2-5
その時、骨河係長は加藤ボルテックスの乗っていた黒塗りのバンを運転していた。物部耳子は後部座席に乗り込んで、ずっと窓から外の景色を眺めていた。先ほどのやり取りの手前、重苦しい空気が立ち込めていた。なかなか会話の切欠を掴むことができないと、いよいよトンネル間近の雑木林にまでやってきてしまった。その時、骨河係長はようやく一言だけ話しかける。
「なぁ、物部」
「なんです?」
「改めて訊くのも気恥ずかしいが、君はその……霊能力者なんだろ?」
「……それは加藤が?」
「彼女の力は本物だってな……」
「……私自身に霊能力そのものが備わっているかどうかはわかりません。しかし、私の母は歩き巫女という、その筋の人間でした」
物部耳子は続けていう。
「拝み屋筋といいます。私はそんな母の影響か、幼い頃から霊にまつわる事象と関わることが多かった。簡単に言えばそれだけです」
「しかし、お前の家にあったお札はどう見ても素人のやることじゃないように……思えたのだ。あれもお前の仕業なんだろう?」
「……!」
「ん? なんだ、どうしたのだ?」
突然、物部耳子はゾッとしたように自らの体を抱きかかえるようなしぐさをして、フロントミラー越しに骨河係長を睨みつけた。そうして骨河係長を非難するように吐きつける。
「係長……私の家で何も見てませんよねっ?」
「するかっ、変態ではないか私は。大丈夫だ」
「本当ですか?」
「しつこいな!? だいいち家に鍵もかけてないくせに、用心深いのかルーズなのかわからない奴だな!?」
「……」
骨河係長はしかたなく話を換えることにした。
「……お前はゴーストパパラッチのスタッフとして仕事をしているんだ。しかし、どうしてどこでも商事に?」
「番組に携わっている身としての私の立場は非常に不安定なものでした。プロデューサーの勧めでどこでも商事に。しかし番組との兼業は並大抵のことではないです。私が体調を崩したのにもそんな理由があるのかもしれません」
「(そういうことだったのか……!)」
骨河係長は普段から物部耳子が職場に顔を出さない日があることを知っていた。
「(部長は別業務があるといっていたが、どこでも商事自体はKBS傘下のグループの会社だったか。ある意味ではコネ採用に違いない。それにしても、仮に席を置くためだけの名ばかりのデスク。うちの会社の存在意義っていったい……)」
「ゴーストは高卒ではじめた気軽なバイトのつもりでした。大学に進学する頃になると、ローカル番組としては異例のヒット番組になって辞めるにやめられない。そこで卒業を切欠にどこでも商事への入社を打診されることになった……といったところですね」
「あの、澤神滑とかいうやつ……あれは一体どういう原理なんだ?」
「さぁ。タコなんじゃないですかね……?」
「おい」
「もう長いこと他番組でもプロデューサーをやっていたそうです。多いんじゃないですか? タコプロデューサー。だって最近は外国人のADだって少なくないですからね、テレビ局」
「た……確かに。って、そんなわけあるかっ!」
「ふふふ。外見にさえ目をつぶれば、温厚でまじめなプロデューサーだと思いますよ。博識広聞で知りたいことがあるなら何でも答えてくれます」
「そんなタコプロデューサーと愉快な仲間たちの番組ってワケか。ははは、確かにばかげてるね……」
「プロデューサーのこと馬鹿にしましたね?」
「私は駄目なのか……」
「プロデューサーを馬鹿にしていいのは普段からこき使われてるスタッフ限定です。部外者が弄るのは許せませんから……」
「(弄る……か)」
骨河係長は物部にだけ経緯を語らせるのは悪いと思った。彼はいう。
「実はな、私もテレビ局に出入りしてた時期があるんだ」
「係長も……?」
「これは、ここだけの話だ。誰にも秘密だぞ?」
すると、物部耳子はこくりと頷いて見せた。
「私は昔、アマチュアのラジオパーソナリティをしていた」
「……キャラじゃないです」
「言うな。私もそう思ってる。しかしあの当時が一番充実していたんだ。私の人生の中でな」
