027 渾身のフェイクライブ

「頼むッ! この通りだッ!」


 翌日。始業式が終わり他に誰もいなくなった教室で、昌真は元バンドメンバーの二人を前に額を机に擦り付けていた。


「自分から解散するって言ったくせに勝手なこと言ってるのはわかってる! 本番まで一週間ないのに無茶言ってるのもわかってる! けど、この通りだッ!」


 “pudding heads”の再結成――それが、昌真が頭を下げている理由だった。それだけではない。五日後に迫っている薫陶祭でのライブで、これまで一度も合わせたことがない曲を演奏したいと言っているのだ。まともな神経の持ち主ならまず請け合わない。言っている昌真ですらそう思う。だが昌真は、たとえ何と引き換えにしてでもこの無茶な願いを現実のものとしなければならない。


「新学期始まって早々、話があるっうから何かと思やあなあ」


 困ったような笑みを浮かべ、頭の裏を掻きながら面倒臭そうにコータローは言った。


「だいたいよおショーマ、人にものを頼むときにはスジってもんがあるんじゃねえの?」


「筋?」


「解散するっってたバンドをオレたちに頭下げてまで復活させようってんだ。なんか深いふかーいワケがあんだろ? まずはそいつを聞かせてもらわねえとなあ」


 ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべてコータローはそんなことを聞いてくる。昌真は思わずカッとなりそうになり、だが必死になってその気持ちを抑えた。


 ……ここで喧嘩になったらおしまいだ。俺はこの二人に請い願っているのだ。何を言われようと我慢しなければならない。コータローが訳を聞きたいというなら、俺はそれをはっきりとこいつに伝えなければならない。


「それは……ある人の人生がかかってるんだ」


「ある人ねえ。オレたちが協力するかどうかはそのある人ってのが誰かによるんじゃねえかな。男か? それとも女?」


「……女だ」


「女か。けどよお、プライドの高いショーマ先生が前言撤回して頭まで下げてくるなんて相当なことだぜ。こりゃただの女じゃねえ、ってオレは踏んでるんだがそこんとこどうよ?」


「……った女だ」


「ん? なんだって? もっと大きな声で言ってくれねえと聞こえねえなあ?」


「俺が初めて好きになった女だッ!」


 喉も裂けよとばかりの大音声が教室の窓を震わせた。


 顔を跳ね上げ、真っ向から視線をぶつける昌真に、コータローは最初さすがに驚いたような顔をし、だがやがてふっと表情をゆるめ、口元に笑みを浮かべた。


「だったらしょうがねえ。ひと肌脱いでやるよ」


 それからさっきとは違う、少し申し訳なさそうな感じでぽりぽりと頭を掻き、真面目な顔を昌真に向けて言った。


「おちょくるようなこと言って悪かったな。けど、こっちだって周りにやめるって言っちまった手前、意地があんだよ。オマエが本気じゃねってんならそんなめんどくせえこと真っ平ごめんだ。けど、どうやら本気みてえだから、オレはまあ付き合ってやらあ」


「コータロー……ありがとう」


 腹の底からのありがとうを口にして、昌真はレナに目を移した。


 だが、レナは昌真と目を合わせようとしない。教室に入ってきたとき――いや、話があるといって昌真が声をかけたときからずっとこうだった。まるでバンド解散を告げたあの日のミーティングよりも前に戻ってしまったかのようだ。実際、レナは協力するともしないとも答えない。


 昌真が声をかけようとしたところで、以前と同じようにコータローがレナに問いかけた。


「ってことだけど、レナはどうすんだ?」


「うちは気が進まん」


「なんでよ」


「やめる言うたりやっぱりやる言うたり、じゅんさいな。ほんまうっとうしい。つきおうてられん」


 押し殺した低い声で、はっきりそれとわかる怒気をこめてレナはそう言い放った。咄嗟に昌真は懇願の言葉を口に出そうとする。だが、それよりもコータローの言葉が早かった。


「なあレナ、オレからも頼むわ」


「……」


「事情は知ってんだろ? こいつはショーマにとって一世一代ってやつなんだわ。オレが同じ立場だったらって思うとこの頼みだきゃ断れねえ。こないだのオマエじゃねえけど、オレは一人でも付き合うつもりだ」


 コータローの言葉に、昌真は涙が出そうになるのをどうにかこらえた。けれどもレナは逆に、凄絶とも言えるあからさまな怒りの目をコータローに向けた。


「そんな目で睨むなっての。美人が台無しだぜ」


「……」


「オマエの気持ちはわかる。けどな、レナ。ショーマがこの曲選んだ意味、オマエならわかるんじゃねえの?」


「……っ!」


 レナは弾かれたようにコータローから目をそらすと、激情を抑えるように俯いて見せた。しばらく無言のままそうしていたが、やがて「わかったわ」と呟いて、静かに席を立った。


