2-8
飯島夫妻宅はすぐに見つかった。所狭しと一戸建て住宅が並ぶ住宅地の古い瓦屋根の一軒家だった。飯島実朝さんに招かれて家の中にあがると、途端に二人は言い知れぬ寒気を催した。
「(なんなのだ……この不気味な空気は……!?)」
骨河係長はぞっとして背筋が凍るものがあった。
そして、その不気味な違和感は客間に通されると必然へと変わった。人形だ、お茶の間には所狭しと不気味な人形があった。
「これはなんですっ……!?」
「ああ、これですか……」と、実朝は力なくいう。
「お気になさらず……彼らに害はありませんから……」
「!?」
「どうぞ、楽にしてください、今お茶をお持ちしますので……」
二人は飯島の対応に気圧されながらも、コタツの前で人心地つく。物部耳子が耳元でつぶやく。
「(絶対怪しいですっ……係長。あいつ、からくりロボットの人間のなりそこないですよ)」
「(ばかもんっ、平賀源内か!?)」
「(人形のこと”彼ら”とか呼んでました。きっと友達だとでも思ってるんですよ!)」
そんなことをひそひそと話していたら、突然、ガララと茶の間の別の引き戸が開いた。二人は飯島実朝さんだと思って挨拶するも、よくよく見ると女性だ。衣服があまりにも貧相なためパッと見には彼とほとんど変わらなかった。彼女ははじめから不機嫌だったのか、さらに輪をかけて怒りはじめた。
「あんた! 変な人たちがいるよ、一体誰なんだい!」
「……!」
彼女はしわくちゃな顔を歪めると廊下に向かって怒鳴りつけた。しかし返答がかえってこない。二人はあまりの出来事に、固まってしまいただ、その光景を見つめていることしかできない。彼女はぎろりと二人を睨みつけてきた。
「何を見てるのさ……」
「え?」
骨河係長は彼女が右手に携えている大きな黒いゴミ袋を見つめていた。
「え、いや、一体何が入っているのかな…と」
「そんなことは聞いてないんだよ! とっとと出ていきなっ」
彼女はそんなことお構いナシとばかりに、ゴミ袋を引きずったままずんずんと客間の中へと入ってきてしまう。大きな音を立ててバリバリと、引き戸が破壊される。
「ちょちょちょちょ! これにはワケがあるんだ! 落ち着いてお母さん!」
「……!」
寸前のところまで差し迫ったその時、ふっとそばには実朝の姿があった。
「何やってるんだ」
彼はお盆に湯飲みを二つ持って帰ってきた。表情は先ほどの温厚だが生気のない顔とは変わって、深刻なものだ。ぎょろりとした目で女性を睨み、近づいていって彼女を羽交い絞めにする。
「やめてくれ、その方々はお客さんなんだ!」
「お客? はっ、何がお客なんだい、私の許可もなくずけずけと家の中にあがりこんできて……」
「私が招いたんだよ!」
「招いた? あんたに何の権限があるっていうんだい! え?」
「……」
緊張感の漂う二人の泥沼の口げんかの最中、骨河係長と物部耳子は目を見合わせた。
「(なんだか大変なことになってます……!)」
「(見りゃわかる。じっとしときゃ良いんだ! こんな時は!)」
いよいよ飯島実朝は本気の顔になって、大きな声で怒鳴りつけた。
「いいからっ! 私はこの人たちと話すことがあるんだ! 向こうへ行ってくれないか!」
ぴしゃりと吐きつけると、また嫌な沈黙が立ち込める。そして、女性の口元から呪いの言葉のようなうめき声が聞こえてきた。
「なんてひどい夫なんだい! あんたって奴は……私が、良かれと思って、忠告してあげてるのに! ……う……う」
「……」
実朝さんは軽蔑の眼で彼女を睨みつけてから乱れた服装を正している。それから大声で泣きじゃくり始める彼女の肩を持って引き戸の向こうへと出て行った。物部耳子はいう。
「衝撃的な場面でした……」
「熟年夫婦というのは、ああいうもんなのかもしれん……わからないけど」
* * *
しばらくして、実朝さんが戻ってくる。どっとコタツの前に腰掛けた。
「お見苦しいところを……家内です」
「飯島登美子さん?」
「ええ」
「失礼ですが、いつもああなんですか?」
「そうですね……」
と、寂しそうに彼はいった。しばらく逡巡した後に続けて言う。
「実は、私は再婚なんですよ……」
実朝は恥ずかしそうにこめかみを?いた。
「彼女と出会ったのは私がまだ四十の頃、付き合っていた頃はあのような性格ではありませんでした……ましてや、あれが本性だったとは……」
「粗大ゴミにしましょう」
「……」
「係長……葬式みたいになってしまいました……」
「笑わせようとしてたの!?」
「不燃ゴミよりはセンスがあるかなと」
「…………婚約される以前はどちらに居られたのだ?」
「私は生まれてこの方、この土地を離れたことはありません。就職したのも地元の製糸工場ですよ」