気づけば、骨河係長は過去の思い出を呼び起こすようにニコニコと楽しそうだった。そんな表情を見た物部耳子はかえって興味深く思っていた。彼女は質問する。
「今は違うんですか?」
「……どこかで、いや、いつの頃からか、歯車が食い違ってしまった。何が原因かはわからない。しかし確実に私の人生の歯車はおかしくなってしまったんだ……」
「長そうな話ですね」
「……お前にもいずれわかる。おっさんおばさんになると長話をしたくなるもんだ。ぴちぴちの十代、二十代の頃なんてすぐに過ぎ去ってしまうんだからな。今に見てろよ……」
「その頃には、係長は輪をかけてヨボヨボですよ?」
「…………」
骨河係長は続けていう。
「私は妻と、そのラジオを通して知り合った。妻は熱心なリスナーでな……」
「どんなラジオ番組を?」
「ありがちなものだ。特別なものじゃなかった……」
骨河係長は遠い過去を懐かしむようにいう。
「あの頃は楽しかったなぁ……SNSやメールなんかもない時代、ラジオがテレビと放送業界の二大看板だった時代さ……私と妻を巡り合わせたのもそんなラジオだった」
「……」
「ほぼ自己満足だった番組に初めてお便りを送ってくれたのが妻だった。マイナー企画は名物コーナーとなり、私の番組のリスナーは爆発的に増えた。視聴者の顔を想像するたびに胸が躍ったものだ」
「……」
「……そして、投稿者が案外身近なところにいることを私は知った。結局番組は一過性のブームに過ぎなかった。私は番組を降板する羽目になったが後悔していない。きっと私のパーソナリティとしての人生はあそこで終わったのだと思う。代わりにもっと素晴らしい人生が目前に開けていたんだ……!」
「そういうことだったんですね」
と、物部耳子はいう。骨河係長はフロントミラー越しに彼女の顔を見つめた。物部耳子はいう。
「どおりで素人離れした声をしていると思いました。係長のそれは、そこで鍛えられたものだった」
「よしてくれ……鍛えられたなどというたいそうなモンじゃないんだ……アマチュアラジオだよ」
「失礼ですが、今は?」
「……ふふふ、ラジオか? もう無理だよ。やる気もない」
いよいよ車の前方に赤坂トンネルが見えてくると、その時、物部耳子は窓から何かをじっと見つめて、ふと何かを思いついたように話し出した。
「ねぇ? 係長?」
「なんだ?」
「いま、ふと思ったんですけど、Dの死体が見つかったこの場所……赤坂村のあった場所ですよね?」
「……!」
骨河係長はゾッとして思考が鮮明になる。物部耳子の言わんとしていることがなんとなく想像できてしまったからだ。そして、彼は思った。
「(間違いない……帰ってきたんだ! 一度何らかの理由から故郷を離れた呪いの人形。二人の哀れな若者の手を介して、生まれ故郷へと帰ってきた。それ以外他に解釈のしようがあるか!?)」
骨河係長は車を山道の途中で脇に停車させた。
「降りるか?」
「そうしましょう」
二人は車から降りて湖の眺めを一望する。
「これは、なんていう湖なんだろうか?」
「さぁ、しかし赤坂村に関係していることは間違いありません」
「だが肝心の怪談には出てきてないぞ。この湖のことは?」
「赤坂トンネルもありますね」
「いやだな……」
「怖気づいたんですか?」
「そうじゃないが……」
目と鼻の先には赤坂トンネルがあった。二人は徒歩でトンネルを目指す。狭く古びた一方通行のトンネルだった。室内灯はなく薄暗い空間が続いている。骨河係長はおどおどした足取りでトンネルを進んでいく。途中、突然物部耳子がいう。
「係長!」
骨河係長はゾッとして背後を振り向く。
「霊がいますっ」
「えええっ!? このタイミングで!?」
二人の間に緊張が立ち込める。物部耳子は神妙な顔でいう。
「やはり、人形屋敷に行ったときに悪いものを連れてきてしまったみたいですね」
「どうすればいいのだ?」
「踊りましょう」
「今!?」
「幽霊は踊りたがってると相場が決まってます」
