1-9 怪談『二人の若者の話』


人形屋敷の怪談がまことしやかに囁かれてから、どれだけの時間が経過したでしょうか。怪談は知らぬものがいないほど有名になっていました。ある日のこと、怪談を聞きつけた二人の若い男性が屋敷へやってきました。一人をD、もう一人をEさんと呼ぶことにしましょう。

「人形屋敷へ行ってみないか」

そう切り出したのはDさんです。一度言い出したら聞かないDさんに渋々Eさんは付き添うことにしました。彼は彼で意志薄弱で人に引っ張られる人間だったのです。

こうしてやってきた二人。

Dさんは好奇心が抑えられません。そうです、昨日のあなたのように屋敷へ侵入したんです。Eさんは見かねて言います。

「それならお前だけで行けよ……」、と。

Dさんは一人で屋敷の中へ入っていきました。


日も暮れる頃。Dさんはいつまでも帰ってきません。

仕方なくEさんもDさんを呼びに屋敷の中へと足を踏み入れたのです。


屋敷などとうたっていますが間取りはいたって普通の一戸建て住宅。

屋敷の内観は不気味なほどの闇に包まれていました。まだ夕暮れで、日は沈んでいません。ところがその理由が判明したときぞっとして息を飲みました。

窓の外から硬い木の板が打ち付けられているのです。

「これは尋常じゃない……!」とっさにそう思ったそうです。

人形屋敷の怪談が真実ならば、屋敷には人形が出没するはず。気味悪がった近所の人たちがお坊さんに供養するように懇願したといいます。臭いものに蓋をするように、屋敷の人形の目撃談が絶えないことから外から蓋をしたんじゃないか。

もしこの推測が本当ならば……。この屋敷には出る。ほぼ確実に……。


そんなことを考えたらEさんはぞっとして体の震えが止まらなくなってしまいました。

「ぎゃああああっ」

その瞬間、何者かがEさんの肩を叩きました。思わず飛び上がって悲鳴を上げます。

「俺だよ……」と、不気味なほど低い男の声がしました。Dさんでした。

Dさんは多くを語りません。ただ顔を左右に振ると、帰ろうとだけいって歩き出したのです。途中、物憂げにDさんは言います。

「なぁ、E。俺、見つけちゃったんだよ」

「なにを?」

「預言のノートだ! 人形に殺された連中をまとめたノートだよ!」

Dさんは興奮気味にまくし立てます。Eさんは困惑するばかり。

「それが、どうしたんだよ?」

そのときハッとしてEさんは気づいてしまったのです。

背後から見るDさんのひじは人形のように丸い関節でした。Eさんはゾッとして、思わず立ち止まってしまいます。

「……どうした?」

足音が消えたことに気づいたか、Dさんは背後を振り返ってきました。顔は見えません。しかし彼が人形と知った今、どんな顔で向き合えばいいのでしょう。Eさんは息を呑みます。

「なんで止まる?」

低い声でDさんが言います。


しかし、Eさんはその問いに応じることができません。

「なんで止まる?」

再びDさんが繰り返します。Eさんは我慢の限界でした。

「うわああああああああっ」

Eさんは絶叫して走り出しました。幸い足音がついてくることはありません。Eさんは屋敷から脱出しました。あたりはすでに暗くなっています。すると、目の前には一人の人物が待ち構えたように立っていました。

「遅かったじゃないか」

Dさんでした。どうやらEさんと入れ違いになったようです。

Eさんはほとほと疲れきっていました。もう、幽霊だとか怪談だとかそういう話はもうゴメンだったのです。すべてから開放されて家に帰りたい、そう思っていました。

行きと同じく、Eさんは運転席に着くとDさんは助手席に乗り込みます。

Eさんは煌々と街明かりの照り返す街中を走り出して安心します。ようやく人心地つけた。ところが途中、なにやらDさんが妙なことを言うんです。

「人形が見える」「人形がついてくる」とね。

何を馬鹿なことを、Eさんはいいます。

「実は俺も見たんだ」

「なるほどなぁ」

Dさんは納得するように頷きます。

「だから二体いるのか」

「どういう意味だよ?」

「そのままの意味さ、お前に憑いた人形と俺に憑いた人形がいるってこと」

Dさんはまるで当然のことのように淡々と言います。その様子はまるで先ほど屋敷の中で出会ったDの人形のよう。Eさんは恐怖を通り越して怒りの感情が募ります。知らないうちに、車は街中から外れて、どうしても立ち寄らなければならない、暗く狭い森の中の山道を進んでいたのです。

