004 解散のスリーピースバンド(1)

「――けどまあ結局んとこさ、ショーマのやる気ってのもその程度だった、ってことだよな」


 向かいの席に座るコータローから浴びせかけられる毒を、昌真は残り少ないアイスコーヒーをわざと大きな音を立てて吸うことでやり過ごした。


 コータローの右に座るレナが咎めるような目で隣を睨んだあと、気遣わしげに昌真を見つめてくる。……レナが心配するのも無理はない。先週はこの流れであわや取っ組み合いの大喧嘩というところまでいったのだ。


 それを見越して今日のミーティングはいつもの教室ではなくわざわざ喫茶店を選んだ。感情的になったとき、周囲の目が抑止力になってくれると踏んでのことだ。


 せめて最後くらい笑顔で終わりたい――だがそんな昌真の思いはこの男には伝わらなかったようだ。


「いつかCDデビューしてえだとか、プロにも負けねえ曲を書いてみせるだとか格好いいことばっか言っちゃってたけどさ、『高岡涼馬のそっくりさんって言われるのが嫌だ』なんてくっだらねえ理由でバンド解散するわけだろ? そりゃま、やる気のほども知れるってもんだよなあ」


「コータロー、言い過ぎやって」


「言い過ぎなもんかよ。こちとらそのやる気のねえやつに一年半も付き合わされてきたんだぜ?」


「……」


「『絶対後悔させないから付き合ってくれ』なんて、中坊の告白かっての。まあそれに乗っちまったオレがわりいんだろ、って言われりゃそれまでだけどよ。あーあ、後悔しちまったなあ、まったくよ」


「コータロー!」


「いいんだ、レナ」


「……」


「ぜんぶコータローの言う通りだ。悪かったよ、本当に」


 昌真は目を伏せたままどうにかそれだけ絞り出した。


 実際、入学したばかりの頃、あまり乗り気でなかったコータロー――佐々木浩太郎ささきこうたろうに頼み込んでバンドを組んでもらったのは昌真なのだ。


 コータローとは中学が同じで、三年間一緒にバンドをやっていた。昌真がギターボーカルでコータローがベース、その他にドラムともう一人ギターがいる典型的な四人バンドだったが、昌真とコータローの他は別の高校に進んだため自動的に解散となった。で、薫ヶ丘に入学した後、昌真がコータローを誘ったのである。


 理由はただひとつ、昌真がコータローのベースラインに惚れていたからだ。バンドやろうぜ、となったときボーカルやギターをやりたいと言い出す輩は多いが、最初からベース希望というやつは少ない。腕のいいベースとなると更に少ない。つまりベースは新たなバンドを結成する上でのネックなのである。


 『バンドの肝はリズム系』が持論の昌真にとって、ベースとしてのコータローは喉から手が出るほどほしいキープレイヤーだった。だから中学時代のバンドメンバーの中ではそれほど仲が良かったわけではなく、むしろ様々な場面で衝突することの多かったコータローを、彼の言う中坊のような口説き文句で文字通り口説き落としたのである。


 完成したベースがいればドラムは不要――そんな信念に従ってドラムを募らなかったのも、それだけコータローの腕を買っていたためで、だからこそ「後悔しちまった」というコータローの文句は深々と昌真の胸に突き刺さった。


 それはとりもなおさず、昌真のコータローへの想いが最後まで片想いだったことの証拠に他ならないからだ。


「……コータローの言う通り、俺は『高岡涼馬のそっくりさんって言われるのが嫌だ』からバンドを解散する。それ以上でもそれ以下でもない。もともと俺のやる気がその程度だったとか言われるとキツいけど、この状況じゃそう言われても仕方がない。振り回すだけ振り回して、こんな結果にしかならなくて……その責任はぜんぶ俺にある。本当に済まなかった」


 昌真が素直に認めると思っていなかったのか、コータローはつまらなそうに椅子の背もたれの裏に両腕を回し、吐き捨てるように「へっ」と喉を鳴らした。


「それに、俺らもう高二だしさ。受験考えると潮時かも知れないと思って。せめて薫陶祭くんとうさいのライブはやりたかったけど、もともと夏休みは夏期講習に行きたいからこっちにはあまり顔出せないってコータロー言ってたもんな」


