2-2
「プロデューサー!」
と、加藤ボルテックスは局内の会議室に入ると早々、ある人物が目に留まると駆け寄っていった。骨河係長は恐る恐る後に続く。彼は会議室の中に見た光景に絶句し、思わず息を呑む。ゾッとして背筋に冷たいものが走った。
プロデューサー――――加藤ボルテックスが意気揚々とそう呼びつけたものは人の形をしていなかった。それはすごく恐ろしいものだ。全身が真っ赤に染まり、裸で、腕や体はなく、ぬめぬめとした触腕をふるう怪生物だった。それは、それはまるで……と、骨河係長の脳裏には、ある馴染みのある生き物の姿の絵が浮かんでいた。
「やぁやぁ、君が骨河丈夫君?」
「!」
骨河係長はゾッとして目を疑う。プロデューサーは馴れ馴れしくも湿ったまとわりつくような声音で話しかけてきた。骨河係長が微動だにできないでいると、プロデューサーは加湿器に騎乗したまま、テーブルの上の湯のみに触腕をぐるぐると巻きつけて持ち上げた。
「あちち……やけどしちゃったよぉ、加藤君……もう散々だよぉ……」
器用にお茶をすすると、プロデューサーはため息混じりに話し出した。
「ごめんねぇ? 僕としたことが一般人を巻き込むことになるなんて、とんだ不手際だったよぉ」
「200年ぶりぐらいじゃないですか」
「だねぇ~って、そんな生きてないよ!? 僕!?」
「なんなのだ貴様は」
「僕は澤神滑。番組のプロデューサー兼チーフディレクターだよ!」
「プロデューサー!? あんたが?」
加藤ボルテックスがいう。
「プロデューサー。タケオは人形屋敷のゴーストに祟られてる。彼の同僚は失踪したんだ」
「話には聞いていたが……どうやら災難だったようだね」
「あんたが番組の親玉か!? だったら目ヶ一郎はっ!? あんたなら救えるんだろ! なぁ!?」
「ちょっと待ってくれよ!? 暑苦しいなぁ。救えるも何も僕はそんなバリバリ霊能力を持った超強い拝み屋とかじゃないし……ましてや単なるタコだよぉ……」
「タケオ、プロデューサーはただのタコなんだ。勘弁な」
「タコ……タコ? タコっていうなよぉっ!」
「……!」
加藤がいうように、プロデューサーの澤神滑は茹蛸に似た奇妙な触手生物だ。大きな丸い体(顔?)には、加藤ボルテックスのものに似た三角形のサングラスをかけているのが妙に愛くるしいビジュアルだ。突き出た唇はイラスト的なタコの口をしていることから、彼がタコの親戚でないことは明らかだった。
それにしても……と、骨河係長は思っていた。
「(なんだ。なんなんだこの薄ら寒い軽薄なノリは……)」
骨皮係長は憤りを通り越して呆れ果てていた。大学の緩いサークルみたいな雰囲気だ。
加藤ボルテックスは物部耳子を看病するといって会議室の奥の部屋へと消えていくと、会議室はとたんに静かになった。骨河係長と澤神滑プロデューサーは向かい合う形で腰掛ける。そして、骨河係長は思った。
「(邪魔者が消えて、ようやくこいつと面と向かって話ができるな……)」
骨河係長の思惑通りか、澤神滑は、真剣な顔(?)で話を切り出す。
「間接的にだけど話は聞いてるよ。どこでも商事の骨河係長か。うちの物部君がだいぶ世話になってるそうだね。僕からもひとつお詫びさせてくれ」
ところ変わればなのか、滑は流暢な日本語を話し知的な雰囲気さえ漂わせる。しかし骨河係長はかえって腹の虫が収まらなない気持ちだった。
「結構だ。それよりも番組が成功すればすべて丸く収まるんだよな?」
「そうだよ。物部君さえ無事ならこんなことにはならなかったんだけれど……」
「聞きたいことが山ほどあるぞ。大体、物部耳子。あの少女はいったい何者なのだ?」
「……?」
滑は、呆然とした顔で骨河係長を見つめ返す。骨河係長はかえってどぎまぎとした。
「なんだ?」
