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 その日、夜中の十二時を回っていた。

 骨河係長は自宅へ帰って来た。一年前に赴任してきた家は、本忌々諱地区の住宅街に居を構える賃貸マンションの一室だ。彼は二年前のことを思い出してた。突然本社から忌々諱支部へ異動を命じられたときには激しい衝撃を受けていた。

「(まさか、この私が……)」

 骨河係長は、思わず立ち止まって回顧していた。

「(家族にあんなことがあったからか、一過性のうつ状態になった。とはいえ、まさかこんなド田舎へ異動を命じられるとはな……)」

 彼はマンションの通用廊下から、町の眺望を見る。

「(実際。この町は案外悪くない。人ごみに揉まれて気を病むよりはよっぽど良かったのかもしれない。今になったら思うんだ。しかし……)」

 ここ忌々諱支部に来て仕事は比較的楽になっていた。この異動はそれまで尽くしてきた上司の少しばかりの優しさだったのかもしれない。などと、骨河係長は今更ながらに思っていた。

「(しかし……生まれ故郷や友達とも離れ離れになってしまった娘に悪いことをした……最近は地域の公立中学にもようやく馴染んできたようでよかったが。それにしても、ここはのどかな場所だ。部長は無口な人だが物腰が柔らかく機転も利くいい人だ。そして、同僚の目ヶ一郎も……)」

 骨河係長は、思わず軽快だった足取りが重くなる。

「(やつは本当に家に帰ったのか?)」

 しばらく思いつめて、それからひとつの結論に達した。

「(やめよう、いずれにせよ明日になればわかることなのだ)」

 ふと家の玄関を見ると、家の明りは消えていた。骨河係長は、娘は既に眠ってしまったんだと思った。彼は娘を起こさないように静かに玄関扉を開いた。

「はぁ……なんだか倍疲れた気がするぞ」

 その時、パチッと廊下の明りがついた。骨河係長はぞっとして身を縮める。こわごわと視線を持ち上げると仁王立ちした娘の姿があった。

「随分遅いご帰宅なのね」

「なんだ、まだ起きてたのか……」

 娘はテレビ番組を見ていたようだった。悪趣味な心霊番組だ。

「ゴーストパパラッチ……」

 ここ忌々諱地域のローカル放送局で最近有名な深夜番組だった。

 近年は色々な事故が起ることから、自粛する風潮の強いこの手の番組だったが、視聴率低迷にあえぐテレビ業界は藁にも縋る思いで新しい試みや、こういった過去成功した企画などを試行錯誤してる。心霊関係もその例外ではなかった。

「(心霊番組は好かん)」

 と、骨河係長は思った。思わず顔をしかめる。ゴーストパパラッチは今、忌々諱町内では知らぬものがいないほどのブレイクぶりだ。内容は単純。霊場という霊の出没する地域へ行き、レポーターがマイク片手にその地にまつわる逸話や怪談をべらべらとまくし立てる。怪談には意味があると嘯いて、勝手に屁理屈を並べたて最後はお涙頂戴の説法を語ってめでたしめでたし。幽霊の方からしてみたら、なんともはた迷惑な話だった。

 放送は佳境に入っている。骨河係長は無意識のうちにテレビ画面に見入っていた。


 * * *


『今、我々は六千地蔵の青葉谷寺に来ております! 恐怖の霊場にまつわる怪談には事欠きません! この寺には何かある……それも身の毛もよだつ恐ろしいいわくです。人知れず怪談の闇に葬られた真実を解き明かすべく、そして封印された幽霊に引導を下すべく、我々の挑戦が始まろうとしているのです!』

「(女のリポーター……)」

 骨河係長がこうやって腰を据えてゴーストパパラッチの放送を見るのははじめての事だった。髪の長い女リポーター。彼は見覚えがないことから、ローカルタレントだろうと思った。パンツスーツを着こなす中性的な雰囲気を匂わせる風貌。黒髪のロングヘアーで、きりっとした眉根と大きな目が吸い込まれるように魅力的だった。

