1-3


「なるほど、そういうことが……」

「うううう、同情してくれるかぁ、店主よぉ……」

 今度は泣き上戸が入る。酔っぱらった骨河係長の感情は不安定だった。

 恥をかかされた骨河係長は未だにご立腹。それに比べて渦巻はやるせない気持ちでいっぱいだった。特に真剣に話を聞いてくれた店主には申し訳ない気持ちになる。

「しっかし……なかなか怖い話でござしたなぁ、腰を抜かした骨河係長の気持ち、わからんでもないでごわすよ……」

 すると調子よくした骨河係長。うんうんと頷きながら気持ち良さそうに同調していた。

「そうかそうか、そうだろうそうだろう」

 すると骨河係長は酔った勢いのままにふっと立ち上がる。そして高らかに宣誓する。

「よぉしっ……俺は決めたぞ店主! 今から深夜の肝試しへ行こうと思う。この我が愛する同僚、渦巻目ヶ一郎と一緒にな!」

「ええええっ!?」

 勝手極まりない骨川係長。渦巻目ヶ一郎としてはいい迷惑だ。

「あっはっはっ、それでこそ骨河さんでごわすよっ」

 店主は他人事だと思ってのんきに笑っている。渦巻は骨河係長に訴えかける。

「何をいってるんですか係長! あんなに怖がってたのはあんたでしょ!?」

「ばかやろうっ、だからこそだ。一度やらかしてしまった恥を挽回するには度胸をもって証明するしかなかろうが。それが今なのだ!」

「嫌ですよ! じゃああんたひとりで肝試しでも何でもすりゃあいいでしょうが!?」

 ところが必死に否定する渦巻の訴えも、酔っぱらいの骨河係長の耳には届かない。

「明日の朝にはそんなの単なる噂だったとガツンといって、ナントカ部署のみんなにも、そして生意気な物部のやつにもギャフンといわせてやるのがスジってぇもんじゃないかっ!」

「どうして僕を巻き込むんですか!?」

「ん? ん? それはだなぁ……」

 威勢のよかった骨河係長だったが、急にもじもしして言葉に詰まる。死角から不意打ちのような言葉が飛んでくる。

「もちろん、証人が必要だからに決まってるでごわすよ」

 店主だった。すると、気をよくした骨河係長はまた調子づく。

「はっはっは、そういうことだ目ヶ一郎!」

「嫌ですよ係長。あなた子供がいるんでしょ? 馬鹿なこと言ってないで、早く帰ってやらないと、大黒柱としての示しがつきませんよ?」

 その瞬間、痛い所を衝かれたとばかりに骨河係長は怖気づく。渦巻は、元々家族のゴタゴタで骨河係長が忌々諱町に赴任してきたことを知っていた。しかし骨河係長はいう。

「ばかやろうっ、目ヶ一郎、真の大黒柱にとってそんな瑣末なことは関係ないのだっ」

「……」

 しかし、渦巻にはひとつの見落としがあった。骨河係長は一度言いだしたら聞かない人間だったのだ。また本当の問題は渦巻が巻き込まれていることだった。

「いいですよ……昔から巻き込まれることには慣れっこですから」

 渦巻は自虐気味につぶやくと、意気揚々と廃屋へ向かう係長をとぼとぼ追いかけていった。


 * * *


 骨河係長は人形屋敷と呼ばれる廃墟をすぐに見つけることができた。表札や外壁にはスプレー缶で落書きされていた。訪問者が迷わないよう、ここが人形屋敷だという丁寧な目印まであった。

「はぁはぁ、係長っ」

 駆け足で目ヶ一郎が追いかけてくる。

「係長、帰りましょうよ、こんなところにノコノコやってきて、亡霊に祟られたら洒落にならないですよ!」

 骨河係長は夜風に当たって酔いが覚めていた。彼は遠巻きに建物を一瞥する。

 建物は昔ながらの一軒家だった。瓦屋根といわゆる本格和風建築で見る立派な数奇屋門もあって、中庭も完備しされているようだ。あまりにも立派な門構えに、とてもじゃないが廃墟とは思えない。その物々しい佇まいに骨河係長がごくりと生唾を飲み込む。

「(確かに……こいつぁ、くだらん怪談が噂されるのも頷ける話だ……)」

 門には鍵が掛かっていない。骨河係長は不法侵入する。

「かっ……係長!」

「どうしたのだ?」

 呆れ顔で振り返る骨河係長。

「……!」

 ところが、彼は眼前に飛び込んできた光景に意表を衝かれ怖気立つ。

 門は内側に何者かがつけたと思われる引っかき傷が痛々しく刻まれていた。かすり傷と呼ぶにはあまりにも痛ましい傷跡。骨河係長は、大きなスコップか何かで叩きつけなければここまで激しい傷跡はつかないはずだと思った。

