025 覚醒のホワイトナイト(1)

「――上の方は何て?」


「……まだ何も。けど、棚橋さんもすごく怒ってて。今回は庇いきれないかも知れないから覚悟しておきなさい、って」


「……そうか」


 翌日、昌真も名前を知っている大手の写真週刊誌からあやかの事務所に連絡が入った。あやかと高岡のスクープを今週号に掲載させていただきますという断りの電話だ。


 せめてもの初期対応をという昌真の判断で、事前にあやかの口からマネージャーに全ての事情を説明してあった。だからもちろん事務所側は写真の相手が高岡ではないこと、一般学生であるから配慮してほしいことを主張したのだが、週刊誌側は聞く耳を持たなかったということだ。


 事務所側はあやかを守る姿勢でいてくれるようだが、ファックスで送られてきた写真を見たあたりから一同諦めムードだという。……あのとき唇は触れていなかったはずだが、いったいどんな写真なのだろうと思うと昌真も気が気ではない。もっともこの際、キスが未遂に終わったことなどたいした問題ではないのかも知れないが――


「この件については事務所で対応するから、あたしはしばらく出てこなくていいって。周りでごたごたするだろうけど、なに訊かれても答えないで大人しくしてろって」


「……まあ、事務所の判断としてはそれが正しいんだろうな」


「ごめんね、昌真。あたし、昌真にもすごく迷惑かけてる」


「俺のことなんかどうだっていい。だいたい責任の半分は――いや、責任はぜんぶ俺にある」


 そう口に出して、昌真はギリッと音を立てて奥歯を噛み締めた。


 ……そう、責任は全て自分にある。何かに一生懸命になると周りが見えなくなるあやかのことはよくわかっていたはずだ。なのに、いつの間にか自分まで一緒になって周りが見えなくなっていた。まして雰囲気に流されてキスの真似事までしてしまうとは何たる馬鹿だ。自分の愚かしさを思うと、昌真は居ても立っても居られないのだった。


 スクープしたのはあのとき――昌真とあやかが初めて出会ったときに、あやかが救援要請を出してしまった記者だということだ。あの場では引き下がったものの、記者の勘で何かあるとあやかをマークしていたのである。その意味ではあのときにあやかが蒔いた種を始末しきれていなかったということになる。これも、場当たり的な対処であの件を解決できたと決めつけてしまった昌真の失策によるものだ。


「……それで、どんなペナルティになりそうなんだ?」


「……」


「……ごめん、そうだよな。そんなの決まってるよな」


 吹けば飛ぶような下位ランカーのあやかに執行猶予はない。そして何より、今回のこれはただのスキャンダルではない。


 ライブが終わった直後、体調が限界だから先にはけさせてほしいと半ば強引に抜け出しておいての顛末だということを考えると、罪は相当重いと言わざるを得ない。直訴までしてセンターをやりたがったのも、観に来ていたからだと邪推されても仕方ない。


 ……もっともそれについては事実、昌真が観に来るからあやかはそうしたわけなのだが……。


「ひとつだけ確認させて。あやかは、アイドル辞めたくないんだよな?」


「……辞めたくない」


「その気持ちは、はっきりしているんだな?」


「辞めたくないよ! だって、やっとわかったのに! どうしたら見てくれた人元気にできるのかわかって、これからなのに!」


「わかった。だったら俺が何とかしてみる」


「……でも、昌真は」


「いいか? 俺がギブアップするまで事務所に何言われても絶対にあやかからは辞めるって言うなよ?」


「……うん」


「あと……昨日言いそびれたけど全国ツアーお疲れ様。風邪まだ治ってないんだろ。せっかく休みもらったんだからちゃんと寝て治すんだぞ。……そんじゃな」


「あ、昌真――」


 電話を切ったあと、昌真はしばらくスマホを眺めていた。だがやがて力無く首を横に振ると、渾身の力でそれをベッドに叩きつけた。


◇ ◇ ◇


 記事が載った週刊誌はその翌日に出た。その迅速な仕事ぶりに筋違いな感心を覚えつつ昌真はコンビニに走り、問題の週刊誌を手に入れた。


 そこに掲載された自分たちの写真を目にしたとき、昌真は一瞬すべての状況を忘れて見入ってしまった。昌真が自覚していた通り、唇は触れていなかった。だがそのあまりの出来栄えに、昌真はカメラマンの腕を讃えずにはいられなかった。


 それはまるで往年のアメリカ映画の名作『風と共に去りぬ』のポスターだった。


 キスこそしていないものの、その直前の緊張までもが伝わってくるような写真で、昌真はともかくあやかの顔はロスジェネはじまって以来の美少女の売り文句に遜色ないものだった。閉じるか閉じないかのところまで瞼をおろし、今まさにキスを受け入れようとする――少なくとも写真の上ではそうとしか見えないそのあやかの表情は、実物を見ている昌真でさえ見惚れてしまうような悩ましさに満ちていた。うす紅に上気した肌の色がまた艶かしさを醸すのに一役買っている。真相は風邪を引いていただけなのだが、この写真を見てそれとわかる者など、たぶん一人もいない。


