第3話

 家事や身支度を済ませていたら、あっという間に11時を回っていた。バイトに行かなくては。


 戸締りをしっかり確認して、持ち物も確かめる。財布に、携帯に、100円ライター。それからもちろん、ホープを忘れずに。


 バイト先までは、家から徒歩で15分。特別な出会いなんてない、どこにでもありふれていそうな通勤時間。でも、僕はそれを気に入っている。近からず遠からずな、ちょうどいい距離だと思う。


 ただし、今日に限っていえばちょっとした変化があった。通勤経路の途中にある、道路脇のゴミ捨て場。そこで、キジトラ模様の野良猫がゴミ袋を漁っていた。さらに、そこから数メートル離れたブロック塀の上。そこで、横取りを狙っているらしいカラスがじっとその様子を見つめていた。


 人間と同じだな、と思う。


 例えば、政界の権力争い。経済界の不祥事。芸能界の不倫騒動。


 目の前の光景とよく似たような出来事を、無駄に賑やかなワイドショーの中で見た覚えがある。でもきっと、猫とカラスのそれのほうが美しく、純粋だ。


 彼らの結末を見届けることなく通り過ぎ、僕は住宅街に溶け込んだ小さなコンビニにたどり着く。そのコンビニには、店の外に共用の灰皿が置かれている。バイト先に着く前に、ここで一服するのが週間となっていた。ちなみに、自分の勤務地はここからさらに数十メートル進んだ先にある、ライバル店のコンビニだったりする。


 誰もいない灰皿の前に立ち、ポケットから取り出すのはもちろんホープ。僕の気休めの希望。


 透明の100円ライターで火をつけて、吸い込んだ心地よい白煙を真上に吹き上げる。希望の残滓は、住宅街の狭い空に溶けて雲になった。


 見上げて煙草を咥えたまま、両手の人差し指と中指で架空のファインダーを形作る。入り込んだ小さな雲に、照準を合わせた。


 昔はよく、趣味で写真を撮っていた。旅先で撮るような記念写真ではなく。そこら辺に転がっているような何気ない風景の写真。言い換えるなら、日常の切れ端。


 だけど、今ではカメラを構えなくなって久しい。かつての相棒だった一眼レフは、クローゼットの中でケースにしまわれたまま埃を被っている。


 また、そんな写真を撮ることはあるんだろうか。


 ぼんやりな空にフォーカスを当てながら物思いに耽り、ふと我に返って腕時計の時間を確認した。


 11時17分。

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