「君は本当に何も知らないのかい? 物部君はゴーストテラー。ゴーストパパラッチの唯一のタレントだよ!」
「ゴーストパパラッチ!?」
裏返った声で思わず反復するくらいに、骨河係長はびっくりして飛び上がってしまった。
「そうだよ! 君、加藤君から一体何を聞いていたんだい!」
「思い出したぞ! 娘が見ていた劣悪な深夜番組ではないかっ……ぐぬぬぬぬっ!」
「劣悪だとぉっ!? よくもいってくれたなぁっ!?」
* * *
その時、加藤ボルテックスは隣室のソファに物部耳子を寝かせると、近くのパイプ椅子に腰掛けて窓からそっと空を見上げた。彼はようやくほっとできると思っていた。
「(この国に来て随分と経つな……)」
加藤ボルテックスはふっと、視線を落とした。物部耳子の安らかな寝顔を見る。
「(この少女とプロデューサーに助けられて早数年か、月日の経つのは早いものだ。しかし、幽霊に成り下がった分際で助けられたもクソもないか……ふふ)」
加藤は自分の過去を思い出していた。ふとした時にはいよいよ思い出せなくなっていることもあった。幽霊になった弊害か、そのため時折こうして過去を思い出す作業をすることがあったのだ。
「(西洋に神に見捨てられて、日本の神に拾われたか。今はこうして現場に携わっていることで気を紛らわせているが、いつかはきっと、幾百と相対してきたゴーストたちと同じように、俺も面と向かって自分の過去と向き合う日が来るというのか……)」
加藤はまじまじと自分の手のひらを見つめていた。その時、――――。
――ドサドサドサッ!
「なんだっ!?」
突如、隣の部屋から大きな物音が聞こえてきた。加藤はただ事ではない空気を察して扉を開けて駆けつける。
「プロデューサー! タケオ!」
そこには、取っ組み合いの殴り合いをする骨河係長と澤神滑がいた。
加藤は大急ぎで二人を振りほどくと、大きな声でいう。
「やめないかっ! 何をしてるんだ二人とも!」
「加藤君……ぐすん、こいつが僕たちの番組を劣悪呼ばわりするんだぁ~っ!」
「このタコ野郎! 娘を返せ! もう許さんぞっ!」
加藤ボルテックスは二人の顔を見比べてから、ほっとため息をついた。
「病人が隣の部屋で寝てるんだ。もうちょっと大人になってくれよ二人とも……」
そういって、加藤はとぼとぼと隣の部屋へと戻っていってしまった。
「「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ」」
お互いに肩で息をして呼吸を整える。睨み合いが続く緊張状態。骨河係長がいう。
「お前から飛び掛ってきたことに関しては不問にしてやる。また逆ギレして殴りかかったことも謝ろう。だから物部の話を続けるんだ」
「待てよ! 娘ってなに? 君、子供がいるの?」
「私は去年忌々諱町へ越してきた。一人親だ。いろいろ思うところもある……」
「そうか……僕も悪かったよ。自分の番組のことを揶揄されてついカッとなっちゃったんだ。ネットじゃ毎日叩かれてるんだけどね」
「お互い立場がある身だ。たとえ多くを知らなくても協力し合えるはず」
「そうだな……さっきも言ったように、物部君はゴーストテラー。いわば番組で唯一のタレントなんだよ」
「私も見たことがあるぞ。まさか彼女が物部耳子だったとは」
骨河係長は昨日の晩に見たゴーストパパラッチの放送のことを思い出していた。
「(凛とした佇まいの女。とてもじゃないがオフィスでいつも見る冴えない彼女とは思えないオーラがあった……もしかすると、あれがあいつの本当の姿なのかもしれないな……)」
などと、骨河係長はしみじみと思っていた。澤神滑は続けて話す。
「霊場には霊の本体がいる。間違いなくいる。目に見えなくともね。我々はそこに突入して真実を暴くんだ。報われない魂はようやく未練なく天に召される。ゴーストテリング。呪縛霊に成仏のシナリオを作ってやること。海外ではそう呼ぶ……物部君は一流のゴーストテラーだった……」
