闇の底 其の九


あの晩のように裏の錆びたドアから入ると、真っ先に例の広間まで向かう。


そこには、思った通り真斗がいて、穴の中を見下ろす形で立っていた。


「真斗!」


声をかけてもなんの反応もない。

俯いたまま、何かをぶつぶつと呟いている。僕は固唾を飲んだ。

怖い。だが、友人をこのままにしておくわけにはいかない。

勇気を振り絞り一歩踏み出す。すると、どこからか不気味な呻き声のようなものが聞こえた気がした。


「な、なんだ……?」


耳を澄ますと、何人もの苦しそうな声が穴の方から聞こえてくるようだった。

穴の中から大勢の人が這い上がってくる。そんな想像をして、僕は身震いする。

すると、真斗がゆっくりとこちらに振り返った。

その表情を見て、全身が総毛立った。

生気のない顔。虚ろな目。

それは、夢でみた真斗そのものだった。


彼は薄ら笑いを浮かべると、倒れこむように穴の中へ身を投げた。


「真斗ッ!!」


手を伸ばし、寸でのところで真斗の腕を掴んだのだが、僕の腕力では重力が加わった真斗の体重を支えることもできず、気づいた時には真っ黒な穴の底を見つめていた。


――あ、落ちる。


その時、急に誰かに背後から身体を抱きかかえられ、すごい勢いで後ろに引っ張られた。


「っ!!」


次の瞬間、尻餅をつく。が、あまり痛くはなかった。

恐る恐る目を開けると、自分の腹に誰かの腕ががっちりと巻き付いていた。


「……ってぇ」


聞き覚えのある声に振り返る。そこには、鬼の形相でこちらを睨み付ける叔父がいた。


「ばか、死にてぇのかっ!?」


突然の怒声に身体が強ばり、息を呑んだ。

そこで完全に我に返った。僕は叔父の腕に抱えられ、二人して地面に座り込んでいた。


「叔父さん、どうして……」

「どうしてって、お前なあ」

「真斗は!?」


掴んでいたはずの真斗がいない。それどころか、目の前は断崖絶壁で、辺りは雑草が生い茂っているただの空地だった。

僕は叔父の腕を振りほどくと、目の前の断崖を覗いた。下では、暗闇の中で川が緩やかに流れているだけだ。


「なんで? さっきまでホテルの中にいたはずなのに」

「ここはもともと何もない。ホテルも、お前の友達のバイクもなかった。お前は車から降りたらまっすぐ崖まで走ってひとしきり叫んだあと、自分から飛び降りようとしたんだよ」


しばらく思考が停止した。言葉が出ない。

混乱していると、携帯が鳴った。

着信を見ると、それは真斗からだった。少しためらったが、僕は通話ボタンを押してゆっくりと耳に当てる。


「も、もしもし……?」

『やーっと出やがった! お前今何時だと思ってんだよ。いっくら電話してもでねぇしよぉ! 行けなくなったなら一言連絡くらい寄越しやがれっ!!』


超絶不機嫌な声でまくしたれられる。だが、これは間違いなく真斗だ。怒られているはずなのに、僕は心の底からホッとして不覚にも泣きそうになってしまった。


『おい、てめぇ聞いてんのかっ!?』

「う、うん。聞いてるよ。ごめん、ちょっといろいろあって……。ていうか、真斗今どこにいんの?」

『あ? 家に決まってんだろ』

「そう、か。そうだよね……」


僕はおもむろに叔父に目を向ける。やはり、叔父の言っていることは正しかった。

じゃあ、僕が見たアレは、一体なんだったんだろう。


『なんだよ。何かあったのか?』

「うん。えっと、とりあえず、明日話すよ。お焚き上げも、次は絶対行くから」

『あー、そうそう。それなんだけど、例の写真、お前持っていってないよな? 確かに鞄にしまったはずなのに、いくら探しても見当たらねぇんだよ』

「知らない、けど」

『だよな。んー、もうちょっと探してみるわ。それより、明日ちゃんと説明しろよ。納得いかない理由だったら学食のAランチおごってもらうからな』


なんというか、ちゃっかりしている。まぁ、今日の出来事を話せば多分おごらなくても済みそうだけど。


「わかった。じゃあ、また明日」


そうして電話を切った。

振り返ると、叔父は退屈そうに煙草を咥えて煙を燻らせていた。


「……真斗、家にいた」

ぽつりと言う。なんだか叔父の顔がまともに見られなかった。結局、叔父を振り回してしまったことには変わりはない。


「なんか、ごめん。やっぱり僕今日おかしいよね」


そうして何気なく上着のポケットに手を入れると、何か厚めの紙のようなものが手に当たった。まさかと思って取り出す。それを見て、僕は凍りついた。


「これ、なんで……」


それはまぎれもなく、真斗が見当たらないと言っていた例の心霊写真だった。

大学で、真斗は確かにこの写真を鞄に仕舞っていたし、その後は真斗と会っていない。

呆然としていると、叔父は無言のまま僕から写真を取り上げ、持っていたライターで火をつけた。

写真はやがて灰になり、風と共に少しずつ夜の闇に溶けてゆく。


「帰るぞ」


煙草を咥えたまま、叔父は来た道を戻って行ったので、僕もゆっくりとその後を追う。

ふと、黒く塗りつぶされた闇の中から、またあの苦しそうな、悲しそうな呻き声が聞こえた気がしたが、僕はもう振り返ることはなかった。

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