016 親睦のプライベートクラブ(1)

「――って私が言ったらさぁ、この子なんて言ったと思う?」


「なんてなんて?」


「すっごいキメポーズで『そんなんでこの俺が落とせると思ったら大間違いだぜ、お嬢さん』だって」


「うわ、なんかアダルトな台詞! それでそれで?」


「でもね、この子ってば声が震えちゃってるの。憧れの先輩に告白する中学生みたいに。もうお姉さん可愛くって、可愛くって」


「えー、昌真が? いいなー、あたしも見たかったなー、昌真がそんな風になるとこ」


 ……ウザい。こいつらマジでウザい。


 そう思いながら昌真は佐倉のお薦めということで頼んだノンアルコールカクテルのグラスを傾けた。いっそ酒でも飲みたい気分だがホストである佐倉の手前そんなことができるはずもない。


 そもそも会員制で小規模とはいえクラブなどという場所に自分がいることからして「非行」の二文字が浮かぶ。シンガポールにいる親が聞いたらいったいどんな顔をするだろう……だがそんな昌真の述懐はまたしてもかしましい声に掻き消される。


「それでね、シャワー浴びて部屋に戻ったとき言ったのよ。『で、キミって誰?』って。そしたらすごかったの」


「どんな風に? どんな風に?」


「ベッドからぴょーん! って跳んで土下座したの。もう高々とぴょーん! って。ホントすごかった。あんなの漫画でも見たことない」


「わー、それも見たかった! やっぱりあたしも着いてけばよかったなー」


「ラブホテルまで?」


「ラブホテルまで!」


 ……本当にウザい。ウザいことこの上ない。


 俺の話で盛り上がるのはいいがせめて二人でいるときにやってくれと声を大にして言いたい。……と言うか、こんな場所に連れてきた者の責任として注意深く観察していたからそんなはずはないのだが、このテンションを見るだにあやかにはアルコールが入っているとしか思えない。


 ……まあ実際は初めての空間にはしゃいでいるだけなのだろうがそれにしてもはしゃぎすぎだ。俺たちがここに来た目的はそれだけではないが、ひとつには謝罪のためだということを忘れたのだろうか。


 ――あの日、悲壮な覚悟をもって待ち受ける昌真に対し、佐倉の口から告げられた落とし前の内容は、『面白そうだから自分も高岡への復讐計画に混ぜろ』というものだった。あまりにも寛大なその処置に昌真は危うく落涙しそうになり……というか普通に少し泣き、ひれ伏して何度も礼を言ったが、帰宅後、冷静になって考えてみるとこれがなかなか厄介な注文であることに気づいた。


 まず、これで高岡への復讐を簡単にはやめられなくなった。昌真としては今回の佐倉へのアクションが作戦のクライマックスであり、ひとつの区切りだと考えていたわけだが、佐倉が合流して仕切り直しとなればまだ先は長いということになる。


 だがそれ以上に、佐倉の真意が掴めないというのが怖い。悪ふざけの延長でちょっと首を突っ込んでみたいといった程度であればいいのだが、何か含むところがあって真剣に高岡を潰したいから協力を申し出たということであれば大問題だ。ほぼ不能犯である俺たちとは違い、佐倉が本気になればガチで高岡を潰しかねない。その片棒を担ぐ俺たちも当然無事では済まないだろう。もしそんな展開になったら俺はどうすればいいのか……。


 そんな懊悩の中に三日間を過ごし、戦々恐々として昌真はこの日を迎えたのである。……それが蓋を開けてみればこの有様だ。


 佐倉が指定してきたのは繁華街の少し奥まったところにあるマンションのようなビルの一室で、インターフォンを押すと佐倉が応対し、わざわざ入り口まで出迎えてくれた。会員制のクラブであるというそこは意外に落ち着いた内装の二十帖ほどのホールで、ヒスパニック系と思しき外人が二人、スペイン語の洋楽に合わせてゆったりしたダンスを踊っていた。


 事前に言い含めておいた通り、あやかは最初こそしかつめらしく頭を下げて謝罪の言葉を口にしたが、佐倉の『そういうのいいから』の一言で態度を和らげ、二人してキャッキャウフフと盛り上がる今の状態になるまでに何分もかからなかった。


