002 強襲のポンコツアイドル(2)
ロストジェネレーション――通称『ロスジェネ』とは、おそらく今最も勢いのあるアイドルグループである。
古き良き時代のアメリカンポップスの復刻を掲げ、そのスローガン通り二十世紀のアメリカ音楽を基調としたレトロテイストの曲ばかりをリリースしながらも、プロデューサーがそれをスローバラードからアップテンポの曲にまで上手く仕立てることで、一種独特の世界観を確立している。
だが何より特長的なのは『ジュークボックス』という新たなビジネスモデルを生み出したことだろう。
ジュークボックスというのはアプリの名前で、スマホでもPCでも簡単にインストールできる。
そのジュークボックスでロスジェネの曲が聴けるのだが、そこで課金が発生する。ただ一曲聴くごとに十円というプチプラで、しかもその課金システムを交通系電子マネーと簡単操作で紐付けできるというユーザーフレンドリーな仕様により、爆発的な普及をみた――と、いつぞやのビジネス系ニュースで特集していた。で、たしか藤原亞鵺伽は――
「ロスジェネはじまって以来の美少女って触れ込みで入ってきて、全然人気が出なかったことで有名なんじゃなかったか?」
「美少女って……またそんなこと言って。褒めたってなんも出ないからね」
「だから褒めてないって」
ジュークボックスにはもうひとつの役割があり、十円払って一曲聴く際に、ロスジェネのメンバーを一人指名できる。と言うより、その十円がお気に入りの子へのチップなのだそうで、ジュークボックスにはその指名した子が歌う姿が映し出される。
ロスジェネには百人からのメンバーがいて、多くのチップを獲得した子がメディアに露出する。つまりはユニット内のヒエラルキーをめぐる競争と、課金によりそれを応援するファンという一世を風靡した図式を、無駄に廃棄されるCD抜きで実現するものであり、最近急速な盛り上がりを見せるプラスチックごみ撲滅論の煽りを受けてエコの観点からも評価されている。
もっとも推しメンのために何百ものアカウントをとって二十四時間ジュークボックスをまわしっぱなしにするファンがあとを絶たず、新たな批判を呼んでいるという話ではあるが。
そんなシステムにより実現されるロスジェネのヒエラルキーにおいて、藤原亞鵺伽の順位は伸び悩んでいるらしい。
そう言えば彼女が鳴り物入りでデビューしたばかりの頃、昌真も一度だけ歌番組でその姿を見たことがあった。司会者の隣という絶好の席を与えられながら緊張のためかまともに受け答えできず、ビジュアルはやたら目を惹くがいざステージとなると全然目立たない――というのが昌真の印象だった。
まあこの際、この子の人気が高かろうが低かろうがそんなことはどうでも良いのだが、彼女がロスジェネのメンバーだとすると、ひとつ大きな疑問が浮かび上がってくる。
「けどたしかさ、ロスジェネって恋愛禁止なんじゃなかったっけ?」
「それよ! それを逆手に取って高岡涼馬をハメてやるつもりだったの!」
「どうやって?」
「あいつとあたしが腕組んでホテルから出ていくでしょ? マスコミが写真撮るでしょ? そしたらあいつ終わりじゃん!」
「どうして?」
「だってあたしたち恋愛禁止なんだから!」
「禁止されてるのはあんたたちで、あいつは禁止されてないだろ」
昌真の指摘に亞鵺伽は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして固まった。
「つか、終わるのは高岡じゃなくてあんたなんじゃないのか?」
「そうじゃん! あたしってバカ!?」
……うん、俺が思っていたことを代弁してくれた。そう思って昌真は内心に大きくひとつ溜息をついた。
頭が悪い――と言うより、思いつきで行動してしまうタイプの子なのだろう。そして一度思いこんだらなかなかその考えから抜け出せない。……なるほど、大まかな人物像の把握はできた。
「昌真だっけ? あんた頭いいね」
「この流れで頭いいとか言われてもな……」
「高校生とか言ってたよね。学校どこ?」
「薫ヶ丘」
「わ、ホントに頭いいとこじゃん」
そう言って亞鵺伽は驚きに目を見開いた。昌真が通っている薫ヶ丘高校は公立ながら頭ひとつ抜けた地域トップ校で、その名前を口にすると一様にこうした反応が返ってくる。
ただ昌真としてはそれを何とも思っていない。むしろいい学校に通っている優等生というレッテルを貼られるのがあまり好きではないのだ。
「あんたは? たしか高校生だったよな。つか藤原亞鵺伽って本名なの?」
「本名。あやかは平仮名だけど」
「そっちのが人気出たんじゃないかな……」
「学校は言いたくない」
「なんで?」
「あんたのとこと比べるとすごく頭悪いとこだから」
「学年は?」
「二年」
「同学年か」
「え? 本当?」
「しかし学校じゃ大変だろ。下駄箱毎日ラブレターで一杯とか?」
「ううん、だってうち女子校だし」
