005 解散のスリーピースバンド(2)

「レナ。今日まで付き合ってくれてありがとう。コータローと同じで、レナもあんまりバンドに乗り気じゃないのわかってた。なのに俺のわがままに付き合ってくれて、嬉しかったよ」


 昌真がそう言うとレナ――東雲礼納しののめれなは困ったように隣のコータローを見た。珍しく昌真に直接振られて、何と答えたらいいかわからないのだろう。


 レナはキーボードで、一年のとき同じクラスだったコータローが引っ張ってきた。そんな経緯もあってかコータローとは普通に話すのだが、昌真とはこうしたミーティングを含め、まともに会話が成立したためしがない。


 元々口数が多い方ではないし、滅多に自分から話を切り出さないということもあるのだが、こと昌真に対してはバンドの顔合わせのときから極端だった。昌真に何か言いたいことがあるときはまずそれをコータローに言い、コータローの口から昌真に伝えるのである。


 最初にそれをやられたときはさすがに昌真もショックで、自分が気づかないうちに何かしでかして嫌われているのだと思いこんでしまった。それが誤解であったことはしばらくもしないうちにわかったが、コータロー経由の会話はデフォルトのまま定着した。


 その結果、昌真はこの唯一の女子メンバーとどう向き合っていけばいいかわからないままここまで来てしまったのである。


「って、ショーマは言ってるけど、レナとしてはどうなんだ?」


「……別にうちは乗り気やないのにやっとったんちゃう」


「だったら、どんな気持ちでバンドやってたんだ?」


「……キーボード触るん楽しかったし、三人で演奏すんのも好きやった。うちはうちなりに楽しんでやっとったんや。ショーマは何も気にすることあらへん」


「だそうだ」


「……そっか。だったらいいや」


 最後までこの伝言ゲームかと思うと寂しかったが、それでもレナの思いを知ることができて昌真はほっと胸をなで下ろした。断りきれずに嫌々バンドをやってくれているのではないかという思いはずっと昌真の中にあったのだ。


 そもそもレナは小さい頃からやりたくもないピアノを親にやらされているうちに一定のレベルに達してしまったクチで、演奏は三人の中で一番上手い。昌真にしてみれば組むのが申し訳ないほどのプレイヤーなのである。


「……あと」


「ん?」


「あとな、うちはショーマとコータローに、居場所もろたって思うてるから」


「……」


高校ここ入ってすぐ、二人がバンドって居場所作ってくれはったから、うちはどうにかやってこられたんや。それについてはほんま感謝しとる」


「……そうか。けどまあ感謝なんかいらねえよ。俺もショーマも、そんな理由でレナのこと誘ったんじゃねえしな」


「……そんなんわかっとる。けど、おおきに」


 そう言ってレナは小さく頭を下げた。コータローは少し鼻白んだようにそっぽを向いていたが、付き合いの長い昌真にはこれが照れ隠しであることがわかる。


 実のところ、レナはコータローと一緒で昌真と同じ中学――春山西はるやまにし中学の出身である。と言っても、入学当初からいたわけではない。たしか中一の終わり頃に京都かそのあたりから転入してきたのだ。


 結局、昌真もコータローも中学の間は一度もレナと同じクラスにならずじまいだったが、卒業するまでの間を通して二人ともレナの名前をよく耳にすることになる。……中学時代、レナにはいつもひとつの噂がつきまとっていた。それは彼女がいじめられているという噂だ。


「ほんまは西中にしちゅうの子が一人も行かへんような遠くの高校行こ思っててんけど、薫ヶ丘選んで正解やったわ。……ああ、ごめんな。なんか辛気くさいはなししてしもて」


「まあいいんじゃねえの? 今日は抑圧してきた負の感情の暴露大会ってことで」


「……そうやね」


 レナを一言で言えば『大柄な美人』である。身長は昌真よりも高く百八十に届くのではないかというくらいで、その高身長にグラマラスという形容がぴったりくる凹凸の激しい肢体が盛られている。


 ――ちなみに夏服でブラウスの今、その迫力は魅惑的を通り越してほとんど凶悪と言っていいほどである。


 ただ惜しいことに、レナはどういうわけか雰囲気が暗い。美人だが華がないのだ。今はすっきりしたショートにしているからだいぶ女子高生らしく垢抜けて見えるが、中学の頃は校則でおかっぱだったために黒の制服と合わさるといっそう野暮ったい印象だった。


