闇の底 其の弐
中は暗くて何も見えない。
今日は月も雲に隠れてしまっていて、自然の明かりはほぼないに等しい。
埃とカビの嫌な臭いが容赦なく鼻腔を刺激する。少し噎せた。
「真斗?」
僕は少し情けない声で姿が見えない友人の名を呼んだ。
「おーい。こっちだ」
すぐに奥の方から声がした。
「こっちってどっちだよ」と、声を頼りに懐中電灯で辺りを探る。すると、照らした先に少し開いているドアを見つけた。
出ると、目の前にはロビーとラウンジが広がっている。埃とカビの臭いが増し、それに混じってなんだか焦げ臭い。
周りには瓦礫やガラスの破片、剥がれた壁紙に壊れた椅子やテーブルなど、様々なものが散乱していてかなり荒れている。そして、ほとんどの物が焼け焦げていた。天井も真っ黒だ。
改めて火災現場なのだと認識させられる。
ここで何人もの人が亡くなったと思うと、僕の胸に何とも言えない息苦しさが襲った。
「おい」
「うわっ!?」
突然、背後から肩を叩かれて僕の身体は大きく跳ねあがった。振り向くと、そこには先に行ったはずの真斗が立っていた。
「何やってんだよ」
「え、なんで?」
僕はわけが分らず、しばらく茫然と真斗の顔を見つめた。
当の真斗は「なんでってなんだよ。ったく、とっとと先行きやがって」と不機嫌そうに言う。
「は? それはこっちの台詞……」
僕は言葉を詰まらせた。冷たい汗が背筋をなぞる。
「さっき、呼んだ? 僕のこと」
「さっきって、いつ」
首をかしげる真斗を見て、僕は考えるのをやめた。きっと気のせいだ。
それに、また余計なことを言って真斗の好奇心に火がついてしまったら面倒だ。
「なんでもない」
「はあ? 気になるじゃん。言えよこのヤロー」
「そんなことより、早く先行こうぜ」
僕はちょっかいを出してくる真斗を軽くあしらいながら階段を上る。
適当に見て回ってとっとと帰ろう。もう夜も遅いし、明日も学校だ。真斗も、ある程度この雰囲気を楽しんだら満足するだろう。
早く帰りたい一心でつい足早になる。
「なんだよ、急に乗り気だな。まあいいや。んじゃ、写真撮ろうぜ」
何を勘違いしたのか、真斗は嬉々として僕にポラロイドカメラのレンズを向けてきた。
「おい、ふざけんな。やめろよ」
「いいじゃん別に。ったく、度胸がねーなぁ」
今この場所に限り、度胸などなくて大いに結構だ。
真斗は「つまんねーの」と言いながら周囲を撮り始めた。
肝が据わっているというか、コイツは怖くないのだろうか?
「それにしても、なんで急に心霊スポット行こうだなんて言いだしたんだよ」
オカルト的なものが好きなことは知っていたし、以前から色々と胡散臭いことに付き合わされてはきたけど、こんな本格的な
「いや、それがさ。ちょっと前に新歓あったじゃん? そん時に、オカルトサークルに入ってるっていう先輩と知り合ってさ。その人が教えてくれたんだよ。『ここはやべえ』って」
なにがどうやべぇのだろうか。僕はただ「ふーん」と相づちを打つ。
「先輩も少し前に来たことあるって言ってたし、面白そうじゃん。俺、一回夜の廃墟とか来てみたかったんだよな」
「なら一人で来ればいいだろ。なんで僕まで」
「ばーか、一人じゃつまんねーだろ。それに、このドキドキわくわくを他人と分かち合うのが心霊スポットめぐりの醍醐味ってもんだろ」
そんな醍醐味はゴミ箱に捨ててしまいたい。
まぁ、僕も嫌いではないから、結局ついて来てしまったわけなのだが。
でもまさか、本当に中に入ることになろうとは。真斗の性格を知っていれば予想は出来たはずなのに、何故もっと慎重にならなかったのかと、二つ返事でOKした数時間前の自分を悔いた。
それから僕らは危険そうな場所を避けながら適当に探索し、やがて大きな広間のような場所にたどり着いた。宴会場だろうか。
「うわ。なんだこれ」
真斗が声を上げる。床はほとんど腐り落ちて巨大な穴のようになっていた。中を覗くと、まるでブラックホールのように真っ黒な底なしの闇。
「こえー。今にも何か出てきそうだな」
真斗は懐中電灯を穴の中に向けて楽しげに言う。
「やめろよ、そういうの」
吹き込む風が唸り声を上げている。
冷気が足元から這い上がってくるのを感じ、身震いした。なんだか、ここだけ異様に寒い。なのに、さっきから汗が止まらない。
「……なんか、気分悪くなってきた」
「マジかよ、大丈夫か?」
闇の中で、右隣から僕の顔を覗き込んでくる気配がした。
「ちょい待ち。あと一枚だけ撮ったら」
パシャッとシャッター音がする。
そこで、「あれ?」と思った。
今、フラッシュは左側で焚かれた。
――じゃあ、今僕の隣にいるのは?
「……タ、スケ……、スケ……テ……」
耳元で苦しそうに呻く男性の低い声が聞こえ、同時に、生温かい湿った風が耳にかかった。
死角に何かがいる。
そこで僕の身体は硬直し、動かなくなってしまった。
「よし。んじゃ、そろそろ帰るか」
真斗の声ではっとした。少し身体が動くようになったので顔を上げると、目の前にはふざけて顔の下から懐中電灯を照らした真斗の姿があった。
だけど、今の僕に突っ込む余裕はない。
「おいおい、本当に大丈夫か?」
僕の表情を見て、真斗はやっと異変に気づいたようだ。
「だ、だい…じょう、ぶ。だけど……」
できるだけ平静を装うが、身体の震えは一向に治まらない。
とにかく一刻も早くこの場から離れたくて、僕は足早に部屋を出た。
途中、走り出しそうになるのを何度もこらえて、なんとか無事に出口まで来ると、僕らはそのまま逃げるようにその廃ホテルを後にした。
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