2-11


 その頃、骨河係長は自宅のマンションへと帰ってきていた。

「……ううん」

 まだ普段の帰宅時刻に比べて早い時間だった。まだ娘さえも帰ってきていない時間。骨河係長はうんざりしたように重たい体を引きずるようにして家を目指す。底冷えをするほど寒いマンションの一室が待ち構えていた。思わず骨河係長は誰となく虚空につぶやいた。

「娘はいつも、この感覚を味わっているのか……」

 その時、スマホが鳴った。骨河係長は思わずゾッとしてしまう。

「(誰だ……!?)」

 恐る恐るスマホを取り出すと、ディスプレイには”物部耳子”の名前があった。

「むむむ……物部耳子だとぉ……」

 骨河係長は途端に怒りが込み上げてくる。

「(向こうから追い返してきた手前、今になってまた呼び出すつもりなのか。いくらなんでも限度がある。たとえ専門家と部外者の関係であっても、ところ変われば部下と上司の関係なのだ!)」

 骨河係長は受話器を耳にあてがう。

「なんだ! なんのようだ!?」

「係長。今すぐ私の家に来てください……ブツ、ツーツー」

「……!?」


 * * *


 その時、骨河係長は商店街の中の物部耳子の家のすぐ目の前にいた。

「ぜぇ、ぜぇ……」

 骨河係長の目は血走っていた。しかし彼は笑っていた。

「ふふ……ふふふふふ」

 目には狂気が宿っていた。何か楽しいものを見つけたかのようだ。彼は物部耳子の家に踏み込むなり、暗闇に向かって一言吐きつけた。

「はっはっは、物部耳子! ついに貴様の秘密を掴んでしまったぞ!」

 骨河係長は上機嫌だった。暗い部屋を突き進んでいくと、奥まったあの和室に窓から差し込む月明かりを浴びるようにして、ぼおっとその場に佇む物部耳子の姿があった。彼女は視線を感じたのか振り返る。

「係長?」

 彼女が見ると、骨河係長左手に何かを携えていた。それはDVDのパッケージのようだ。

「ははは、……このDVD! 映画でもなければアニメでもないぞ! もっと恥ずかしいものだ!」

「そ……そのパッケージはっ!」

 物部耳子の腕がぶるると震える。骨河係長は楽しそうに続ける。

「バラエティ番組のDVDだ! しかも、超マイナーなやつっ、よくも恥ずかしげもなくこんなものを……お前は重度のお笑いファンのようだな!」

「病気みたいにいわないでください……」

「これでお前の弱みを握ったぞ! 今までダブルタケだの、のわぁだの、粗大ゴミだのと散々弄られてきたが、いよいよ立場が逆転したようだな!」

「人の弱みを握ると途端に強気になるんですね。いい年した大人がみっともないですよ」

「しゃらくさいわボケェっ! ……それにしても、ちょっと待てよ? 確かお前、収録押してて早く現場に行かなきゃだとか何とか抜かしてなかったか? なぜこんなところで油を売ってる暇が……」

「……」

 とたんに、物部耳子はアンニュイな表情をして、無言で骨河係長を見つめ返してきた。

「そうかわかったぞ……やっぱり私の存在が必要になったんだな!? ふふふ、なかなか賢明な判断だぞ。私は人形屋敷を下見している……そうだ、案内人ぐらいは務まる……」

「……係長、この怪談は一人嘘をついている人がいます」

「……なんだと?」

「気をつけて……」

「なんだよお前。気味が悪いな。おい……」

 その時だった、再び骨河係長のスマホが着信する。

「……こんな時に、ちょっと待ってろ。はい?」

 相手は加藤ボルテックスだった。彼は血相を変えていう。

「タケオか!? 大変だ! 物部が倒れた!」

「……は?」

「容態がわからないんだ……おそらく霊に……取り返しのつかないことになってしまったかも」

「はは、ははははは、やめてくれよ」

「?」

「みんなして俺をおどかそうったてそうはいかないぞ……なぁ? も――――」

 そうして、骨河係長が振り返った時、そこに物部耳子の姿はなかった。

「……!」

「なぁおいっ!? 物部がどうした? タケオ! お前何か知ってるのか!?」

「……いない?」

 骨河係長は、狐につままれたかのようにも思った。

「(今の今まで……普通にしゃべっていたじゃないか……?)」

「タケオ……これはいつにない一大事なんだ。頼む、俺の一生の頼みだ。だめもとで懇願する、この通りだ……今から人形屋敷に来てくれ……頼む……」

 そうして、加藤ボルテックスからの通話は途絶えた。

 骨河係長は、スマホを握ったまま、ぶらりと両腕が力なく垂れ下がった。そして、ぐぐっと握りこぶしに力が篭る。彼は駆け足で、物部耳子の家から駆け出していた。そして、自宅の電話番号に向けて電話をかけたのだった。


