逆襲のドッペルゲンガー

Tonks

001 強襲のポンコツアイドル(1)

「だから! 俺は高岡涼馬たかおかりょうまじゃないって言ってんだろ!」


「はあ? その顔で高岡涼馬じゃないってんならあんた誰よ?」


片桐昌真かたぎりしょうま! さっきから何回言わせんだよ!」


 ラブホテルの一室に入るなり始まった二人の言い争いは、開始後三十秒にして早くも水掛け論の様相を呈してきた。


 男子が高岡涼馬であると主張する女子と、力強くそれを否定する男子。


 ちなみに高岡涼馬とは一昨年、ミュージックシーンに彗星のごとく現れた新進気鋭のシンガーソングライターである。歌詞は深いが曲調は軽めの洒脱な曲を書くことに定評があり、そんな曲自体の評価に加え癖のない素直な歌声と、若干濃いめだが甘いと言えなくもないマスクとが相俟って、幅広い年齢層に支持されるトップアーティストの一人に数えられるまでになった。


 だがそうして高岡涼馬が階段を駆け上がった過程は、同時にこの男子――片桐昌真にとって、それまでほぼ順調といって良かった彼の人生に初めてもたらされた受難の道のりでもあった。


 今日のこれはその頂点にして、ある意味で最も典型的な事件であると言える。


 土曜日の昼下がり。たまたまラブホテルの前を通りかかった昌真は、どこからともなく現れたこの女子に「高岡涼馬さんですね?」と言って腕を掴まれ、そのまま強引にこの部屋に連れ込まれたのである。もちろん抵抗はした。自分が高岡涼馬ではないことを訴え、どうにか逃げようと試みたのだが、逃げたら大声を出すとこの女子に脅され、状況が呑み込めないままここまで来てしまったのだ。


 その結果、この不毛な言い争いとなった。もっとも昌真にしてみれば、いきなりラブホに連れ込まれるというイレギュラーな要素こそあったものの、この展開自体は慣れたものであり、正直『またか』という思いしかない。


 高岡が売れ始めてからというもの、自分の周りはずっとこの調子だ。顔だけならまだしも――いや、それが全ての元凶には違いないのだが――名前まで似ているものだから始末に負えない。だから自分がいくら説明しても、こうやって食い下がってくる物わかりの悪いやつが出てくる。


「本名? 本名ってこと? 今はプライベートだから涼馬じゃなくて昌真? うっわ、くっだらない! そんなことで言い逃れできると思ってるなんて!」


「んなこと思ってねえよ! たしかに本名だよ! けど俺は高岡涼馬なんて芸名で活動してないっての!」


「だってさ! あんたの顔どっからどう見ても高岡涼馬じゃん! それどう説明すんのよ? 説明できるの?」


「よし。いいか、待ってろよ……」


 そう言って昌真はスマホを操作し始める。不本意ながらブックマークしてある高岡涼馬のオフィシャルホームページを開いて、そのトップに表示される顔――仏像のように曖昧な笑みを浮かべる高岡の顔をピンチアウトで拡大する。


 ……何度見ても似ている。毎朝、歯を磨くために鏡の前に立ったときに眺める顔そのものだ。ドイツの伝承にある二重身ドッペルゲンガーとは、おそらくこういうものを言うのだろう。


 だが画像解析ソフトまで使った長期間に渡る検証の結果、昌真は自分の顔と高岡涼馬のそれとの間における決定的な違いを見いだしていた。


「ほらこれ! これ見ろ! 何か気づかないか!?」


「んー?」


 涙ぼくろの位置。これが一番わかりやすい違いだと昌真は考えている。


 昌真と高岡はいずれも涙ぼくろがあり、この特徴がまた二人の顔の相似性を高めているのだが、逆にそれが二人を見分ける最大のポイントでもある。その涙ぼくろがあるのが、昌真は右目の目尻で、高岡は左目の目尻なのだ。


「……同じところにほくろあるし、本人ってこと?」


「ちーがーう! よく見ろ! 位置が逆だろ!」


「だってこの写真のほくろが右目の下で、あんたのもそうでしょ? 違わないじゃない!」


「そうじゃない! 左右逆だろ!」


「だって写真だと左右逆になるじゃん! それくらい知ってるんだから!」


「逆になんかならない! いや……なるか? なるのか。なるけど! それ自体間違ってはいないけど……ああ、もう。スマホ持ってるだろ? それで俺の顔撮ってみろ!」


「……いいけど?」


 女子はしぶしぶといった感じでスマホを取り出すとレンズを昌真に向けた。やる気のない「はい、チーズ」という声に脊髄反射して昌真が笑顔でピースしたところにシャッター音が響く。


