2-4
その時、骨河係長と物部耳子、そして加藤ボルテックスの三人は黒塗りのバンに乗って目的地も決めずに出発していた。骨河係長の脳裏には滑が残した意味深な言葉が未だに脳裏に焼きついて離れなかった。
「(語り継がれなくなった理由……か)」
後部座席の窓からじっと空を見上げる。ふと思う。
「(確かに、調べて見つからなかったら、何らかの外的要因が働いて怪談が拡散しないように圧力をかけられている可能性も考えられなくはない。しかし、実質そんなこと不可能なんじゃないか? 風のうわさとはすなわち、いやがおうでも広まってしまうこと言うのだ。しかもネット社会の昨今。情報統制など一昔前ならいざ知らず、共産主義国家でもなければ不可能だろう。あのタコがほざいたことは、つまるところそういうことなのだ)」
骨河係長はちらりと助手席で腕組し物思いにふける物部耳子を見た。彼女も彼女でまた何か思案にふけるように窓から空を見上げていた。いや、あくまで格好であって、本当は何も考えていないのかもしれない。
「(この女もだ。いったい何を考えているのかまるでわからん、見当もつかん……加藤のやつは優秀な霊能力者だといっていた。しかし今のこの無防備な状態からはとてもじゃないがそんな頼り強さなど微塵も感じられないのだ……)」
「おい、加藤!」
と、骨河係長は声をかける。続けていう。
「いったいどこへ行くつもりなのだ。赤坂村の跡地へ向かうのか?」
「ん……赤坂トンネルもいいが、ちょっと忌々諱町病院にあてがあってな。先にそっちへ寄ってから行こうと思ってるが、どうだ?」
「忌々諱町病院? 忌々諱第一病院の方じゃなくて?」
と、身を乗り出す物部。名前が似ていて厄介だったが、忌々諱町病院は忌々諱町内にある最大の総合病院だ。一方忌々諱第一病院の方は地域で一番いわくつきの精神病院だった。骨河係長は思う。
「(私でさえ聞いた覚えがある。第一病院には不気味な怪談にあふれてる。怪しいのは目に見えているんだ)」
「私は別に構いませんが……ねぇ?」
「……?」
物部耳子は骨河係長に向かって同意を求めた。骨河係長は理解できない様子だった。加藤ボルテックスはいう。
「大丈夫さ。かなり自信がある。無駄足にはならないさ」
「本当に?」
「……タケオの怪談がなかったら、一人でこっちの調査に行こうと思ってたほどだ。おらよっ、このスクラップを見てみなっ」
加藤ボルテックスは助手席に山積みになったスクラップブックをひとつ取り上げて、乱暴に後部座席の骨河係長に向かって放り投げてきた。その時に、骨河係長は思う。
「(こいつ……見かけによらずアウトローで危ないやつなのかもしれん……)」
骨河係長はすっかり縮み上がってしまった。スクラップブックには付箋が張られていた。骨河係長がおずおずとページを開くと、ぐいっと物部耳子が顔を寄せてくる。
「なんの資料です?」
忌々諱町でのみ発行されるローカル新聞のとある記事。与えられたスペースはごくわずかであり、如何に世間一般の関心が薄いかを物語っているかのようにも見えた。
――6月14日○曜日―午後5時頃、本忌々諱駅近郊で荒川清彦氏(26)と岩田智人氏(27)の乗車した軽自動車が電柱に衝突する事故が発生した、幸い事故に巻き込まれた人は居なかったものの、荒川氏は死亡、岩田氏は今も後遺症が残っている――
「悲しい事故だな……」
骨河係長はしみじみと感想を漏らす。その時、彼は心の中でふと思っていた。
「(事故……それも一ヶ月ほども前のことか……あれ、何かデジャヴを感じないか?)」
加藤ボルテックスは否定するようにいう。
「違うんだ。この文章で大事なことはその後」
「?」
――なお、岩田氏に至っては現在早急な治療の甲斐あってか肉体的負傷は順調な回復傾向にある。ただ精神には相当大きな”傷跡”を残しており、救急治療室から移送された後にもしきりに妄言を口にし、回復の見通しは立っていない――
「岩田という男に何があったんでしょうか?」
「俺は元々怪しいと踏んでたね。いくら地元のローカル新聞であっても単なる交通事故で記事を立てるほど記者の連中は怠惰じゃない……この裏にはなにか尋常ではない存在があった。担当記者はそれを詳らかにしたかったが、上から許可を得られずむざむざと、このような味気もクソもない記事を載せる羽目になったのではないかと……」
「二人の若者の話……ですか?」
