第16話 泣く子と獅子には勝てぬ 3

「レオ君、あっという間に子ども達のヒーローね」

 放課後の実習生用の控室で休憩しながら、ムツミはレオにお茶を淹れてやっていた。彼は全ての授業が終わった後も、子ども達に強請られてしばらくサッカー競技に付き合っていたのだ。

「ムツミを手伝っているだけだ。それに教室の授業ではほとんど役に立ってない」

「そんな事もないよ。でもサッカーがあんなに上手だとは知らなかった。どっちかと言うとレオ君て個人プレイの人だって思ってたから」

「サッカー? あの球蹴りの事か? だって簡単なゲームだ。ボールを相手に取られねぇで、あの四角い網に突っ込めばいいだけの」

「えっと……」

 身も蓋もない解説にムツミは苦笑する。

「でも、すごく上手に指導してたよ。レオ君のパスが上手だから、みんなよく動けてたし。素人目にもそれは分かるよ」

「……そうか? ……そうなんだ」

 ムツミの言葉にめずらしくレオは考え込んでしまったようだ。

「チームプレイっていろいろ大変なんだろうけど。自分だけの事かん変えてちゃダメなんでしょう?」

「チームの事はよくわかんねぇが、確かにあんな簡単なゲームだけど、色々気が付くことがある」

「へえ? それは何?」

 ムツミは強い興味を持って尋ねた。レオの目に子どもたちの遊びはどのように見えたのだろう?

「人間の能力にはかなり個体差がある。プレイの上手下手だけじゃなくて……なんて言うか……気持ちの持ち方とか……意識?」

 語彙の少ない野人は、自分の言いたいことを言葉にするのが非常に苦手なようだ。

「それって性格って事?」

「ああ、それかも。ボール蹴りが好きな奴はヘタでも無心に追っかけているし、たまたま能力に優れた奴でも雑念の塊みたいなのもいる」

「分かるの?」

「分かる。あんまりやりたくねぇのに無理やりやらされて、走りまわされてへとへとになってる奴がいた。なのに後片付けだけはさせられて追っ払われた。そいつにさせてたやつはボールの操作が一番上手な奴だった。あんなにちっこくて同じような奴らなのに、単純な集団の中でも階級? ……役割ができてた」

「ああ……それって」

 たどたどしい説明だが、彼が社会性の事を言っているのだろうと、ムツミにはなんとなく理解できた。

「その、後片付けしてた子って、キヨシ君かな?」

「そうかな? キィって呼ばれてたから」

「ほら、跳び箱を二番目に跳んだ子だよ。彼って大体いつも男の子の中でそんな役目をさせられてるみたい。はじまったばかりでまだ分からないけど……」

「あいつが気になるのか?」

「うん、ちょっとね」

 野人の声が低くなった。

 だが、まさかレオが小学生男子にまで嫉妬の感情を向けるとは露ほども思わずに、ムツミはただ心配そうに頷いた。だが野人にとっては、つがいが関心を向ける男は、たとえ子供であれ不快な存在となる。理屈ではなく本能である。だが、今は人間社会のルールに従うほかはない。ここはムツミの大切なフィールドなのだ。

 そのくらいはこの若い野人にも分かった。

「彼は……いわゆる苛められっ子なんだと思う……」

「いじめられっこ……」

 レオにはなじみのない言葉だった。

 安全面、衛生面、全て管理された教育の場でも子どものコミュニティでも、一つの群れができると、そこに小さなひずみが生じる。それが人間と言うもので、成長してもその部分はあまり変わらない。人間の精神性と言うものは、旧世界の時代からあまり進化していないのかも知れなかった。

「分かった、観察しておく」

「ありがとレオ君。何かあったら聞かせてね」

 野人は真摯に頷いた。

 要するに子ども達の力関係をよく見ておけって事だな。

 レオは自分に分かりやすい言葉に変換して納得した。 

 それから数日後。

 ムツミは理科の授業の教壇に立っていた。

 指導教官のミドリノはサブティーチヤーに回り、教室の後ろで観察しつつメモを取っている。レオはヤマシタ(とムツミ)に懇願され、渋々七年生のスポーツ科のサブに出ていたから、授業者は二人だった。

