003 強襲のポンコツアイドル(3)

 高岡への復讐――


 せっかく芸能界の内部事情に詳しいあやかと協力して事に当たるのだからあやかを軸に考えるべきだろう。気をつけなければいけないのは犯罪まがいの行為にならないように、ということだが、真剣に高岡を潰すとなるとどうしてもそっちの方向に流れる。


 だがそもそも俺もあやかも、本当に高岡にそこまでの復讐を求めているのだろうか?


 ……きっと違う。俺は日頃の鬱憤を晴らすため、あやかは傷心の妹さんを慰めるためのささやかな逆襲――俺たちが目指すべきゴールはそこだ。それを成し遂げるためのベストな方法は何か……。


 だが昌真がひらめくよりも先に、まさに『我発見せりエウレカ!』といった感じであやかが叫んだ。


「思いついた! ねえ、こういうのはどう!?」


「こういうのってどういうの?」


「昌真が駅前かどっかでいきなり裸になるとか。高岡涼馬、全裸で逮捕!」


「あのな、逮捕されんの俺だろ」


「あ、そっか。だったらこういうのは? 昌真がまずスキンヘッドになるの」


「それで?」


「カツラ被って、人目につく場所で落っことす。高岡涼馬、ズラ疑惑!」


「却下だ! スキンヘッドにするとか俺の被害が大き過ぎる。だいたいあいつの髪型見て誰がズラだなんて思うんだよ」


「うーん、それならあたしも頑張っちゃう!」


「どうやって?」


「ロスジェネの後輩にすっごく高岡ファンの子いるから、あたしの紹介で昌真がその子と付き合う」


「で?」


「でもその子、中学生だから。高岡涼馬、実はロリコン! 条例違反で逮捕!」


「だーかーらー逮捕されんの俺だろ! どうしてそんな相手にダメージがいかない自爆テロみたいなのばっか思いつくんだよ」


 あまりにもぐだぐだなあやかの提案に昌真は深い脱力を覚えた。何より彼女の真剣な表情を見るだにネタで言っているわけではなさそうだというところからして怖い。


 犯罪者のように危ない橋を渡る者ほど相棒選びには慎重になると言う。やはりこの人と組んで高岡に復讐するなどと決めたのは失敗だったのだろうか……。


 そんなことを考え始めた昌真の両肩を、いつの間にか前に回り込んでいたあやかの両手が、ガッと掴んだ。


「だったらこれ!」


「え?」


「ロスジェネのメンバーじゃない誰か別のアイドルを、昌真が落とす!」


 真正面から見つめてくるあやかの目力はすさまじく、何が何でもそれを昌真にやらせるといった意気込みが感じられた。その迫力に圧倒されそうになりながら、昌真はとりあえず心に浮かんだ率直な疑問を口にした。


「……それがどうして高岡への復讐になるんだ? さっきも言ったけど高岡は恋愛禁止されてなんかいないし、アイドル落としたって箔がつくだけだろ」


「違うよ。アイドルの中には手出したらいけない子っているんだって。すごく熱心なファンがついてる子とか」


「ああ……なるほど」


「そういう子とスクープになったらファンが黙ってないよ? 誰かがサクッと高岡を刺してくれるかも」


「……なかなか過激なこと言うね、キミ」


 あやかの言うことに何となく納得しながらも、おそらく復讐としての実効性は極めて低いプランだと昌真は思った。アイドルのスキャンダルなど日常茶飯事だが、それで相手の男が刺されたというニュースは聞いたことがない。


 つけ加えて言えば、極めて難易度の高いプランでもある。彼女がいたためしすらない昌真にアイドルを落とせと言うのだから、そこらの小学生をつかまえて大学に合格しろと言っているようなものだ。


 もっとも、かなり高い下駄は履かせてもらえる。あやかの全面的な協力のもとに、完全に高岡になりきって相手を騙し通すことができれば可能性はあるのかも知れない。


 ……もともとがささやかな復讐なのだ。そこで高岡の風評に少しでも傷をつけることができれば成功と言えるだろう。あやかイチ押しの案のようだし、とりあえずそれでいこうということにしておくのも悪くない。しかし――


「……やっぱ、あんまり気が進まないな」


「どうして?」


「そのプランだと関係ないアイドルの子を巻き込むことになるだろ? それが嫌だ」


「えー。でも昌真、アイドル嫌いなんでしょ?」


「好きじゃないよ。けど、アイドルの人だってみんな頑張ってんだろ」


「そうだけど」


「自分が好きじゃなくても、頑張ってる人を個人的な復讐なんかに巻き込むのは嫌だ」


「ふうん……けっこういいこと言うじゃん。ひょっとして、いい人系のキャラ狙ってる?」


「何で俺が初対面の女の前でキャラ作らないといけないんだよ」


「だったらさ、枕やってるような子だったら?」


 少し声のトーンを落とし、昌真の反応を伺うような声であやかは言った。枕営業――言わずと知れた芸能界にまつわる都市伝説のひとつだ。だがそれが現役のアイドルの口から出ると生々しさが半端ない。