 * * *


 その頃、人形屋敷前の暗がりに、ロケ車が一台止まっていた。

 中には頭を抱えた加藤ボルテックスと澤神滑と数人のスタッフADたちがいた。彼らはほとほと途方に暮れていた。そして最後部の座席には物部耳子が横たわっている。まさしく絶望的な雰囲気を漂わせる惨状だったのだ。

「どうしよう……もうほんと、どうしようもないよぉ……」

「プロデューサー。局に応援は呼んだんですか?」

「無理だよ。あまりにも突然のことだし、他にタレントを呼ぶわけにもいかないんだぁ」

「最悪の状況ってわけか」

 その時、ロケ車のドアが開いて何者かが恐る恐るロケ車の中を覗いている。骨河係長だ。

「骨河君!」

「あ……あれ? お邪魔です?」

「……俺が呼んだんだ! タケオ、よくきてくれた!」

 加藤ボルテックスは顔をパッと明るくして、骨河係長を引きずってロケ車に引き入れた。

「誰です?」と、スタッフ。加藤ボルテックスはいう。

「リアル怪談師の骨河丈夫さんだ。物部耳子の遠い親戚でな。いや、生き別れの叔父さんなんだ」

「うぉー!」「すげぇっ!」「天使かよ、叔父さん!」

「(ちょちょちょちょちょ! 何いってんの!? 貴様頭おかしいの?)」

「ハッピーハッピーだぞ。タケオ、俺は今、猛烈に感動している。うおぉぉぉ!」

 そういって、加藤ボルテックスはなきながら骨河係長を抱擁してきた。

「いだだだだだだだっ!」

「良かったよぉ……一時はどうなることかと思ったけど……テラー確保だよぉ」

「ちょっと待てよ! お前ら物部は!? 大丈夫なのか!?」

「こっちのセリフだ! 何か心当たりはないのか!?」

「なぜ私なのだ!?」

「半日一緒に居たんだろ!? その時に何かがあった線が濃厚じゃないか!」

「ぐぬぅ……それはそうだが…………あ……」

 その時骨河係長の脳裏によぎったのは、あの赤坂トンネルでの茶番劇だった。

「(まさか……な……)」

 骨河係長は青くなって、あるひとつの可能性を想像する。

「(あれは何も茶番劇などではなく、物部は本当に霊が見えていて、俺にとり憑いていた霊は物部に移った……なんてな)」

 骨河係長はいう。

「ちょっと待てよ!? 私にテラーの代理なんてできるわけない! いやもってのほかだ! 由緒正しいゴーストテラーなんだろう!?」

「まあ、テラーとか大仰なこといっても、所詮は素人女子大学生の廃墟リポートだけどねぇ……」

「おいおいおいおい!? ここに来て何ハードル落とそうとしてるんだ! 何今までの丸々ギャグみたいにしようとしてんの!? 私みんな覚えてるからね!?」

「まやかしだ。タケオ」

「無理だって! 私、ずぶの係長じゃん!? 一般人じゃん!」

「聞いたぞタケオ。お前は10年前、クレイジーなラジオパーソナリティだったそうだな」

「(うぐっ!? 物部のやつチクリやがったなぁっ、くっそうっ~)」

「ええええ!? ラジオパーソナリティ!? そいつはすげぇよぉ~」

「ラジオパーソナリティ……」「百人力っすね」「叔父さんマジ天使」

 それでも嫌がる骨河係長の耳元で加藤ボルテックスは囁く。

「(マジな話をするとな……チョロい仕事。いや、ボロい仕事なんだぜ……筋書きは物部が作ってくれてるから、お前は台本を読みあげるだけ。な? 難しくないだろ?)」

「プライドを持て! 自分たちのしごとにぃぃっ」

 突然、澤神滑が鬼気迫る演技がかった口調で話し出す。

「加藤君……骨河君を信じよう!」

「?」

 骨河係長はただただ困惑するばかり。ところが加藤は阿吽の呼吸で言葉をつなげる。

「ええ!? プロデューサーまで……! 何を言ってるんです!」

「思い出したんだよ。この番組の立ち上げの時に物部君と出会ったときのことを……」

「……!」

「確かに、まだあどけない女子高生だった彼女も、決して能力が高かったわけじゃない。荒削りながら協力して番組を成立させようと頑張ってきたんだ……いちローカル番組として精一杯ね……」