「(いわゆる芸能人ってやつはなかなかどうして、一般人にはないオーラがあるな)」

 骨河係長はしみじみと思った。

 女リポーターは、ずんずんと青葉谷寺と呼ばれる境内に踏み込んでいく。

「(青葉谷寺……聞いたことがあるぞ……?)」

 骨河係長は思った。ゴーストパパラッチが突撃する霊場、もとい心霊スポットはほとんどが忌々諱町の地域内に限定されている。それだけこの忌々諱町という町が怪異や怪談の類に事欠かない。この手の番組を作るには願ってもない環境だった。それにしても……と、骨河係長は思わず嘆息した。

「(この女、随分と根性が座ってる……)」

 骨河係長はまだ人形屋敷での恐怖を引きずっている。肝試しの過酷さを骨河係長は骨身に沁みて痛感させられている。だからいっそう彼女に対する同情の念と、尊敬の念がない交ぜになった複雑な心境にもなる。

『見てください! これが青葉谷寺の本尊です! 初代神主が夜通しで掘ったという、木彫りの両面阿修羅の像ですよ!』

「(うっ……なんて悪趣味なものを……)」

 骨河係長は見るに堪えなかった。思わず目を背けそうになる。

『すごい……見てください。この右手の付け根の部分……傷跡が残っていますね? 実はこれは、ある事実を暗喩するものです。今の今まで我々は大きな誤解をしていたのかもしれません。視聴者の皆さん、実は青葉谷寺にはこんな怪談が残っているのをご存知ですか?』


 * * *


「ねぇ? 聞いてるの?」

「ん! ……ああ、聞いてるぞ?」

 骨河係長の意識はふっとテレビ画面から現実に引き戻される。

「はぁ……」

 娘は心底うんざりしたように、また呆れたようにため息をついた。

 骨河係長は玄関から渡り廊下にあがって、リビングのテレビリモコンを手に取った。ポチっと電源ボタンを押す。娘が怒り心頭で骨河係長を怒鳴りつける。

「何するのよっ!」

「くだらない番組を見てる暇があったら少しは勉強したらどうだ?」

 忌々諱町に来てから彼女の成績は目に見えて悪くなっていた。別に他に身寄りのない二人暮らしの癖に、仕事仕事の毎日だった。骨河係長は彼女に多くを求めてるわけではない。ただ、将来的には安泰な生活を送って欲しいという切実な親心があった。

「くだらなくなんてないっ……幽霊は存在するのよ……現に、お母さんも」

「……」

 骨河係長は聞きたくないと、そう思ってしまった。ショックだった。

 母親を亡くした心の拠り所がこんな安っぽい心霊番組なのだろうか。しかし骨河係長は、彼女を怒る気にはなれなかった。

「そうか……そうだな」

 彼は情けないことに、そんな彼女を肯定してやることしかできなかった。

「お父さん、今日はお母さんの誕生日なんだよ?」

 娘は悲痛な表情をしていた。まるで骨河係長を非難しているような視線だ。骨河係長は敵意丸出しで睨みつけられた時よりも、もっと辛いものを感じていた。

「年にたった一回の、お母さんの誕生日なのに・・・お父さん忘れてたの?」

「……!」

「……ケーキ、冷えてるから、食べてね……」

 彼が黙り込んでいると、それ以上追求はせずに彼女はすっと自室に篭ってしまった。

「くそっ」

 閑散としたリビングで、骨河係長はテーブルを殴りつける。

「(こんな……こんなはずじゃなかった……)」

 骨河係長は昔から家族サービスが得意なほうじゃない。育児の面で、彼は妻に頼りっぱなしだった。当時の彼はそれが当然のことだとさえ思っていた。皮肉なことに事の重大さに気づいたときには、既に何もかもが手遅れだった。

「(私は、妻のことをいっときたりとも忘れたことはない)」

 骨河係長は頭を抱える。

「(しかし、娘の心に亡霊が巣食い続ける事で、彼女の心の空洞は塞ぐばかりか、より大きく深く増長していく。いずれこの過去の亡霊を祓わぬ限り、前へ踏み出すことはできないのだ。私も、そして娘も……)」

「……」

 骨河係長と娘の間には大きな隔たりがある。

「(私はもう、父親としての役目を果たすには遅すぎたのだろうか……)」

 その時、置時計の時報の音が鳴った。骨河係長はネガティブの思考を振り払った。それから、投げやりな風に思った。

「(もういい……今日は寝てしまおう)」

 骨河係長は、娘が残したショートケーキを冷蔵庫からそっと取り出した。


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