 知りたくもなかったマスメディアの暗部に踏み込んでいる気がして内心に緊張を覚えながら、昌真は仕方なくもう一歩を踏み出した。


「……枕やってるようなやつ、ってたとえば誰よ?」


「佐倉マキちゃん」


「佐倉マキ!?」


 あやかの口から飛び出したビッグネームに思わず昌真の声が上ずった。佐倉マキの名前は昌真ですら知っている。顔と名前がセットで思い浮かぶ数少ないアイドルの一人だ。


 今をときめくトップアイドルグループ『二十二房の女子監獄』、通称『プリズン』のジョーカーにして実質的なエース。たしか今年で二十歳だが、中学生のような背格好とそれに見合わない崩れた感じの色気、何よりアイドルらしからぬ黒い言動で知られるオンリーワン型のキャラで、ネットでは愛と親しみを込めてロリビッチあるいはロリババアなどと呼ばれている。


 ……たしかに佐倉のキャラが本物なら、枕のひとつやふたつやっていてもおかしくない。


 けれどもそれがあくまでビジネス用に作っている仮面である可能性もあるし、ビッチを前面に押し出しておきながら実は清純派などということも考えられなくもない。


「でもさ、佐倉が枕やってそうって、そんなのイメージでしかないだろ?」


「えー、だってみんな言ってるし。あの子はプロデューサーの人と付き合ってるとか、他にも」


「それだって噂に過ぎないじゃん。証拠でもあるのかよ」


「だったらそれが本当だってこと昌真が証明すればいいんだよ!」


「どうやって?」


「昌真が口説いて、ホテルにホイホイ着いてくるような子だったら黒! あたしたちの復讐に巻き込んでも問題なし!」


「うーむ……」


 ホイホイついてくるどころか強引に男をラブホに連れ込む自称処女が言うなと昌真は思ったが、あえて口には出さなかった。


 ……なるほど、この人の言うことにしては筋が通っている。実際にそんなことができるかどうかは別にして、俺が少し口説いただけで落ちるような女なら、佐倉マキが一般に認知されているキャラクター通りの人物である可能性は高い。口説き落とした時点でそれを証明できるわけだから、ミッションそれ自体と前提条件の確認を一挙に行える点も評価できる。


 ……そもそも枕をやっているような人物なら迷惑をかけてもいいという論理の是非については判断が分かれるところだろうが、真面目に頑張っている人を巻き込むよりはマシという点では論をまたない。


 それに――そうだ。女子監獄プリズンはその名の通り、鉄格子越しに握手会をすることで有名なアイドルグループである。現世という檻に囚われてうんちゃらかんちゃらといったような設定があるようだが、それが過去の事件を教訓に、行き過ぎたファンによる刃傷沙汰を防止するためのセーフティーネットを兼ねていることは周知の事実である。


 高岡と佐倉がスクープされたとしてファンが恨むのは高岡ばかりとは限らない。むしろ佐倉に矛先が向くことも大いに考えられる。その点、女子監獄の佐倉であれば少なくとも握手会で刺されることはない。


 そうやって色々と考えてゆくと、あやかの口にするその荒唐無稽なプランが何だか良い案のように思えてきてしまうから不思議だ。


「実はあたし、佐倉マキちゃんのスマホの番号知ってるんだ」


「え、マジで? 何でそんなの知ってるの」


「ロスジェネの先輩が教えてくれたの。ムカつく子だからイタ電でもかけてやれって」


「……ドロドロした業界の裏事情ありがと」


「だからさ、あたしから佐倉マキちゃんに情報流せるよ! それってけっこう重要なことじゃない?」


「うーむ……」


 ――で、ダメ押しとばかりにこの好材料である。あやかの言う通り情報伝達の手段があるというのは大きい。


 さらに言えばそのスマホの番号が、ロスジェネの先輩から相応の悪意をもってあやかに託されたものであるということもプラスの要素だ。


 ロスジェネとプリズンは言わずと知れたアイドル界の二大巨頭、誰の目にも明らかなライバル同士である。正攻法からはほど遠いが、ライバルのエース潰しということで一応の大義名分が立つ。


 そういった事情であれば、万一俺たちの企みが明るみに出てしまったとしても、少なくともこの子がロスジェネ内での立場を失うことはないのではないか……。


「ね、どう? その作戦でどう?」


「……」


 それだけの材料が揃っても昌真はなかなか首を縦に振ることができなかった。駅前で全裸になるだのスキンヘッドになってズラを落とすだのどうしようもない案を聞かされたあとだから、比較的まともなその案が良さげに思えているだけのような気もする。


 冷静に考えれば佐倉を落とすなどということが自分にできるわけがない、寝言は寝て言えということになる。だが復讐に協力すると言い出したのは自分だし、これだけノリノリな相手あやかを見ると「やっぱ無理だからやめよう」とは言いづらい。


 ……いずれにせよここで全てを決める必要はないのだ。具体的なことは追い追い検討していかなければならないし、どこかでゼロに戻して考え直してもいい。とりあえずの標的として佐倉マキを設定しておくのは正解ではないにしても大きな間違いでもないのではないか――


