017 親睦のプライベートクラブ(2)

「ぶ……げほげほげほ」


 ペリエを口に含んだところへ出し抜けに来たあやかの一言に昌真は激しくむせた。口に含んだ量自体は少なかったので漫画のように吹きはしなかったが、炭酸が鼻にまわってしまいすぐにはリカバリーできない。苦しみ悶える昌真に構わず、女子たちは和気藹々とガールズトークを続ける。


「どんなとこが好き?」


「んーとね。頭良くって、あたしがなに言ってもちゃんと拾ってくれて、やさしくて頼りになる!」


「なにその王子様。そんなのいるんなら私がほしいんだけど」


「だーめ! マキちゃんに昌真はあげなーい!」


 突如巻き起こった自分をめぐる恋バナに激しく狼狽しながらもむせるのが止まらず、昌真が口を挟めないまま会話は進んでゆく。


「あとねー、顔もけっこう好み!」


「高岡に復讐とか言ってたのに、高岡みたいな顔が好きなの?」


「あたしもう昌真が高岡に似てるなんてぜんぜん思ってないよ? 昌真は昌真だし!」


「……おい、酔っぱらってんのか」


 涙を拭きながら昌真はどうにかそれだけ絞り出すも、あやかは止まらない。のぼせ上がった表情で得意げに語り続けるその姿は、昌真の言葉通りほどよく酒がまわった酔っぱらいそのものだ。


「王子様かー。うん、マキちゃんの言う通りかも! 昌真はあたしの王子様!」


「でも付き合わないの?」


「うん。昌真の気持ちもあるし、あたしも恋愛の意味で好きかどうかはまだちょっとわかんないから!」


「そこまでわかってて何がわかんないのか私にはわからないなぁ。てゆうか、あやかちゃんロスジェネやめる気ないのよね? だったらそれわかっちゃったらまずいんじゃない?」


「そんときはそんとき!」


「……とか言ってるけど彼氏の方はどうなの?」


「彼氏じゃない! 第一、こんなはなししに来たんじゃないだろ!」


 半泣きで会話を止めにかかる昌真に、佐倉はきょとんとした顔で尋ね返した。


「そういえば、何のはなししに集まったんだっけ?」


「復讐だろ! 高岡への復讐!」


「えぇ、まだそんなの続ける気ぃ? もうどうでもいいじゃないそんなの」


「混ぜろっったのアンタだろが!」


 思わずツッコんだ直後、昌真ははっとして自分の失言に気づいた。


 ……そうだ、佐倉がもういいと言うのなら引っ張る必要などないではないか。ロリビッチ様も仰せの通り、高岡への復讐などもうどうでもいいのだ。「じゃ、やっぱナシね」でクローズしてしまえるのならそれに越したことはない。


 ……決定的な場面で台詞を間違えてしまった。いや、今からでも遅くは……。


「はいはいわかったわよ」


 だが昌真がその失言を取り消すことができないでいるうちに、いかにもやる気なさそうな声で佐倉が相づちを打った。


「だったらまずひとつ教えてほしいんだけど、キミたち高岡をどうしたいの?」


「え? ……いや、前に言った通り復讐したいんだけど」


「復讐って言っても色々あるじゃない。芸能界から追放したいの? それとも息の根止めたいの? まずそれをはっきりさせておかないと作戦も何もないんじゃない?」


 何でもないことのようにそう言う佐倉に、昌真は失言がらみの葛藤も忘れて軽い感動を覚えた。


 ……その通り。まったくその通りなのだ。それは本来、高岡への復讐を誓い合ったあの日に昌真とあやかの間で交わされるべき会話だった。なぜ俺はあのときこうして佐倉のように単刀直入に切り出すことができなかったのだろう……そんなことを思いながら昌真は、何を言い出すかわからないあやかよりも先に佐倉の質問に答えるべく口を開いた。


「俺としては芸能界から追放だの何だのって、そんな本格的な復讐は求めてないんだ。ほんのちょっと困らせてやれればそれで充分っていうか……まあそんなショボいことするくらいなら最初から何もすんなって話かも知れないけど」


