1-6


 こうして、わけもわからぬまま、骨河係長は部長と警察官と一緒に、忌々諱支部近くのファミレスでの会席に加わることになった。部長は汗を拭いつつ、ヒーヒー言いながら、ゼロカロリーガムシロップ三つを入れたアイスティーを飲んでいる。

「んふぅ、生き返るわい……」

「本当に、最近暑くてたまりませんね」

「怪談が……心地いい季節ですな、ふふふ」

「どういう事です?」

「深い意味はないよ……それにしても。はぁ、骨河君……本当についてくるとはね」

 部長はうんざりしたようにため息をつく。巡査は懐から目ヶ一郎の写真を取り出した。

「渦巻目ヶ一郎さん。どこでも商事ナントカ部署にお勤めで間違いありませんね?」

「ええ、彼ですよ。渦巻君です」

「昨日未明……彼は消息を絶った。通報はご家族の方が、その後に捜索願いの方が……」

「……!」

 骨河係長は意表を衝く符号の一致に、ぞっとして鳥肌が立ってしまった。

「(やっぱり! 目ヶ一郎はあの一件のあと、家に帰宅していないんだ……!)」

「しかし、昨日の今日で今?」

「ええ、我々の方で特異行方不明者としての判断したもので」

「特異行方不明者?」

 佐藤巡査は顔をしかめる。くだらないことを聞くなという示唆のようだ。

「例えば、殺人、事故の恐れがあって、早急に探し出す必要性のある行方不明者を定める法律のことです」

「目ヶ一郎のやつが?」

「ご家族の方に向けて目ヶ一郎さんから助けを求めるメッセージが届いたのです。我々は録音したものを確認し、確かに早急に取り掛かる必要性があると判断しました」

「な……なるほど……」と、部長。「……」

「しかし、問題は会社を出て以降の動向がまったく掴めないのです」

「昨日のことですか? なぁ? 骨河君? 我々は目ヶ一郎君共々、物部君の歓迎会をやってたんだよ《肉民》の安居酒屋でなぁ?」

「……ええ、はい」

「《肉民》? ほぅ……それ以降は?」

「酔っ払っちまって記憶にないなぁ……なんだ、もちょっと昼頃ならオフィスのほかの皆にも事情を聞けたのだが……」

「すみませんね。こちらの都合上、この時間しか開いていなかったもので」

「なぁ? 骨河君?」

「え、ああそうですね、部長……」骨河係長は覚悟を決めていう。「刑事さん、実は昨日の夜、私と渦巻は二人一緒に飲んでいたんですよ」

「「!」」

 目に見えて二人は驚いていた。骨河係長は続けていう。

「酔っ払って気分が高揚したといいますか、例の物部の気持ち悪い怪談話のことを思い出したんです」

「それで?」

「どうせ嘘っぱちだろう、作り話だろうと思いましてね。場所は知っていたので二人で、肝試しにでもしゃれ込もうかと……」

 その瞬間、目に見えて巡査の顔から血の気が引いていく。青ざめた巡査がいう。

「怪談話って……なんです?」

「いやいや、あれですよ。忌々諱町では結構有名な話なのでしょう? 人形屋敷のやつですよ」

「人形……屋敷……」

 早朝の喫茶店にただならぬ緊張感が漂う。骨河係長は堪えかねて思わずふっと笑い声を上げてしまう。

「しかし……、ねぇ? 単なる怪談話でしょう?」

 警察サイドの態度が急変したのを察したのか、部長も珍しく緊迫した顔つきで骨河係長に同調して息巻く。

「そうだよ。佐藤巡査。ふざけないでくれたまえ。陳腐な怪談話さ、関係ないだろう?」

「あ……あんた、部外者のものかね?」

「?」

 佐藤巡査は険しい顔つきで問いかけてくる、私は頷きかけた。部長が大声でいう。

「何の話をしてるんだ! たかだか怪談話じゃないか!」

「たかがぁ、怪談話じゃあないんですよ。あんたたち二人とも、よそ者だね?」

 佐藤巡査の口調は次第に強くなってくる。まるで先生が叱り付けるかのように、怒りの意図を含んでいた。厄介なことをしてくれたとばかりだ。二人はさながら廊下に立たされている無知な学生のようだった。骨河係長は何がなんだかわからない気持ちだった。