 この時間の活動内容は次回の授業である実験の準備、それからグルーピングである。

「実験室の作業台は六つ。みんなは全部で三十人いるから、五人ずつでグループを組めたらちょうどいいんですが、役割をきちんと果たせられるなら四人や六人のグループになっても構いません。では今からしばらく時間を取りますから、皆で話し合って六つのグループに分かれてください」

 子ども達はさっそく話し合いを始め、暫くすると仲のいい生徒同士でグループができ始めた。その中に――誰にも誘ってもらえず、クラスメイトの輪から離れて自分の席で下を向いている少年がいる。

 キヨシだった。

「キヨシ君、どうしたの? グループが決まらないの?」

 ムツミの声かけに少年はますます項垂れてしまう。周りの子どもたちは自分たちの事でワイワイと忙しく、彼に注意を払うものはいないようだ。ムツミは彼を助けて他の子に声をかけるべきか、もう少し様子を見るべきか迷いながら指導教諭のミドリノの方を見た。流石に彼女はその視線だけでムツミが何を聞きたいか察したらしく、組んでいた足を解いて立ち上がる。

「ああ、また君なのね?」

 ミドリノが面倒そうにキヨシに言った。

「いつもぼうっとして道具を忘れたり、人のいう事を聞かないで失敗ばかりしているからこうなるのよ。誰かキヨシ君をグループに入れてあげて」

「ええ~。コイツと一緒にやると絶対実験失敗しちゃうよ!」

 真っ先に声を上げたのは、ジュンヤである。

「俺クラス代表だからってずっとこいつと一緒のグループにさせられて、面倒かけられて超迷惑なんでぇす!」

 ジュンヤは言葉ほど嫌そうでもなく叫んだ。自分をアピールしたいのだろう。

「そうでぇす!」

「嫌でぇす!」

 たちまち彼のシンパが迎合する。クラスの半分はいるだろうか。

「仕方ないわね。じゃあ、キヨシ君を入れてくれたグループには十点ずつあげるわ」

「あ、ラッキ! じゃあしかたねぇから入れてやるよ。キヨシ、来いよ。嫌だけどさ」

 ミドリノの声掛けにジュンヤは優越感に満ちた笑みを浮かべ、人差し指でキヨシを招いた。キヨシはのろのろとシュンヤの方を向いたが、席からは立たなかった

「あの、ミドリノ先生!」

「何ですか? ムツミ先生、」

「点数で釣るなんて、そんなやり方はないと思います」

 生徒達に聞こえないように、ムツミは背の高いミドリノに伸び上って言った。

「これじゃあ、本質的な解決には繋がらないと……」

「確かにベストなやり方じゃないわ。でもこれ以上グルーピングを長引かせると、キヨシ君だって辛いのよ。時間も食うし。このくらいは指導スキルで許される範囲だわよ」

「でも!」

「キヨシ君はね、少し無気力なところがあるのよ。だから、このくらいでちょうどいいの」

 ミドリノは断定的な口調である。

「だけど、これは私の授業です!」

 ムツミはついに声を上げた。周囲の生徒が振り向いている。ムツミはさっと笑顔を作った。

 「キヨシ君?」

 少年の目がおどおどと上がった。

「よかったら先生と一緒のグループになるのはならない? 一緒に実験しよう」

「何言ってるのムツミ先生。あなたは主坦プランナーなのよ。あなたが子どもと一緒に実験しては、授業にならないじゃないの」

「大丈夫です。授業展開しながら、キヨシ君と実験やります。それならいいでしょう?」

 指導教官の言葉に対し、ムツミはきっぱり言い返すと、教室の前に進んで子供たちの方を振り向いた。

「そう言う訳でキヨシ君と先生で一つの実験台を使いますから、後のみんなは五つのグループを作ってね」

 これでいいのよ。ミドリノ先生の心証を悪くしちゃったけど、私は間違ってないわ。

 そのままムツミは授業を続けた。


「あの……先生」

「え?」

 後片付けを終えて控室に戻るムツミに話しかけてきたのは、大人しそうな女の子二人だ。

「なぁに?」