 昌真を真ん中に三人並んでカウンターに座る構図はいわば両手に花だが、疎外感のあまり昌真は何度も逃げ出すことを考えた。


 あやかとは毎日電話で話しているものの実際に顔を合わせるのはこれが二度目であり、佐倉に至っては三日前に初めて会ったばかり。そんな女子二人と、クラブなどという完全にアウェイな空間で会って話すことなど、女慣れしていない昌真にとっては拷問以外のなにものでもなかったのである。


 それでも救いがあるとすれば、彼女たちの間で交わされるほとんど言葉責めとも言うべき会話の内容を理解できる者が昌真以外店の中にいないことだ。


 まだ午後七時と時間が早いこともあってか客は昌真たち三人と踊っている二人の外人しかおらず、勤務中だろうにさっきからスマホをいじっているバーテンダーも見るからに外人である。踊っている二人がこの恥ずかしい会話の中身を理解しているかは未知数だが、バーテンダーが日本語を受け付けないことはファーストオーダーで確認済みだ。


 ……それにしても「嫐」という漢字そのものの位置関係で両サイドからの陵辱に晒されているためか喉が渇いてしょうがない。最初の一杯は奢りだと言って佐倉が頼んでくれたが、瀟洒なカクテルグラスにがれたそれはもう飲み干してしまった。


 メニューを手にとって眺めてみるとさすが会員制というべきかおしなべて高い。一杯二千円のカクテルとか何の冗談かと思う。昌真は仕方なく、これも定価に比べれば驚くほど高いがメニューの中では一番安かったペリエをボトルで頼み、最初に注文したときの佐倉に倣ってその場でバーテンダーに料金を支払った。


「あれ? キミって帰国子女?」


「俺が? まさか」


「へえ……それにしちゃなかなかの発音ね」


 佐倉の褒め言葉に昌真は応えなかったが、内心悪い気はしなかった。勉学とはもっぱら関係なく、きれいな英語の発音を身に付けるために人知れず頑張ってきたからだ。


 と言うのも、いつかテレビで見たいわゆる素人カラオケ選手権での一人の女性の歌唱に衝撃を受けたのがトラウマになっているのである。その女性の歌唱力は相当なもので、サビに向かうパートなど手に汗握りながら聴いていたのだが、いよいよサビに入り熱唱する女性が口にした“automatic”の“ti”がモロに『ち』だったのだ。


 サビの最も盛り上がったところでそれがきただけに昌真は唖然として声も出ず、歌唱後にもっともらしい講評を並べている審査員の話もまったく頭に入って来なかった。


 その事件があってからというもの、昌真は向上心と言うよりほとんど恐怖心から発音のトレーニングに取り組んできた。もちろん、自分が歌うときに似たようなことにならないためである。だから佐倉の言葉は素直に嬉しかったし、店に入ってからずっとささくれ立っていた心が少しだけ慰められた――そんな昌真のそこはかとない心の動きを無視してまたしても隣の酔っ払いあやかが割って入ってくる。


「じゃじゃーん! 実は薫ヶ丘なんだよこの人!」


「薫ヶ丘って?」


「知らないの!? すっごく頭いい子ばっかり通ってる高校! みんな東大行っちゃう! みたいな!」


「んなわけねえだろ。東大なんか学年でせいぜい二十人行ければいい方だ」


「でもすっごく頭いいとこ! そんな学校通ってるの! この人!」


「てゆうか、なんであやかちゃんが自慢げなの?」


「そんな人と知り合いなんて鼻が高いじゃん!」


「……普通逆だろ、この状況で鼻が高いってことなら」


「ホントそうよね。高校生なのにアイドル二人も侍らせちゃっていい身分ね、キミってば」


 いい身分もクソもあるか。どうしてこうなった……と、出されたばかりのペリエを口に含みながら、昌真は相変わらず冗談のような状況に置かれた自分を思って深い溜息をついた。


 そんな昌真を、佐倉はじっと覗き込むように見つめていたが、やがて視線をその奥のあやかに移しておもむろに口を開いた。


「ねえ、あやかちゃん。昌真クンってさ、さっきみたいに良い学校通ってるって話すると嫌がるでしょ」


「え、どうしてわかるの?」


「やっぱりね。……ふうん、そういうことか」


 納得したように呟きながら佐倉はまたじろじろと昌真を見つめてくる。……佐倉が何を悟ったのか、昌真にはなんとなくわかった。その理解を裏打ちするように、隣からあの日の喫茶店を彷彿とさせる甘やかな呟きがもれた。