「製糸工場……資料館にも村は製糸業で栄えたと記されていました。こちらの家は?」
「私の持ち物です。家内は私と結婚してこの家に来たのですから」
「奥さんは?」
「同じく地元民です。我々はここで知り合い、彼女が他所から越してきたなんて聞いたことはありませんからね」
「登美子さんのご実家は?」
「それが……ずっと前に亡くなってしまったとかで、私は生まれてこの方お会いしたことがないのです……」
「単刀直入に聞きたいんだが。飯島さん、あんたは赤坂村の住民なのか?」
「……実はね、骨河さん」
「?」
「私、赤坂村なる村を、どう思い返してもわからないんですよ……」
「……え?」
「違いますよ。違うんです。骨河さん。私、嘘なんてついてませんよ?」
「……どういうことです」
飯島実朝はしどろもどろに応えた。焦った骨河係長は彼の顔面ぎりぎりに詰め寄っていう。
「しかし! 赤坂村の怪談があるのは事実なのだ! 現に佐竹も赤坂村へ土地交渉に向かったといってた! 矛盾するじゃないか!」
「ええ、ええそうなんです……あの怪談は私も良く存じています。とても有名な怪談ですよ……だから私、思ったんですよね、もしかしたら……」
「?」
「赤坂村というのも、怪談になるとき”便宜上用いられたもの”なんじゃないかと……」
「は……はぁ!?」
「係長っ」
骨河係長が飯島実朝に食って掛かろうとするものだから、物部耳子は彼の袖をぐいっと引っ張った。実朝は続けて言う。
「佐竹君がトンネル工事のために来たのは”青竹村”とかいう村だったと記憶していますよ、その村も青人形に出てくる赤坂村のように廃村になっていたそうです。そこで語り部は赤坂村の青人形という怪談を知っていたから、あえて青竹村を赤坂村に書き換えてしまったんでしょうね、また有名な人形師がいるという村も青竹村という名前なんですよ、青人形という怪談の語源もそこから来ていると考えています……」
「そんなはずないでしょう!」
骨河係長はいよいよ我慢の限界のように、実朝の胸倉につかみかかった。
「こっちは命をかけてるんだっ、偶然だとか、成り行きだとかで、そんな理由でころころと真実を捻じ曲げられちゃァたまらないんですよっ」
しかし、悲鳴のように息巻く骨河係長も本心では薄々、その言葉の矛盾を噛み締めていた。
「(考えてみりゃおかしな話なのだ。怪談とはそもそも後世に事実を伝えるなんていう、いわゆる高尚な歴史書ではない。どんなに背伸びしても所詮は一首の道楽のための与太話であり、そこから隠された真実などを取り出そうとする、我々の魂胆こそが馬鹿げているのだ。状況こそ違えど、今なら部長が刑事連中に対して激昂した気持ちを理解できる……たかだか怪談話じゃないか! ……と)」
「係長! 飯島さんの話は事実です! “語り部を否定して”どうするんですか!」
「……!」
「(そうなのだ……私たちは聞いて考えることだけが、唯一の許された行為。ましてや語り部の話自体を否定してしまったら読み解くための、情報源そのものを失ってしまう。感謝することこそあれど、食って掛かるなんてもってのほかなのだ!)」
「すまなかった……なんと詫びればよいのか……」
骨河係長は、その場で畳の間に土下座していた。実朝も、それから物部耳子もそんなことは望んでいなかった。嫌な空気の中、頭を上げない骨河係長の頭上から、実朝がいう。
「……あの頃は、忌々諱地域の多くの村が高度経済成長の傍ら土地開発のために売り払われて行ったんです。村を明け渡し廃村になってしまう怪談なんて何処にでも起こり得る話なんですよ」
「……創作でもありえる話」
「ええ」
「それなら佐竹さんのことはどう説明するのでしょう。彼は今でも赤坂村の資料館を運営しています」
「彼は彼なりにうまくやったと思いますよ……なにせ名もなき小さな村のことです。手がかりなんて残ってやしない……、しかし、あなた方以前にも青人形の話を聞きたいと赤坂村資料館へ訪ねてきた若者がいるんですよ……」
「……!」
骨河係長はぐっと顔を持ち上げた。飯島実朝は続けていう。
「深い意味はありませんよ。その若者も入用で青人形の怪談を知らなくてはならなかったとか……青人形がああいった性格の怪談である以上、知る人はさほど多くありませんからね。その若者が資料館を知ったのもほんの偶然という話ですよ」
「何者なんです?」
「ああ、なんだか大事そうに可愛い、なんていうのかな……髪の長い日本人形を抱えていてね、顔色はすごく悪かった……首根を神経質そうに撫でる、おかしな癖が印象に残っているかなぁ……」
「それはいつ頃の話ですか?」
「十年以上前になります。だからもう、彼は若者でなくなってるでしょう」
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