「恨みますよ、プロデューサー」

「もちろんさ。全責任は、僕が背負おう!!」

「うおおおおおっ」「暑苦しい展開!」「新テラー爆誕だぁぁぁぁっ」

「それシリアスすぎて没にしたくだりだよ! おいしいとこだけ抜粋してくんなよぉっ」

 澤神滑は頬を赤らめる。

「僕の最初で最後の超かっこいいフレーズだから、一回言ってみたかったんだぁっ」

「……」

 加藤ボルテックスはいう。

「ゆるいシーンに書き換えるのに三日もかかってるからな」

「諦めろよ骨河君。君、パラレルワールドじゃ、散々決意表明してるんだよ……。私はアマチュアラジオのパーソナリティだった! ……って高らかに宣言したら、加藤君に、アマチュアとテレビを一緒にするなよっ! ……て、暑苦しく叱られるんだ」

「もう……超恥ずかしいやつじゃん…………」

「シリアスも悪くないぞ。タケオ」

「本番三十分前です!」

 と、スタッフ。いよいよ緊張感が漂い始めると、骨河係長の足はがくがくと震えた。

「どどどどど、どうすんの!? ほんとに始まっちゃうんだぞ!?」

 すると、滑は穏やかな声音でいう。

「……安心してくれよ骨河君。君以外に他にテラーを代行できる人間はいないのは事実だし、マジで君には才能があると思ってるんだ。それは僕の本心なんだよ」

「……!」

 骨河係長はいう。

「百歩譲って、引き受けたとしよう……しかし、幽霊はゴーストテリングで成仏するって聞いたが、間接的な話だろう!? 何がどうして作用するのかなど私は聞かされていないぞ!?」

「それは加藤君が?」

「ああ!」

「(……マジな話、どうなんでしょうプロデューサー?)」

「(また面倒くさいとこ突いてくるよな……テレビ番組だっていってんのにさ)」

「(ユーモアのない男です)」

「おい! そこっ! 聞こえてるからなっ!」

「はっ!」

「嫌だ! 嫌だぞ!? 私は原理原則がはっきりしない限り絶対にそんなことしないからなっ、今だって二度と人形屋敷になんか行きたくないんだ。怖いんだ! おしっこちびりそうなんだからなっ!?」

「ただの駄々っ子だよぉ~」

「うぅむ……」

 加藤ボルテックスは悩んで見せた後に応える。

「……要するに、ゴーストテリングで適度な怖さと緊張感を煽る軽快なトークがどうして作用して幽霊を成仏させるのか。科学的な根拠を、無知で頭の固いタケオにでも理解できるよう噛み砕いて簡潔に説明しろと、そういっているんだな?」

「おう!?」

「ノリだ」

「ノリで成仏するのぉっ!?」

「うん」

 茫然自失とする骨河係長、加藤はうぅんと唸ってから詳細な説明を付け加えた。

「正確には、……その場のいい感じの雰囲気と、成仏しちゃってもいいんじゃね? 感だな……」

「ぜんぜん正確じゃないじゃん~」

 骨河係長は糸の切れた凧のようにぶらぶらとその場に倒れこんでしまった。澤神滑はいう。

「加藤君……あんまりいい加減なこと言わないでくれよぉ~」

「いい加減だと。俺はいたって大真面目だ」

 加藤ボルテックスのサングラスがきらりと光る。骨河係長は両脇からスタッフに取り押さえられてしまう。それでも力を振り絞って全力で抵抗して手足をばたつかせながら加藤に向かって激しく息巻く。

「しかもどっかおかしいんだよこいつ! 外人だからかなんか知らないけど、悪ふざけにも限度あるよ!? いつも無表情だからふざけてるのか、まじめなのかわかんないよっ」

「加藤君は昔からこういうやつなんだよぉ……」

「骨河さん準備をっ!」

「往生際が悪いぞタケオ」

「ちょっと待てよ!? しかも今のとこ絶対にまじめに答える方のやつだったじゃん!? これが丸々全部悪ふざけみたいになってるじゃん! もう後に引き返せないよ!? どうすんの!? もう一回今の……――――」

「尺の問題もあるぞ。タケオ」

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