「これ……いったいどうしたらこんなことになるんでしょうか……?」

「!」

 その時、ガチャっと、家屋の方から物音がした。

 門に気を取られて、家屋の方には意識が向いていなかった。意表を衝かれて二人が振り向くと、何も変わった様子はなかった。目ヶ一郎が絶叫する。

「だ……誰かいますよっ!」

 家屋の軋む家鳴りにしては音が大きかった。骨河係長は屋敷を見つめてしばらく立ち竦んでいたが、意を決したようにそっと歩き出した。

「何だ……先客がいるんじゃないか……はは、目ヶ一郎、ビビることなんてない。もしかしたら中で子供が肝試ししてるのかもしれないぜ?」

「……そ……そんな、無茶苦茶ですよ!」

「うるさい! だったら何だ今の音は!」

骨河係長は半ばやけになっていた。

「いくぞ」

「係長!」

「(人形なぞ……幽霊なんぞいない……それを証明するためにここまでやって来たというのに、ここでビビって引き換えしたら本末転倒じゃないか……私はもう恥はかかん!)」

「かかりちょぉっ!」


 * * *


「(誰も……いない……?)」

 骨河係長が覚悟を決めて玄関扉を開くと、古びていたが、確かな生活感を感じる玄関があった。先客がいたのか、土間の廊下は無残にも踏み跡によって汚されていた。その時、骨河係長は思った。

「(人形なんて、ないじゃないか?)」

「ここって、本当に廃墟なんでしょうか……?」

 と、目ヶ一郎がいう。彼は物憂げに続けていう。

「物部ちゃんの話じゃ、この屋敷は何人も持ち主が代わって最終的に廃墟になったって話ですよね?」

「……」

「でもこれ……明らかにおかしいですよ、家具なんかみんなそのまま……これじゃあまるで……」

 目ヶ一郎はヒッと息を飲む。また恐ろしい想像をしてしまったことをグッと飲み込むようだった。

――何かから逃れるために……体ひとつで夜逃げしたみたいな……――

 その瞬間、リンゴーンと、屋敷の奥のほうから大きな音が聞こえてきた。

「「!!!」」

 二人は文字通り驚きのあまりに飛び上がってしまった。

 彼らを戦慄させた物音の主は、どうやら屋敷の奥まった場所にいるらしい。

「お……置時計か?」

 それは古時計の時報の音のようだ。人はおらずとも屋敷はまだ家としての機能を失っていない。

「いくぞ」と、骨河係長。

「行くって、どこ行くんですか、もういいでしょうっ、これいじょうは行きませんよ。絶対!」

「そうか、それなら勝手にしろ」

「係長!」

「……丁度、何を目標にすべきか悩んでいたところだ……俺はちょっと見てくる、物音の主を見つける。なぁに、すぐ帰って来る」

 そういって、骨河係長が踏み込もうとした矢先。

「お前ら何をしてるんだっ!」

 二人は背後から、大きな怒声によってたしなめられた。

「!」

 二人は、玄関の前で立ち竦む。恐る恐る振り返る。そこにいたのは。

「こ……黒人!?」

 真っ黒なスーツに大きなサングラス。黒い顔が覗く。耳には宗教的な理由なのか、銀のピアスを幾つも身に着けていた。屈強な体格はボディーガードのような印象さえも抱かせる。二人は視線を落す。その男の怪しい点はほかでもなかった。――――男には、足がなかったのだ。

「「うわあああああああああああああああああああっ」」

 咄嗟に、骨河係長と渦巻目ヶ一郎は絶叫して門に向かって走り出した。

「はぁはぁはぁ」

「おいっちょっと待て!」

 最後の瞬間、黒人の幽霊が骨河係長の肩をつかもうと手を伸ばしている光景が見えた。

「(何をぶつぶついっているのだ……!?)」

 骨河係長に向かって、黒服の黒人は何かをぶつぶつ呟いているようにも思えたが、彼はそんなことに聴く耳を持つ暇などない。一瞬パニックに陥ったら、歯止めが利かなくなる。二人はひたすらその場から逃げ出したかった。

 骨河係長はひとしきり走って逃げてから、膝に手をついて呼吸を整えた。

「ぜぇ、ぜぇぜぇ(ここまで来たらもう奴は追ってこないだろう……)」

 ところが、そうして振り返った瞬間。そこに、渦巻目ヶ一郎の姿はなかった。

「は?」

 周囲を見回す。彼以外に人がいる気配はない。

「め……めがいちろー?」

 骨河係長は、暗闇の虚空に向かって話しかける。彼は咄嗟にすごく心細くなった。

「お……おぉぉい……」

 気の抜けたような声で、もう一度目ヶ一郎を呼ぶも、返答が帰ってくるわけがなかった。

「……まさか」

 しばらく暗闇の中で真剣な顔をして考え込む。それから、骨河係長はふと思った。

「(やめよ)」

 馬鹿らしくなったのだ。

「上司を置いて、ひとりで逃げ帰ってしまうとは、本当に情けない奴だ……まったく」

 骨河係長は明日になったら散々に目ヶ一郎の臆病ネタでいびり倒してやろうと思った。

「まったく、ほんとうに……ははは……」

 そう考えることが現状における一番合理的な解釈だと、自分に言い聞かせていた。ある意味では現実逃避でもあったが、他に骨河係長ができることなど何もなかったのだ。

「……帰るか」

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