「私たちもキヨシ君と先生のグループに入ります」

「さっき言えなくてごめんなさい……いいですか?」

「もちろんよ! でもどうして言いに来てくれたの?」

「ジュンヤ君はお家がお金持ちで、自分も何でもできるけど、時々間違ってるんです」

「私たちものろまで、ジュンヤ君にはよく馬鹿にされるけど、先生といれば怖くないもん。だから一緒にしたいの」

 女の子たちは小さな声ながら、ちゃんと意志を持って考えているようだった。

「わぁ……ありがとう。ぜひお願いするわ」

「ムツミ!」

 長い廊下の向こうからレオが飛ぶように駆けてきた。

「レオ君。廊下は走っちゃいけないわ」

「済まん。授業終わったんだな……ん?」

 レオはびっくりして自分を見つめている女の子たちに気が付いて首を傾げた。

 同性の人間に対してよりか、かなり優しい仕草である。そして女の子は小さくても女だから、ぽうっと頬を赤くして大型犬のような野人を見上げていた。

「なんだか変な雰囲気だ、どうした?」

「うん」

 ムツミは理科の時間のいきさつを簡単にレオに説明した。レオは黙って聞いていたが、話が終わると優しい目でムツミと女の子たちを見た。

「なら俺も次の時間そのグループに入る。これで五人だ。俺にもそのジッケンとやらを教えてくれ」

 膝を折って視線を低くしたレオに、女の子はぱぁっと顔を輝かせた。

「やったぁ! レオ先生と理科ができるんだぁ」

「うん」

「すっごく嬉しいです!」

 そう答えた少女の両手は胸の前でわきわきしている。きっとレオのふさふさの髪に指を突っ込みたいのだろうとムツミは苦笑した。

「じゃあ二人とも、その事をキヨシ君に伝えていてくれない? きっと喜ぶよ」

「はい!」

 二人は元気よく答えると仲良く教室へ戻ってゆく。それを微笑ましく見送るムツミに固い声がかかった。

「ムツミ先生」

 ミドリノである。

「さっきの展開は如何なものかしら? そんな対処療法でキヨシ君の態度が改まると思う?」

「それは……」

「彼は生活態度から改めないといけないのよ。抽出メンタルトレーニングの候補でもあるし」

「……」

 加点を餌にしたミドリノの方も対処療法的指導だと思うが、ムツミにしても自分の取った方法に自信があるわけではない。だが、もう言ってしまった以上は後には引けなかった。

「分かりません。私に言えることは、次の実習をできるだけ良いものになるように努力するって事です」

「大した自信ねぇ。未熟な自分を自覚するのも大切ですよ」

 ミドリノはレオの前で尊大に言った。

「この件に関しては私にはキヨシ君と言うより、ジュンヤ君の問題のように感じるのです」

「ジュンヤ君? 確かに少し強引なところはあるけれど、リーダシップのある優秀な生徒ですよ。裏表のない」

「好きでもないサッカーに強引に誘って、とれもしないパスを出したり、後片づけをさせたりするのは裏表とは言わないのか?」

 突然レオが口を挟んだ。

「え?」

 ミドリノもムツミも驚いて振り返る。

「それにあいつ……ジュンヤか……あいつは皆に聞こえないすみっこで、キヨシって奴に結構な事を言っているぞ」

「皆に聞こえないのに、なぜあなたに分かるのです? ねぇ?」

「俺は耳がいいんだ。グラウンドの向こうの声も集中すれば聞きとれる」

「まさか! 面白いこと言うわね!」

 ミドリノはその言葉を冗談と受け止めたのか、コケティッシュにレオに微笑みかけた。

「この話は終わりだ。次は休憩時間の筈だろう。さぁ、ムツミ少し休め。俺がいんすたんとこぉひぃを淹れてやるから。さっき覚えたんだ」

 レオは元気をなくしたようなムツミの肩を抱いて部屋に押し込み、まだ何か言いたげなミドリノの鼻先でぱたりと扉は占められたのである。

 

 

 

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