 すぐに二人してスマホを覗き込む。撮影されたばかりのその顔と、昌真が手にするスマホに映し出された顔とを見比べ、昌真は自信満々にさっきの言葉を繰り返す。


「ほら見ろ! 左右逆だろ?」


「……スマホで撮ったからじゃない?」


「んなわけあるか!」


「ホームページの方の写真、左右反転させてあるとか」


「あり得ないだろ! 何でそんなややこしいことするんだよ!」


「左右逆にした方がイケメンに見えるとかそういう理由でやってるの?」


「やってる前提ではなしすんな! ……だったらこれはどうだ!」


 昌真は再びスマホを操作し、高岡の左耳を拡大して画面に大きく映す。これまた昌真のものとそっくりな耳たぶの中央に、小さな群青の石が輝いている。高岡が半年ほど前から着けるようになったラピスラズリのピアスだ。そのピアスが着いた耳の画像を女子に突きつけ、昌真はまたしても声高に主張する。


「見ろ! これでわかっただろ!」


「……あんたってピアスなんかしてたっけ?」


「俺はしてない! けど高岡涼馬はしてる! ほら、このサイトの写真見ろ!」


「そんなの、外せばいいだけの話じゃん」


「外したって耳に穴が残るだろ! 俺の耳見ろ! どこに穴が開いてる!?」


「イヤリングかも」


「男がイヤリングなんかするかよ! いや……するやつもいるのか? どうなんだ……知らんけど! だいたいイヤリングだったら裏っかわにまわる部分が必要だろ!」


「磁石でつけるやつとかあるじゃん」


「あーのーなー、アーティストがマグピなんかするわけ……ああ、まったく。そもそも! このサイトの写真と俺の顔見て違いに気づかないのか!? 髪型が全然違うだろ!」


 駄目押しとばかりに昌真はスマホに映した高岡の頭と自分のそれとを並べて見せる。


 高岡はやや色の抜けた坊主に近いベリーショート。対照的に昌真はグループサウンズでもやっているのかというもっさりとした黒の長髪である。梅雨も真っ只中のこの蒸し暑い盛りに、である。


 本当は昌真も夏に向けてさっぱりしたいし、少しは色も入れてみたいのだが、まさにこうしたシチュエーションでこの違いを主張したいがためにできないのだ。


「どうだ! これでわかったか!」


「……」


 女子はしばらく無言で昌真の頭とスマホの画像を見比べていたが、やがておもむろに昌真の頭に手を伸ばすと、頭頂部あたりの髪の毛を掴んで思い切り引っ張った。


ってえ! 何すんだ!」


「カツラかと思って」


「カツラなわけあるか! 地毛だ、地毛!」


「こんだけ引っ張っても抜けないってことは、植毛?」


「検証の目的変わってんだろ! 何で高校生の俺が植毛疑われなきゃいけないんだよ!」


 容赦のない女子の手からどうにか逃れたあと、これはもう本格的に駄目だと昌真は思った。涙ぼくろの位置とピアスの穴と髪型、たいていのやつはこの三つのどこかで納得してくれるのだがこの女には通じない。


 ……そもそも俺はなぜこんなにも必死になって初対面の女子に、会ったこともない男との違いを説明しなければならないのか。そう思って昌真は、だんだんすべてがどうでもよくなってきた。


「……いいよ。だったらやってやるよ。こうなりゃヤケクソだ」


「ちょっと! なにいきなり脱ぎ始めてんの!?」


「……やるんだろ? あんたも早く脱げよ」


「なんであたしが脱がないといけないの!? やるってなによ!?」


「なに今さらカマトトぶってんだよ。セックスするんだろ、セックス。とっとと始めようぜ、そんなら」


「な……なに言ってんのよ! バカなこと言わないでよ! なんであたしがあんたなんかに大事な処女あげないといけないの!?」


「処女だあ!? 真っ昼間からこんなとこに男連れ込んどいてよく言うぜ! いいから早くしろよ! こっちだって大事な童貞くれてやろうって言ってんだ!」


「童貞って……だってあんたこないだモデルの奥村カレンとホテルから出てくるとこ撮られて――」


「だからそれは俺じゃないって何回も何回も何回も言ってんだろ!」


 半脱ぎかつ半泣きで、昌真はほとんど頭突きするような勢いで女子に真っ向から向き合った。


 そこで女子は何を思ったか昌真の顔を両手で挟み、じーっという音が聞こえるほど真剣な眼差しで凝視してきた。……キスでもしてくるのだろうか、と昌真が場違いにも胸の高鳴りを覚えはじめたところで、女子が何かに気づいたように大きく目を見開いて、言い放った。


