012 決行のエントラップメント(4)

 一般的にタイトルというものは歌詞に含まれる代表的な語句が採用されるものがほとんどだが、高岡の曲には歌詞に含まれないばかりか、一見何の関係もない言葉をタイトルに冠しているものが少なくない。だが長い研究の結果、高岡のそうした曲にひとつの法則が存在することを昌真は見いだしていた。


 その法則とは、『歌詞と関係がなさそうなタイトルがついている場合、そのタイトルをキーに紐解かなければ歌詞を正確に理解できない』というものだ。


 もちろん公に認められたものではなくオリジナルの学説には違いないが、昌真自身はあくまで正しいと信じている。高岡の歌詞の意味を考えようとする者でタイトルを気にかけないやつはモグリ――それが昌真の持論だった。


「あとさ、ずっと気になってたんだけど、『イミテーション』って、なんで『イミテーション』なの?」


「あ、それ聞いちゃう?」


 だから佐倉の口からその『イミテーション』についての質問が飛び出したとき、昌真はついに来たかと内心にほくそ笑んだ。


 イミテーション――マンネリ気味のカップルが部屋でまったりと思い出話をする中でお互いに考えていることを言い当て、絆を確かめ合う歌だ。アルバムの後ろの方に入っているどちらかといえばマイナーな曲だが、眠気をもよおすようなゆったりした旋律が耳に心地よい高岡デビュー当時の名曲である。


 で、歌詞にはどこにもイミテーションという言葉が出てこない。イミテーションの訳はさしずめ模造品といったところだろうが、それにあたるような物も情景も歌詞の中には出てこないのである。そうなると例の法則が発動する。そう、この曲はまさにタイトルをキーに考えなければ歌詞の意味が正しく理解できない曲の典型なのだ。


「そもそもここでのイミテーションてどんな意味なの?」


「それはまあ、宝石みたいに高価なものの模造品、安っぽい作り物って意味だろうね」


「でも歌詞の中にそれっぽいもの出てこないよね?」


「そう。あの曲って二人が部屋でだらだら喋ってるだけだろ? 逆にそれがヒントなんだけど」


 そうなのである。調べてみればわかることだが、イミテーションの歌詞には有体物をさす単語がひとつも含まれていない。「君」と「キミ」、二人がお互いを呼び合う単語以外は、であるが。高岡が意識してそうしたかまではわからないが、最初から最後まで恋だの想いだのといった形のないものをさす言葉しか出てこないのだ。


 そうなるとイミテーションというのは、そうした形のないものを模造品にたとえた隠喩ということになる。


 そしてイミテーションという単語の意味も重要なファクターだ。レプリカとは違う、偽物とも違う。ガラス玉の指輪やプラスチックでできたパールネックレス――本物より価値が劣る材料で作られた模造品。子供の指輪は大人にとってイミテーションだが、子供にとってはあくまでも本物なのだ。そんなイミテーションを、形のないものを言い合うだけの歌詞に求めるとすれば――


「二人の関係がイミテーション?」


「まあ普通に考えればそうなるだろうね」


 カップルである二人の関係がイミテーション――つまり二人がしているのは本物の恋愛ではなく、恋愛のイミテーションだということ。


 たしかにそれなら一応の辻褄は合う。休日の午後に何をするでもなく、ただ部屋の中でダベりながらぼんやりと過ごす二人の関係が既に恋愛と呼べるものではなく、恋愛の模造品に成り果てているという解釈。そんな解釈をもってこの曲を理解している人も少なからずいるのだろう。


 だがこの『イミテーション』という曲の本来の解釈はおそらく――いや、確実に違う。この曲が好きで何度も聞いている者なら、そのあたりは理屈ではなく感覚でわかる。


 数ある高岡の曲の中からとりわけてこの曲の質問を投げかけてきたことからして、佐倉にとっても思い入れの強い曲であることは想像に難くないのであり、果たして佐倉からは昌真が期待した通りの反応が返ってきた。