「ああ、そう。緑山?」
「城西」
「なるほど」
亞鵺伽――改め、あやかは語るに落ちたことも気づいていない様子だ。
ただ昌真の知る限り、城西学院はそんなにレベルの低い高校ではない。むしろ地元ではリムジンで送り迎えしてもらう子がいるようなお嬢様学校として有名である。
この破天荒な行動ぶりを見るにいまいちピンとこないが、この子もあるいは良いところのお嬢様なのかも知れない。
「あんたこそ、モテモテなんじゃない?」
「なんで?」
「だってそんなに高岡涼馬に似てるんなら」
「……おい、それ俺には禁句だぞ」
あやかの発言に、昌真は猛然と怒りがこみ上げてくるのを感じた。
高校に入学してから昌真は都合五人の女子に告白されている。一年のとき先輩が一人、隣のクラスの女子が一人。二年になってから同クラ一人、後輩一人、同じ駅を利用するどこの高校かもわからない子が一人。
可愛い子もいた。正直、容姿だけ見ればストライクゾーンのど真ん中かその周辺に突き刺さるような子も。だがその全員が示し合わせたように口にした告白の台詞が『高岡涼馬に似てるし格好いいと思って』だったのだ。
……こういう人たちはいったい何を考えているんだろうと昌真は心底疑問に思う。たとえるなら男に胸をじろじろ見られることを真剣に悩んでいる巨乳の女子に『おっぱい大きいし可愛いと思って』と言って告白するようなものだ。断られるのはデフォとして、ひっぱたかれても文句は言えない。
もちろん昌真は告白してきた女子をひっぱたいたりはしなかった。ささやかな抗議を込めて『俺は高岡涼馬じゃないから』と言って断るのが精一杯だったわけだが、胸の中にはいつももやもやした黒い思いが残った。
その思いが今、昌真の胸に戻ってきている。八つ当たりには違いないが、この物わかりが悪い女子にそのあたりをキッチリと思い知らせてやりたい。
「高岡涼馬に似てるから好きだって言われて嬉しいと思うか? そんなの――」
「あ、そっか。たしかに嫌だねそれ。ごめん、無神経なこと言っちゃったあたし」
「……いや、まあいいけど」
またさっきのようにこじれるかと思いきや、あっさり理解して素直に謝ってくるあやかに、昌真は気勢をそがれた。それでも一度胸の中に巣くった黒いもやもやは消えずに残った。
……こうして思い返してみれば自分の高校生活は滅茶苦茶だ。ギャグのようにさえ思えてくるが紛れもない事実である。ただまあ、恋愛は仕方ない。もともとそんなにモテる方ではなかったのだし、高岡が世に出ようが出まいが彼女などできなかったのだと考えれば諦めもつく。
だが恋愛はそれでいいとしてもバンドまで――そのことを考え、やりきれない思いが昌真の意識を塗り潰した。
「……実はさ、俺も音楽って言うか、バンドやってたんだよ」
「え、そうなの?」
「ああ。コピーバンドじゃなくて、本気のバンド。俺が曲書いて、メンバーが編曲して」
「うっそ、すごいじゃん!」
「でも、明日解散するんだ」
「どうして?」
「俺、ギターボーカルなんだけどさ、俺がステージに立つとすごい声援があがるんだよ。俺とは別のやつの名前を呼ぶ声援が」
「あ、それって高岡涼馬?」
「そう。最初のうちそういうもんだって割り切ってやってたけど、いい加減嫌になっちゃってさ。その辺の理由でメンバーと喧嘩して、この際だから解散しようって話になって」
「……仲直りできないの?」
「俺が頭下げればできるかも。……けど、もういいんだ。ギターやってるやつが一度は通る道かも知れないけど、これでもプロ目指してたんだよ。勉強なんかよりずっと真剣にギター弾いてきた。でも、あんな自分でもたまに間違えるような顔したやつが売れちまったら、もうデビューなんて無理だろ。そっくりさんの色物キャラとしてなら売れるかもだけど、そんな売れ方したくないし」
「そっか。そうだよね」
今日のことにしてみても、本当なら昌真が女の力でこんなラブホの一室に引きずり込まれることなどあり得ない。振り切って逃げることもできたし、逆にどこか別の場所へ引きずっていって事情を聞くこともできた。だがバンドの解散を明日に控えて珍しくむしゃくしゃし、どうにでもなれという気持ちがあったのもたしかだ。
その挙げ句、身近な人には話せないその話を、自分をホテルに連れ込んだ行きずりの相手に打ち明けているのだから世話はない。
調子にのって変なことを話してしまった……そう思い、忘れてくれと言うために隣を見た昌真の目は、気遣わしげにじっとこちらを見つめるあやかの視線とぶつかった。
昌真は思わず目を逸らした。けれども、あやかは逸らさなかった。
「そんな事情があったんなら、高岡涼馬と間違われてすごく気分悪かったよね。ほんとゴメンね。あたし昌真にすごくひどいことしちゃった」
「……いや、いいよ。慣れてるし」
「慣れてたって嫌なものは嫌じゃん。あたし、もう絶対に昌真を高岡涼馬と間違えないようにする! 約束する!」