 一方の昌真だが、これはもう高岡本人である。昌真自身がそう思ってしまうのだから、誰が何と言おうと覆るわけがない。致命的だったのは撮られたのが右の横顔だったということだ。……このアングルは本当に見分けがつかない。ライブ中に髪が邪魔にでもなったのだろうか、自分でも気づかない内にニット帽を被っていたことも仇になった。駄目押しにうまいとこで写真を切り取っているため、最大の見分けポイントである黒の長髪が完全に写真から排除されている。


 ……おそらくこれは意図的なものだ。記者は自分が撮影したのが高岡本人でないことなど百も承知でこの記事を書いている。高岡の事務所からは『寝耳に水。会ったこともないと聞いています』という、昌真にしてみればそれはそうだろうといった内容のコメントだった。だがこの写真を見れば高岡でさえ自分はそこにいたのではないかと疑ってしまうに違いない。


 記事には他にも色々と書かれていたが、そんなものは取るに足りない。写真が全てだった。


 不思議と、この記事を書いた記者への怒りは沸いてこなかった。昌真の怒りはただひたすら自分へと向けられた。……ちょっと勉強ができるだけのガキがいい気になって大人達の世界に首を突っ込んだ結果がこのザマだ。あやかを辞めさせないために何とかしなければならない。だが、頭が痛くなるほど考えても何をどうすればいいのかこれっぽっちもわからない。


 ……タイムリミットは近い。今こうしている間にもあやかの処分が決まってしまうかも知れない。


 何とかしなければならない……何とか。


「……もうこんな時間か」


 こんな状況でも腹は減る。昼飯を作らなければ妹に責められる。知恵熱でぼうっとする頭を抱えながら、昌真はとりあえず家族の義務を果たすため、自分の部屋を出た。


◇ ◇ ◇


 リビングに入ると千晴はソファに座り、珍しく週刊誌を広げていた。


 自分がさっきまで見ていたページが開かれているのを目にして、やれやれと昌真は思った。自分のものとは別に、千晴もどこかでそれを買ってきたのだ。一家をあげて仇敵の売り上げに貢献しているのだと思うとさすがにげんなりする。


 ……どうせ高岡のゴシップにでも興味があるのだろう。そう思ってキッチンに回った。だがそこで昌真の方に顔を向けないまま、「これお兄だよね?」と千晴は言った。


「……」


「お兄、亞鵺伽と付き合ってたの?」


「付き合ってない」


「最近、電話でよく話してたの、亞鵺伽――藤原先輩だったんだ」


「……」


「藤原先輩に彼氏できたんじゃないかって噂はずっとあったんだ。いつも楽しそうにスマホいじってるし、前は近づきにくかったけど、最近雰囲気がやわらかくなったってみんな言ってるし」


「……だから、彼氏じゃない」


「よくわかんないけど、良かったんじゃない? アイドル合ってなかったんだよきっと」


「お前に何がわかるッ!」


 思わず大声で叫んで、昌真は我に返った。ソファから頭だけ振り返った千晴と目が合う。その目に、怒鳴りつけられたことを非難するような色はなかった。ただいつもと変わらない顔で、どこか不思議そうに昌真を見つめていた。


「お兄に怒鳴られたの何年ぶりかな」


「……ごめん。千晴にあたったってしょうがないのにな」


「でもさ、だったらこの記事ガセじゃない? 回収しろって抗議したら?」


「……そんなことしてどうにかなるのかな」


「わかんない。けど何もしないよりマシでしょ? お父さんやお母さんに頼むのもありだと思うけど」


「……いや、自分でなんとかする」


「そう」


 千晴は後ろに向けていた頭を戻し、昌真は改めてキッチンへと向かった。だが冷蔵庫を開けようとしたところで、また千晴から声がかかった。


「ねえ、お兄」


「……なんだ」


「これも学校で噂になってたんだけどさ。藤原先輩のスマホの待ち受けが高岡涼馬だって知ってる? 笑顔でピースしてるやつ」


「……」


「今みたいに染めてない長髪で、あんな写真どこでゲットしたんだろ、って見た人たちが言ってた」


 そんな写真どこで――けれども考え始めてすぐ、昌真はそれが出会ったあの日に撮られたものだということに気づいた。左右のほくろの位置が写真だと逆になるかどうか……それを確かめるためにスマホで撮ったジャンクな写真。そんなものをあやかは後生大事に残していたのだ。


「でも、それってきっと高岡涼馬じゃないよね」


「……何が言いたいんだよ」


「別に。ただ藤原先輩がアイドル続けること、お兄がどう思ってるのかと思って」


「そんなの、あいつが続けたいなら続けてほしいに決まってるだろ」


「そう。ならいいけど」


 素っ気ない声でそう言うと、千晴はそれきり話しかけてこなかった。


 ……千晴が自分をからかっているわけではないことはわかった。無関心を装いながら、彼女なりに兄のことを気遣ってくれているのだということも。ただそれがわかっても、昌真はむかむかする気持ちを抑えられなかった。


 ……ったく、昼飯なんか作ってる場合じゃないのに。そう思いながら昌真は、炒飯を炒めるための中華鍋をシンクの下から取り出した。

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