 そんな暗い感じの美人がいじめの標的となるというのはよくある話だが、レナは転校生だったことに加え大阪弁とは微妙に違う耳慣れない方言を変えなかったこともあってか、別のクラスにも聞こえるほど本格的ないじめを受けていたらしい。


 だがそんな彼女も、高校進学を機にいじめから解放された。昌真の知る限り、薫ヶ丘にはいじめがない。もっともそれは薫ヶ丘に通っているのが皆いいやつらということとイコールではない。


 これは一定レベル以上の進学校に共通して言えることなのかも知れないが、生徒のほとんどは人間関係にドライで、自分がランクの高い大学に行くことしか考えていない。つまりこの高校の生徒は皆、いじめをするほど他人に興味がないのである。


 だがそれは逆に言えば、友達を作るのが難しい環境ということでもある。高校に入学してすぐは同中おなちゅうでつるむのが基本だが、昌真たちの中学から薫ヶ丘に進んだ生徒の人数は十人に満たない。まして中学でいじめられていたレナに気安くつるむ相手がいたとも思えない。


 だからレナが口にした「居場所」という言葉は昌真の中でしっくりきた。中学の頃はそれほど仲良くなかったばかりかほとんど話をしたことがない間柄であったレナがどんな気持ちでバンドに臨んでいたのか――長い間の疑問だったそれに本人の口から明確な答えが得られて、昌真は満足だった。……これでレナとの決着もついた。


「そっか。レナがバンドを居場所だと思っていてくれたんなら、俺も少しは救われる。こう言っちゃなんだけど、どうしてレナみたいに上手いやつが付き合ってくれてんのかわかんなかったから」


「……」


「コータローだってそうだ。お前のベースは本物だと思う。だからこそあんな必死になって口説いたんだけどな。俺のギターもボーカルも結局、二人の音には追いつけなかったよ。俺はコータローとレナの音に惚れてた。……最後まで片想いだったけどな」


 なるほど、抑圧してきた負の感情の暴露大会か。全員が全員、隠していた本心を打ち明けてお開き――どうなることかと気を揉んでいたわりには悪くない終わり方だった。


 そう思い、ミーティングを締めるために昌真は口を開きかけた。


「片想いやない!」


 そこへ唐突にレナの声がかかった。これには昌真ばかりかコータローも驚いたようで、大きく目を見開いて隣に顔を向けた。


 なにしろバンド発足以来初めて、レナがコータローを挟むことなく昌真に話しかけてきたのだ。言葉が出ないでいる昌真を真っ直ぐに見つめて、レナはなおも続けた。


「うちはずっとショーマの音が好きやった。歌やギターが上手い人ならぎょうさんいてはる。けど人の心に響く音出さはる人はほんまいいひんのや。……幼稚園の頃からピアノ練習してきてんけど、うちにはそれができひんかった。だからショーマと一緒にバンドやらせてもろて、うちほんま嬉しかってん。人の心に響かへんうちの音にまで、魂込めてもろた気がして……」


「――薫陶祭の時間は他のバンドに割り振ってもらう。それでいいだろ」


 レナの独白がいったん途切れたところで、それを打ち切るようにそう言って昌真は席を立った。財布を開いて五百円玉を取り出し、それをテーブルの上に置く。昌真が頼んだアイスコーヒーの代金だ。


「あんな、ショーマ。うち、ほんまはコータローが抜けたかて……」


「レナ。俺の音が好きって言ってくれて、ありがとう」


「……」


「けど今の俺の音は、きっと誰の心にも響かないから」


 これ以上この場にいたらきっとおかしなことを口走ってしまう。そんな思いのなか昌真はどうにかそれだけ言い残し、レナの返事を待たずに喫茶店を出た。


 カウベルの音を聞きながら大きく息を吸って、吐いた。


 濡れそぼった暑気がむっと押し寄せてくる昼下がりの町を、昌真は一人、自宅に向かい歩き始めた。


 ――バンド名は “pudding heads” ありきたりだがバンドを結成した日、英和辞典で適当に開いたページに載っていた言葉から選んだ。


 パンフやビラのメンバー表記は各人の名前をそのままカタカナで、というのが発足時に決めたルール。Gt.&Vo.ギターボーカルショーマ、Ba.ベースコータロー、Ky.キーボードレナ。