「あらそうなの? 私のファンに高岡のこと刺させるとか言ってたのに?」


「ああ、いや……あれも半分ネタみたいなもんでさ。上手くいかないってわかってたからやってたようなとこあるし。実際、誰かが高岡刺すかもって思ったらやめてたと思う」


「まあそうよね。……てゆうか、安心した。私のこと落として、それで私のファンが高岡刺すとか本気で考えてるとしたら引いちゃうもの」


「ああ……うん。ささやかな仕返しでいいんだよ。下品な言い方になるけど、犬のウンコ踏ませるくらいの。それくらいでいいんだ。復讐って言っても、俺はそれくらいしか求めてない」


「ふうん、そう。あやかちゃんは?」


 ――来た。そう思って昌真は内心に身構えた。


 そもそものはじめから及び腰だった昌真とは異なり、あやかは一貫して高岡への復讐に大乗り気だったし、佐倉を落としてファンに高岡を刺させるという計画を立てたのも彼女だ。その計画を一緒になってやってきた昌真が口にした『上手くいかないってわかってたからやってた』という台詞は、ずっとあやかを裏切っていたという告白以外のなにものでもなく、彼女としては面白いはずがない。


 当然、堰を切ったような反発が来る……そんな覚悟を胸に昌真は恐る恐るあやかに目を向けた。


「あたしもそれでいいよ。昌真がそれでいいなら」


 だが、あやかの反応は予想外に穏やかなものだった。残り少なになった淡緑色のカクテルを眺めながら、夕飯に何を食べたいか訊かれて何でもいいよと答えるような気のない調子であやかは答えた。


 なんだろう……上の空というか、言葉通り高岡への復讐などどうでもいいと思っていることがまるわかりの様子に、昌真は逆に心配になってあやかを見守った。その視線に気づいたのかあやかはちらりと昌真を見て、いたずらを見つかった子供のようにまたぷいと目をそらした。


「そうねぇ。二人ともそれでいいってことなら、こういうのはどうかしら? 名付けて『ヤリチンの面目丸潰れ大作戦』」


「……詳しく聞く前にまずその作戦名どうにかしたいんだが」


「さっきの昌真クンの口ぶりからすると、自分たちの復讐にこれ以上他人を巻き込みたくないし、できればあやかちゃんと二人だけで何とかしたい……ってことでいいのかな?」


「ああ、そうなるかな」


「で、犯罪みたいな大事にはしたくない、と。自分やあやかちゃんもそうだけど、高岡にも致命的な傷が残るようなことはしたくない……ってことでいいのよね?」


「その通り」


「だったら高岡にちょっとした恥をかかせるのが一番だと思うのよ。作戦名にあるように、高岡の面目を潰してやるの」


「どうやって?」


「簡単よ。この前みたいに高岡に変装した昌真クンが、あやかちゃんにゲスな迫り方してフラれるの」


「……!」


「公衆の面前でそれやったら、きっと高岡にとって不愉快な噂が立つんじゃない?」


「うーむ……」


 佐倉の提案に昌真は思わず唸った。だが唸ったのは提案に不満があったからではない。むしろ目からウロコが落ちまくりというか、佐倉の口にするその作戦がなぜこれまで自分の頭から出てこなかったのかという思いで一杯になったのだ。


 ……そう唸らずにはいられないほど、佐倉の作戦は完璧だった。


 まず、これならば他の誰かを巻き込まずに済む。昌真があやかに迫ってフラれるだけなら、二人の中で完結するからだ。犯罪沙汰になるおそれも皆無と言っていい。昌真という一個人がアイドルとはいえただの女子を口説いたところで、法的な責任を問われるいわれはどこにもない。全国の高校生が日常的に繰り広げている恋愛イベントをなぞるだけなのだ。


 けれども高岡涼馬があやかを口説いたとなれば話は違ってくる。成人である高岡が未成年の女子に言い寄ればそれは犯罪の予備的行為、法的な責任は問われずとも道義的な責任は追及される。だがというところがこの作戦の核心だ。


 佐倉の言う通り、高岡が致命的な傷を負うことはなく、せいぜい恥をかかせるといった効果しか期待できない。だが迫り方をゲスなものとすることでその恥をある程度ブーストさせることはできる。結果、高岡は身に覚えのないことで男の沽券にかかわる類の恥を背負わされることとなり、胸の奥にやり場のない焦燥、姿の見えない敵に対するもやもやした負の感情を溜め込むことになる――


 つまり、に持っていける可能性があるのだ。


 こんな馬鹿げたことで感動する自分を呆れた目で眺めながらも、昌真は改めて佐倉マキという女の知性に感服せざるを得なかった。こと悪巧みにかけてはこの人の右に出る者などいないのではないか。そんな昌真の胸の内をよそに、佐倉はさっきまでと同じアンニュイな口調でその作戦について続けた。


