015 顕現のファムファタル(2)
「あはははは! あはは! ウケルー! バッカじゃないの、キミたち!」
さっきまで昌真がそうしていたようにベッドのへりに腰かけ、手にしたビールを口に含みながら可笑しくてしょうがないといった感じで佐倉は脚をバタつかせた。……全裸のまま、である。
床に正座したままローアングルでそれを眺める昌真としては非常に目のやり場に困る。謝罪している立場上、あからさまに目をそらすわけにはいかないし、さりとて真っ直ぐに見れば嫌でもその身体が目に入ってくる。佐倉がそれをわかってやっているのだということに気づいたとき、昌真の中にくすぶっていた彼女への淡い憧れめいたものはきれいに消し飛んだ。
……やはりこの女はビッチだった。ただそこらにいるようなビッチではない。とんでもなくスケールのデカい正真正銘のクソビッチだ。
「だいたいねえ、私が枕なんてするはずないじゃない。あんなのは枕すれば売れるって信じてる売れない子がするものよ」
……何だろう、この説得力。たしかにこの女は枕など絶対にしないだろう。それはつまり、俺たちの作戦が根底から間違っていたということだ。
高岡に扮した俺が声をかけてホイホイついてくるような女なら枕をやっているとみなしていい――その前提は誤りだった。ビッチであることと枕をやるような女であることとはイコールでもニアリーイコールでもなかったのだ。
……まあそもそも枕をやっているようなアイドルであれば巻き込んでも問題なしという論理からしておかしかったのだが、缶ビール片手に全裸で説教を垂れるこの人を眺めていると、自分がいかに業界の常識を知らない矮小な存在であったかがよくわかる。もちろん、相方である某アイドルも含めて。
「それに私まだ処女だしぃ、そんな安売りするってのもねぇ?」
「……」
「やっぱり初めては、この人ならって思える人にあげたいしぃ。ねえ、そう思わない?」
てめえが処女なわけねえだろこのクソビッチ――とツッコミたい気持ちをぐっとこらえて短く「はい」とだけ返した。
……そういえば一ヶ月ほど前に似たような場所で同じく処女だと主張するアイドルを前に同じようなツッコミを入れたなあと懐かしく思い出し、自分がこの一カ月余り、いかに愚かな時間を過ごしてきたかということをつくづくと思い知らされる。
――結局、佐倉には洗いざらいすべてを話した。
あやかにラブホテルに連れ込まれた顛末も高岡への復讐をめぐって意気投合したことも、佐倉をターゲットに定めた理由もそのために近づいたことも今日のあやかのドタキャンも何から何まで全部。
その一部始終を佐倉は脚をバタつかせ、文字通り腹を抱えて笑いながら聞いていた。怒った様子でもなさそうなことがせめてもの救いだが、内心はどうだかわからない。
事実、裸でベッドに座る彼女の前で土下座させられたままの昌真は、こうして拷問ともご褒美ともつかない精神的責め苦を味わわされているのである。
「あ、その顔。どうせキミ、こいつ絶対に処女じゃないとか思ってるんでしょ」
「……ええ、まあ」
「だったら確認してみるぅ? ちゃんと見えるようにもう少し脚開いてあげよっかぁ?」
言いながら脚を組み替える佐倉からたまらずに「くっ!」と目をそらす。いっそ一思いに殺してほしい、というくらいの心境だ。まさにくっころである。
……なぜだろう、裸になっているのは佐倉で俺は服を着ているのに、辱めを受けているのは明らかにこっちだ。しかもこんな状況だというのに煩悩の犬であるところの俺はしっかりと目の前の裸に反応してしまっている。変形した身体の一部はジーンズを突き破らんばかりで正座でも隠しようがなく、当然佐倉も気づいているだろうしその屈辱といったらない。
ともあれ、佐倉にはせめて下着なりとも身に着けてほしいのだが、自分が目にしている裸に下着だけ着けた姿を想像するとそれはそれでひどく艶めかしく煽情的で、かえって自分を追い込む結果になりはしないかと思う気持ちが先行して何も言い出せず、今もなお全裸の佐倉と対峙せざるを得ない状況に陥っているのである。
……と言うか、こいつは処女ではない。あやかのことはまあ処女と信じてやらないでもないが、たとえ世界がひっくり返ってもこの女が処女であることなど絶対にあり得ない。んなわけあるかこのクソビッチ。