「別人じゃん! あんた誰!?」


「だーかーらー。さっきからそう言ってるだろーがー」


 女子の言葉に昌真は全身の力が抜けてしまい、その場にへたりこんだ。


 高岡の疑いを晴らすためにこれまで何度となくこの手のやりとりを繰り返してきた昌真にとっても、こんなに疲れたのは初めてだった。……何より、だいぶ取り乱してしまったという思いが昌真の心を重くした。同年代の女子の前でセックスだの何だのと、自分は何を口走っていたのだろう。


 羞恥心に苛まれながらシャツのボタンを留め直す昌真の前で、ベッドのへりに腰掛ける女子もまただいぶ意気消沈した顔で、小さく呟いた。


「……ごめんなさい。あたし最低だ」


「……そうだな」


 同意するところが大きかったので、昌真はあえて否定しなかった。自分で言っておきながら、昌真の反応に女子はむっとした顔をし、拗ねたようにぷいと目を逸らした。


「だいたいこんな無鉄砲なことしてたらあんたすぐにその大事な処女なくす羽目になるぞ」


「……ふん。あんただってこんな簡単についてきてたらすぐ大事な童貞なくすでしょうね」


「いや童貞はいいんだよ、童貞は」


 大事な童貞、などと言ったのは言葉のあやで、本音を言えば童貞など可及的速やかに捨てたい。そのへんの会話の機微といったものがこの女子にはわからないのだろうか。


 ……それにしても思わず口にした通り、この女子の無鉄砲さには他人事ながら心配になる。連れ込んだのが俺だから良かったものの、相手によっては事件になっていてもおかしくない。


「つかさ、なんでまた高岡涼馬をラブホに連れ込もうだなんて思ったの?」


「決まってんでしょ。復讐よ!」


「復讐?」


「そう、復讐! 妹の敵討ってやろうと思って!」


 そこからしばらく、女子はその『妹の敵討ち』について熱っぽく昌真に語った。あっちにいったりこっちにいったりしてだいぶわかりづらいその話を要約すれば、彼女の妹が高岡涼馬に入れあげ、食い物にされたことが我慢ならない、ということのようだ。


 ただ聞くだに人気アーティストにはありがちな、弄ばれた挙げ句に棄てられた、とかそういうことではないらしい。


 高岡涼馬の大ファンであるところの妹さんが、お小遣いのみならず大事に貯めてあったお年玉までつぎ込んでCDを買いまくった挙句、コンサートの出待ちですげなくあしらわれたのがショックで寝込んでいる――と。


 ……聞き終えた昌真がまず思ったのはもちろん『それって高岡悪くないだろ』だったが、あえて口には出さなかった。シスコン気味なのだろうか。昌真にも妹はいるので、危なっかしいことをする妹を心配する気持ちはわからなくもない。


 ただ正直そんなことはどうでも良いし、はっきり言って興味もない。とにかく誤解が解けたなら一刻も早くこんないかがわしい場所から出たい。


「……人違いだってわかったんだったら、俺もう帰っていいか?」


「今はやめた方がいいよ。たぶん、出口でマスコミが待ち構えてるから」


「は?」


「あたしが呼んだの! 高岡のやつハメてやろうと思って」


「高岡をハメる? どうしてハメることになるんだ?」


「……てゆうか、気づいてないみたいだけどさ。あたしの顔、どこかで見たことない?」


 さっきまでの強気な調子とは打って変わって消え入るような声でそう言うと、女子は恥ずかしそうにもじもじし始めた。視線を合わさないように斜めを向いて、チラッ、チラッとこちらの様子を伺ってくる。


 ……明らかに挙動不審だった。だが昌真は言われた通り、改めて女子の顔を見た。


 混乱していてわからなかったが、よく見れば女子はかなりの美人だった。と言うより、昌真がこれまで出会った中でもトップクラスの美少女と言っていい。


 ベッドの上に女の子座りしている姿から脚の長さはわからないが、スタイルもだいぶ良さそうだ。何より華がある。どこの学校のどの学年に行っても『学年で一番可愛い子』の称号はゲットできるだろうし、芸能界にいてもおかしくないレベルの容姿――


「ん?」


 そこまで考えて、昌真は頭の中に何かがひっかかっていることに気づいた。


 この顔……たしかどこかで見たことがある。


 いったいどこで……。考え事をするときいつもそうするように、昌真は目を瞑って額の真ん中に指をあて、しばらく考えた。


「あ、ロスジェネの?」


「そう!」


「ええと名前は……藤原亞鵺伽ふじわらあやか


「そう! 嬉しい、知ってたんだ!」


「いや、だいぶキラキラした名前だったから何て読むか調べたことがあって、それで覚えた」


「キラキラした名前って……やだなあ、褒めないでよ」


「褒めてないんだが」

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