「それにねぇ、記者なんて呼ぶ必要ないのよ。今の世の中、スマホさえ持ってれば誰だって情報拡散できるんだから」


「そうか……ソーシャルメディアか」


「そう。二十人に目撃されたとして、五人が写真撮ってて、そのうち二人でもどこかにアップしてくれれば充分じゃない? あとはどこまで尾ひれがつくかだけど、そのへんはまあ高岡の日頃の行いにもよるだろうし」


「……なるほど。たしかに」


「なにより登場人物が二人だけならいくらでも仕込めるんじゃない? 予め練習なんかもできるだろうし、そうすれば私のときみたいにあんな緊張しなくても済むでしょ」


 そう言って佐倉は意地悪な笑みを浮かべた。だが佐倉のそんな表情に昌真は反応もできず、真顔で見つめ返すことしかできなかった。……完璧な作戦だ、と改めて昌真は思った。たとえ俺がこの先十年考えてもこれほどの作戦は立てられない。


 同時に、佐倉が何のつもりで復讐に首を突っ込みたがっているのかとあれこれ邪推していた自分を恥じた。年長者らしい配慮と現実的な方法論とをもって、到底解くことなどできないと諦めきっていたこの問題の最適解を導き出して見せた――そのことを思って、一度は消え失せた佐倉へのリスペクトの念が再び昌真の胸の奥に舞い戻ってきた。……まあもっとも、あのときとは違ってあくまで恋愛成分抜きの人間・佐倉マキへの尊敬ではあるが。


「……降参。佐倉の作戦以上のものを思いつく気がしない。俺は全面的にそのナントカ作戦に同意する」


「『ヤリチンの面目丸潰れ大作戦』よ」


「……そう。そのナントカ作戦に同意」


 そう言って昌真は内心に深い溜息をついた。全身の力が抜けるような敗北感があった。……知恵比べにはそこそこ自信があるつもりだったが、自分など佐倉の足元にも及ばないことがこれでわかった。世界は広い。


 ともあれ、これでこの問題についても明確なゴールが見えた。そのゴールにたどり着くまでの筋道もはっきりしており、あとは実行に移すのみだ。ただそれを実行に移すためには俺だけでなく相棒の同意が必要になってくる。それがわかってか佐倉から、例によって昌真をまたぎ越してあやかへの質問が飛んだ。


「そう言えばロスジェネって、これから夏の全国ツアーよね。あやかちゃんも出るの?」


「うん、出ることになった」


「え、そうなの?」


「ゴメン、昌真には言ってなかったよね。実はあたしも出られるって教えてもらえたの、昨日なんだ」


「……いや、別に謝る必要ないけど」


「全国十都市とかまわって、千秋楽がロスジェネシアターだっけ?」


「うん」


「だったらその千秋楽のライブを昌真クンが観に行く、っていうのでどう?」


「え、昌真がライブ観に来てくれるの!?」


 それまでなぜか消沈していたあやかが佐倉の一言で色めき立った。ロスジェネシアターというのはロスジェネの本拠地であるホームスタジオで、たしかここからそう遠くない場所にある。だから作戦のために昌真がそこへ出向くことは物理的には可能なわけだが、昌真としてはそう言われて「はいそうですか」と頷くわけにはいかない。


「待て待て待て。なにも俺がライブ観に行く必要ないだろ」


「大アリよ。落とそうと思ってる子のステージ見に行かなくてどうするのよ」


「……そうかあ?」


「本気で高岡の風評下げたいんなら全部のライブでさっき言ったのやるべきなんだろうけど、さすがにそれじゃ昌真クンのお金が続かないだろうし、高岡がストーカーになっちゃうのよね。だから千秋楽ピンポイント」


「……むう」


「私としてはそれがベストだと思うけどなぁ。それとも、どうしてもあやかちゃんとこのライブ観に行きたくない理由でもあるの?」


「……いや、別にそういうわけじゃないけど」


 ……どうしても観に行きたくないわけではない。あやかと出会う前の自分だったらアイドルのライブに行くことなど死んでもご免と断ったのだろうが、あやかや佐倉と知り合った今、昌真の中でアイドルへの偏見は急速に薄れつつある。ぶっちゃけ、今はあやかが立つというそのライブにわずかではあるが興味さえあるのだ。