「だいいちね、私のファンにそういう人あまりいないと思うよ? 握手会に来てくれるのだってファンだかアンチだかわかんない人ばっかりだし」
「……」
「そういう思い込みが強いファンの人って、もっと大人しい子に多いんじゃないかな? ほら、ロスジェネの三番目の子とか」
「……なるほど」
たしかにそうかも知れない。ロスジェネの三番目の子と言われたところで顔も名前も思い浮かばないが、思い込みが強いファンは得てして大人しめのアイドルにつくというのは一理ある。
だがそんなことよりも平然とした澄まし顔で胸の前に腕を組む佐倉が気になって話がぜんぜん頭に入ってこない。腕の上にのっかっている背格好の割には豊かな胸が彼女の喋りに合わせ放縦にその形を変え、しかもたびたび脚を組み替えるものだからその深奥に息づくものまで目に入ってきてしまう。
……いずれにしても童貞には刺激が強すぎる。こうしている今も身体中の色んなところから血が噴き出すのではないかと気が気ではない。あと、血以外の何かも。
「……あの、すみませんが服着てもらえませんか?」
「嫌よ」
「……そこを何とか」
「イ・ヤ! だいたいねえ、キミにそんなこと言う権利あると思ってんの?」
「……」
「いーい? 私はハメられかけたのよ? ダブルミーニングで」
「……ダブルミーニングですか」
「それ考えたらこのくらいの仕返しさせてもらっても悪くないと思わない? あと敬語やめて」
「……へい」
「それで、どうしてキミは高岡涼馬に復讐しようだなんて思ったの?」
「……いや、その」
「言いたくないんだったらまたプロファイリングしてあげよっか?」
「……」
「そうねえ。喫茶店で聞かせてくれた話からするとキミも音楽をやってるってことかな? しかもかなり本気で。けどそんなに高岡涼馬に似てたんじゃデビューは無理。高岡のせいだ、こらしめてやろう! ってとこ?」
「……」
……見抜かれている。と言うか、また見抜かれた。この説教が始まってからというもの、ほとんどESPと言ってもいいレベルで次々と裏事情を看破してゆく佐倉にビビりまくっているのである。
何より驚きだったのは、佐倉が最初からすべてわかった上で俺たちの筋書きに付き合ってくれていたということだ。
最初にあやかから電話がきたとき明らかに怪しかったけど何を企んでいるか知りたかったから乗った。今日のお誘いもドタキャンされるってわかってたけど何が起こるか面白そうだから乗った。俺が高岡でないことも喫茶店に入る前には気づいていたが羊みたいに怯えてるこの子がどんな口説き方してくれるんだろって興味があったから罠と知りつつ俺たちの敷いたレールに乗った――
と、見かけ上順風満帆だった俺たちの作戦は、蓋を開けてみれば実に残念なことになっていたのである。
掌の上で遊ばれていた、という表現がここまでしっくりくる事例も珍しい。喫茶店でみせた頭のキレは本物だった。……いや、おそらくこの女は常人である俺の想像など及ばないほど、それこそ悪魔のように頭がいいのだ。
「でも、それだけじゃないか。あんなに高岡涼馬の曲のこと知ってて、歌詞の意味まで考えてるってのは普通じゃないし。でも高岡涼馬の曲が大好き、って感じでもないみたいなのよね……あ、わかっちゃった。やりたいこと先にやられちゃった感じ? それとも近親憎悪? 出来のいいお兄ちゃんがいる弟、みたいな? あーん、やっぱりキミってかっわいー! ほんと食べちゃいたいくらい!」
……挙句の果てにはこんなところまで見抜かれる。長年一緒にいるコータローですら断片的にしか掴めなかった俺の内面の在りようを、会って半日も経たないこいつがなぜこうも正確にトレースできるのだろう。
……と言うか怖い。この女マジで怖い。
脚をバタバタさせて笑っている姿は小生意気なローティーンの
競争の激しい芸能界でこの女がトップアイドルとして君臨している理由が何となくわかった気がする。
エロ系のキャラやブラックな言動などこいつの一要素でしかない。実際の佐倉マキは初対面の男の前で何の抵抗もなく裸を晒す真性のビッチにして、わずかな情報から相手の深層心理に近いところまで読み取ってしまう人間観察の天才、そしてあくまで好奇心に忠実な猫でありながらその好奇心によっては決して殺されない冒険者、そんな幾つもの個性をそれぞれ究極に近いレベルで併せ持つ圧倒的な