「アメリカの映画のやつ!?」
「……冗談はさておき」
「私が言い出したみたいにいうなよっ!?」
「困ったことになりました」
「霊能者なんだろ!? どうにかしてよっ!?」
物部耳子は突然荷物から何かを取り出した。彼女の手元からしゅぼっと音がすると骨河係長は絶叫する。
「のわぁぁぁぁぁぁぁっ!」
骨河係長は驚きのあまり足を滑らせてその場に転倒してしまう。物部耳子がいう。
「係長、これは霊を吸い出す装置なんです」
「出す前に言っといてよ!? 私超恥ずかしい声出ちゃったじゃん!?」
「これも霊を退治する戦略なんです」
「何だそれは!」
「サイクロンジェットアームストロングファイバーです」
「霊に関するワード一個も入ってない!!?」
「いいんですよっ、細かいこたァ……」
「ちょっと頼むよ!? 岡っ引きの人! 本当に大丈夫!?」
「操作は簡単、この吸引ノズルを霊に取り付かれた人の地肌に吸い付けるだけです」
物部耳子は明らかに掃除機ノズルのそれを骨河係長のあごに吸いつけた。
「いだだだだだだ!」
骨河係長は手で振り払うと、絶叫する。
「古すぎるよ! ゴーストバスターズかルイージマンションだけだよ! 今時、幽霊退治で掃除機使ってるの!?」
「掃除機じゃないです、サイクロン――」
「もういい! もういいよ名前言わなくて! 落語のジュゲムみたいに頭にスッと入ってくる略称ないの!?」
「じゃあ、ファイバーで統一しましょう」
「もう今後二度とその単語出てこないけどな。私が許さないし。顔も見たくないし」
「ファイバーの何が嫌なんですか!?」
「逆に訊くが、顔面に掃除機ノズル吸いつけられて何が楽しいの!?」
「霊を祓うにはこれしかないんです! じっとしててくださいっ!」
物部耳子は骨河係長を取り押さえて馬乗りになると、ファイバーの電源を強にして骨河係長の顔面にノズルを押し付けた。骨河係長は心底苦しそうな顔で苦痛に悶絶する。
「ぐわぁぁぁぁぁぁぁっ!」
三分ほどしてから物部耳子は骨河係長からノズルを引き剥がした。
「逆に増えてしまいました……」
「ええええええ!? 何してくれてんの!?」
「昔使った時の霊が残ってたみたいです……」
「捨てとけよ!? ズボラ過ぎるよ管理!」
「前やった時も失敗しました……なんでかな……きっと騒音でトンネルにいる悪霊を引き寄せちゃったんですね、きっと……」
「全然意味ないじゃん! むしろ逆効果だよ!」
「ファイバーは本物です。十万円もしたんですから……」
「値段で判断してんの!? 霊能者の目とかじゃなくて? 完全にぼられてんじゃん!」
「弱強機能が間違ってたんです……次は絶対、成功しますから……今度は……」
「認めたくない!?」
骨河係長は戸惑いを隠せない様子だった。
「大体どうして霊能力者が霊能力者にぼられてるのだ!?」
「……」
散々な言われように、物部耳子は行き場のない憤りを機械にむける。
「このっ……このポンコツめ!」
「本音漏れちゃったよ!?」
物部耳子がガチャガチャと機械に暴力をふるうと、突然命を持ったかのように物部の手を離れて勝手に床を這いずりはじめた。
「「あああああ!」」
骨河係長は誤って機械のホースの部分を踏みつけてしまい、その場に転倒してしまった。後頭部を床に打ちつけた骨河係長は頭を押さえて悶絶する。機械のノズルは轟音を発しながら骨河係長めがけて突進していく。ダメ押しとばかりに骨河係長の股間がノズルの中へと吸い込まれた。
「のわぁぁぁぁぁぁぁっ!」
物部耳子は苦しみもだえる骨河係長を見下ろして、衝撃を受けていた。
「天然、理不尽、奇跡、一度で三度おいしいなんて……!?」
物部耳子は冷静に分析していた。
「”のわぁ”の三段オチ……やはりこの人は、只者じゃないっ……!?」
「もう嫌だ! 誰か助けてくれぇぇぇぇぇっっ!」
骨河係長の絶叫はトンネル内にいつまでも反響していた。
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