と、物部耳子が釘を刺す。すると加藤ボルテックスはハッとしたように物部の顔を見る。それには骨河係長にも思い当たる節がある。彼の脳裏でもやもやとしていたものの正体だったのだ。
「ああ。そこで、この記事の内容を優先的に調べることにしたんだ」
「それで?」
「ん?」
「その後の話は?」
「……」
加藤はわざとらしく含みを持たせた。
「ビンゴさ」
彼は懐から一枚の写真を取り出し後部座席にも見えるよう、掲げて見せた。
「これは?」
「二人は怪談によって人形屋敷へ導かれた」
写真は人形屋敷が写っていた。その前で二人の若者がVサインをしている。彼らにとっては記念写真か何かのつもりだったのだろう。骨河係長は何やら違和感を持った。しかし、その正体はわからなかった。
「事故にあった車にはこのような写真を収めたデジカメが後部座席に残されていたんだ」
「しかし事故現場の遺留品をよく入手できましたね?」
「うっ……それは”テンメンジャン”のおやじに無理をいってだな」
「ゴーストゴシップテンメンジャン……何でもござれの三流心霊雑誌です……」
「それより、この岩田なる男。行方不明なんだ」
骨河係長はゾッとしてしまった。
「(嘘だろ……また怪談の被害者が……)」
物部耳子が指摘する。
「記事に起こされてる以上、岩田智人は実在したんでしょう?」
「俺もそう思っていた……」
と、加藤ボルテックス。彼の言葉は過去形だった。
「担当医も含めて院内の従業員は誰も岩田のことを覚えていなかったんだ。データは残っていた。まったく感心したね……」
「岩田は?」
「ある物好きなじじいがいる。そいつは岩田と相部屋になったっていうんだ。ある意味怪談だよ。アポをとってこれから話を聞きに行こうと思ってる」
「何者ですか?」
「単なる入院患者だが、老い先短いくたばり損ないさ。ホラ話の線も捨て切れないがね」
* * *
忌々諱町病院に到着。しかし、三人は途方に暮れて病室前のベンチに腰掛けていた。
「まさか定期健診にこんな時間がかかるとは……」
「日が暮れてしまうぞ? なぁ?」
「こいつはしくじっちまったな……なぁ、タケオ、物部?」
骨河係長と物部耳子は呼びかけられて、加藤のほうを見る。
「ここは俺一人でも十分だ。おそらく目当ての怪談も得られるはず。お前はタケオと赤坂トンネルへ向かってくれ!」
「ちょっと。お荷物を押し付ける気ですか?」
「ちょちょちょちょ、お荷物っておい、私のことか! この期に及んでお荷物扱いとは随分とひどいことを言ってくれるな!?」
「十分お荷物ですよ……」
物部耳子はぼそりといった。
「……!」
骨河係長は唖然として返す言葉も見つからなかった。お荷物扱いされたことが、思いのほかショックが大きかったからだ。加藤ボルテックスは仕切りなおすようにいう。
「青人形……そして二人の若者の話、やはりプロデューサーもいっていた。赤坂トンネルこそかつての赤坂村に違いないとな……二人にはその真相を追って欲しいとの、プロデューサーたっての希望だ」
「プロデューサーったって、ただのタコですよあんなやつ」
「……」
骨河係長はしみじみ思った。
「(どこの組織でも管理職ってのは往々にして部下に舐められてるもんなんだな)」
骨河係長は、澤神滑に親近感を抱いてしまったことが激しく屈辱的だった。
* * *
二人が駐車場に向かう道中。夕暮れ時に差し掛かっていた。夏は日も長い代わりに夕方の時間も長い。田舎の大病院の裏には大きな山がある。広い駐車場には蝉をはじめとして虫たちの大合唱が滞りなく繰り返されている。物部耳子はふいにぼそりともらす。
「私の怪談、まったく心に響いてなかったんですね」
物部耳子はジト目で骨皮係長を睨みつける。
「え?」
「思い出しました……先日の飲み会で、私は人形屋敷の怪談を話したんです」
物部耳子は続けていう。
「面白がって近づかないようにね」
「ウソだ! むしろあの怪談を知らなかったら私は近づかなかった!」
「でも係長は、そんなことなど露知らず人形屋敷に近づいた。それから霊に祟られて帰って来た。このザマです……」
「……」
「怖がりの癖に」
骨皮係長の肩がピクリと震える。
「怖がりだと? そんなわけあるか!」
「怖がりですよ。怖がりだから、そんな自分の臆病さを認めたくなくて自分からノコノコ廃墟に入っていったんです」
「うっ」
「動物の勘っていうのは案外馬鹿にならなくて。怖いと思ったものには何らかの理由がある。祟られるのは大抵、そうやって勇み足で廃墟に入っていく奴」