そんなモンスターじみた女を相手にあんな児戯にも等しい作戦で騙そうとしていたのだから烏滸がましいにもほどがある。あるいは、俺は芸能界というものを侮っていたのかも知れない。テレビの画面越しに見ているだけではわからなかったが、こんなやつがゴロゴロしているとすればそれはもう現世ではない。魑魅魍魎が跳梁跋扈する人外魔境に他ならないのであり、迂闊に足を踏み入れてはならない世界だったのだ。
「それで、もう一度聞くけどキミって
「え? ……いや、だから俺は高岡涼馬のフリしてただけで」
「高岡涼馬とかどうでもいいの。私はキミのこと聞いてるんだけど」
それまでより少し真剣な顔でそう言うと、佐倉は両腕を後ろについてぶらぶらと脚を揺らした。土下座したままの昌真を下目遣いに見るその表情は幼げながらも不遜な色に充ち満ちており、ローアングルから見上げる昌真にはいっそう傲岸な、まさに女王様といった感じに見える。
「ホントのこと言うとね、ここに来るまでキミが高岡の偽物かそれとも本物か半信半疑だったの」
「え……でもさっき」
「そう。声かけてすぐ『あ、違うな』とは思ったのよ。でも喫茶店入って話してるうちにわからなくなっちゃって。偽物にしてはやけに本気で音楽のこと考えてるみたいだし、私が高岡の曲でわからないと思ってたことみんな解決しちゃうし。ねえ、あれってみんなキミが考えたこと?」
「……ええ、まあ」
「ふーん。なかなかすごかったよ。私、感動しちゃった。特に『イミテーション』の話とか、なるほどなあって。あそこまで深く考えてる人、コアなファンでもなかなかいないんじゃない?」
「……どうも」
「そういうの聞いてるうちに、『あれ、ひょっとしたら本物なのかな?』とか思い始めちゃって。それでキミ、喫茶店で話してるとき最後にキレちゃったでしょ。あれが決定打だったのよね。『あ、これ本物かも』って」
「……え、どうしてですか?」
「やっぱり知らなかったんだ。有名な話よ? 高岡が音楽のことだとすぐキレちゃうって。あと敬語やめてって言ってるでしょ」
「ああ……うん」
「でも何か違う気もしたし、まあ抱かれてみればわかるかなって思ってこんなとこまで来ちゃった。でも、シャワー浴びてるうちに考えちゃって。いくら何でも本当の名前も知らないような人に抱かれちゃうのもどうかな、って。だからあんな風にカマかけてみたの。すっごいリアクションが来てびっくりしたけど」
「……」
「でね、何が言いたいかっていうと、私はキミが高岡だからこんなとこに連れてきたんじゃないってこと」
「……」
「私はキミに興味があるの。だからキミって誰、って聞いたんだけど」
「……そう言われても、何て答えたらいいか」
「だったら聞き方変えようか? キミが他の人より優れたところって何?」
「……」
「私、これでも男見る目には自信あるのよね。普通じゃない何かを持ってる男じゃないとピンとこないの。喫茶店で話してたときからずっとそれが気になってて。キミ、何か持ってるでしょ? 普通じゃない何か」
「……」
「それが何か教えてくれない? 答えによってはキミにあげてもいいよ、私の処女」
佐倉はそう言って前屈みになり、昌真にぐっと顔を近づけてくる。童女を思わせるくりくりした大きな目が、心の底まで覗き込むようにじっと昌真を見つめる。
……だから処女じゃねえだろ、ともう一度内心に毒づいて、けれども昌真は素直に佐倉から投げかけられた質問の答えを探した。もちろんとうの昔に失われているであろう佐倉の純潔が欲しかったからではない。彼女の言うようなものが本当に自分の中にあるのか、それが気になったのだ。
ただ、答えはすぐに見つかった。音楽への夢を断ち切った今、人よりも抜きん出た何かが自分にあるとすれば、それは勉強以外あり得ない。けれども、それを口に出すことは躊躇われた。と言うより、それしかないということがわかっていても昌真は、勉強が自分の中で他人には負けないと自信を持って言える唯一の能力だなどとは死んでも認めたくなかった。
「……言いたくない」
「どうして?」
「言いたくないんだよ。どうしても」
謝罪している立場も目の前の裸のことも忘れて、吐き捨てるように昌真は言った。そうしてすぐ、相変わらず俺は小っせえなあ、と自分が口にしたばかりの台詞に泣きたくなった。