「でも、それって違うと思うんだけど」


「どうしてそう思う?」


「二人の関係がイミテーションてことは、本当の恋愛は別にちゃんとしたものがあるけど、歌の中の二人がしてるのは安っぽい作り物の恋愛ってことでしょ?」


「そうなるだろうな」


「それだとなんかしっくり来ないっていうか、いい曲なのに色褪せちゃう気がして」


「だよなあ。うん、その通り」


「じゃあやっぱり違うんじゃない。イジワルしないで教えてよ」


「ならもひとつヒント。出会った頃のドキドキや甘い甘い初デートの思い出なんかも二人は語ってるよね。二人も昔は普通に恋人やってたんだよ、マンネリモードの今みたいな関係じゃなくて。そうなると何がイミテーションかって命題については、時間軸で区切った二人の関係それぞれについて考えるべきなんじゃないかな」


「そっか。なるほど」


 そう言って考えこむ素ぶりを見せる佐倉を眺めながら、昌真は自分が同じように考え抜いた末にこの『イミテーション』という曲の中心にたどり着いた時のことを思い出していた。


 詩を読み解くのは寄木細工のからくり箱を開けようとする作業に似ている。正しいステップで正しく操作しないと箱の中は見られない。


 この曲で最初のステップは歌詞の最後のフレーズに着目することだ。


『出会ったあの日に戻りたい? 戻りたくなんてないさ どうせまた似たようなことするだけだろ』


 歌詞ではここで初めて『似たようなこと』というイミテーションを類推させる言葉が出てくる。歌詞全篇を通じて、他にイミテーションという単語につながるようなフレーズはない。


 そうなると、この曲のタイトルであるイミテーションとは、仮に出会ったばかりの頃に戻ったならば二人が過ごすであろう日々を指しているとみていい。


 ではその日々がイミテーションだとするならば、価値のある本物にあたるものは何か? 


 候補としてまず考えられるのは、二人が実際に過ごしてきた出会った頃の日々、である。歌詞の中で憧憬をこめて語られる付き合い始めた頃の二人――それが宝石にあたるもので、時間を巻き戻された二人が過ごす日々がガラス玉であるならば一応、意味は通る。


 だが、この解釈にはひとつ大きな矛盾がある。二人が出会った日に戻るのであれば、今の記憶を残したままというわけにはいかない。とりわけ二人が歌の中で語っていたような恋愛をもう一度ということであれば、記憶を含め二人の関係自体がフォーマットされなければならない。


 だがまっさらな状態で『出会ったあの日』に戻った二人はどうなるのだろう? まず間違いなく、まったく同じことをするのではないだろうか? 結果、本物である実際の過去とイミテーションである仮定の未来とはイコールということになり、二律背反に陥る。従って、歌詞の中で語られている付き合い始めた頃の二人の関係が本物であるとする解釈は誤りであることがわかる。


 だが、ここまで考察を進めれば本物にあたるものが何かは自ずとみえてくる。


 実際の過去と仮定の未来がイコールであるという図式に基づけば、歌詞の中で憧憬をこめて語られる付き合い始めた頃の二人もまたイミテーションだということになる。


 ならば本物はひとつしかない。『今』だ。


 休日の午後に何をするでもなく、ただ部屋の中でダベりながらぼんやりと過ごす今の二人の関係こそが本物なのだと、この曲の歌詞はそう言っているのである。


 そこでもう一度『似たようなこと』という言葉に戻る。二人が会話の中で理想的に謳い上げている以前の関係がイミテーションだとするなら、巷に溢れる恋愛と呼ばれるもののほとんどはイミテーションということになる。


 それが指し示すのは、『似たようなこと』という言葉が表しているのは『世間一般の付き合い始めたばかりのカップルと似たようなこと』だという解釈だ。


 つまり、この曲のタイトル『イミテーション』とは、付き合い始めたばかりのカップルが一様に体験するいわば恋愛の醍醐味とみなされているものをひっくるめて模造品であると切って捨てるものであり、一見つまらなそうに見える今の二人の関係こそが恋愛のあるべき姿――という歌詞が本来伝えたかったことを浮き彫りにするためのキーワードなのだ。


