第4式 痛み無き赤衣の聖人

 陽の光でできる影が最も短くなる頃、人の喧騒も幾何か落ち着いたレストニアの街に、金の刺繍が目を惹く紅い外套を羽織った黒髪の少女が歩いていた。隣には黒い修道服を着る少女もおり、紅い外套の少女は疲れた様な表情をしていた。

「はぁ……巡行征伐と言うのも簡単なものではないと言いますのに、本部は相変わらず人を何だと思っているのでしょうね」

「あはは……仕方がありませんよシスターリーゼロッテ。貴女は神力を使える選ばれた存在、聖人なのですから」

「特別であろうとなかろうと、本来は人間なのですよ? 代償が代償なので致し方なしとは考えていますが」

「我らレストニア支部を統括する聖人のお方も居られます、ここでの活動は道中よりはより良いものになると思います」

「ならいいのですが」

 溜め息を吐く少女、リーゼロッテと呼ばれた彼女は視線を左右に行き巡らせる。街には大きな異常も無く、至って平穏な様子が目に映ると内心で安堵した。彼女の行っている巡行征伐とは道中を含む魔獣討伐や教会内の監査、治安維持活動の状況の報告を担っている。ひとまずは大きく報告を要するものはなさそうだと一旦結論を出す。次いで行う周辺地区や教会での問題事の有無の確認をするため、リーゼは隣のシスターに問う。

「ここ最近での問題事はありましたか?」

「問題事ですか……そうですね。あ、ここ最近教会本部を中心に問題視されている謎の魔獣が此処レストニアでも確認されました」

「やはりですか、被害は?」

「街の人々や近辺の村人から死傷者が出ています。幸い街には近付いて来ないので大きく被害はありませんが、どれだけダメージを与えても討伐には至れていないのが現状です」

「なるほど……他には?」

「え……っと、最近教会に度々来ては周辺警備などに関する文句を何度も申してくる方達が居て困っているくらいですかね……」

「その者の特徴は?」

「大柄な男性ですね、恰幅も良かったです。そう、丁度あんな――――」

 黒衣のシスターが指を指す先は彼女達の属する教会、フィアルド教教会レストニア支部の建物。石造りのその入り口付近に、茶色の髪の小柄な少女と、大柄な体躯のくすんだ白い髪の青年が留守を預かっていたシスターと何か会話をしていた。神妙な面持ちのシスターの表情に一体どうしたのかと見ていると、リーゼの立つ方から甲高い音が短く響く。

「成程あの方ですね」

「えっ、ちょっと待っ」

「安心してください、お間抜けにも自分から捕まりに来た身なようです。殺しはしません、気絶はさせますが」

「待ってくださいシスターリーゼロッテ!! あの人は――――」

 シスターの声は届く事は無かった。恐ろしい脚力で土煙を上げながら走り出したリーゼは、胸元から下がるロザリオを手に持つ。息を軽く吸い、それを思い切り引く。

「――――天上より降りし我らが神の御威光よ、リーゼロッテの名の下に代償を差し出さん。我が脆弱なる人の身に、その偉大なる力を貸し与えたまえ」

 小さく紡がれる祝詞。それに呼応する様に、体表面は淡い光に包まれ、引かれたロザリオはその手に握られたまま首から離れた。

 そして、ロザリオがその姿を変える。掌ほどのサイズだったそれは、刹那の後に身の丈程の大きさへと変化していた。

「教会に如何な御用でしょうかこの野郎お話はあとで聞きますので大人しくして下さいねッ!!」

 跳躍し男の頭上へと移動したリーゼは、巨大化したロザリオの端を握り、後頭部へと振り下ろす。青年は一切こちらに振り替える素振りは無い。隣に立つ少女が振り返ってこちらに気付き何かを言おうと口を開いているが、リーゼにとっては然したる問題ではなかった。今は戦闘能力の低そうな少女ではなく、戦闘能力の高そうな青年の鎮圧を優先した。




「…………最近のシスターは顔を見る間も無く襲い掛かる蛮族なのか?」

 ロザリオは振り下ろされている。そして、青年の担いでいた布に包まれた物体がいつの間にか彼に握られ、甲高い金属音を響かせてロザリオの動きを阻んでいた。

「カイネ!」

「下がっていろリゼ」

 カイネとリゼ、それが青年と少女の名だとリーゼは判断した。それと同時にロザリオを弾き飛び退ると、肩に担ぎ直す。

「神に歯向かいし愚かなる人の子よ、大人しくその身をこちらに差し出し懺悔なさいな。我らは貴方の様な人間をも受け入れます」

「生憎、神を信じる身ではないんでな」

 カイネがロザリオの一撃を防いだ布に包まれた物を、振り返りざまに持ち直しその布を取り払った。そこから姿を現したのは、鈍い輝きの金属塊。180を超える背丈よりもさらに大きいそれの、柄と思しき部分を握るカイネは、背後から襲い掛かったリーゼを鋭い眼光で見据えていた。刃も何もない鈍器よりも殺意の無い鉄塊を、それでもリーゼは警戒せざるを得なかった。