……この期に及んで勉強だけの人間と思われたくないなどと、そんな黴の生えたプライドに縋りついているのだから笑わせる。こんなことだから俺はモテないのだ。言ったら処女をあげると言ってくれている女がいるのだからテキトーに言っておけばいいではないか。たとえその女が処女でないことは火を見るより明らかだとしても。
「ふうん。まあ言いたくないならいいよ。だったら話変えるけど、キミ、この状況どう思ってるの?」
「どう……っていうと?」
「今のこの状況ってさ、すっごく私に失礼じゃない?」
「……どのあたりが?」
「キミが私に手出してこないあたり」
「……ああ、そこ。……ってそこ?」
「据え膳食わぬは男の恥って言うけど、本当に恥ずかしいのは食べてもらえない据え膳の方なんだよ? そのへんわかってる?」
「……いや、でも」
「だいたいキミさあ、シャワー浴びて出てきた私がぼーっとした目ですっごく情熱的に抱きついてたらどうするつもりだったの? その状況でウソでした、ボク高岡のなんちゃってでした、とか言えたの?」
「……」
「今だって私、けっこう傷ついてるのよね。アイドルだし、身体にも結構自信あったのに。プライド傷ついちゃった。この落とし前どうつけてくれるのかな?」
ふて腐れたようにそう言って缶ビールを傾ける佐倉に、昌真はぐうの音も出ない。こんな責められ方をするとは思ってもみなかったが、言われてみればたしかにそうだ。
間接照明の中にぼうっと浮かび上がるニンフのような裸体を見つめ、ぐっと奥歯を噛みしめた。……こっちだって反応していないわけではない。むしろすぐにでもその据え膳を食いたくて頭がおかしくなりそうなのだ。
だがここで「そんじゃ始めっか」と言って腰を上げるのは違う気がする。何がどう違うのかよくわからないが、とにかく絶対に違う……。
葛藤やら欲情やら何やらでぐちゃぐちゃの頭を抱えどうすることもできないでいる昌真に、佐倉からふと思い出したといった調子の声がかかった。
「あとこれ言わないでおこうと思ってたんだけどさあ。キミ、高二ってことはまだ十六か十七だよね? 私これでも二十歳なの。二十歳の女が十八歳未満の男の子をホテルに連れ込んだりするとどうなるかわかる?」
「あ――」
その一言を聞いた瞬間、昌真は全身から血の気が引くのを感じた。あまりの衝撃に声も出ない昌真に、間延びした緊張感のない声で佐倉はなおも続けた。
「淫行よ、淫行。私、警察につかまっちゃうの。キミたち、高岡涼馬は破滅させられなかったけど、佐倉マキは破滅させられるね。『佐倉マキ、淫行!』『ロリビッチ、実はショタコン!』なーんてタイトルがスポーツ紙の一面を飾っちゃうかもね」
「……っ!」
「あーあ、やっちゃったなぁ。業界の後輩に頼られていい気になっちゃったばっかりに。それとも本当は私がターゲットだったのかなぁ。考えてみればうちとあの子のところって思いっきりライバルだし」
「それはッ……そのッ……」
「芸能界やめなくちゃいけないのかなぁ。やめたくないなぁ。でも、淫行だしなぁ」
「……」
「あーあ、芸能界でまだやりたいこといっぱいあったのになぁ。色々言われてきたけど、私だって今日まで頑張ってアイドルやってきたのになぁ」
「本当にすみませんでしたッ! 俺にできることだったら何でもしますッ!」
……もう駄目だった。佐倉の意図は見え透いているが、それでも昌真はカーペットに額を擦りつけるしかなかった。
――俺たちは間違っていた。たとえどんな理由があろうとも、自分たちの身勝手な企てに関係のない人を巻き込んではならなかったのだ。
両目を固くつむり、奥歯を噛みしめてしばらく土下座を続けた後、恐る恐る頭を上げて佐倉を見た。ぼんやりした下目遣いで昌真を見下ろしていた佐倉の顔が、何か良からぬことを思いついたように意地の悪い笑みを浮かべた。
「何でもしてくれるの?」
「お……俺にできることだったら」
「んー、だったらこうしよっか?」
邪悪な笑顔でそう言うと佐倉はベッドから立ち上がった。ミニマムだがプロポーションのいい裸が惜しげもなく昌真の眼前に突きつけられる。
……男に二言はない。たとえ何をしろと言われようとも、俺は甘んじて受け容れる覚悟だ。
そう思い、アンバランスな美の極致とも言うべき佐倉の裸を見上げながら昌真は、緊張のためかそれとも別の理由によるものか、口の中に溜まっていた唾をゴクリと大きな音を立てて飲み込んだ。
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