1-8
「この怪談は巷では”青人形”と呼ばれています」
「……」
「私はね、兼ねてからこの地域で連綿と受け継がれている穢れなんだと思ってるんですよ……人形にまつわるよくない話というのはね」
「……穢れ、ですか?」
「穢れっちゅうんは、人形にまつわる因縁。土地が人形に憑かれているんだなぁ、きっと」
そういって、村山警部はごくごくと水を飲む。
「骨河さんは、きっとそんな穢れに何らかの形で障ってしまったんじゃないかな、私はそんな風に思ってならないんですね」
村山警部はまるで哀れむような目で骨河係長を見る。
「……もしかしたらね骨河さん」
突如、刑事は顔を不気味に歪めたと思うとこんなことを言いした。
「あなたも、怪談になるのかもしれませんね……この地域の人形にまつわる怪談の一つに……」
骨河係長と刑事たちの話は、そこでお開きになった。
* * *
その頃、忌々諱支店のナントカ部署では朝礼がはじまっていた。部長が大きな声でいう。
「それじゃあいいかね? みんな、今日も元気にどこでも商事!」
「「どこでも商事!」」
朝礼が終わると朝のラジオ体操が始まる。ところが和気藹々の楽しげなムードをぶち壊す闖入者が、すごい剣幕でナントカ部署のオフィスに駆け込んできた。
「部長っ!!」
骨河係長だった。彼は見るに耐えないほど狼狽した様子で、丸い目でぎろりと部署の社員たちを睨みつけた。すごい剣幕に圧倒される社員たち。部長は慌てふためく。
「どうしたんだね骨河君! 騒々しいぞ!?」
骨河係長がオフィスを一瞥して、青白い顔をいっそう絶望に歪めた。
「いない……!?」
社員たちは一様に凍りつき、へんなものを見るように骨河係長を睨み返す。
「部長! どうしてやつはいないんですかっ! あの怪談女は……っ」
骨河係長は必死の形相で部長に食って掛かる。部長は困惑して答える。
「怪談女? ……ああ、物部君ね、まったく」
「?」
「困った子だよ……入社早々これじゃあ先が思いやられるね」
「物部は!?」
「体調不良で、今日は休みさね……」
ドンっと、骨河係長は部長を壁際まで追い詰めて壁ドンを仕掛ける。
「それじゃあ駄目なんですよぉっ!」
「ど……どうしたんだね骨河君!?」
おろおろする部長を尻目に、骨河係長は思わず涙ぐんでしまう。
「このままじゃあ……」
いよいよ、骨河係長はぼろぼろと涙を零してしまった。
「私も……目ヶ一郎のように……幽霊に殺されてしまうんですよぉっ……」
「骨河君……」
部長はごほんと咳づくと仕切りなおしてから、いう。
「今日は君も休みたまえ、尋常じゃないぞ。それじゃあ仕事も手につかないだろう」
「ぐすん……ぶちょおぉっ……」
部長はくまのプリントされた黄色いハンカチを骨河係長に手渡した。
「君に、物部君の住所を教えてあげよう。私のできることはそこまでだ」
「どういうことです?」
「それ以上は、君が自力でなんとかしたまえよ」
骨河係長は部長から物部耳子の自宅の住所を聞き取ると、彼女の家に向かう身支度を済ませた。時間にして、正午に差し掛かろうとする頃のことだった。
* * *
骨河係長は忌々諱地域の商店街へとやってきた。
住所を確認する。彼が赴任してから商店街へやってくるのははじめてのことだった。
「……」
骨河係長は依然と心細くなる。薄暗い商店街は日中にもかかわらず人通りが少なく閑散としている。本忌々諱や忌々諱ニュータウン地区の開発が進んでからというもの、商店街の客足はみな地域の大手デパートや家電量販店に奪われてしまった。その挙句にこのざまだった。
骨河係長は、目的地付近のコンビニにて聞き込みをすると、上階が物部耳子の住所だという情報を入手する。店員にお礼を言ってコンビニを後にする。外階段を使って暗い屋内へと踏み入る。タン、タン、タンと、小気味よく古びた鉄製階段を踏みしめる音が鳴る。もうあと幾度も行き来するうちに壊れてしまうんじゃないかというほどに赤くさび付き劣化が進んでいる。骨河係長は思わず寒気を催す。
「まったく、……何が悲しくてこんなしみったれた街に住まなきゃならなんのだ!」
ぶつぶつと悪態をつきながら階段を登っていく。
「うっ……」と、骨河係長は短いうめき声をあげる。
彼の目の前には、御札の大量に張り散らされた不気味な扉が立ちふさがっていた。
「いかれてやがる……」
骨河係長はいよいよ恐怖を通り越し、憤りさえ感じていた。この一連の事件にだった。
「(時は令和、ロボットが老人介護する時代にだ。幽霊だの祟りだのといまだに息巻く連中がいる。私は悟ってしまったぞ。全ては茶番だったんじゃないかと。黒人の幽霊もいなければ、目ヶ一郎も死んでいない。もちろん物部の怪談だって全て作り話だ。全ては私をコケにし馬鹿にするための茶番だったんじゃないか)」
インターフォンを押すも、反応がない。彼はいよいよじれったくなった。
勢いもそのままに骨河係長は扉のドアレバーに手をかけた。
「ばかにしやがって……」
レバーを回すと室内へと無断で進入する。鍵さえもかかっていなかったのだ。今時こんな防犯意識の低いやつがよくもまあいたもんだと、骨河係長は思っていた。
「私だ、骨河係長だ、物部!」
骨河係長が声を張り上げる。
彼は辺りを見回す。生活観漂う日用雑貨がダイニングキッチンのテーブルの上を占領していた。いやなにおいがする。腐ったバナナだった。骨河係長は思わず鼻をつまむ。
