006 解散のスリーピースバンド(3)

『マキちゃんと接触できたよ!』


「……は?」


『だからマキちゃんとお話できたんだって! スマホで!』


「……ええと、先輩から聞いたっていう例の番号にかけてみたってこと?」


『そう!』


「どこで番号知ったの、とか聞かれなかった?」


『聞かれた! ちゃんと正直に答えたよ。ロスジェネの先輩から聞きました、って』


「それでよく怪しまれなかったな」


『ふっふっふ。そこは昌真のやり方を応用したのですよ』


「俺のやり方?」


『そう、昌真が教えてくれた真っ黒けっけなやり方!』


 聞けばあやかはその会話の中で『ずっとマキちゃんに憧れていた。迷惑かと思ったけど先輩から無理にスマホの番号を聞き出してかけてしまった。できればお友達になって下さい』と誠心誠意伝えたのだと言う。


 それに対する佐倉の反応はやや引き気味ではあったものの、『メールのやり取りするくらいならいいよ。毎回レス返せるかわからないけど』という好意的なものだったのだという。


 で、それのどこが昌真のやり方なのかと言うと、女優になりきって相手を騙すところが昌真流なのだそうだ。


 ……それがあたかも自分の得意なやり口であるように言われることには釈然としないものがあったが、あやかの行動自体は責められたものではなく、むしろ復讐の計画線上においては最大限の賛辞を送らなければならないものと言えた。


 なにしろこれで佐倉に『友達であるあやか』からの情報として高岡に関するニセ情報を発信できるようになったのだ。その効果は匿名で送られてくるあやしげなメールの比ではない。


 ……勢いだけの相棒と思っていたあやかだが、予想外に頼りになる。相変わらず空気を読まない勇み足の結果ではあるが、昨日の今日でこの仕事を見せつけられては、その溢れんばかりのやる気については認めざるを得ない。


 嬉々として今後の展望を口にするあやかに「俺、やっぱやめるわ」とはさすがに言い出しづらいものがあり、ずるずると話し続けた結果、自分の方でも具体的な実行計画を考えてみると約束して昌真は電話を切るハメになった。


「……まあ、上手くいくわけないしなあ」


 スマホをベッドに投げ出した後、ずっしりとくる後悔と自己嫌悪に苛まれながら、昌真はそう独りごちた。


 ……そう、所詮は成功の目がないお花畑のプランなのだ。共犯者がどれほどアグレッシブに頑張ってくれたところで、佐倉マキを落とすなどという芸当が自分にできるわけがない。


 せいぜい上手くいきそうなプランを練ってチャレンジしてみればいい。で、二回かそこら失敗したところで『やっぱり上手くいかなかったね、チャンチャン』で終わらせればいいのだ。


 ノリで告白したら相手がやけに本気で引っ込みがつかなくなった男というのはこんな心境なのだろうか――などとくだらないことを考えながら昌真は時計に目をやり、とりあえず夕飯の支度をするために自分の部屋を出た。


◇ ◇ ◇


「――お兄、誰かと電話してた?」


 リビングに入るなり千晴ちはるから声がかかった。


 ソファに座りテレビの歌番組を見ながら頭さえ向けないぞんざいな態度で、である。以前は兄に質問するにしてもきちんと正面から向き合ってしかしなかったものだが、高校に上がってからというものこの手の行儀の悪さが目立つようになった。


 お嬢様学校というのは何を教えているのだろうという気になってくる。これなら自分と同じ公立の中学校に通っていた頃の方がよほど良家のお嬢様然としていた。もっとも、彼女が公立の高校に進んでいた場合どうなっていたか定かではないし、うちは間違っても良家ではないが。


「……してたけど。それがどうした?」


「別に。ただ珍しいな、って思って」


 独り言のようにそう言う妹に応えず、昌真はキッチンへ向かった。今日の夕食のメインディッシュは豚の生姜焼きで、下ごしらえは朝に弁当を作るとき八割方済ませてある。


 当初は朝夕で互い違いにしていた料理の当番をセットにすることを提案したのは昌真だが、それは一日トータルで計画を立てた方が料理に費やす時間が短くて済むと計算してのことだ。


 こうして妹と家事の分担をするようになってから、もうどれくらい経つだろう。最初はわずらわしかった夕飯の準備も最近では生活のリズムに組み込まれたためか、歯磨きのようにたいしてストレスを感じない作業になった。


「ひょっとして彼女できた?」


「……そんなんじゃねえよ」


 妹の千晴は早生まれの年子で、実はあやかと同じ高校に通っている。つまり、城西学院高校におけるひとつ違いの先輩、後輩にあたる。


 城西に通うお嬢様もピンからキリまでで、あやかがどのあたりに位置するのか知らないが、千晴はキリもキリのなんちゃってお嬢様である。彼女のように高校から入ってきたメンバーは中学から城西のエスカレーター組とは明確に区別されるようだし、リムジンで送り迎えはおろか毎日満員電車に揺られて通学していることを思えば、本物のお嬢様方とは一線を画すると言わざるを得ない。


 女子の高一といえば難しい年頃であり、あまつさえ年の近い兄妹というのはなかなかに微妙なものだが、昌真と妹の間にはそれなりに良好な関係が保たれている。


 というのも大手機械メーカーに勤務する父親がシンガポールに単身赴任しており、千晴が高校に上がってからは母親もそっちへ行ってしまってたまにしか帰ってこない。そうなると好むと好まざるとにかかわらず兄妹の関係は重要になってくる。料理の当番ばかりではない、掃除やら洗濯やら、二人で協力して円滑に進めていかなければならない家事は幾つもあるのだ。