「……」
「でも、なんだか悔しいです」
「?」
「それは怪談師としての私の腕が半人前だから。だから係長にも舐められて、いよいよ引き止めることができなかった」
その時、骨皮係長は思い出していた。ゴーストテリング。ゴーストテラーは怪談で霊の成仏のシナリオを作る。それは霊能者としての自分自身の力不足を揶揄しているように思えた。
「! ……それは!」
「いいんです。これは私のミスですから……」
「物部……」
「(意外とナイーブなんだな)」
物部耳子は、きりっとした目つきで骨皮係長を睨みつけた。
「ところで係長。話は変わりますが、渦巻さんはどうして消えたんですか?」
「え? ……ああ、それがな」
骨皮係長はしどろもどろになる。物部耳子の追求はいっそう強くなった。
「気づいたらいなくなってた」
「気づいたら? 一緒にいて別れたとか、廃墟の中で見失ったとか、帰るまでは一緒だったとか?」
「……それがわからないんだ。だからいっそう気持ち悪いんだよ」
「呆れた。それじゃあ渦巻さんがどんな状態なのかまったくわからない」
「むぅ……面目ない」
「……」
「だっ、大体だなっ。それをどうにかするのがお前達の仕事なんじゃないのか!?」
骨皮係長は自分のことは棚に上げて、偉そうに息巻く。
「私は知らんぞ。そんなことは! それに人を臆病者だ何だと罵っておいて、貴様も立派に幽霊にやられているではないかっ、人に説教できる立場じゃないだろうっ!」
「私がやられたのは霊じゃなくて腐った煮物です」
「同じことだよ!? それに知ってどうなるっていうんだ!?」
「……考えても見てください。渦巻さんは幽霊を見ていたのかもしれないんですよ?」
「……」
「心霊現象の生き証人ではないですか! 怪談よりずっと、有益な情報を持っていたかもしれないんです。骨河係長?」
「……!」
「やっぱりあなた、まだ何かを隠していますね?」
「なにを――」
「渦巻さんのこと、いえ、この事件のゴーストのこと……何かを黙っている」
「(目ヶ一郎のこと……か)」
その時、骨河係長はあの日にあったことを思い出していた。
「(あの日あの時、私は目ヶ一郎の身に起こっていることをなんとなくだが悟っていた。だからナントカ部署に刑事を名乗る男がやってきたときにも、別に驚きやしなかった。目ヶ一郎のことだと、そう薄々予感していた――――刑事はいった。家族に電話がかかってきたと。その電話よりもおそらくもっと前に、私は目ヶ一郎の連絡を受け取っているのだ……しかし、それを白状するかどうかは別なのだ)」
「じゃあ私が何を隠しているというんだ? かえって何を隠す必要性がある!?」
「……そうですね、たとえば渦巻さんから連絡を受けている、とか?」
「……!」
「そうでなければ傲慢ちきな係長がうちに来たのは何かおかしいと思うんです」
「…………」
骨河係長はその時、目ヶ一郎とのやり取りを思い出していた。
『係長、僕はもう駄目です、係長だけでも逃げて……』
『目ヶ一郎!?』
『物部耳子です! あの子がなんとかしてくれます!』
『絶対無理だ! ……お前にもわかってるだろっ!? 今どこにいるんだ!』
『係長、やつは、自分で自分のことを認識できていない。ただ内側から止め処なく込み上げてくる正体不明の憎しみの衝動に駆り立てられている。あいつは知りたがってるんです。自分自身の正体を……』
『どういうことだ!? あいつ!? 知りたがっている!? あの黒人がやったのか! そうなんだろ!?』
『……』
『目ヶ一郎ぉぉぉぉぉっ!』
骨河係長が物部耳子に全てを白状した時、彼は自らへの不甲斐なさへの後悔の思いにひざまずき涙を流していた。その有様を見て物部耳子は少し気の毒にも思っていた。
「係長。あなたは臆病なだけでなくうそつきでもあったようですね……」
「う……ううう……うう」
骨河係長はその場にうずくまり顔を被った。しばらくの間だったが、その場から動き出すことができなかった。
「渦巻さんは……自らの身に迫る危険を悟って、真っ先に係長に連絡したんです……あなたの身を案じて……」
「(……なぁ、神様――人生でたった一度や二度あるだけの肝試しだったんだ。それがあまりにも罰が重すぎやしないか? これじゃああんまりじゃないか……なぁ?)」
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