019 不揃のインタラクティブメディア

 ライブまで一週間を切った日曜日の夜。昌真はリビングのソファに座り、何食わぬ顔で生放送のロスジェネ密着番組を観ていた。『全国ツアー中のメンバーに直撃取材』という新聞のテレビ欄の一文から、知っている顔が映るかも知れないと思ったのだ。


 隣には風呂上がりの千晴がこれもしれっとした顔でテレビを眺めているが、昌真の理論武装は完璧だった。夏休み明けに現代社会の授業でコンテンツ産業の特長と問題点をディベート形式で討論することになっており、自分がその発表者に選ばれているという設定なのだ。


 消長の激しいアイドルビジネスを材に取り、経済のみならず社会に与える影響の観点からもその功罪を浮き彫りにする――いかにも自分が取り上げそうな題材である。


 もちろん、『あれ? なんでお兄がロスジェネの特番なんて観てるの?』という質問に対する想定問答なのだが、どういうわけか千晴は何も訊いてこない。まるで兄がその手の番組を観るのが当然であるかのように、牛乳の入ったグラスを手に無言でテレビを見つめている。


 ……こうなると昌真の方が落ち着かなくなってくる。いっそ自分の方からこんな番組を観ている理由を切り出そうかとも思ったが、さすがに言い訳じみている気がするし藪蛇にもなりかねない。


 そんなわけで、隣に座る妹の無言の重圧に耐えながらアイドルの特集を観るというよくわからない状況に陥っているのである。


 映像がVTRに切り替わり、ツアー期間中に行われた握手会の風景が映し出された。特設会場に多くの人が列を作り、次々にお目当てのアイドルと握手してゆく。


 ほんの一瞬だがあやかも映った。他の子たちに比べて明らかに列が短いが、それでもぎこちない表情でファンと握手をしているのがはっきりと見て取れた。


 あいつもちゃんとアイドルやってるんだな――やっぱ人気ないようだけど。


 昌真がそんなことを思った直後、画面がまた生放送に切り替わり、アイドルの子たちがたむろしている楽屋の様子が映された。画面の端の方にちょろちょろとあやかが映っている。……だがなんだろう、鞄から何かを取り出そうとしているように見える。


 そのときダイニングテーブルに置いたままになっているスマホが振動バイブによる着信を告げた。ソファから腰を浮かしかけ、だが画面の中であやかがスマホをいじっているのを目にし、そうするのをやめた。


「お兄、スマホ鳴ってるよ」


「そうか?」


 ……出ないぞ。俺は出ない。ここでいきなり生電話とか何の冗談だ。


 震えながらテーブルの上を這いずり回っていたであろうスマホがその動きを止めた数秒後、スマホを見つめるあやかが不満そうな表情をつくる。地デジのタイムラグのために映像が遅れるのだ。だがまだ諦めないのかあやかはカメラそっちのけでまたスマホを操作し始める。


 何をやっているか悟った昌真はそこで腰を上げ、テーブルの上からスマホを回収した。直後、案の定と言うべきか、『テレビ見てる? 生放送やってるよ』というメールが届いた。光の速さで『見てるから番組に集中しろ』とだけ返してソファに戻ると、おそらく昌真のレスを読んだのであろう、映像の中あやかがカメラに向かい満面の笑みでピースして見せた。


 ……アホか、と思わず口に出しそうになる。初めてテレビに映った小学生じゃあるまいし。


 だがそのピースに反応してかカメラとリポーターがあやかに近づいていくと、急にまたクールな無表情に戻る。


 ……まったくなにをやっているんだあいつは。どうしてさっきまでカメラに向けていたような溌剌とした顔を維持継続できない。


「……って、このリポーター『よーちん』じゃねえか」


「お兄知らないの? 『YOYOよーちん』ってあるじゃん。亞鵺伽、あれに準レギュラーで出てたんだよ。最近は全然だけど」


「……めっちゃいじってくる芸人ってよーちんのことかよ」


「なんの話?」


「こっちの話」


 謎がひとつ解けた。『YOYOよーちん』は昌真も知っている。たしか水曜の夜十時台にやっているよーちんの冠番組だ。よーちんはそのファニーな容貌もあってどちらかと言えばいじられる側のキャラで、特にゲストをいじるようなタイプではないはずだが、それでもあやかには無理だったのだろうか。


 今も画面の中で盛んに話しかけてくるよーちんに対して、不貞腐れたような仏頂面のままろくに返事もしない。……まるでコミュ障だ。これでは人気が出ないのも頷けるし、あやかのことを能面だの何だのと呼んでいるやつらを責められない。


 それにしてもなぜだ……なぜさっき見せていたような笑顔が見せられない? そう言えば学校でのあやかはどうなのだろう。気心の知れた友人の前ではいい顔を見せているのだろうか?