「うん、ありがと」
大まじめに宣言するあやかに思わず吹き出しそうになるのをこらえながら、昌真はどうにかそれだけ言った。もう二度と会うことはないだろうし、その約束に意味があるとも思えない。だがそんな無邪気とも言えるあやかの言葉に、気がつけば昌真の中にあったもやもやは晴れていた。
「学校、薫ヶ丘だって言ったよね?」
「言ったけど?」
「あそこって東大行く人すっごく多いとこでしょ? ギターが駄目ならさ、そっちで頑張ってみたら?」
「嫌だね。東大行きたくて勉強頑張ってきたわけじゃないし」
「じゃあなんで勉強頑張ってきたの?」
「胸張ってやりたいことやるためだ。勉強もしないでギターばっかやって、とか言われたくないし」
「ふうん。そんなんで薫ヶ丘とか入れちゃうんだ。羨ましいな」
あやかはそう言ってベッドの上に体育座りしてわずかに俯き、さっきまでとは違う少し沈んだ声で言った。
「あたしホント勉強できなくて。このままじゃ卒業できるかもあやしいって先生に言われちゃった」
「でもアイドルなんてすごいじゃん。ロスジェネのオーディションとか競争率すごいんだろ?」
「それはそうだけど……ファンの人たち元気にしたくてアイドルになったのにぜんぜん元気にできてる自信ないし。それに自分でアイドルだって言わなきゃわかってもらえないようなの、アイドルって言えるのかな……」
「アイドルの定義か。……うん、心配ない。俺の定義じゃあんたは立派なアイドル」
「……なんでそんな風に言えるのよ」
「だって、俺が名前知ってんだから」
「……? わかんない。それでどうしてあたしがアイドルだって言えるの?」
「俺、アイドルとか嫌いだし」
「え……そうなの?」
「ああ。
「えー? どうして来てくれないのよー」
「時間の無駄だから」
「うっわ、アイドル前にしてそこまで言う?」
「そんな俺が名前知ってんだから、あんたは本物のアイドルってことだよ」
「どういうこと?」
「アイドル好きのやつならアイドルの名前知ってて当然だろ。けどアイドル嫌いなやつが名前知ってんなら誰でも知ってるってことじゃん」
「あ、そうじゃん! やった嬉しい!」
「自信持っていいよ。ライブは観に行かないけど」
「そこは観に行くよって言うとこじゃない!?」
ムキになって突っかかってくるあやかに、昌真は思わず笑ってしまった。話してみればだいぶ面白い子だし、超がつくほどの美少女であることを感じさせない親しみやすさがある。
と言うか、いつの間にかナチュラルに名前で呼ばれている。このあけすけさは彼女の大きな魅力だろう。不人気であることについては昌真の耳にさえ届くほどの彼女だが、どうしてこれで人気が出ないのかわからない。
……たしか藤原亞鵺伽はトークがネックというのをどこかで聞いた気がする。これだけおバカなノリの軽妙な掛け合いができる子をつかまえてトークが苦手などと、なぜそんな話になるのか昌真には理解できない。
「トーク番組とか出るの?」
「え? うん、前はよく出てたけど」
「こんな風に喋ったりできないの?」
「こんな風にって?」
「今、俺と喋ってるみたいに」
「はあ? できるわけないじゃん、そんなの……」
「どうして?」
「だってあたしが出てた番組、芸人の人が司会やってたんだけど、めっちゃいじってくるんだってその人! 身構えちゃうんだよあたし」
「俺もたいがいいじってると思うけどな……」
「昌真はいいんだよ。だって、あたしのこと馬鹿にしようって気持ち、全然ないでしょ?」
「まあないけど」
「そういう気持ちが少しでも見えちゃうと、あたし駄目なんだよね。トーク番組とか向いてないってつくづく思う」
もったいない、と昌真は素直にそう思った。このルックスでおバカなぶっちゃけキャラとかだいぶおいしいと思うのだが、それは自分がアイドルというものをよく知らないからだろうか。
……いずれにしても時間潰しという名目で変な方向に盛り上がってしまった。初対面のアイドルとラブホテルの一室でまったりトーク。自分の人生にこんなシュールな展開が待ち受けていようとは夢にも思わなかった。
だがそもそもの始まりは何だったのだろう? ……そう、高岡涼馬だ。今回は何とかなったが、あの男のせいでこれからもこの手の事件に巻き込まれるかと思うと本当にウンザリする。一度は鎮まった黒いもやもやがまた胸の奥にこみ上げてくるのがわかる。
「……あんたの復讐、協力してやってもいいぞ」
「うっそ、マジで!?」
「ああ。できることなら高岡に一泡吹かせてやりたいって気持ちじゃ俺も負けてない」
「だったら作戦立てようよ!」
食い気味にそう言って目を輝かせるあやかに迂闊なことを言ってしまったかと五秒前の発言を早くも後悔しながら、昌真はあやかの言う通り高岡涼馬を陥れるための計画を練り始めた。
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