第13話 溶暗
大きな月が闇を従えて夜空に君臨している。
ジャパネスク・シティの光彩は、他の大都市より低く伸びているため、輝く夜の帝王の姿を損なう事はない。
この世界に浮島のように浮かぶ大小の都市。その間隙は
それは平原であったり、沼沢であったりする。時には険しい山岳や、日の射さぬ樹海、あるいは迷い込んだら二度と出られぬ大峡谷の事もある。そこは危険な生物相の|版図(はんと)で、人跡未踏の場所もまだまだ多い。
この世界において人間の支配の及ぶ領域はまだ僅かにしか過ぎないのだ。
ひう
乾いた風が鳴る。
市と市を繋ぐ明るい帯のようなフリーウェイからは、かなり離れた荒野の夜。
シュン
鋭い音と共に脇の髪が散った。月光に金糸が白く風に舞う。
放たれた銃弾は荒野の彼方に消えただろう。
あと少しずれていれば耳が吹っ飛んだだろうに、レオは微動だにしない。
男の技量から|中(あらた)らないと決めつけているのだ。そして、そうした自分の態度が男をさらに逆上させ、増々判断を誤るだろうことも経験則で分かっていた。
「き……さま……」
案の定、岩陰に隠れていた男は、その気配も露わに半歩踏み出した。手に長めの銃を持っている。乾いた地面に淡い影が映っていた。
レオが誘いの一歩を踏み出すと同時に影が動く。大きく!
パン ――パン
小石が砕けて飛び散る。
タンタンと小気味よいステップを左右に踏みながら、レオは狙撃者に肉薄してゆく。
パン!
最後の弾丸は空に向けて放たれた。
月を背にレオが大きく跳躍したのだ。
しかし、あられもなく動揺した狙撃種の狙いは大きく外れ、巨大な影は悠々と彼の頭上を通過してゆく。刹那、きらりと冷たい光が飛んだ。
小さなナイフは音もなく襟元に突き立ち、狙撃手はう、と低く呻いてどさりと地上に崩れた。
その体格に似合わず、しなやかに着地したレオは、双眸を輝かせて闇を透かしている。
この輝きこそが野人なのだ。
それは彼らが人間と、この世界の獣との間に位置する存在だと言う事の証明でもあった。
「……済んだぞ。いつまで隠れている」
レオは闇を振り返りもせずに言った。
「おや。気付かれていたか」
彼の背後から今一つの影が姿を現す。
「人間はいつも気配がダダ漏れだ。シンジョウ」
「君が鋭すぎるんだよ、野人」
シンジョウは上半身を陰に浸している。だが野人の視力は人間よりも鋭い。無彩色のただ中ながら、レオはシンジョウがにやにやと笑っている事を見て取った。
「……何がおかしい」
「おかしくはないよ、感心しているのさ。銃を持った相手に見事な腕前だ。仕留めたようだね――まだ息があるみたいだが」
「急所をギリギリで外してある。すぐに処置すれば、助かるだろう」
「ご親切な事だ。証人を用意してくれると言う訳か」
「別に。あんたらの事情に関心はない」
レオはそっけなく言った。
「ふむ……いいだろう」
シンジョウと呼ばれた男が最新型の端末に向かって一言つぶやくと、どこで待機していたものか、中型のコンテナ車と黒い乗用車が猛スピードで現れた。コンテナ車からは迷彩服を纏った男たちが二人降りてきて、倒れている狙撃者を運んでゆく。男たちはシンジョウに一礼すると、言葉もなく車に乗り込んだ。再び猛スピードで街の方へと去ってゆく。黒い乗用車の方は動かずに闇の底に蹲っていたが、シールドされた車内からは誰も降りてはこなかった。
「ま、運が良ければ助かるだろ。それより、君のお蔭もあってこの一か月間の<ナイツ>の押収量が激減している。流石はロマネスク・シティの市長殿に推薦されただけのことはある。野人にこんな使い道があるとは思わなかった」
シンジョウは晴れやかな声でレオを称賛した。しかし、レオに動く風はない。
「……」
「この街がいかに平和ボケしていたか、奇しくも君が証明してくれた形になった訳だ。まったく市の正門から堂々と麻薬が密輸しようとするとは、もう少しで私の面目は丸つぶれになるところだった。スザクゲートの検閲は早急に見直さなくてはならないな。やれやれ、ただでさえ多忙なのに、この上麻薬ときたもんだ。だが、<ナイツ>は少しでも油断すると雑草のように蔓延する。殊に西の大都市で流通ルートの多くを失ったギャングどもは、この街に活路を見出したようだから。だが、君が三人始末してくれたし、残りも何とかできるだろ。私の街に汚れた薬を持ち込んだんだ、久しぶりに本気出すかな? いやいや、私も案外若いじゃないか。ところで君」
シンジョウはわざと聞かせるように独り言を言っていたが、不意に明るく野人に呼びかけた。
「なんだ」
レオは胡散臭そうに応じた。鼻の頭にしわが寄っている。
「君は中々使えるからね。お試し期間は一月だったが、契約の延長を申し出たい。報酬も保障する。この街へと伸びる麻薬<ナイツ>の子葉を我々が完全に刈り取るまで、君にも手助けしてもらいたいんだ」
「……承知」
「結構」
シンジョウは一歩踏み出した。その姿が月のもとに晒される。現れたのは童顔の小柄な男だった。一見、とても人がよさそうに見える風貌である。彼は好人物そうに、にっこりと頷くと、懐から取り出した書紙にさらさらとペンを走らせ、レオに押し付けた。そして、次の指示を待つようにと言い捨てると、するすると近づいてきた車に乗り込み、荒野の東に向かって走り去った。ジャポネスク・シティの方へと。
「ふん」
残されたレオはそこらの岩に片足をかけて、街の方角を見ていたが、やがて手にした書紙をびりびりに引き裂くと夜の風に流した。
「いるかよ、こんなもん」
彼を街に縛り付けるものは、こんな紙切れではないのだから――
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