「……入社早々、出勤拒否とは肝が据わってるじゃないか……なぁ?」
物部耳子の姿は見えない。骨河係長はいう。
「き、貴様の茶番に付き合ってる暇はない……私は忙しいのだ。さぁ、目ヶ一郎の居場所を吐いて、お前の魂胆を洗いざらい吐いてもらおうじゃないか!」
ところが、軽快だった骨河係長の足取りはすぐにピタリと止まってしまう。またか、と思っていた。目の前の引き戸は表の玄関扉を髣髴とさせるがごとく、全面にくまなく御札がびっしりと貼り付けられていた。そのとき、彼はさっきとはまた違う見解に達していた。ひとつの疑惑だった。
「(これは、結界ではないか?)」
骨河係長の勇気の炎はみるみるしぼんでいって、ふっと消えてしまった。そして、後には臆病風に吹かれた中年の係長がただ一人いるだけだった。
「(この御札は、なにか良くないものを封じ込めるためなのか、または寄せ付けないためなのか、いずれにせよ彼女はただならぬ事態に見舞われ、それから逃れるために用いた防衛手段なのではないだろうか?)」
そのとき、骨河係長は村山警部から聞いたある単語を思い出す羽目になった。
――禁忌――
骨河係長の目に宿す光景は、それはまさしく言葉の意味を体現しているかのような有様だった。人の入りを拒むようにして静かに佇んでいる。仄暗い闇の奥、誰も知らない深い闇の中に、知ることも語ることさえも禁じられた存在。
「も……物部……いるんだろ?」
骨河係長の闘志はとうの昔に燃え尽きていた。彼は情けない声で呼びかけるだけだ。
「(ここにはすべての答えがあると、そう意気込んでいたのだ。文句のひとつでも吐きつけてやろうかとさえ思った。しかしどうだ、この有様は。当の怪談師本人もこの体たらくじゃないか)」
「ふ……ふふふふ……ふふ」
骨河係長は、思わず笑い出してしまった。いや、もう笑うしかなかったのだ。
あたりには異様な空気が立ち込める。骨河係長は覚悟決めて一歩踏み出す。
ごくりと、生唾を飲み込む。そっと引き戸のとってに手をかける。恐怖心に真夏の暑さも手伝ってか、全身がびっしょりと汗ばんでいた。
「(もし……もし、この先にあるものが人間ではなく、”モノ”だった場合……どうする? 私は私の身を守るためのあてをすべて失ってしまうことに他ならないのだ)」
「こんな……こんなばかげた話があるか……ふふ」
あまりにも哀れな自分の境遇に、思わずほくそ笑んでしまう。骨河係長は生まれて初めて神様に祈っていた。この先に待ち構えている者が生きた人間であってくれと。
ずずずっと、重苦しい音をたてて、引き戸が開かれる。
「(いないっ!?)」
四畳一間の和室。敷布団が敷かれていた。
和室は荒らされている。しかし、家主が隠れられるような場所はなかった。
そして、布団のすぐそばには髪の長い女児を象った日本人形が放られていた。
「そ……そんな……」
骨河係長はどっと、その場にひざをついて崩れ落ちた。
「(嘘だ……)」
骨河係長は何もかもに絶望して、その場にへたり込んでしまった。そのとき、ギギギっと床の間が軋む音がした。彼の背後のほうに人の気配があったのだ。
「……!」
骨河係長はぞっとして背筋が凍りつく。近づいてくる何かの気配におびえて、その場から微動だにできなかった。その人物はそっと骨河係長のすぐそばに立ち止まると、凛としたよく響く声音で、おもむろに語りだした。
「怪談とは……」
「!」
「何のために存在していると思われますか?」
薄暗い屋内は不気味だ。骨河係長は突然の問いかけに応えられないでいた。
「もともと怪談とは、……戒めの道具として用いられてきました」
骨河係長はぞぞぞっと鳥肌が立つ。金縛りにあったかのようにその場から動けないでいた。
「乱してはならないルール、触れてはならない禁忌、人として心得なくてはならない常識、怪談とは娯楽ではなく、古来より人間がルールを重んじるために用いてきた舞台装置なのですよ。”なまはげ”なんかも、あれは子供を戒めるための一種の怪談なのです……しかしどうでしょう、その怪談をもってしても戒められなかったものがひとつあるんですよ」
突然、骨河係長の怖気づいた背中を、ドンと強い力で突き飛ばされた。彼は前のめりのまま和室に吹き飛ばされる。尻餅をついたまま後ずさりして、和室の角に追い詰められた。
「それはあなたのことでしょう? 骨河係長?」
「物部耳子……!」
「あれだけ念を押したのに、どうやらあなたの好奇心を戒めることはできなかったようですね」
乱れた黒髪がゆらりとしなだれて、表情はわからなかった。薄暗い室内の異様な雰囲気もあいまって、それはどう見ても妖怪にしか見えない。いや、ルールを破ったものを罰する妖怪そのものだった。物部耳子は長い髪を右耳にたくし上げて見せた。骨河係長は言い訳がましく喚きたてた。
「……! 私は知らない! 何も知らないぞ! 貴様だって面白半分で会社の飲みの席の出し物にしてたくせによく言う! もってのほかだ! 私は何も悪くないんだっ!」
物部耳子は骨河係長の必死の訴えには耳を貸さずに、ただぬぅっと顔を近づけてくる。
「そんなに知りたいのなら教えて差し上げますよ係長! 昨晩は語れなかった、人形屋敷の怪談の真の顛末をね……」
「……!」
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