「なあ、あやかって学校でもポンコツなのか?」


「はあ? なにそれ?」


「いや……千晴、同じ学校だろ? 学校でどんな感じなのかと思って」


「芸能人だし、すごいとこのお嬢様みたいで先生も特別扱いだよ。けど亞鵺伽がポンコツってなに? そんな噂、聞いたこともないんだけど」


「……ああ、うん。ならいいんだ。俺の聞き間違いかも知れないし」


 そう言って誤魔化す昌真の横顔に、チリチリと音がするような妹の視線が突き刺さる。平静を装いながら昌真は、軽はずみに不適切な話題を振ってしまったことを思って冷たい汗をかいた。


 危ない危ない……こんな話をしていたらいかに男女関係に疎い我が妹とはいえ、兄と某アイドルとの妙な関係に勘付きかねない。


 もうボロは出すまいと腹筋に力を入れる昌真の隣で、千晴は視線をテレビに戻しながらどこか不機嫌そうに言った。


「だいたい亞鵺伽がポンコツだったらもっと人気出るんじゃない? あんな変にお高くとまってるからいけないのよ」


 ……それ、お前が言うな案件な。口には出さず心の中でそう思って、昌真もテレビの画面に戻った。


 よーちんは早々とあやかに見切りをつけ、昌真の知らない顔を相手にインタビューを行っている。まあもっとも、今もってロスジェネで昌真がそれとわかる顔はあやかを含め五指に満たないのだが。


 よーちんから解放されたあやかは画面の隅で、台本か何かだろうか、分厚い紙の束を神妙な顔つきでめくっている。そんな彼女の姿を眺めながら、昌真はふと、例の作戦を終えてあやかからフェイドアウトした後のことを考えた。


 いずれあやかと連絡をとらなくなっても、俺はきっと彼女のことを忘れないだろう。今日のようなロスジェネの特集番組があれば何かと理由をつけてそれを観るだろうし、顔も名前も知らないメンバーの中に見知ったこの顔を探すのだろう。


 つまりは俺にとって、あやかが人生初の推しメンということになる。もしそれをあやかが狙っていたのだとすればたいしたものだ。アイドル嫌いを公言する一人の男を自分推しに仕立て上げたのだから、きっとそこには大きな価値がある。


 ……だが実際のところ、あやかはその辺りをどう思っているのだろう。最終日のライブがはねて高岡への復讐を果たして、それを区切りに俺が離れていくことを良しとするのだろうか?


 もしその先もあやかがこれまで通りの関係を望むのだとしたら、そんな彼女に俺はどう応えればいいのだろう――


「ねえ」


「ん?」


「なんか亞鵺伽おかしくない?」


 あいつがおかしいのは今に始まった話ではないが……そう思いながら昌真は画面の中のあやかを見つめた。


「ほら、亞鵺伽の顔。なんか赤くない?」


「……そうか?」


「あと咳もしてるみたいだし」


「……」


 ……本当だ。さっきはわからなかったが、よく見ると頬――というより顔全体が紅潮している。そして俯くように台本らしきものを見つめながら、時折こんこんと咳をしている様子が見て取れる。


 夏風邪でも引いたのだろうか? だとすれば厄介だ。夏の風邪は酷くなると言うし、何よりツアーの最中では休めない。ディスプレイの向こう側のことなので何とも言えないが、悪くなりそうならそうなる前に、残りのツアーから外してもらった方がいいのではないか――


「お兄、何か聞いてないの?」


「……ん」


「亞鵺伽から体調のこと」


「……いや、俺は何も聞いてない」


 画面の中のあやかを食い入るように見つめたまま、妹が口にした言葉の意味にも気づかずに昌真は答えていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る