ティアフロットの森〜2〜

 が、しかし。

「悪いのう、少年」

「エ、ラっ……」

 大量出血で霞む視界を何とか上げた。痛い。血が足りない。頭がズキズキする。

 だがそれらは、エラを見た瞬間吹き飛んだ。

「人魚の肉は貴重ゆえ、高値で売れるのだ。例え、

 サトゥルヌスの大鎌が、エラの首筋にピタリと当てられていた。

 そして、怯えた表情のエラに構わず、それを思い切り──引いた。

 スローモーション。

 木々の間からスポットライトのように月光が差し込み、それに照らされてエラの首が宙を舞う。

 真紅があちこちに飛び散った。エラの金髪も幾筋いくすじか混じる。

 エラの首は空中で、怯えた顔のまま何かを訴えるように唇を開いた。が、言葉は紡がれずに消える。

 緩やかな弧を描いたそれは、地面に落ちて弾み、紅い湖を作り出した。

 つうっ、とエラの唇の端から血が垂れる。虚ろな目は虚空を見つめる。碧眼へきがんはガラス玉のようだ。

 エラは完全に事切れていた。

 だがウィルは──別のことに気を惹かれていた。

 出血をいとわず、ウィルはふらりと立つ。そのままふらふらとエラの首に近づいていく。そして血溜まりに膝を着き、エラの首に手を伸ばし──


 


 切り口を舐め、血管から流れ出る血を残らず喉に流し込む。忘れずに唇の血筋も舐めとる。

 月光が二人を妖しく照らした。

 その光景は、

 恐ろしいほど神秘的で、

 ゾッとするほど凄絶せいぜつで、

 息をするのを忘れそうなほど美しかった。

 ウィルが口元を紅く染めたまま、ゆらりと立ち上がる。

 ウィルが焦点が合わない目を向けられて、やっとサトゥルヌス達は我に返った。

「だ、大事な商品に何すんだよっ!」

 アポロンが虚勢を張る。だがウィルはそれには答えず、にぃ、と口角をあげ、

 そして、いきなり飛びかかった。

 今までで一番体が軽い。やつらの動きもゆっくりに見える。思考よりも素早く体が動く。

 ウィルはアポロンの首に腕を巻き付け、ゴキリと首の骨を折った。後ろから襲いかかったポセイドンの攻撃も軽く避ける。振り向きざまに三叉矛を奪って心臓を一突き。

 横腹の傷はすっかり治っていた。エラの血の効果だろう。

 あの極上の血を遠慮せず飲んだことで、ウィルの理性は吹っ飛んでいた。故に、今ウィルは本能のみで動いている。

 丸腰で震えているアプロディテも刺殺さしころし、ウィルはサトゥルヌスに向き直った。

「す…すまなかった。何でもする、何でもするから命だけはッ…!」

「……」

 ズブっ、と三叉矛の先でサトゥルヌスの首を貫く。サトゥルヌスは少しピクピクと痙攣した後に動かなくなった。

 矛ごとサトゥルヌスの死体を捨てて、大鎌を奪った。そして刃に付いたエラの血を舐める。うん、甘い。

 森はうっすら明るくなってきていた。夜明けである。

 ウィルはおもむろに大鎌の刃を自分の首筋に当てた。とーんとーんと助走のように弾ませる。

 エラという生きがいを失ったウィルは、もはや抜け殻だった。


 ───エラ。

 ───一緒に海を見れなくて、ごめん。


 ウィルは大鎌を振りかぶった。そして振り下ろす。

 ヒュッ、ざしゅっ。



 人魚は海をまだ知らない 完




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人魚は海をまだ知らない 青空ラムネ @sayaka0408

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