「(よそ者――――それじゃあなにか? あんたらがよそ者じゃないみたいな口ぶりじゃないか。私は確かによそ者だ、だが部長はどうだろう? 聞いた話によればもう何年も忌々諱支店に勤務しているそうじゃないか。それをよそ者だと切り捨ててしまったら、一体どれほどの人間がこの男にとっての土民に分類されるのだ? 少なくとも私の知っている忌々諱町は昭和後期から開発が進んで人の入りも活発になってきている準新興都市だ。だとすれば開発が進む以前を土民と判断するのだろうか? ならばとんだ食わせ物だ。開発に着手される以前の忌々諱町はそれこそ江戸時代後期から現代に至るまで文明とは隔絶されていると言っても過言ではないほどのクソ田舎だった。開発云々言われている現在でも駅から数分歩けば見渡す限りの畑が広大に広がっているという田舎ぶりだ。もちろん人もはるかに少なかったはずだ。ここでいうよそ者とは、それほどまでに多くの人間を指し示す単語なのだぞ)」

 その時だった。三人の話している席に一人の男が近づいてくる。

「ちょっといいですか?」

「?」

 男は年の瀬40代後半といった風体のよれよれコートを着た大男だ。

「お疲れ様です!」

 と、佐藤巡査が座り敬礼してみせる。骨河係長と部長は目を見合わせる。男は懐から何やら取り出す。

「私……こういうものですが……」

 また警察手帳だった。骨河係長はまるでドラマのワンシーンのような光景だと思った。

「村山警部どの?」

「佐藤巡査が聴取に来ていると聞いてね、ちょっと横にお邪魔しても良いかな?」

 村山警部と名乗る男は、佐藤巡査の隣にどっと腰掛けた。ところが佐藤巡査はあまり良い顔をしていない。まるで厄介ごとを抱え込んだとばかりにしかめ面だった。

「それで、骨河さん?」

 佐藤巡査はいう。

「続きは?」

「ええ、屋敷は酷い有様でしてね、荒らされ放題。門を潜りました。それで……」

「?」

 骨河係長は迷う。真実を語るべきか否か。なにせ、本当のことは語っても信じてもらえそうにはなかったのだ。

「……物音がしたんですよ、家の中から。それで二人ともビビってしまって。それで驚いて二人で逃げ出しちゃったんです。そうしたら……気づいたら目ヶ一郎の奴がいなくなってたわけです」

「愚かな……」と、佐藤巡査がぼそりとこぼす。骨河係長は村山警部に促されて続ける。

「それから?」

「家に帰りましたよ。急に、馬鹿らしくなってしまったんでね」

「あなたが渦巻さんと共にいたのはそれが最後?」

「はい」

 その時、あ、と部長が呟いた。

「そろそろ勤務時間だな!」

 四人はその場でお互いに社交辞令を済ませると、ファミレスにて解散した。後には骨河係長と部長だけが残された。茫然自失とする骨河係長の肩を部長が叩く。

「骨河君」

「!」

「何をボーっとしているんだい、はやく来たまえ」

「……はい」

 トボトボと部長の後に続く骨河係長。そんな彼の姿がどうにもやりきれない様子で部長が話し出す。

「こういうのもんなんだがね、君が気に病むことはない。それに君に何ができるというのかね? 渦巻君のことは警察の方々に任せて、ほら、我々は我々にしかできない仕事をすることだ」

「……そうですね」

 その時、骨河係長はぞっとして怖気だってしまった。

 気づいてしまった。この言い知れぬモヤモヤとした感情の正体だった。

「(違う)」

 骨河係長は首を大きく横に振る。

「(これは、目ヶ一郎に対する哀れみの気持ちなんかじゃない! 私自身の心の奥底に潜む原始的本能に近い嘘偽りのない衝動。生きとし生ける動物のもっともシンプルで厄介な情動……そう。恐怖心、というやつだ)」

 一度怖気づいてしまうと、骨河係長は腹の底から込み上げてくる体の震えをとめることはできなかった。

「(気づいてしまったのだ。私ははなから利己的で残酷な人間。人の命がどうなろうと、正直どうでもいい。構いやしない。しかし、どうしてもこの一件だけは、私は目ヶ一郎の顛末がどうなったのかを、私は私のために知らなければならない、それはなぜか?)」

 骨河係長の思考はフル稼働していた。

「(目ヶ一郎の安否こそが私の命運を決する。もし目ヶ一郎が何者かに呪われたり祟られたりして、それが直接的でないにしろ事件に関与していたなら?)」

 ガタガタガタガタっと、震える骨河係長の背筋にぞっとして冷たいものが走る。

「(そう、次は私の番なのだ!)」

「――――すみません。部長さん」

「!」

 骨河係長は驚きのあまりに飛び上がりそうになった。背後から何者かに話しかけられた。先ほどの村山警部だった。部長は訝しげな目で警部を一瞥する。

「警部さん……?」

「骨河係長さんですか。先ほどは有益な情報を提供していただきました。感謝のしようもありません。その代わりといってはなんですが……今度は我々が彼にひとつ教えて差し上げようと思うのですよ」

「なんです?」

「ええ、そうです。それは多くのことを知りすぎてしまった人間が、身を守るため知っておかねばならない最低限の知識というやつです……」

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