 ポテンシャルではどんなバンドにも負けないと思っていた。自分たちの音はいずれ世界に指差されると、わりと本気でそう信じていた。


 ときどき派手な喧嘩をして、決裂寸前までいってもわかり合って、いつまでもずっとこの三人で――


 そんなどこにでもあるような高校生バンドがひとつ、今日終わりを告げた。


◇ ◇ ◇


 帰宅後、昌真はコータローに指摘された、自分が高岡に対して抱いているというコンプレックスについて、長い時間をかけて内省した。


 その結果、昌真が辿り着いたのは、コータローの言う通り自分の中には高岡へのコンプレックスがあるが、それはコータローが言っていたような単純なものではなく、根はずっと深いのだというある意味で救いようのない結論だった。


 まず、コータローの指摘は前提が間違っている。昌真が心の底では高岡に勝ちたいと願っているのだという認識。それは完全にコータローの事実誤認だった。


 これはもうはっきりしているのだが、昌真は高岡に勝ちたいなどと思ったことは一度もない。と言うより、その勝負自体が成り立たないことを誰よりもよく知っている。


 なぜなら昌真にとって高岡の音楽こそが理想だからだ。


 実のところ昌真は高岡涼馬がこれまでに出した全CDを所有しており、そのすべてを擦り切れるほど聴いている。その上で昌真はおそらくどんなファンよりも高岡の曲を高く評価しており、歌詞や旋律ばかりか合わせる楽器の種類、音の質感、作り上げようとする空気までひっくるめてその音楽性を全面的に認めている。


 だから仮にコータローの言うようなコピーバンドを作り、昌真自身の音楽を全力で展開したとしても、それは文字通りのコピーバンドにしかならない。……勝負が成り立たないというのはそういうことだ。


 そもそものところ、高校進学とほぼ同時に各種メディアでその名前が聞こえ始めた頃から、昌真は高岡涼馬というアーティストのことが気になって仕方なかった。どの曲にも共感できてしまう、というのがその理由だ。それは聞き手として共感できるということではない。もちろんそれもあったのだが、それ以上に曲の作り手として高岡の作意への共感が半端なかったのだ。


 もっと簡単に言ってしまえば、『こういう曲が作りたい』と昌真が心に思い描いていたそれを、高岡が再現率百パーセントで次々と具現化していったのである。


 そればかりではない。高岡の音楽に対するものの考え方は奇妙なほど昌真のそれに酷似していた。


 一例を挙げればドラムを擁することなく、ベース一本でリズムを作るという特異なスタイル。当時としては――と言うより今もって極めて稀なそのスタイルを、昌真とはまったく関係のないところで独自に思いつき、実現しようと試みていた男が一人いた――それが高岡涼馬である。


 つまり昌真にとって高岡は顔ばかりでなく、ドッペルゲンガーとでも言うべきものだったのだ。


 中学時代のバンドで培ってきた音楽へのこだわりを形にするために一歩を踏み出した昌真は、自分がやりたいと夢見たこと、時間をかけてものにしていきたいと願ったことのすべてを、他の人間がこれ以上ないレベルの完成度で実現してゆくのをリアルタイムでまざまざと見せつけられた。


 ――もし昌真の中に高岡へのコンプレックスと呼べるものがあるとすればそれだ。自分がやりたかったことをぜんぶ先にやられてしまった悔しさ――身も蓋もない言い方をすればただそれだけなのだ。


 誰よりも高岡の音楽を認めながら、最近ではCDジャケットを見るのも嫌でクロゼットの奥に仕舞い込んでいる。けれども新曲が出ればリリース当日に聴かずにはいられないという絵に描いたようなアンビバレンス。それが昌真の中にある高岡への想いのすべてで、だから高岡を負かしてやろうなどという気持ちが昌真の中に湧き起こってくるはずもないのである。