「お前……悪ふざけもいい加減にしろよな……」

「べつに、ふざけてなんてない」

我慢の限界です。Eさんは車を道の脇に止めて、Dさんに殴りかかろうとした……その矢先のことでした。


Eさんはゾッとして硬直します。背筋に悪寒が走って、全身からブワっと汗が吹き出てきました。バックミラーに写っていたのです。誰もいないはずの後部座席に何者かが二人ぽつんと腰掛けていたのです。一体は間違いなく先ほど彼が遭遇したDの人形でした。しかし人形の頭からぬるぬると伸びた長い髪が、助手席のDの首に巻きついていたのです。まるで傀儡子のようにも見えたそうです。

「E! なぁ! 俺見つけちゃったんだよ!」

「!」

傀儡のようなDはぎょろりとEさんのほうを見て興奮気味にまくし立てます。

「きっと人形屋敷の家主が調べてまとめたものに違いないんだ! きっと家主も同じ目にあったんだよ! あれはすごいもんだ!」

「うわああああああああっ」

Eさんは絶叫して車から逃げ出しました。その場に車を放置して走って逃げたんです。

幸いDさんが追ってくることはありませんでした。Dさんは暗闇のトンネルも走り抜けて山の中を長い時間彷徨い歩いた挙句に、ようやく人里にたどり着きました。人間いざとなれば図太いもので何だってできるようですね。その日、Dさんは電車に乗って帰宅したのですよ。


もしかしたら、あの人形屋敷の中で見つけたDさんは本物だったのかもしれません。だって車に乗り込んだDは、そんな彼の亡霊だったに違いありませんからね。


それからどうなったのか……。

数日後、Dさんが死体となって発見されたそうですよ。

Eさんの乗り捨てた車とともに、山道沿岸の湖の中からDさんの遺体が引き上げられたといいます。遺体はやせっぽちで、あの日、Eさんと居合わせたものとそっくりそのままの服装をしていたといいます。また目立った外傷もなく、死因の特定には難航しているとか。

Eさんはというと、驚いたことに、Dさん殺しの容疑で警察に自供してきました。

彼はひどくやつれていました。ところが取調室ではEさんはなぜ彼を殺害したのか、またどうやって彼を死に至らしめたのか。供述の一切をしなかったそうなのです。ただ牢獄に入ることだけを要求したそうです。ところがそのEさんも牢の中で不審死を遂げます。彼の入っていた牢の壁には血文字でこんな落書きが残されていました。

『やつから逃れるすべはない』、と。

こんな怪談が、あったというんですよ……。


「……!」

 物部耳子は昨晩と同じく、まくし立てるような早口でそこまで言い切るとふっと口をつぐむ。その瞬間、テレビの電源を落としたときみたいに、あたりに不気味な静寂だけが立ち込めた。

「どうしたのだ?」

「この話は、どこかで聞いた覚えはありませんか?」

「私の境遇に似ているという話だろう」

「ところが違うのです、怪談では都合上長くなるので省略しましたが、警察によってEさんは精神疾患の疑いがあると診断されるのです」

「どういうことなのだ?」

「この怪談はおそらく、山川事件をモチーフにして作られたのですよ」

「……!」

 骨河係長は確かな衝撃を受けていた。要するに、この怪談が生み出されたのは遠い昔のことではなく最近のことなのだという事実を物語っていた。

「そして、この怪談は警察がEさんから聴取した話を元に編纂された体で物語が進行している。つまり観測者は”警察”ということになります」

「観測者だと?」

「物語の語り部です……誰が何の目的でこんな不謹慎な怪談を作り出したのかはわかりません。しかし、すべてが作り話だとはどうしても思えないのですよ……係長?」

「?」

「観測者を見つけるのです……!」

 突然、物部耳子はふらふらと、よろめきだした。とっさに骨河係長は立ち上がって、彼女の体をいたわるように手を添える。窓から差し込む日差しが彼女の顔を明るく照らし出した。骨河係長がよくよく見てみれば彼女は、顔が真っ赤に高潮し、また目線も宙を泳いでいた。部長がいうように、確かに彼女は体調不良だったのだ。

