3-3


「(霊場の一番奥まった場所には必ず霊がいる。ここが怪談を語る上で適切なんだ)」

 骨河係長は一呼吸置いて話し出す。

「一人の女性がいました……」

「……!」

 その時、加藤はゾッとした。

「(……台本と違う。どういうつもりだ……!)」

 台本には番組進行の段取りと物部が作った怪談が記されていた。ところが骨河係長の怪談の導入は物部耳子のそれではなかったのだ。


『……彼女は、閉鎖的な田舎の村で生まれ、また村の中で窮屈に生きることを強いられてきました。ところが一人の男性と出会うことで彼女の人生は劇的に変化します。彼こそが人形師。彼女は男性と恋に落ちたのでしょう。人形師は手に職を持ち、裕福でした。また全国的に知名度のある彼は村の広告塔としても重宝すると村人は考えました。村からの熱烈な要望により人形師の夫妻は村に留まることにしました。彼女の顔を立てる思いもあったのでしょう。しかし、次第に彼女は村人でありながら裕福な暮らしをしていることから、羨みとやっかみの目で見られることになります。それは次第にいじめのような嫌がらせへと発展していきました。標的にされたのは”人形師夫妻に子供がいない”ことです。おそらく彼女はそれを強くコンプレックスに思っていたのでしょう。村人は知っていました。彼女が”人形師の作った人形を子供のように扱っている”ことを。しかしこれは新たな悲劇の引き金になった』

『ある日、村の子供たちがその人形を破壊してしまったのです。彼らを守るため村人たちは村ぐるみで人形のことを隠蔽しました。ところがこの事実が発覚すると、いよいよ堪忍袋の緒が切れた人形師は徹底的に村人を非難しました。人形師は自分の妻が村人から嘲笑の的になっていたことも知っていたのでしょう。暴れ狂う彼を止めることは難しかった! 想像してください。その日は酷く薄暗く霧の深い早朝です。ひとりの女性は、湖のそばを歩いていました。男が水辺に打ち上げられています。それは最愛の人、人形師でした! 一体誰が! どうして!?』


 骨河係長の怪談の最中だった。加藤はゾッとして怖気立つ。一向を囲む人形のゴーストたちがいつの間にかぞろぞろと近づいてきていた。緊張感が立ち込める。加藤もスタッフもその場から微動だにできなくなってしまった。

「(人形がタケオの周囲を……視聴率が落ちてゴーストが力を取り戻しはじめた!? タケオ包囲網だ!)」

 追い込まれた番組スタッフ。未だかつてない緊張感の中、骨河係長の怪談は続く。


『彼女は混乱したに違いない! 自分の置かれている状況で考えられうる可能性を懸命に考えたに違いない! そして二つのことを突き止めた! 人形師が最後まで守ったのは愛する彼女の面子であり、そして彼女の愛した子だ! 命を落とした人形師が、死しても抱きかかえていたのはあの人形だったのです!』

 骨河係長は必死で怪談を語り続ける。身振り手振りが、熱っぽい彼の怪談の演出にいっそうの拍車をかける。

『ところが皆さん。この怪談最大の悲劇は、人形師の死が公にされなかったこと! そうですよ、容易な推察です! 村人たちは人形を隠した時に一度味を占めてる! 人形師殺しを隠した時にはそれが成功してしまった! 人形師は入水自殺!? 真相は闇の中。怪談となって村の内外にまことしやかに流布された! そして一人残された彼女は深い悲しみの中にとらわれたのです!』


「まさか……」

 加藤ボルテックスは思わず息を呑んだ。

 真相を知っている彼だからこそ、既に骨河係長の語る怪談の結末がわかってしまったのだ。


『人形師の死が彼女を復讐の鬼に駆り立てた! しかし非力な女性! 何ができる!? 生まれ故郷の村人たちを怒りの葛藤のまま殺害する計画を立てることですか? それとも人形師の苦痛を味合わせることですか? もしくは人形師の真実を告白し村人たちに罪を認めさせることでしょうか! 違う! そんなこと彼女は望んでいなかったんだ! その時彼女はひらめいた。怪談です。そうだ怪談を利用しよう……そう思い立ったのは想像に難くない!』


「(ああ、そういうことか……)」

 骨河係長は怪談に没頭している最中、自分自身を真上から俯瞰するような視点が冷静になって考えていた。彼の脳裏にあったのはラジオパーソナリティ時代の遠い記憶だ。

「(怪談……ふふ、そうか……思えば私は怪談の語り部だった。それはコアな人気があったラジオのワンコーナー。もう長いこと忘れていた色あせた記憶。こうしてリアルな現場に居合わせることでようやく思い出せた。物部に感謝せねば……)」

