ティアフロットの森〜1〜

 *


 雨が激しくなってきて、目を開けることも大変なくらいだ。水魔の少女がいた橋からずいぶん歩いたが、まだティアフロットの森は抜けられない。

「エラ。雨が強くなってきたから少し休憩しよう」

「そうだね」

 ウィルとエラは、森の中のくぼみに身を寄せた。

 パタパタ、雨粒が葉に当たって音を立てる。

「すごい雨」

 エラがぽつりと呟いた。だが顔は嬉しそうに緩んでいた。

「ウィル、私ね、多分もう分かってると思うけど、養殖場にいたんだ」

「……うん」

 突然のエラの身の上話に、ウィルはそっと相槌を打った。

「人魚の肉は、すごく高値でお金持ちの人に売れるんだって。食べたら不老不死になるから…。だから幼い人魚を捕まえておいて、育てて売るの。それが養殖場。私はそこにずっといたの」

 エラはずっと雨を眺めながら、淡々と話していく。

「だから私、広い海で思いっきり泳ぐのが夢だったんだぁ。自分がどんなところで生まれたのかも知りたかったしね。何より、私を縛る何かから解放されたかったの」

「俺もだよ」

 エラは微笑みをウィルに向けた。「ウィルは何に縛られてたの?」と優しく問われ、ウィルは答える。

「吸血鬼は危険だから駆除されていたんだけど、数が少なくなってきたから、保護っていう名目で監禁される。俺はあの屋敷で監禁されてたってわけ」

「私もあのお屋敷の人に買われたの!」

 エラは顔を輝かせながら言う。

「ふふ、もうこれは運命だね。私、良かったぁ。ウィルに会えて」

 ぽつぽつと雨が地面に落ちる。少し止んできたようだ。日も落ちてきて、エラの顔も少し見えづらい。

「エラ」

「ん?」

「海、楽しみだな」

「うんっ、楽しみ!」

 エラが嬉しそうに言ったのと同時に。

 ──ウィルの耳がエラの声以外のものを拾った。

 きょとんとするエラに、人差し指を唇に当てて『静かに』と伝え、ウィルは耳を澄ませた。微かに人の会話が聞こえる。

「──……」「…、──」「、─…─」

 すっ、と顔から血の気が引いていくのが分かった。はこっちに近づいている。

「エラ…、人魚狩りはどうやって人魚を見つけるんだ?」

「えっ?えっと、グループの中に水中人がいて、その人が匂いで探すみたい。ほら、ルチアも私のことを匂いで、……えっ」

 エラの顔も、暗い中で分かる程青ざめた。ウィルは、自分のマントをエラに羽織らせた。

「多分、こっちに近づいている。逃げよう」

 エラはマントのフードを深く被って頷く。二人は足音を極力殺しながら、そっと走り出した。

 もう森の中は、すっぽりと夜のとばりに包まれている。夜目が効くウィルやエラの方が有利なはず。……だったのだが。

「おい、サトゥルヌス。人魚の匂いがするぞ」

 1kmくらい離れた所から声が聞こえた。

 ビクッとエラの肩が跳ねる。

「ほーぉ、人魚か。今日はもう1匹捕まえたのに、もう1匹見つけられるとは運がいい。どの方向だ?ポセイドン?」

「北西だ。おいアポロン、明かりを出せ」

「オイラに命令すんなっての」

 瞬間、火の玉のようなものがエラ目掛けて飛んできた。ウィルは咄嗟にエラを押し倒して庇う。火の玉は、エラの頭があった辺りを通り過ぎて森の奥に消えていった。

「あっ、今の見ましたサトゥルヌス様?あれ人魚ですよね?」

「よし、お前ら、狩るぞ」

「エラ、走れ!」

 ウィルとエラは、声がする反対方向に思いきり走った。

 話し声からすると、4人。到底敵わない。逃げるしかない。

「はーい、そこまでだよ。オイラの足に勝てると思わないで?」

「ッ!」

 目の前に少年がいた。長い銀髪を三つ編みにして垂らし、右手にランプ、左手に短い槍を携えている。そして全く息を乱していない。

「よくやったアポロン」

 ぞろぞろ、後ろから3人が追いつく。挟まれた。2人が下がると、背中が木にぶつかる。逃げ場はない。

「あれ、この子吸血鬼じゃありません?なんて綺麗な紅い瞳。サトゥルヌス様、吸血鬼はわたくしが引き取ってもよろしくて?」

 小麦色の髪をもつ美女が首をかしげながら言った。両手にバラの模様が彫られた短剣を携えている。

「また夫に何か言われるんじゃないのか、アプロディテ」

「うるさいわねポセイドン。夫だってわたくしの性格を知った上で結婚してるのよ?」

 ポセイドン、アプロディテ、サトゥルヌス、そしてアポロン。なるほど神々の名前をコードネームにしているのか。

 ウィルはエラを後ろに庇いながら言う。

「お前ら何の用だ」

「分かってるくせに」

 アポロンがくすくすと笑う。

「我らは『ガイア』と呼ばれる、人魚狩りを生業なりわいとしている集団だ」

 サトゥルヌスと呼ばれた男が言った。白い髭は胸の辺りまで伸びていて、手に大きな鎌を持っている。恐らくこいつがリーダーだろう。

「その人魚をこちらに渡せ、吸血鬼の少年よ。そうすればお前は逃がしてやる」

わたくしが引き取るのよ!」

 ポセイドンという大男にアプロディテが噛み付いた。ポセイドンは水中人の一種なのだろう、手の甲に鱗がぬめっている。

「ウィル、」

「大丈夫。俺がいる」

 ウィルはちらりと空を見た。少しずつ月が出てきていた。吸血鬼は月夜に最も力が出る。

「エラは渡さない。やれるもんならやってみろ」

「はっ、威勢のいいガキだ」

 ブンッ、とポセイドンが三叉矛さんさほこを振り降ろした。ウィルはそれをかがんで避け、矛を蹴って跳躍し、ポセイドンの顔に蹴りを入れた。ポセイドンが派手に吹っ飛ぶ。

「ふーん、なかなかやるじゃない。サトゥルヌス様、わたくしが行きますわね」

 アプロディテは両手の短剣を構えた。

 ウィルも構えると、アプロディテはウィルに斬りかかった。ひゅ、と鼻先を切っ先がかすめる。

 ウィルはアプロディテの足元に足を回し、転んだアプロディテの手を踏んで短剣を奪った。アプロディテが小さく悲鳴をあげる。

「やだ、ウィル!」

「ッエラ!」

 エラの悲鳴が森にこだました。戻ってきたポセイドンがエラに三叉矛を向けている。

 ウィルは舌打ちしてポセイドンの背中をアプロディテの短剣で攻撃した。ポセイドンが振り返りざまに矛を力任せに振り下ろした。ウィルは咄嗟に避けようとしたが、横腹に矛先が刺さる。ウィルは呻いた。

 ずっ、とポセイドンが矛を抜くと、ウィルの横腹から血が溢れ出した。

「ウィルっ、しっかりして!大丈夫!?」

 エラが駆け寄った。


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