「すっごく勉強ができる男の子かぁ。そういう人と付き合ったことないし、ちょっといいかもね」


 そう言ってカウンターの下で脚をぶらつかせる佐倉から目をそらして、昌真はフンと鼻を鳴らした。あの日ラブホに連れ込まれる前だったらまだしも、貴様のおぞましい正体を目の当たりにした今の俺にそんな言葉が効くとでも思ったか。


 ……などと思いながらも、煩悩の犬であるところの昌真の脳内にはあの日見た一糸まとわぬ佐倉の姿がもやもやと蘇ってくる。その像を消すために頭をシェイクしようにも熱っぽい視線を向けてくる佐倉の前でそんなことができるはずもなく、今にもまた身体の一部が変形し始めるのではないかという焦りの中、古文における品詞分解のためのユーティリティ、未然形接続の助動詞を暗唱することで対処せざるを得なかった。


 むずむずする蕁麻疹で死んださすらいの魔法む・ず・むず・す・る・じ・まし・しむ・さす・らる・まほし師。そう、こういったものはみんな語呂合わせで覚えてしまえばいいのだ。でもって終止形接続は――


「昌真クンはさ、アイドルと付き合いたいと思ったことないの?」


「ない」


「あら即答」


「その発想自体なかった」


「ああ、無理無理。この人、アイドル嫌いだから」


 いかにもツウぶったすまし顔の前でひらひらと手を振ってあやかが言う。


「そうなの?」


「最初に会ったとき面と向かって言われちゃった。無料でチケットもらってもライブ行かないって」


「ふうん。でも、それなら逆にすごいかも。アイドル嫌いなくせに、現役アイドルの裸、二人も見ちゃうなんてね」


「ちょ……あやかのは見てねえって!」


「え? どういうこと!? マキちゃんのは見たの!? 信じらんない!」


「ああ、いや……それはだな」


「くーやーしーいー! こんなことならあたしも脱いどくんだった!」


「って、そっちかよ!」


 気がつけばいつものノリである。他愛もない二人の掛け合いを佐倉はクスクスと笑いながら聞いていたが、やがて昌真に向き直ると少し改まった声で言った。


「ねえ、昌真クン。アイドルぎらいってことだけど、女子監獄プリズンのことはどう思う?」


「どう思う、っていうと?」


「こんな商売してるとアイドルぎらいの人に会うことって少ないのよね。アイドルが嫌いなキミの目から見て私たちのユニットってどうなのかな? って」


「ああ、そういうこと」


 ……なるほど佐倉らしい切り口の質問だ。アイドルに何の期待も幻想も持たない醒めきった視点での感想がほしいということなのだろう。ここはひとつ真面目に答えなければならない。そう思って昌真は頭の中に質問の答えを探した。


「……特に好きでも嫌いでもないかな。ただ檻で女の子守るのにうまい口実つけて売りにまでしてるってとこは評価できる。歌もキャッチーなの多くていいと思うよ。まあ言うほど聴いてないけど」


「はいはい! だったらあたしのところは!?」


 当然のようにあやかが切り込んでくる。だが女子監獄の方とは違って、ロスジェネの印象は少し口に出しづらい。


「……正直に言うと、ジュークボックスってシステムはすごいと思うけど、ロスジェネ自体は好きになれない」


「えー! なんで!?」


「名前が嫌い」


「なんでなんで!? いい名前じゃん!」


「あ、ひょっとしてキミ、フィッツジェラルドとか読む人?」


「え? ああ……まあ、そう」


 ……さすがは佐倉といったところか、こんなところまで見抜かれてしまう。だがあやかの方はまだ納得がいかないようで、なぜロスジェネの名前が駄目なのかフィッシュなんとかというのはどんな魚かとやかましい。


 こうなるとフィッツジェラルドが魚ではなく小説家の名前であることから説明しなければならないわけだが、例によっておかしな方向にいくだろうというのは容易に想像がつく。その辺を考慮し、あやかの質問には答えないまま、昌真は言葉を重ねた。


「世界観は悪くないと思うよ。好き嫌いはあるだろうけど、あのノスタルジックな曲調には世代を超えた需要があると思うし」


「そう! いい曲多いよ! ロスジェネ!」


「ただ、何と言っても恋愛禁止のルールだな。俺、あれ大嫌い」


「えー! 昌真は自分の推しの子に彼氏とかいてもいいのー!?」


「そもそも推しの子なんかいねえし。第一、上の方の子が恋愛沙汰になってもなんだかんだでお咎めなしだけど、下の方の子がそれすると一発でクビってのが不公平で気に入らない」