 言いながら、結局はそこに行き着くのか、と昌真は内心に溜息をついた。


 入学したばかりの頃、高校でも一緒にバンドをやろうと誘った昌真に、コータローは最初『勉強の時間を削られるのは嫌だ』と言って断った。要は高校生活を勉強一本に絞りたいという意向だったわけだが、これは何もコータローに限った話ではない。勉強の時間を確保したいから部活に入らないという考え方は薫ヶ丘では一般的であり、むしろ昌真のように全力で部活に打ち込みたいという人間の方が少ないのだ。


 親が病院をやっているコータローは医学部への進学が至上命題であり、そのために一年生のうちからしっかりと勉強することを望んでいたのである。そこを押してバンドを組んでもらったことへの負い目は、ずっと昌真の胸の中にくすぶっていた。


 しかも悪いことに、成績は入学当初から一貫して昌真の方が良かった。と言うより、昌真は学力テストで常に上位を争うトップ集団の一員で、全国模試でも毎回のように成績優秀者に名を連ねている。一方のコータローはと言うと、学年で中の上あたりをふらふらしており、今の成績では国公立の医学部はおろか私立の医大も微妙なところだ。


 そんな事情を知る昌真だったから、勉強に本腰を入れたいからバンドをやめるとコータローに言われたら引き留めずに送り出すつもりでいた。成り行きとはいえ今回バンドを解散することをあっさり決めたのも、そのあたりのことがまったくなかったと言えば嘘になる。


 だがコータローはそんな昌真の配慮が気に入らなかったのか、あからさまに興醒めした様子で大きく溜息をつき、頭の裏に手を組んで窓の外を眺めながらまたしてもつまらなそうに言った。


「はいはい、気い遣ってくれてあんがとさん。ま、オレはショーマみたいに予備校行かんでも勉強できるわけじゃねえんで」


「そんな意味で言ったんじゃねえよ」


「わーってるよ。……最後ってことだし言っちまうけどな、ぶっちゃけオレは勉強でずっとオマエにコンプレックスがあったんだわ」


「コンプレックス?」


「そうだ。バンドの練習以外の時間ぜんぶ勉強にあてても全然ショーマに勝てねえ。差が縮まらねえばかりか開く一方だ。オマエは同じだけ練習してる上に曲も書いて、妹と分担して家事までやってるってのにな。……地味にキツいんだぜ、そういうの」


「……」


「最初は同じ土俵で、なんて思ってたが、どうやらそういう次元の話でもねえようだ。医学部やらなんやらの話は別にしてな、中学の頃はずっとライバルだと思ってたオマエに、オレは勉強で勝ちてえんだよ」


「そう……か」


 そんなコータローの告白に、昌真は少なからず驚いた。勉強に関してコータローがそんな思いを抱いていたとはまったく知らなかったということもあるが、実のところ昌真もまた、コータローにコンプレックスを抱いていたからだ。


 コータローの身長は昌真より十センチ高い百八十半ば。坊主頭にラインの入ったいかついガテン系だが、ラインが入っていなかった中学の頃からとにかく女にモテた。その理由を昌真は、細かいことを気にしないコータローの性格にあるとみている。


 高校に入ってからというものコータローはクラス内を含め大半の女子に『よーちん』というニックネームで呼ばれている。佐々木浩太郎という名前のどこにもその要素がないのに『よーちん』なのは、コータローが『よーちん』というお笑い芸人に似ているからだ。


 似ていると言っても昌真と高岡のそれとは異なり、そう言われれば似ていなくもないというレベルなのだが、入学早々クラスの女子から『佐々木君ってよーちんに似てるよね』と言われ、『だったらオレのことよーちんて呼んでくれよ』と応えたため、その呼び名が定着したのだという。


 ちなみに『よーちん』は見ただけで笑ってしまうファニーな顔を売りのひとつとしており、要はブサイク芸人である。その『よーちん』の呼び名を積極的に受け容れ、自分のモテ要素にまで昇華してしまったコータローに、昌真はずっとひとつのコンプレックスを抱いてきた。