 骨河係長はお便りの手紙を片手に、マイクの前で怪談を語る彼自身の姿を思い起こした。

『……なるほど、でもねぇ、私はこう思うんですよ……』

「(リスナーからお便りで寄せられてくる世にも恐ろしい怪談話……しかしその裏には何かやさしい真実があってしかるべきだと思った。ただ怖いだけで終わらせるなんて私は嫌だったんだ……だから最後には必ず私の意見を付け加えた。たとえそれが真実でないにせよ、怪談は報われるような、そんな気がした……そして妻はそんな私の怪談に興味を持ってくれた……奇妙なことに、私と妻を結び付けてくれたのもまた怪談だったんだ)」

 その時、骨河係長はふと思った。

「(もしかしたら……物部は知っていたのかもしれない。あの当時はまだ10代もそこそこだったあの少女は、私のラジオを……なんてな)」


『彼女はこう思ったのかもしれません。村人たちを懲らしめて、ただ人形師をきちんと供養して欲しかった。ただそれだけだった……。ところが、ひとつの怪談がもたらしたのは悲劇の連鎖だった。怪談を恐れるがあまり村人たちは村を捨て逃げ出した。村は廃村になってしまった! 怪談は地域最大の禁忌となり、今でも根深い軋轢となって未だに残り続けている……そうです、この怪談に誰よりも苦しめられているのは語り部である彼女だ! 生まれ故郷の村を滅ぼしたのは自分だ。そして最愛の人を死に至らしめたのは自分なんだと! そうしたら、彼女はあまりにも不憫ではないでしょうか?』

『ならばこのゴーストは一体何を望んでいるのでしょう! 私はこう思うんです。彼女が救われること。彼女自身が生み出してしまった憎しみの連鎖から解き放たれて自由になることだと! ゴーストは、それを何年も何年も待ち続けていたんじゃないのかなぁ……』


 その時、加藤ボルテックスはロケ車に待機している滑を呼び出していた。

「はいはい?」

「プロデューサー! ダメだ、即刻止めさせましょう!」

「何を言ってるんだい!?」

「これは怪談じゃない! やっぱりタケオに怪談を語らせるなんて無謀だったんだ!」

「ううん……」

 滑は重苦しく逡巡していた。加藤ボルテックスはそんな滑に向かって続けてまくし立てる。

「タケオは事実を伝える気が毛頭ない! 人形マニアが殺されたことは? 村人たちが人形になったことは? 全部すっぽ抜けてしまってる! そればかりか登場人物は抽象的だし、結論に至ってはタケオの妄想だ! 何より怖くない! 怪談は怖い話が前提条件でしょう!?」

「いや……これはれっきとした怪談だ」

「……!」

「怪談の本懐とは、人の業への慈しみにある」

「……本気ですか!?」

「これが骨河丈夫の怪談なんだ」


『人を呪わば穴二つということわざがあります。今、彼女はこう思っているに違いありません。全ては過ちであり、所詮はただの怪談だったんだと。今こそ呪いが終わる時ではないでしょうか。その時に呪った相手も、そして呪った自分自身も同時に救われる。暗闇の穴から這い出してきて幸せになれる。この言葉にはそんな都合が良いけど、みんなが救われる、やさしい意図があるようにも思えてならないんです。……私は、こう思ってならないんですけどねぇ……――――』


 * * *


 ゴーストパパラッチの放送は成功に終わった。

 人形屋敷に巣くうゴーストは成仏した。そう判断したのは澤神滑だったが、骨河係長とスタッフたちは屋敷に立ち込める嫌な空気が消えてなくなったことを実感していた。特に、骨河係長はそこにはもはや理屈などどうでもよくなってしまった。彼自身にも最高の怪談を語った自負と満足感と、成功の実感があったからだ。

 近所の居酒屋ではスタッフ総出で飲み会が行われていた。スタッフたちは熱狂し、いつになくお祭り騒ぎになったのは、普段は金払いの悪いプロデューサーの澤神滑がスタッフへのお詫びとばかりに奮発したためだった。一人の酔ったスタッフは骨河係長のことを興味深そうに語っていた。

「面白いですね。骨河さんの怪談には悲劇も、真実も、死も、恐怖もいらないんです。ただそこに人がいればいい。きっとそれだけなんですよ……」

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