 不意に、カイネの持つ鉄塊に眩い閃光と稲妻が走る。眩しさに目を細めたリーゼが再び目を開く。そこには、刃の無い鉄塊――――ではなく、柄や鍔も備えた両刃の剣に変化していた。その唐突な物体変化に、リーゼは眉を顰める。

(……今のは何? 魔法師……ではない……?)

 身を低く構えカイネを見据えるリーゼ。今までの知識や経験では見た事の無い現象によって武器を生成した姿に、顔を僅かに強張らせる。

 魔法には必ず術式が必要となる。展開から発動まで若干のラグが発生し、魔法発動の際には術式が視認可能となる。光を発するのは同様だが、眼前の青年が用いた術に式の類をリーゼは確認できなかった。

 では己の使う神力と呼ばれるものと同じ能力か、と考えた時にも否となる。神力とは神に仕えし聖職者の中でも、聖人と呼ばれる選ばれた者にしか扱えない代物。神の力の一端をその身に降ろし、代償として自身の持つ何かを支払い行使することができる。青年がそれを使ったかどうかを考えた時、それも否となる。青年は聖職者ではなく、聖人であるならリーゼやシスター達が誰か判別がつかないと言う事も無い。なにより、自分自身が使う能力が見覚えの無いはずがない。

 青年は人間だ。異種族であれば自分の知らぬ力を使っているのかもと考えられるが、見た限りでは人間。その線も消えた以上、リーゼにとって青年はただただ不気味で不可解な存在になる。

「矛を下ろし大人しく縄につきなさい。貴方は害成すものです」

「いきなり襲い掛かって害がどうと言われてもな、俺からすればアンタの方が害をなす存在と思えるが」

「何を言いますか。私はシスター、貴方はならず者、どちらが危険かなんて明白――――ッです!!」

 リーゼが神力によって強化された筋力を駆使し、カイネとの距離を詰める。日頃より魔獣や異端狩りを行う彼女にとって、この程度は造作も無い。彼女の属する部隊の中でも精鋭と呼ばれる実力は偽りなく、五メートルほどあった間合いは一瞬の間に消えて無くなった。

「せいッ!」

「ッ……!」

 ロザリオを力任せに、縦横無尽に振り回す。激しい音と火花を散らしながら、十字架と剣が交錯する。幾度となく接触するカイネの剣は、その僅かな振りと振りの合間に再び閃光を奔らせ、形状を変化させる。

「戟……ッ!」

「ご明察」

 突如変わった相手の間合いに一瞬反応が遅れたリーゼ。戟の横に伸びた刃はその間を逃すことなく、少女の紅い外套ごと脇腹を貫いた。

「ッ……なんの!」

「っと!?」

 滲む血液は確かに肉を裂いたことを示していた。それにもかかわらず、リーゼはまるでそれの一切を関する事も無くロザリオを掲げ振り下ろす。

「ぐッ……!」

「それがどうしたと言うのです、私にその程度の傷は無い物に等しいのですよ」

 辛うじて腕でロザリオの攻撃を防ぐも、膂力のままに弾かれるカイネ。防御に用いた左腕は、衣服の無い露出した状態のため無防備のままにどくどくと血を垂れ流している。

(脇腹の治癒……はしていない、超再生の類の無意味ではない。なら――――)

「今のを防ぎますか。完全に脳天を捉えたと思ったのですが、ならず者の割にはやりますね」

「…………」

 カイネが左腕を振り滴る血液を払う。教会の庭の芝生に赤い飛沫が散り、様子を窺いに来ていたシスターたちの小さな悲鳴がそこら辺りから聞こえてくる。

 リーゼがロザリオを手で弄びながら肩に再び担ぎ直す。先端に付着した血液は銀の十字架の縁をなぞる様に重力に従って落ちていく。カイネもそれに応じる様に戟を構え直す。それと同時にまたしても閃光が奔り、戟は細い刀身と鍔を備えた身の丈を超える直刀に変化。腰を低く、切っ先を前方に刃を上にし、先程まであった緩慢な敵意は消えていた。