「またそうやってディスるし! もっといいとこないのー!?」


 玩具をねだる子供のように手足をバタつかせてあやかはなおも食い下がったが、昌真としてはもう何も言うことはない。良くも悪くも、そのあたりが昌真の目から見たロスジェネの評価であり、一言でまとめれば「あまり好きじゃない」ということになる。


 なにより言葉に出した通り、ロスジェネをロスジェネたらしめている一大特長であるところの恋愛禁止というルールが最も気に食わない。それは昌真に今はもうなくなった中国の風習である纏足を思わせる。女子の足を小さな頃から窮屈に締め上げて人為的な奇形を作り、成人しても未発達のままの足をもって性的なチャームポイントとなすという極めて野蛮な風習だ。


 ファン心理など昌真の知ったことではないが、恋愛するのが仕事のような年頃の女子たちに恋愛するなと言うのは、男の偏執的な嗜好に合わせて本来健全であるべき女子の要素を歪めているという点において纏足と変わらない――それが昌真の価値観だった。


 そこへきて陰では男と付き合っているメンバーも少なからずいるのだろうという想像が加わるともう駄目だ。そんな薄汚い話にはとてもついていけない。つまるところ昌真にとって、ロストジェネレーションというアイドルグループにまつわる全てが理解不能な異世界の産物なのである。


 ……ただ、あやかと出会ったことでそんな昌真の考えも少しずつではあるが変わってきている。少なくとも昔ほどにはロスジェネ――と言うよりもっと大きくアイドルというものを嫌いではなくなった。


 そのことに間違いはない。そのあたりを伝えればあやかも納得してくれるかも知れない。そう思って昌真は口を開きかけた。だがそれよりも佐倉の質問が早かった。


「ねえ、あやかちゃん」


「なに?」


「あやかちゃんはさ、どうしてアイドルやってるの?」


「決まってるよ! 見てくれた人を元気にするため!」


 即答だった。椅子から立ち上がらんばかりの勢いでそう言ったあと、あやかはふと思い出したように表情を曇らせ、少しだけしんみりした調子で続けた。


「……けど、なかなかうまくいかなくって。初めて電話したとき言ったよね、マキちゃんに憧れてるって。あれって実はホントだよ。マキちゃんみたいになれたらなあ、っていつも思ってる」


「そんなの私だって一緒よ。理想のアイドルになんか全然なれてないもの」


「……参考までに、佐倉の言う理想のアイドルってのは?」


「私もあやかちゃんと一緒よ? ファンを元気にできる人。それが理想のアイドル」


「マジか!」


「なに驚いてんのよ。アイドルの存在理由なんてそれ以外にないでしょ」


「……いや、失敬」


 佐倉には失礼ながら、口に出してしまった通り正直意外だった。あやかはわかるにしても、エロスとスキャンダルに彩られたこのロリビッチのどこにファンを元気にする要素があるというのか。


 ……けれどもすぐ、それが浅はかな考えであると思い直した。反感を買うだけでトップアイドルにのし上がれるわけがない。自由奔放に振舞ってはいても、ファンを元気にしたいという行動原理に貫かれているからこそ、佐倉マキというアイドルは多くの人から支持されている――そういうことなのかも知れない。


「それにしてもビックリね。能面ちゃんもキミの隣だとこんな表情豊かになるんだ」


「能面ちゃん?」


「あやかちゃんの渾名よ。私のロリビッチみたいな。いつも能面みたいに無表情だからって」


「……ああ、なるほど」


「いっそキミがいつも隣にいればあやかちゃんももっと人気出るのかもね」


「あ、それっていいアイデア! 昌真、私の専属マネージャーやらない?」


「やらない」


「えー、なんでよー!?」


 言下に返しながら昌真は、漠然とした苛立ちのようなものがむらむらと胸に沸き起こってくるのを感じた。


 ……能面? 能面とはなんだ能面とは。そんなことを言うやつらが、いったいこいつの何を知っているというのだ。


 次第に大きくなってくる黒い感情を鎮めるため、昌真はもう残り少なくなったペリエのボトルに手を伸ばした。……どうも俺は苛立つと喉が渇くタチの人間だったらしい。


 そんなことを思う昌真を間に挟んで、佐倉は慈しむような目であやかを見て言った。


「ねえあやかちゃん。あなた、昌真クンのこと好きなの?」


「うん。好きかも」

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