「……!」
その時、骨河係長は思っていた。
「(まさしく”剣”だ! 物部だったんだ! あいつ自体が番組における霊に対抗するための唯一の”剣”の存在だった!)」
骨河係長の額に冷たい汗が滴る。続けて訊ねる。
「物部は助かるんだよな?」
「もちろん。命に別状はない。だけど、収録日は今日だ」
「今日!?」
「ああ?」
「問題大有りじゃないか!?」
「だから焦ってるんだ! 昨日の夜には収録放送をやった。ゴーストは生と収録を二日続きで週二回放送なんだ。生放送の都合上、視聴者に伝わりにくいところを再編集して放送するからさぁ~」
「そんなことはどうだっていい! 私は確かに聞いたぞ!? 生放送を無事終えることだけが霊を祓う方法だとっ。その流れで行くと、生放送に失敗したら人形屋敷の呪いも解けないのだろう!?」
「放送枠は安くないんだ。同じチャンスは二度と巡ってこないんだよぉ……」
「一番大事なタレン……ゴーストテラーはこの調子なのだ!」
「それだけじゃない」
「なんだと?」
「僕らは霊場でただドンちゃん騒ぎをしてるわけじゃないんだよ。しっかりしたルールに基づいて除霊行為に挑んでる。そのための調査も絶望的に滞ってる」
澤神滑は続けていう。
「そこで”怪談”が鍵になってくる。ゴーストテリングにはゴーストの正体といきさつを暴く必要があるからね」
「……!」
その時、骨河係長は、会議室へ向かう道中加藤ボルテックスがポロリとこぼした言葉を思い出していた。
――人形屋敷に端を発する怪談は、その後に幾つもの怪談話にも派生し、我々に真相を解明するよう助けを求めてる――
「(あの言葉の意味は……ここに繋がってくるのか……!)」
「怪談はいわば、霊が今生に残したダイイングメッセージ。僕らは犯人ではなく被害者を探しに行く、そういう物語なんだ」
「怪談しかないのか?」
「怪談以外に何がある?」
「え?」
「考えても見ろ。幽霊は死んでいる。死人にくちなしだ。下手をしたら生きている人間に真実を捻じ曲げられてしまったかもしれない。怪談だけが真実を語り継ぐ」
「だが、怪談も怪談で改竄や捏造されてる可能性があるのだろ?」
「……だから難しいんだ! 怪談から真実を暴くことは並大抵のことじゃない。複数の怪談話を照らし合わせて、隠された意味を読み解くしかない」
「途方もない作業だ……」
「それでも、僕らはこの難しいミッションを何度もやり遂げてきた。決して不可能なことじゃないんだ!」
「青人形の怪談も……人形屋敷に関係あるんだろうか……」
「青人形?」
「ああ……警察の連中に……いや」
「?」
その時、ガチャリと隣の部屋の扉が開いた。何事かと二人が目を向けると、扉から物部耳子が飛び出してきた。その後ろで慌てふためいた加藤ボルテックスの姿があった。
「物部君!」と、澤神滑。骨河係長も立ち上がって声をかけた。
「――――大丈夫なのか!?」
物部耳子は歯を食いしばり、二人のそばへと近づいてきた。顔色は相変わらず悪かった。
「大丈夫……このくらいなら何とか……」
「無理をするんじゃない! 顔色だってずっと悪いじゃないか!」
「しょ……食あたりです」
「……」
「(――――は?)」
「なんだと、今なんと言ったんだ!?」
「腐った煮物を食べてしまったんです……うぐぐぐ、その挙句にこのザマ。情けないったらないですよね、ほんと……」
「……」
「……おい、加藤っ」
骨河係長がぎろりと睨みつけると、加藤ボルテックスはしゅんとしてうずくまっていた。
「……すまん」
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