近郊に出没する不死の異形討伐を依頼いたします。必要があればこのエルシアに何なりとお伝えください」

「錬金術師、カイネ=トレストバニア。正当な対価を保証された物として、その依頼を受ける」

「錬金術師、リゼルライン=シュレインドール。右に同じくです」

「聖人リーゼロッテ、正式な任としてお受けいたします」

「ありがとうございます。ことの詳細は追ってお伝えいたしますので、明日またこの部屋に集まりましょう」

「一つ、訪ねたいことがあるのだが良いだろうか?」

 カイネが徐に右手人差し指を立て、エルシアに問いかける。

「何でしょうか?」

「俺達は今ある宿に部屋を借りている。今日はそこに泊まるつもりだが、出来れば節制をしたい。そこは二泊目以降の取り消しで返金があるのだが、もし可能なら明日以降の寝床をこの教会のどこかに借りることは可能だろうか? 勿論端した場所で構わない、元より無理な願いだから断ってくれてもいい」

「いえ、その程度なら問題ありません。ですが明日からでよろしいのですか? もしよければ私が働きかけて――――」

「義理は義理、一度借りたのならそこに無理な働きかけは不要です。明日からで十分」

「折角初めての旅なので、初めはお宿で過ごしてみたいんです。折角の申し出なのにごめんなさい、エルシアさん」

「……いいえ、私も不躾な提案をしてしまいました。やはり急いては判断も鈍りますね」

「今のは双方に悪い部分は無かったでしょう。エルシアも、貴方方も」

「ありがとうリーゼ、では今日はここまでということで」

 その言葉で全員が立ち上がる。扉は既に開かれ、リゼとリーゼが会話を交わしながら退出するのを追う様に出ようとするカイネ。

「少し、お時間を頂いてもよろしいでしょうか……?」

 その背に、先程の凛とした声色ではない言葉がかけられた。カイネがゆっくりと振り返ると、口の端を強張らせたエルシアが、ついと右手を出入り口の扉に向かって軽く振る。それに合わせて扉は締まり、鍵がかけられた音が響く。

「……なんです?」

「個人的な、魔を討つ者同士の会話ではなく、私と貴方個人での会話をしたく思い……勝手な行動をお許しください」

 深々と下げられる頭。その様子に敵意害意は無く、虚実を述べている様子も無いのをカイネは察すると、もう一度ソファーに腰を下ろす。

 それを見たエルシアは小さく微笑むと、同じ様に腰を下ろす。小さく閉鎖された世界に、僅かな沈黙が広がった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る