 そのコンプレックスというのはもちろん、高岡涼馬と似ていると言われることを頑なに受け容れることができない自分と比べてのことである。


「……だったら俺も似たようなもんだ。俺の方にもコータローにコンプレックスがあった。『よーちん』絡みって言えばどんなコンプレックスか言わなくてもわかるだろ。最後の練習でお前にああ言われて頭に血がのぼっちまったのも、そのコンプレックスのせいだ。……ったく、情けねえよな。別にブサイクな芸人に似てるとか言われてるわけでもねえってのに」


 最後の練習となった先週の金曜日。薫陶祭のライブでまた高岡の名を呼ぶ声援がかかるかと思うと気が滅入ると愚痴をこぼした昌真に、コータローが悪ノリしてきた。


〝要は顔が見えなきゃいいんだろ? そんならかぶりものかぶって演奏すりゃいいじゃねえか。実際やってるやつらもいるわけだしな〟


〝パクりみたいで嫌だ? だったらフェイスペイントはどうだ。ピエロみてえなメイクしてカラーコンタクト入れて〟


〝それもパクりだ? いや違うだろ。ピエロがいるバンドはあっても、ボーカルがピエロってバンドはどこにもねえ〟


〝いい加減にしろ? そりゃこっちの台詞だ。ショーマが高岡に似てるなんて今日に始まったことじゃねえだろ。それをいつまでもぐちぐちと聞かされる方の身にもなってみろ〟


〝そうだ、いっそのこと薫陶祭のライブで高岡のコピーバンドやるってのはどうだ? ショーマがその暑っ苦しい髪切って高岡そっくりの格好してよ。そうすりゃ高岡の名を呼ぶ声援も気にならねえだろ〟


〝お、なんかすっげえナイスなアイデアじゃねえ? よし決まった、それでいこうぜ――〟


 そこで遂に昌真がキレてコータローに掴みかかり、レナが隣の部室に人を呼びに行く事態になった。……で、関係修復もされないまま週末を過ごし、今日このミーティングを開くに至ったのである。


 それもこれも、自分の中にあるコータローへのコンプレックスのなせるわざだ。だがそんな昌真の思いを見透かしたように「いいや、違うな」とコータローは呟いた。


「……違う?」


「ああ、違う。ショーマはオレにコンプレックスなんか持っちゃいねえ。賭けてもいいぜ。オマエを縛ってるのはもっと別のもんだ」


「何が俺を縛ってるってんだよ?」


「高岡涼馬へのコンプレックスに決まってんだろ」


「……」


「オマエは高岡涼馬のそっくりさんって言われることに苛ついてんじゃねえ。そっくりだからってんで比べられて、高岡よりヘタクソだって言われんのを恐れてんだ。プライドの高いショーマ先生は、高岡涼馬の下位互換だなんてレッテル貼られんのだけは我慢がならねえのさ」


 咄嗟に言い返そうとして、昌真は何も言い返せなかった。ハンマーで頭を叩かれたような衝撃があった。


 ……そうなのだろうか。俺は高岡涼馬に似ていると言われるのが嫌だったのではなく、似ている結果として否応なく高岡涼馬と比べられることが嫌だったのだろうか。だが、もしそうだとすれば俺は――


「つまりショーマは、音楽で高岡涼馬に勝ちてえんだよ」


「……」


「ハナっから勝つつもりのねえ相手にコンプレックスも何もねえ。フィギュアで四回転跳ぶやつ見てすげえとは思ってもそれ以上なにも感じねえのと一緒だ。オマエは高岡涼馬にメラメラとライバル心を燃やしてんだよ。だがそんなことはおくびにも出さねえで高岡と似てるって言われんのが嫌だの一点張りだ。なぜだかわかるか?」


「……」


「勝てねえと決めてかかってるからだ。ギターでも歌でも、高岡涼馬が相手じゃ万に一つも勝ち目はねえと、オマエは頭の奥の醒めた部分でそう考えちまってる。違うか?」


 ――そんなの当たり前だろう。あっちは万人に認められたアーティストでこっちは一介の高校生、どれだけの差があると思っている。


 そう言い返そうとして、またしても昌真は何も言い返すことができなかった。自分へのコンプレックスを口にした直後になぜコータローがこんな話を始めたのか、それに気がついたからだ。