「わかった。じゃあ暫定的に佐倉マキがターゲットな」


「オッケー! よーし頑張るぞ!」


「つか、あんま張り切り過ぎるなよ? バレたら墓穴掘るの俺たちなんだからな?」


「わーかってるって!」


 やる気の表れということなのだろうか、ベッドの上に立ってくるくると舞い踊るあやかを半分呆れた目で眺めながら、昌真の頭はやはり早まったことをしたのではないかという思いでいっぱいだった。だが約束してしまった以上、しばらくはこのエキセントリックな女子に付き合わなければならない。


 ……さて、そうなれば問題はふりだしに戻る。自分はどうでもいいとして、マスコミが待ち構えているという出口からどうやってこの人を無事に脱出させるかだが――


「さっきの話なんだけど、マスコミはどうやって呼んだの?」


「『いいネタあったら教えて』って名刺渡されてた記者さんにメール送ったの」


「どんなメール?」


「こんなメール」


「『亞鵺伽です。このホテルまで来てください。』……ググマのURLつきか。送ったのはいつ?」


「部屋入ってすぐ昌真をちょっとだけトイレに閉じ込めたでしょ? あのとき」


「……あのときか」


 あそこでメールを送ったのであれば、さっさとホテルを出ていれば記者が来る前にやり過ごせたのかも知れない。だが今さらそんなことを言っても後の祭りだ。とりあえずここにある情報を使って上手い脱出の方法を考えないといけない。


 もっともあやかが記者に送ったメールがこの文面ということであれば、やり方はいくらでも考えられる。


「ねえ、キミさ――」


「あやかって呼んで!」


「……えー」


「一緒に高岡に復讐するんだからパートナーでしょ!? あたしも昌真って呼んでるんだし、昌真も名前で呼んでよ!」


「じゃあ、あやかさん」


「あやか!」


「……あやかにひとつ質問」


「はい! 何でしょう?」


「演技力には自信ある?」


「あります! あたし女優志望だから!」


 そう言ってあやかはプロポーションの良い胸を張って見せた。


 ……はっきり言って不安である。不安ではあるが、そもそも自分で蒔いた種なのだから、自身のアイドル人生を賭けて刈り取ってもらうしかない。


 しかし、相棒契約を結んで初めてのミッションが『ラブホからの脱出』とはこの先が思いやられる。そんなことを思いながらも、その初めてのミッションを成功裏に終わらせるため、昌真はもう一度頭の中でその作戦をシミュレートした――


◇ ◇ ◇


「亞鵺伽ちゃん!」


「……棚橋さん!」


 何かに怯えるように外の様子を伺いながらラブホテルから出てきたあやかは、そこで待ち受けていた女性の胸に飛び込み、肩を震わせて嗚咽し始めた。


「怖かった……怖かったよ……棚橋さん」


「大丈夫だから……もう大丈夫だから、ね?」


 棚橋さんと呼ばれたその女性はあやかのマネージャーである。今日は別のアイドルの付き添いで近くまで来ていたのだが、あやかからの連絡を受け、急遽駆けつけたのである。


 ラブホテルの出口で抱き合う二人の前に、物陰からぬっとカメラを手にした男が進み出た。


「ええと……亞鵺伽ちゃん?」


「ちょっと! 何ですかあなた! ひょっとしてあなたが――」


「違います棚橋さん! あたしが呼んだんです! 怖くて……あたし、怖くて」


「……何かお取り込み中みたいだけど、どういうことか説明してくれるかな?」


 困惑顔の男性に促されて、あやかはぽつぽつと事情を語り始めた。


 執拗にあとをつけてくる男がいたこと。走っても撒くことができず、死角に入ったところで咄嗟にラブホテルに逃げ込んだこと。部屋に逃げ込んでからも不安でたまらず、藁にもすがる思いで探った財布の中に記者の名刺を見つけたこと。メールを送信したあとも怖くて部屋から出られず、ようやく混乱が治まってマネージャーを呼べばいいと気づくまで泣きながら震えていたこと――


「この度は本当に申し訳ありませんでした。ご厚意でおいでいただきましたものを、事情も知らずストーカーと疑うような真似まで……」


「ああいや、それはもういいんです。何事もなくて何よりです」


「本当にごめんなさい。ご迷惑をおかけしました」


「うん、いいよ亞鵺伽ちゃん。これにめげずに頑張って。応援してるからね」


「ありがとうございます!」


 そんなやりとりがあって、記者の男性は帰っていった。


 あやかはマネージャーに車で送られて家に帰った。家に着くまでの間、マネージャーは助手席にうなだれるあやかを慰めながらも、ラブホテルに逃げ込んだこととそこに記者を呼んだことは決して褒められたものではないと、少し低い声で釘を刺すことを忘れなかった。


◇ ◇ ◇


 ――といった一連の顛末を、充分に時間を置いてラブホを出て日付も変わろうとする頃ようやく家に帰り着いた昌真は、そこから一時間以上に渡り鬼の首を取ったように語り続けるあやかからの長電話で嫌というほど聞かされることになる。

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