「大丈夫なのか、おい!」

 物部耳子はふらつく体もそのままに熱っぽく話し続ける。

「二人の若者の話を除く一連の怪談には、”観測者”がいません……この理由が判明しなければ、謎は解けない……」

 それだけいうと、突然、物部はバタンとその場に倒れこんでしまった。

「お……おい……」

「……」

 か細い声で、骨河係長の助けを求めるような声が虚空にむなしく響く。

「やめろ……私を一人にしないでくれ!」

 物部耳子は押しても引いても反応がない。まるで完全に気を失ってしまっているようだった。

「(どういうことなんだ)」

 そのとき、骨河係長はハッとしてひらめく。

「おい、ちょっと待てよ……?」

 骨河係長は、これまでの出来事を振り返り、ある矛盾に気づく。

「なぜお前……私が昨晩、人形屋敷にいたことを知っているんだ?」

「――――それは俺が教えたからだ」

「!」

 骨河係長は、ゾッとして声をあげそうになる。彼の目の前には佇んでいたのは、いや、宙に漂っていたのは間違いなく、先日に人形屋敷で見た、黒人の幽霊だったのだ。

「あ……あががっ!?」

 骨河係長は黒人幽霊を指差し、這いずるようにして壁際まで追い詰められる。ドンと、窓の桟の部分に頭をぶつけて無様に頭を抱えてごろごろと転がり苦痛に身悶えしていた。

 黒人幽霊はあきれたように、両手を挙げてお手上げのジェスチャーをして見せた。

「まったく……リアクションに飽きない男だ。……しかし悪くない。その悲鳴はグッジョブだぞ社会人。魑魅魍魎の類は人にリアクションを求めるものだ」

 黒人幽霊は力強く右手の親指を突き立てるが、眉間に深いしわを作ってクスリとも笑わなかった。

「誤解しないでもらいたいが、私は変態ではない」

「……」

 骨河係長は唖然とした顔で黒人の男を見つめ返した。沈黙が立ち込める。見るからに怪しげな二人の中年は四畳間の和室で睨みあいこう着状態になった。それから黒人の男は続けていう。

「物部耳子と俺は、なんていうか仕事仲間なんだ……こう……」

 黒人は苦心したように悩んでみせてから言い放つ。

「霊能力者、みたいな?」

「……そうだったのか」

 黒人の男は自分の想像とは違って、骨河係長が素直に納得するものだから驚いていた。張り合いがないとさえ思った。

「信用してくれるのか?」

「この状況下だ、仕方があるまい……それにしても、物部が霊能力者……」

「物部はこの国でも五本の指に入るといっても過言ではない才覚を持っている」

「年端もいかない、この小娘が!?」

 骨河係長は倒れ付した物部耳子の苦しそうな顔を見ていう。加藤ボルテックスは頷いて見せた。

「彼女の力は本物だ。しかしその力を過信したがあまりに、この体たらくというわけさ」

「物部は人形屋敷の幽霊に祟られた?」

「相手を知るためには仕方がなかった……」

「悪質な連中め……いてて」

 骨河係長の後頭部がずきずきと痛む。物理的なダメージによるものだった。骨河係長の言葉を受けて、黒人の男は不思議そうにいう。

「悪質……何をもって悪質などと罵倒されなければならないのか。俺は理解に苦しむね」

「悪質ではないか! 悪霊だか幽霊だかも安らかに眠っているんだろう? それを掘り返して叩き起こしてまで、墓の上でドンちゃん騒ぎをする連中。悪質意外の何者でもないだろうっ!」

「ふふ、口の減らない男だ。しかしお前の言い分は無知ゆえの浅はかな解釈でしかない」

「なんだと!?」

「霊は知られたがっている。人知れず土地に縛られ続けることが、安らかな安息とは程遠い永遠の苦痛だったとしてもか?」

「幽霊のことは幽霊に聞けかっ、くくくっ、確かにお前も化けモンだもんなっ!?」

「ふふふ」

 男は不適な笑みを浮かべてバナナの房のような巨大な手を骨河係長に差し伸べてきた。

「俺は加藤ボルテックスという。遠路はるばる海を越えて日本の幽霊やってるのにはいろいろとワケがあるんだ。いわくつきの男同士、いっちょ協力しようぜ? なぁ、タケオ係長?」

 加藤の大きなサングラスが光を反射し、鈍く光った。

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