「そうだ。オレが勉強でオマエに対して抱いてたコンプレックスの構図が、まさにそれだった」


「……」


「勉強に関してオマエを過小評価する気はねえ。オレにとってショーマはバケモンだ。全統のランキングでもあんなホイホイ上位になりやがって。今のままじゃ逆立ちしたって勝てる気がしねえ。オマエ見てるとイライラして、つい突っかかるようなこと言っちまうのも、たぶんそれが理由だったんじゃねえか……って、昨日つらつらと考える中で思ったんだわ」


「……」


「それが俺たちの迷い込んでた感情の迷路コンプレックスの正体だ。あいつにだけは負けたくねえって激しく闘志を燃やしながら、勝てるわけねえってんで戦いから逃げちまってる。そりゃ迷路から出られねえわな。出口がねえんだから」


 ……その出口を見つけるために、コータローは今ここで退路を断った。自分へのライバル宣言がコータローにとってどれほど重いものだったか、昌真にも何となくわかる。


 勉強における昌真とコータローの格差は、音楽における高岡と昌真のそれに勝るとも劣らない――その前提に立てばコータローの言いたいことはひとつだ。


なこと蒸し返すって思うかも知れねえけどな。ショーマが高岡そっくりの格好してコピーバンドやろうってあれ、半分本気だったんだぜ?」


「……」


「そうなりゃショーマは嫌でも高岡涼馬と対決せざるを得ねえわけだからな。目ぇ逸らしてるオマエに現実突きつけてやりたかったんだわ。……けどま、よく考えてみりゃオレがしゃしゃり出るこっちゃなかった。オマエが自分でその気にならなきゃ意味がねえわけだし」


「……」


「それにな、オレは可能性あると思ってたんだわ」


「……何の可能性だよ」


「オマエが音楽で高岡涼馬を凌駕する可能性だよ」


「……」


「オレはな、ショーマ。高岡涼馬そっくりの格好したお前が、音だけで客を黙らせるのが見たかったのさ」


「……」


「高岡そっくりだけど、高岡の音じゃない。むしろこっちの音の方がいい。客にそんなこと言わせられたら最高に気持ちよくねえか? いっそ高岡涼馬のシークレットライブとでも銘打って体育館から溢れるほど人集めてよ、騙されて聴きに来たやつら全員のハート鷲掴みにしちまうような……そんなショーマの姿を、オレは見たかった」


 勝手な言い草だな――そんな風に思いながらも、昌真はまたしてもコータローに反論できなかった。


 コータローの言っていることがすべて正しいとは思わない。だが一面において昌真自身も気づいていなかった事実を言い当てていることは明らかだった。……こいつはいつもこうだ。一番触れてほしくないところがわかっているかのようにズケズケとそこに踏み込んでくる。


 コータローが口に出したくもなかったに違いないコンプレックスをさらけ出して退路を断ち、その直後にこんな話を蒸し返していることの意図は見え透いている。オレを見習ってオマエも退路を断ってみたらどうだ? そうしたら協力してやらんでもない――おおかたそんなところだろう。


 もっともここで昌真がそれならコータローの言う通り高岡のコピーバンドとして出直そうと言い出しても、当のコータローはおそらく乗ってこない。勉強で昌真と同じ条件で戦っていても勝てないと告白した舌の根も乾かないうちに、前言を撤回してバンドを続けるという結論になるとは考えがたい。……そう、せいぜい薫陶祭のライブでそれをするなら付き合ってやる、と言うことなのだろう。


 だがそういうことならば結論は最初から出ている――、という話だ。


 いずれにしろこれで先週のいざこざについては手打ちだ。打つ手が痛い幕引きには違いないが、あのままうやむやになってしまうよりは遙かにマシだった。その一点において、昌真はコータローに感謝した。


 これでコータローとの決着はついた。あとは、もう一人のメンバーだった。

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