「……勘違いしいひんようにな。うちが協力すんのはショーマのためや。そのナントカいう人のためやあらへん。そこんとこ忘れんといてや」


「……ありがとう、レナ!」


 言い捨てて教室を出て行くレナの背中に、昌真はありったけの感謝をぶつけた。


 コータローに目を戻した。なぜか神妙な顔でレナの出て行った方を眺めていたコータローは、昌真と目が合うとふうと息を吐き、いかつい顔にニヤリと笑みを浮かべた。


「さて。そんじゃま、いっちょ派手にブチかましてやっか!」


◇ ◇ ◇


 薫陶祭当日。軽音部のライブ会場である体育館は異例の人の入りとなった。コータローが自身の広い人脈を使って高岡涼馬シークレットライブの情報を流したのである。


『薫ヶ丘に自分と似てるやつがいるってんで高岡涼馬が薫陶祭を見に来る。そのついでに軽音部のライブに乱入して一曲だけのミニライブをやる』


 高岡のキャラクターに照らしてそれがいかにも彼のやりそうなパフォーマンスだということと、薫ヶ丘に高岡そっくりの学生がいることは学内に留まらず地域レベルで有名だったことから、情報には尾ひれがついて瞬く間に広まった。


 薫陶祭は学外にも開かれた祭である。もともと遊びに来る予定だった近隣の高校生はもとより、近くに建っている女子大の学生、果ては近所の主婦やOLまでもが押しかけて上を下への大騒ぎとなった。


 薫陶祭実行委員会の学生は対応に追われ、座って観られるようにと体育館に並べてあった三百脚のパイプ椅子を全て撤去しなければならなかった。職員室でくつろいでいた教師までもが駆り出され、体育館へ向かう人の誘導と不審者の警備にあてられる非常事態になった。


 プリン頭に演奏時間を割いてくれたのは原口先輩のバンドだった。土下座覚悟で練習場所に乗り込んだ昌真に、先輩は目もくれないまま「六分ろっぷんな」と言った。


 演奏順はトリである原口バンドの前。当初の予定ではもっと前にることになっていたのだが、当日になり、常軌を逸した客の入りを目にしてどのバンドも昌真たちの後に演奏することを嫌がったのである。


 おかげで超満員の観客はお目当てのライブが始まるまでたっぷりと別のバンドの演奏を聴かされることになった。もっともそこはそれ、観客の大部分を占める薫高生はそのあたりをよくわかっており、それぞれのバンドの演奏は演奏で楽しんだ。


 それでもプログラムに記載された残りのバンドがあとふたつになったあたりから、昼下がりの熱気に満たされる体育館に緊張が高まってきた。最後から二番目のバンドの演奏が終わり、ステージが暗転した。


 そして再びフットライトがステージを照らしたとき、割れんばかりの歓声が体育館を震わせた。


 特別な演出は何もなかった。三人それぞれがスタンバイして照明が点いただけ。にも関わらず会場が興奮のるつぼと化した理由は昌真の姿にあった。


 この日のために昌真は長かった髪を切り、高岡と同じ短髪にしてそっくりのカラーを入れていた。左耳にはネットで買った青い石のマグネットピアスをつけ、いつものように左右の涙ぼくろを入れ替えていた。その結果、三メートル以上離れて昌真と高岡を見分けられる者はこの世界にいなくなった。


 照明の向こうに広がる藍色の闇の中では盛んに高岡の名を呼ぶ声援が飛んでいる。去年のライブでは苛立ちしか感じることのなかったその声援が、今の昌真にとっては何よりも背中を押してくれる本来の意味での声援になる――


「薫ヶ丘高校の皆さん、こんにちは。高岡涼馬です」


 昌真のマイクに会場の一部から黄色い声が上がる。だが、照明が点いたときに比べると歓声は明らかに小さい。これは昌真の声と高岡のそれとが、容姿ほどには似ていないためだ。


 昌真の存在を熟知している学内の人間には、この時点で今日のシークレットライブがブラフだとわかった。そんな理解に重ねるように、昌真はマイクを続けた。


「……なーんて嘘。この学校の人なら俺が高岡涼馬じゃないってわかるよね? 二年C組、出席番号8番、片桐昌真。なんかのど自慢みたいになってきてるけど」


 会場の一部から笑いがおこった。だが予想通り、それ以外の場所で客がざわつき始める。え? 高岡涼馬じゃないの? どういうこと?


 そのざわめきが大きくなる前に、昌真はそれまでより少し改まった声で切り出した。


「ぶっちゃけさあ、俺ずっと高岡涼馬のこと嫌いだった」


 小さなハウリング。会場のざわめきは立ち消えになる。


 高岡涼馬にしか見えない男が高岡涼馬のことを嫌いだと言っている。その言葉に、観客たちは注目し始める。


「正直、曲聞くのも嫌だった。けど、知ってる人は知ってると思うけど、俺が馬鹿やったせいでなんかちょっとややこしいことになっちゃって。……一生懸命頑張ってきた人が夢を諦めそうになってて。だから今日、歌で自分の気持ちを伝えようと思った。そしたらこの人の――高岡涼馬の曲しかなかった。本当は他にも言いたいこといっぱいあるけど、全部この曲にこめて歌うから聞いてください」