 その解釈にたどり着くことで、初めてこの曲は輝き始める。


 ただ洒脱なだけの曲ではない。いかにも高岡涼馬らしいひねくれた価値観をにじませた歌詞と、それを微睡むような旋律にのせることでひねくれているとも感じさせずに受け入れさせてしまう説得力。そうした裏の顔を隠しているからこそ、この曲はさながらアルコールのような依存性を持つのだ。


 そして昌真のような人間にとっては、この曲を好きだの何だのと言っている連中のなかでそうした裏の顔を知っている者がいったい何人いるのだろうという『俺だけが本当の君を知ってる』感がこの曲への執着をかきたてる。


 一方で、それは沢山の人にこの曲の本当の魅力を知って欲しいという気持ちの裏返しでもある。だから佐倉の『なんでイミテーションなの?』という問いかけに昌真は嬉しさを隠せなかったし、ぜひ佐倉自身の頭で正解にたどり着いてほしいと心から願った。


 そんな思いを胸に固唾を呑んで見守る昌真の前でうーんうーんと考える素振りを見せていた佐倉は、やがて何かに気づいたように大きく目を見開き、昌真に向き直るとどこかいやらしい感じのする笑みを浮かべて言った。


「……なるほど、そういうことかあ」


「お、わかった?」


「あの曲で涼馬クンはこう言いたかったんだよね? 今の私たちが模造品イミテーションだって」


「ん? それだとさっきと変わらなくない?」


「そう?」


「……まあタイムオーバーかな。タネ明かしすると逆なんだ。始まったばかりのラブラブな二人がイミテーションで、退屈に見える今の二人の方が本物」


「うん。それなら私が言ったので合ってるよ」


「どうして?」


「さっき言った『今の私たち』って、歌の中の二人じゃなくて、ここにいる私と涼馬クンのことだから」


 そう言って佐倉は少し照れたように笑った。


 一呼吸置いて昌真は佐倉が言ったことの意味を理解し――全身の毛穴がぞわっと音を立てて開くような感覚に襲われた。


 直後に動悸がきた。早鐘を打ち鳴らす心臓をどうにかなだめようと躍起になりながら、『この女はヤバい』とはじめてそう思った。


 小難しい文学論を捏ねくり回しているところにノーモーションで来たアプローチの落差にやられたというのも大きい。だが何よりウィットに富んだという形容そのままの口説き文句は一発で昌真をフラつかせるのに充分だった。


 この女は俺のような男を殺すツボを知り尽くしている……戦慄と共にそう思った。


 同時に、声をかけられてからずっと気になっていた佐倉の色香の正体が『知性』によるものであることを悟った。……そしてそのことが自分の心にどう作用するかについても。


 ロリビッチと噂されるこの人の正体――研ぎ澄まされた知性を持つ学求めいた顔を、自分だけが知っている。『イミテーション』ではないが、そうした事実が絶妙なスパイスとして対象への執着心を掻き立てることを、一般論ではなく自分に備わった性向として昌真は熟知している。


 ……だが駄目だ。このひとはあやかと同じく――いや、あやか以上に惚れてはならない女なのだ。


 それが痛いほどわかっていても、一度波立った気持ちは容易に落ち着いてはくれなかった。


 正直、佐倉マキという女をナメていた。数々の男と浮名を流してきた芸能界きってのモテ女の噂は伊達じゃない。


 それよりも何よりもピンチである。同じくモテ男である高岡本人ならまだしも、女性経験に関しては初心者マークどころか公道に出たことすらない自分がこの百戦錬磨の女を前に果たして生き残れるのだろうか――


 そのとき、天啓のように頭の中であやかの声が響いた。


『あたしたちがなにやろうとしてるか忘れたの?』

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