 ――というわけで、両親共に不在であるものの兄妹は力を合わせて規則正しい生活を送っている。母親にしてみたところで、そんな子供たちを信頼しているからこそ、二人だけ残して夫の元に向かうなどというフリーダムなことができるのだろう。


 もっとも一方の子供はつい先日その信頼を裏切り、白昼堂々女子高生とラブホテルに入るなどという不品行極まる真似をしでかしたわけだが――


『――では参りましょう、ロストジェネレーションの皆さんで、最新曲「カサブランカ」です』


 ふと耳に届いた司会者のナレーションに、昌真は思わず料理の手を止めた。まな板に包丁を置いて振り返り、しばしテレビの画面に見入る。


 古いモノクロ映画の中から飛び出してきたようなクラシカルなコスチュームに身を包んだ女子の一団――ここ数日さる理由で昌真の意識にのぼることが多かったアイドルグループが、ロカビリーを思わせる軽快な旋律に合わせて踊り始める。


 曲名が「カサブランカ」でこの曲調はどうなのだろう、とつまらないことを考えながら昌真は、口パクで代わり映えのしないダンスを踊るメンバーの中に見知った顔がないか探した。


 ……どうやらあやかはいないようだ。そう思った直後、昌真は画面右上に『LIVE』の文字が表示されているのを認め、反射的にあやかを探してしまった自分を恥じた。……いなくて当然だ。ついさっきまで自分と電話で喋っていたあやかが生放送の番組に出演しているはずがない。


 それだけ確認して昌真はキッチンに向き直った。そこへ、妹の声がかかった。


「お兄、ロスジェネ好きだったっけ?」


「……いや、別に」


「それにしちゃ熱心に見てるじゃん」


 お前は背中に目がついているのか、というツッコミを呑み込んで、昌真は頭の中に適当な言い訳を探した。


 千晴が言いたいことはわかる。これまでアイドルにまったく興味を示さなかった兄がロスジェネの紹介を聞いて包丁の手を止める……なるほど、妹にしてみれば「あれ?」と思っても不思議はない。


 いきなりアイドルに目覚めたと誤解されても困る。ここは何か上手い言い逃れの方便を考えなければならない。


「クラスの女子が話してたんだよ。ロスジェネで誰が一番美人かって」


「ふうん」


「千晴はどう思う?」


「顔だけなら亞鵺伽じゃない? 顔だけなら」


「やっぱそう思うか」


 千晴の挙げた名前は昌真の予想通りだったが、案の定と言うべきか、その言葉には棘が混じる。兄である昌真が言うのもなんだが千晴はすらっとした正統派美人で、外見だけならおそらくその亞鵺伽にも遜色ない。それだけにプライドが高く、態度も高飛車である。


 共学だった中学の頃はよく告白などもされていたようだが、その頃も今も彼氏らしき男の気配がないのは、そのあたりの変にお高くとまった性格が原因なのではないかと昌真は見ている。


「お兄、亞鵺伽知ってんだ」


「まあな」


「ひょっとして推しメン?」


「まさか。そこまで興味ないって」


「だよね。お兄がアイドルの追っかけとか想像できないし」


「……」


 追っかけどころか、兄がそのアイドルと連日にわたり長電話をするような関係に成り果てたと知ったら、いったいこいつはどんな顔をするのだろう。そんなことを思いながら焼き上がった生姜焼きを皿に並べ、作り置きのポテトサラダを添える。あとはご飯と味噌汁をつければ夕飯の準備は完了である。


 だがそこでまたテレビから聞こえてきた司会者の台詞に、昌真は炊飯器を開けようとしていた手を止めた。


『さて、お次は高岡涼馬さんです――』


 ……高岡も出ていたのか。そう思いながら昌真は椅子を引き、ひとまずダイニングテーブルについた。


 ここで高岡の紹介ということは曲が終わるのは十分後かそこらで、今つけると味噌汁が冷めてしまう。あやかのところもそうらしいが、こっちの妹も高岡の大ファンで、こうなったが最後、高岡が歌い終わるまでは絶対にテレビから離れないのだ。


 だいぶ前だが似たような状況でテレビを消そうとして喧嘩になりかけ、以降は昌真の方で譲歩するようになった。ただ千晴の方でも兄が内心思うところがありながらそうしていることをよくわかっているらしく、気詰まりを避けるためのフォローを忘れない。


「高岡涼馬のってさ、本当ほんとお兄に似てるよね」


「ああ」


 ――これがそのフォローである。高岡がテレビに出ていて昌真が居合わせるとき、横顔がテレビに映ろうが映るまいが千晴は決まってこう言う。


 ポイントは高岡が、ではなく、高岡の『横顔が』昌真に似ている、という比較対象の限定である。実際、高岡と昌真は正面から見た顔より横顔の方が似ており、特にピアス穴のない方、つまり右側の横顔は昌真自身も判断がつかないほどである。


 昌真が高岡のそっくりさんと言われることを気にしていると重々承知しながら千晴があえてこう言ってくるのは、正面からはそれほど似ていないと暗に匂わせる身内ゆえの気遣いだと昌真は受け止めている。


 ……あるいは自分が夢中になっているアーティストが兄に似ているなどとは認めたくないというファン心ゆえの発言なのかも知れないが。


「どこ行くの?」


「トイレ」


 高岡涼馬のステージが始まる前に、昌真はリビングを出た。……テーブルについたまま待っていようかと思ったが、やはり今日は高岡の曲を聞きたくないと思い直したのだ。


 後ろ手に閉めたドアの向こうから漏れ聞こえてくる、司会者による高岡の演奏曲の紹介から逃れるように、昌真は別に行きたくもないのにあえて二階にあるトイレへと足を向けた。

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