 しんと静まり返る会場。昌真は、その曲の名前を告げる。


「ホムンクルス」


 コータローのベースが歌い始める。繊細なレナのキーボードがそこにそっと重なる。会場から声があがる。高岡の名を呼ぶものでも、昌真を呼ぶものでもない声。昌真はギターを構える。ピックを持つ指に力をこめる。アルペジオの最初の一音が会場に響き渡る――



 ホムンクルス――シングルB面の、おそらくコアなファンでなければ聴いたこともない曲。


 フラスコの中で精液と血とハーブと糞を混ぜ合わせて作られたホムンクルスの少女は、彼女を作り出した錬金術師の博士に恋をする。


 フラスコから出ると元の材料に戻ってしまう少女は、ガラス越しに博士と見つめ合い、心を通わせる。


 想いはつのり、フラスコを割って外に出た少女は、博士にキスする直前に精液と血とハーブと糞に戻る。


 博士は汚物にまみれた口の周りを拭い、次なる研究に向かうためその場をあとにする。


 そんな少し切なくて滑稽な歌詞を、ポップな曲調の中にあっけらかんと歌い上げる風変わりなラブソング。


 初めて聴いたとき、歌詞と旋律の組み合わせが面白くてなかなかいい曲だと感じた。けれども歌詞は単純に人魚姫をモチーフにしたものだと思った。


 想いを伝えようとして、けれども伝えられないまま海の藻屑と消える乙女。それをアルケミックにアレンジして、滑稽な色合いを加えた一種の翻案。主題はどこにでも転がっている、色褪せ使い古された悲しい恋の物語――



『だが、違う。この曲の本当の想いは、きっと違う』



 その解釈には人間としての博士が抜け落ちている。


 博士から少女への想いにスポットライトをあてたとき、この曲の歌詞はがらりとその印象を変える。


 ガラス越しに見つめ合っていたのは博士も同じ。博士もまた少女に恋をしていたのだ。


 ではなぜホムンクルスの少女はフラスコを割ったのか?


 ただの悲恋ではない。これは自らの意志で消えゆくホムンクルスの少女から博士への精一杯のエールなのだ。


 いつまでも私を見つめていてはいけない。もっと大きなことに向かって進んで欲しい。そう思って少女はフラスコを割った。


 それでも汚物へと戻りゆく彼女が博士にキスしようとした理由わけは――



『彼女も、その想いを最後まで隠しきることができなかった』



 ……こんな場所でこんな歌を歌えば、あいつに伝わってしまうかも知れない。だが、構わない。この想いが伝わるのなら、この曲に隠された本当の意味も伝わるだろう。


 フラスコの内側からガラス越しに見た光景。あやかとの想い出がくるくると頭の中をまわる。


 汚物を合わせて煮詰めるような、冗談としか思えない出会いから生まれた二人の関係。


 触れ合うことのできない制約の中で、想いを通わせ合った日々。


 恋をしていたんだと気づかされた――自分の内側で全ての細胞が入れ替わるような感覚に打たれたあの瞬間とき


 あいつにはこれから大きく、どこまでも大きく輝いていってほしい。


 そんな心からの願いをこめて俺は今、フラスコを割る――



『さよなら、あやか』



 涙はこぼさない。こぼす涙も音にこめる。


 胸が張り裂けるようなこの想いを、ありったけの想いを『音』にする。


 伝わってほしい。――この想い、どうか伝わってくれ!


 今日ここへ聴きに来てくれた人達に、俺たちをここまで暖かく見守ってくれた人達に、冷たい悪意で現実を教えてくれたあの記事の記者に、そして、誰よりもあいつに――



 ――最後のコードを弾き終えてに戻ってきたとき、昌真は盛大な拍手の中に立っている自分に気づいた。


 ぼんやりとする頭で、俺はこいつらのことも見誤っていたんだな、と思った。


 シニカルで他人に無関心だと決めつけていた同門の仲間たち。だが照明の向こう側に見る彼らは、昌真たちの演奏に熱い感動の拍手をくれている。


 まだ次がいるのにアンコールの声が上がる。事情を知ってか知らずか、目を拭っている人の姿さえ見える。


 まだ呆然と立ち尽くしている昌真に、「オイ」というコータローの声がかかった。


「ん?」


 昌真が顔を向けると、コータローは汗だくの顔にニカッと白い歯を見せて笑った。


サイ!」


「……あんがとな。ベース、コータロー!」


 今さらな昌真の紹介にコータローはベースを掻き鳴らす。それに応えて会場から大きな歓声があがる。続くレナの紹介にまたしても体育館が揺れるような歓声。その異様な盛り上がりに、トリを務める原口バンドの面々は後ろを譲らなかったことを後悔しつつも、最後の演奏に向かう気持ちを奮い立たせている。


 ――そんな中、一人の女子が体育館隅の暗がりで蹲り、身体を震わせ声もなく泣きじゃくっているのを、昌真は知らない。

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