 それでも俺が行かないということになれば、やはりそれは食わず嫌いということになるのだろう。いずれにしてもここは俺が我を張るシーンではない。あまり気は進まないが、作戦自体非の打ち所がないものであることははっきりしているのだ。


「わかったよ。そのライブ観に行く」


「なら決まりね。最終日の一発勝負。流れとしては、そうねぇ。人目につくところで無理矢理キスしようとしてバチーン、ってとこでどうかしら」


「そこまですんの!?」


「当たり前よ。そのくらいインパクトがないとね」


「……それはそうかもだけど」


 たしかに一回でキメるのであればそのくらいの演出は必要なのかも知れない。それに……そうだ。ここで重要なのは高岡のアプローチをあやかが毅然とした態度で拒絶して見せることだ。そうすることで初めて、あやかは単に言い寄られているだけで自分からはなびくつもりがないことをはっきりと示せる。


 そう考えれば佐倉の提案はやはりパーフェクトと言うべきか、ここまできても隙がない。だがそれでも俺があやかにキスを迫ってひっぱたかれるというのは……。


「……」


 そこでふと、昌真は隣で所在なさそうにしているあやかに気づいた。最初の方のハイテンションが嘘のように、押し黙ってグラスを眺めている。


 あやかが真っ先に食いついてきそうな話の流れになっているのにどうしたのだろう。……ただ、そういえばさっきも様子がおかしかった。思い当たる節があるとすれば俺を好きだの何だのと言っていたあの告白まがいのやり取りだが、あれだけノリノリで喋りまくっていたものを今さら恥ずかしがっているとも思えない。


 いぶかしく思って見つめていると、あやかは一瞬こちらに目を向け、だがすぐに逸らしてしまう。恥ずかしがっているというより気まずそうだ。……いったいどうしたというのだろう。話しかけられないでいる昌真を尻目にまた横からさらっていったのは佐倉だった。


「さっきから静かだけど、あやかちゃんはそれでいいの?」


「え? ……うーん、あたしに昌真ひっぱたくとかできるかなあ」


「女優志望なんでしょ? それくらいできないと」


「そっか……うん、そうだよね。昌真がライブ観に来てくれるんならやってみる!」


「なら決まり。私は顔も口も出すつもりないし、あとは二人でよろしくね。ひっぱたかれた昌真クンの写真どっかのSNSで見るの楽しみにしてるから」


「へいへい」


「あと、言っとくけどくれぐれも――」


「ん? なに?」


「……ま、いっか。頑張ってね」


 高岡への復讐についてはそれで終わりだった。そのあとはほぼ佐倉のモノローグによる業界の四方山話――と言うより愚痴にしばらく付き合って、それでお開きになった。


 気がつけばもう九時だった。あやかは佐倉がタクシーで送って行くということで、昌真とは店の前で別れた。佐倉の申し出に一応は遠慮する素振りを見せながらも結局タクシーに乗っていったところをみるとあやかはやはりそれなりのお嬢さんなのだろう。そして佐倉はやはり面倒見の良い先輩だったということになる。


 一人電車に揺られて帰る家までの道すがら、車窓に映る夜景を眺めながら昌真は今日の会合を振り返った。


 ……結果だけ見ればベストと言って良かった。佐倉への禊ぎは果たせたし、あやかは今日一日でずいぶん佐倉と親しくなったように思う。高岡への復讐に関しても懸念していたような佐倉の介入はなく、そればかりか理想的なゴールにたどり着くためのロードマップまで得られた。


 ……けれども昌真の心は晴れなかった。終わり際にあやかが見せていたダウナーな態度が気にかかり、店を出て別れるときも何となく後ろ髪引かれる思いだったのだ。あやかが途中まではウザいほどのテンションで佐倉とやりとりしていたことも、後半以降の態度を気にする理由になっているのかも知れない。


 それでも家に着く頃には、所詮あの場限りのことだったのだろうという結論に落ち着いた。今夜はもうないにしても、明日になればまた彼女から電話がかかってくる。そうして今後は『ヤリチンの面目丸潰れ大作戦』についての打ち合わせがそこに加わる。一難去ってまた一難ではないが、まだまだ終わらない。明日学校に行けばもう夏休みだが、そこではきっとまた嵐のように騒がしい日々が待ち受けているのだ。

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