夜、道中。

「あ」

 橋に差し掛かった時、ふとウィルが声を漏らす。その声に、横を歩いていたエラがウィルの方に顔を向けた。

「そういえば、エラはどうやってキラルに行ったんだ?方向オンチの癖に」

「最後の一言は余計だよっ!私だってちゃんと自覚してるから、石を置いて行ったんだもん」

「石?」

 尋ねたウィルに、エラはえっへんと胸を張ってみせた。

「そ。キラルの街はギリギリ見えてたから、行くのは行けると思ったんだけど、戻るのが無理そうだったから、道に石を置いて目印を作りながら行ったの。すごくない?天才じゃない?」

「天才は石が無くても戻ってこれると思うけどな」

「ひっどい!ちょっとくらい褒め、」

 てよ、と続くかと思われたエラの言葉が、突然切れた。

「エラ?」

 横を見てもいない。焦って後ろを向くと、……あぁ、良かった。いた。

「どうした?」

 エラは返事もせずに、斜め下を見つめていた。ウィルがその視線を辿たどってエラの足元あたりを見ると。

「っ!?」

 がエラの足を掴んでいた。人の手に似ているが、指の間に水かきが付いている。

 そして、橋の欄干らんかんの間から少女の顔がエラを見上げていた。緑色の髪を頬に張り付け、口をパクパクさせて、何かを必死に訴えている。しかし言葉は出ず、ハッハッという吐息が漏れているだけだった。

「エラ、この子は」

「多分、水魔の子だと思う。……ウィル、この子、何か話したい事があるみたいだから私ちょっと行ってくる」

 しっかり水魔の少女を見据えたまま、エラが呟くように言う。さっきまでウィルと言い合いをしていたエラとは違う、大人びたエラだ。

「分かった」

 ウィルが言うなり、エラは橋から飛び降りた。ばしゃあん、と大きな音がして、それから沈黙が訪れる。

 ウィルは、暗闇と無音の中で立ち尽くしていた。


 *


 どのくらい経っただろうか。

 ざぶっ、とエラが水面に浮き上がってきた。

「エラ!」

 ウィルが欄干から身を乗り出すと、エラはウィルの方へ手を伸ばした。ウィルはそれを掴んで引き上げる。

「大丈夫だった?」

「ウィルっ……」

 その場に座り込んだエラの顔が真っ青だ。ガタガタ震えながら、ウィルの腕をギュッと掴む。

「あの子になんかされたのか?」

「違う」

「じゃあどうしたんだ?エラ、ゆっくりでいいから話して」

 こく、とエラが頷く。エラのワンピースから水がぽたぽたと滴った。

「あの子、水魔の……ルチアっていうんだけど。ルチアが教えてくれたの」

「何を?」

「この辺りに、人魚狩りをしている人たちがいる、って」

 ぎゅう、とエラの手に力がこもる。

「人魚狩りって、なんだ?」

「人魚を捕まえて、貴族の人たちとかに売っている人たちのことだよ。ウィルは、人魚の肉を食べたらどうなるか知ってる?」

 ウィルは口ごもった。エラの前で、人魚の肉の話をするのはなんだか気まずい。躊躇ためらいがちに、ウィルはモゴモゴと呟く。

「……不老不死に、なる」

「そう。だからお金がある貴族の人たちは人魚の肉をすごく欲しがるんだって。だから……」

 エラが視線を落とした。

 こんなに不安そうなエラを見るのは初めてで。

 ウィルは思わず、その震える細い肩を抱きしめた。

「エラ」

「ッ……」

「大丈夫。俺がいるから」

「ウィル、」

「エラは海を見るんだろ?」

 ウィルの言葉に、エラは「……うん」と頷く。その言葉を聞いて、ウィルはゆっくりとエラを離した。

 エラの目尻から透明の雫がぷくりと盛り上がる。それはエラが瞬きをした時、つうっと頬を流れ、──途中で白く硬化して、ころころとエラの頬を転がり落ちた。

「あ」

 エラがそれを両手で受け止める。そして、ふっと笑って、

「ウィルにあげる」

「え、……いいのか?」

「これからまた案内してもらう賄賂わいろよ」

 冗談っぽく笑うエラに、「お前な」とウィルも笑いながら受け取った。

 良かった。エラに笑顔が戻って。

「あ、そういえば水魔の子は?」

「ルチアは帰ったよ。水魔はあまり狙われないけど、一応安全な所に行くって言ってたわ」

「言ってたって……喋れるの?なんかパクパクしてたけど」

「陸上で話すのに向いてないの。水の中なら話せるのよ。……結構何人も捕まえられてるって」

「そっか……じゃあティアフロットはできるだけ早く抜けた方がいいな。明日は昼も歩こう」

「えっ」

 エラは心配そうな顔で、不安そうな声をあげた。

「お日様の光は?大丈夫なの?」

「エラ、上見て」

 素直に上を向くエラ。昨日のように、綺麗な月がぽっかりと浮かんでいる。ただ……。

「ウィルっ、月のまわりになんか虹みたいなのがあるよ!」

 まわりに、ぼんやりと七色の傘がかかっているのだ。その幻想的な光景に、エラは歓声をあげた。

 ウィルが少し笑って言う。

「あれがかかっているから、明日は雨だ。だから大丈夫」

「ウィル……ありがとう」

 ふわりとエラが微笑んだ。ウィルはつい、ドキリとする。

「行く?」

「うん。行こう」

 エラがワンピースをギューッと絞りながら立ち上がった。ボタボタ落ちる水を避けながらウィルも立つ。


 再び歩き出した2人の頭上で。

 ──虹色の傘を被った月が、ゆっくりと黒い雲に隠されていった。


 *

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