 もっとも涙ぼくろの位置が逆であるように、昌真の音楽観と高岡のそれとの間にまったく違いがないというわけではない。


 二人の音楽に対するアプローチに違いを見出すのであれば、それはボーカルということになるだろう。


 プロフェッショナルで活躍するような完成されたボーカルは、『歌詞の意味を酌んだ感情を歌にこめるかこめないか』という観点で大きくふたつのタイプに分類できると昌真は考えている。これでもかというくらい感情をこめて歌うタイプと、過度に感情をこめずに旋律そのものを聞かせるタイプである。


 これはどちらが優れているとか、そういった文脈で語られるべき話ではない。カフェやバーでゆったりと聞きたい音楽に強い感情は邪魔になるだけだし、逆に失恋したとき聞くのは一緒に泣いてくれる曲でなければならない。どちらにも需要はあり、どちらも正しい音楽なのだ。


 ただその分類において――おそらくその一点においてのみ、高岡と昌真の音楽性は両極端と言っていいほどに異なっている。


 昌真がボーカルで大切にしているものは歌詞の意味を底の底まで考え抜いた上でその解釈を音にすることであり、感情を歌にこめることこそがボーカルの存在理由アイデンティティだと信じている。


 一方の高岡はというと、実際その辺について彼がどう考えているかまでは知る由もないが、まさにカフェやバーで聞くのにぴったりの『角ばったところのない』歌い方をする。


 昌真にとって高岡の音楽は理想だが、ことボーカルに関してはその限りではない。この曲はもっとこのフレーズにこんな感情をこめて歌ったらいいのに、と思う曲が何曲もある。


 昌真と高岡の音楽に優劣をつけられるポイントがあるとすればそこで、それに気づいていたからこそあの場でレナはあんなことを言い出したのかも知れない。


 だがそんな諸々の事情を合わせてみても、昌真には高岡と競いたいという気持ちなど欠片も湧いてこないのだった。


 たしかに高岡との違いは見せられるかも知れない。風貌は高岡涼馬にそっくりだが歌い方はずいぶん違う、これはこれでいい音楽だ――などと、そんな風には言ってもらえるのかも知れない。


 けれどもそんなことをしていったい何になるというのだろう? 心に響く、響かないといった評価にしてみたところでそれはあくまで主観的なものであり、レナはああ言ってくれたがそれはたまたま『レナの心には響いた』というだけのことかも知れないのだ。


 それに昌真の目指していたものはそんな小さなことではない。これこそはと信じる音楽を自分の手で紡ぎ出し、それを世の中に認めさせること――昌真がやりたかったことはそれだ。そしてそれは既に高岡涼馬によって果たされており、昌真が出る幕などどこにもない……と、問題は結局そこに帰着するのである。


 高岡に勝ちたいのではない、高岡とは違うと認めさせたいわけでもない。ただ高岡に先を越されてしまったことからくるやり場のない焦燥――それが、コータローが昌真の中にある高岡へのコンプレックスと呼んだものの正体で、おそらくそれはちょっとやそっと足掻いたくらいではどうすることもできない類のものだ。


 ――そうして昌真は高岡涼馬への復讐をあやかと誓い合ったその翌日に、早くもその目的を見失った。高岡に怒りの矛先を向けることは逆恨みでしかないことに気づいたからだ。


 ……いや、正確には逆恨みですらない。昌真は自分がやりたいことを先にやってしまった高岡が憎いのではなく、『誰か』にそれを先にやられてしまったという事実が悔しくてならないだけなのだ。


 つまり自分とは似ても似つかない顔をした別のアーティストが高岡と同じ音楽を作っていたとしても、昌真が今のような苦境に陥っていた可能性は大なのである。


 だから昌真が高岡という個人に復讐する理由は、もうどこにもない。


 と言うより、そんなものが最初からないことなど昌真にはわかっていた。バンド解散前日のラブホテル連れ込み騒動――あんなタチの悪い冗談のような事件がなければ高岡への復讐など口に出すこともなかったに違いない。


 あの提案は一時の気の迷いだったと正直に告白し、ドツボにハマる前に計画からの離脱を表明する……さしあたって自分がするべきことはそれだろう。そう思い、昌真はそのうち来るであろうあやかからの連絡を待つことにした。


 けれどもそのうちどころかそう思った直後にかかってきたあやかからの電話で、そんな昌真の決意はもろくも打ち砕かれることになる――

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