 互いに必殺を見据えた構え。シスター達の声も風の音も止み、傍らで立つリゼが唾液を呑む。それを合図にしたか否かは定かではないが、両者が駆けだす。両者大地を抉るほどの踏み込みで懐に潜り込み――――。

「おやめなさいシスターリーゼロッテ」

 ピタリ、と。リーゼのロザリオが止まる。それに合わせる様に、カイネの動きも止まった。その声の先に視線を向けた二人の目の先にあったのは、教会二階にあるベランダからこちらを見下ろす女性の姿。目に黒の目隠しをした地面に届きそうな長さの金髪を風に揺らし、正確にこちらを捉えている様に声をかけてきているのをカイネは訝しむような眼で見る。対照的にリーゼは即座に武装を解除し首飾りに戻すと、両の手を合わせる。彼女の属するフィアルド教で用いるその祈りの合掌を合図に、周囲のシスター達も同様の姿勢をとる。

「……シスターエルシア、お騒がせしてしまい申し訳ありません。直ちにこの招かれざる客を排除し――――」

「おやめなさい、と。わたくしは言いました。その方は件のならず者ではなく客人。私が視た賓客です。相も変わらない力は評価に値しますが、その向こう見ずな思考を改めなさい」

「……客?」

 リーゼが低く唸りながらカイネを見やる。そのカイネと言えば、自身らが此処に訪れるのををまるで知っていたかのような口ぶりに眉根を顰めた。

「あ、あの! 貴女がここの長、でしょうか……?」

「はい……と、申し遅れました。私はエルシア、ここフィアルド教会レストニア支部を統べる聖人を担わせていただいております。この度は我が教会の者が失礼を働きました、謝罪いたします」

「勘違いが晴れたならそれで構いません。俺達は伺いたいことがあったのでここに来ただけなので」

「では奥にご案内します、立ち話で済む物ではないでしょうし、私からもお話ししたいことがございますので。リーゼ」

「は、はい!」

「貴女はその傷を癒し次第奥の間へ来るように、この方達との話に同席を」

「わかりました」

「あ、私が治療してもよろしいでしょうか? 医療には心得があります」

「ではお願いいたします。トーイ」

「はい!」

 リゼがリーゼの傍らに駆け寄るのを確認した目隠しをした女性エルシアは、リーゼと共に歩き来たシスター、名をトーイと言う少女を呼ぶ。

「貴女は彼らが治療と準備が済み次第奥の方へ案内をお願いします。人払いを一応する様に」

「畏まりました、シスターエルシア」

「他の方は通常通りに、何かあれば副神官へ連絡を」

 そう言うと、エルシアはベランダから部屋の奥へと消えていった。それを見ていたカイネは視線を元に戻す。

「少し痛みがあるかもしれないですけれど、我慢してくださいね」

「心配はいりません、私は痛みとは無縁ですので」

「では行きますよー」

 リゼが患部に手を添える。閃光と共に裂けた皮膚は縫合される様に治癒が開始され、まるで初めから傷の無かったかのように元の肌に戻っていた。

「……はい、これで大丈夫かと。ただ、内部はまだ完全には治癒できていないので、無理はしない様に」

「……彼もその不可思議な力を使っていましたけれど、貴方達は一体……?」

「あはは……ちょっと不思議な力を使う旅人だと思ってもらえれば、なんて。カイネ」

「あぁ、頼む」

 リーゼからの問いを濁すリゼがカイネを呼んだ。既にそばにいた彼は左腕をリゼに差し出す。リーゼと同様に閃光に包まれたそこは抉られた跡が消え、まっさらな肌だけがそこにあるのみとなった。

「もうっ! まだ昨日の傷も癒えていないのに無理は駄目だよ!」

「そうは言っても襲われたから相手をしたに過ぎない、不可抗力だ」

「もっと堅実に戦ってってこと。体の無理利かせてまでやっちゃ駄目」

「あのー……治療はお済になりましたか?」

 カイネとリゼの会話を遮ったのは、先程エルシアから先導を任されたトーイと呼ばれた少女。若干不安げな表情の彼女に、リーゼが答えた。

「どうやら終わったようですね。エルシアからの言葉もありましたし、ひとまずは奥へ行きましょう」

「わかりました。カイネ、歩ける?」

「こんな程度で歩行不可にはならない」

「ではこちらに、私の後にお願いしますね」

 トーイが先を歩き、教会の大扉を開く。その奥中央には主神を祀っているのであろう祭壇が豪奢に鎮座し、カイネとリゼを出迎えていた。見慣れぬものに目を奪われていた二人の背を軽く押すようにリーゼの手が触れる。四人の姿はその祭壇横、奥の神官達が住まう建物へと続く扉の奥へと消えていった。

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